別世界:ハンティングフィールド男爵
王都からかめさんの迷宮がある町ネックまで歩けば二週間以上も掛かってしまう程に遠い。距離で言えば500キロメートルはあろうという程に。
その為行商人などもちょくちょくと顔を出すなどという事は無く、今でこそ迷宮が出来て人の出入りが激しくネックを目的地として置く人物も現れたが、それまでは明らかに閉鎖的な空間とも言える辺境の地であった。
開拓当時は中央から遠いという事もあり完全に天候や季節が違うと言ってもいいネック。
持参してきた食用の植物の種でさえ長雨で腐ってしまったり発芽しなかったり、運よく芽が出ても実を付けない事も多かった。その度に試行錯誤して何とか安定的な食糧の確保を目指した。
農耕に頼れない時などは本当に稀に来る商人から食糧をあるだけ買い込んで開拓村からの配給、と言う形で食糧は全て個人ではなく村の資産として管理した。
それでも食糧が足りない時は近隣の野生動物や食べられそうな植物を狩猟で採取し、時には魔物と呼ばれる体内に魔石を持つ動物とは一線を画すモノも食べた。
餓死で死んでしまう人もいた、まさに今から考えると暗黒の時代とも言える時代であった。
しかし今は過去に類を見ない程に栄華を極めているネック。建築ラッシュに始まったそれは町の経済を潤し金を生む。新たな金に群がる商人や職人、冒険者が集まりいつしか大規模な市場となり、昨日とは違う景色が今日には作り出され日に日に大きくなっていくネック。
話題に事欠かない町に今日もまた、新しい話題を呼ぶ一報がネックの領主にもたらされた。
「単独のSランク冒険者が五人も来るか……先日の複数の時とは違った歓迎をせねばなるまいか」
そう呟く男の手元には一枚の紙が握られていた。
比較的手触りの良い光沢のある白い紙。この時代の技術から考えると白い紙など非常に高価であるという事は言わずもがな。それが如何に重大な一報なのかを表していた。
「そうでしょうか、男爵様。今回の来訪はあくまでも迷宮へ向かう途中での一時的な宿泊に過ぎません。加えて此度の事はバン・ネック家が招致したわけではなく、組合が個人的に呼び寄せた事。恐らく面会に訪れるとは思われますが、それまでは此方から何か行動を起こさずともよろしいかと」
「それは儂も思ったとも。だが今回は仮にも組合の本部のマスターが来るのだ。それにマスターは丞相の息子だぞ?嫡男でも無く貴族の実家を継がないとは言え、王都だけではなく国内全体に影響を与える事の出来る組合の頂点の地位に就いている。丞相がそうだとは言わないが、体面を気にする者が多いのが貴族だ。その息子に対し袖にするような対応などしようものなら何を言われるか……」
そう言って頭を悩ませる男爵と呼ばれた男。
歳は既に50も近く、全体的に丸みを帯びているフォルムをしているガタイの良い体。
貴族という事もあり生え揃えられた髭は顔に威厳と貫禄を、そして何処か高貴な雰囲気を醸し出している。
向かい合うように立っている執事の男も貴族の執事という事もありそれなりの貫禄を兼ね備えてはいるが、自らの主である男に比べればいくらか落ちる。
威厳と貫禄に満ち、高貴さも兼ね備えている彼こそがネックの街を支配している貴族『ハンティングフィールド男爵』。
本名を『エドワーズ・フォークナー・バン・ネック』。
町の名前がネックというのも全てはこの家名から来ている。
バン・ネック家が支配する町も男爵という事もあってネックの町一つであり、国王から授与される時に名前を考えるように言われ考えるのも面倒だったために家名をそのまま使ったなどという事はない。
そう、絶対にない。
辺境という決して恵まれた土地ではなかったこの地では昔から開拓を行って土地を開墾し、数代に渡って何とか住めるような土地へと変化させてきた。進出当時はもちろん農耕による比較的安定的な食糧の確保など出来るはずもなく、植物や動物などを狩猟する事により食糧の確保を行っていた。
その為にこの土地は昔から狩猟場所という意味を持つハンティングフィールドという名で、当時中央からは蔑視の意味も込められながらも呼ばれていた。しかしその後時代を経る事に徐々に蔑視の意味も薄れていき純粋に狩猟を目的とする者たちが集まるような土地へと変化していった。
エドワーズ・フォークナー・バン・ネック男爵は通常中央の貴族院などでは『ハンティングフィールド男爵』呼ばれる。
何故、『バン・ネック男爵』ではなく『ハンティングフィールド男爵』と呼ばれるのか。どうして姓名と爵位名が違うのか。
これはこの土地を領地と定められる時に爵位名を決める際、姓名のバン・ネックではなくハンティングフィールドという土地を拝領するからということでこのハンティングフィールドという爵位名を貰ったのだ。
貴族には時々拝領する土地を爵位名にする習慣があり姓名が違う事があるのだが、今回のハンティングフィールド男爵もそんな領地となる土地の名称を爵位名にした貴族の一人だ。
「確かに丞相は貴族ですが、現在はそれほど体面を気にはしないでしょう。ツィードデール侯爵家も今では実質嫡男であるアンドレアス・エヴェレスト・ジョン=ヘイ様が運営していると言いますし、正直丞相であるあの方は国政に全てを掛けていると言っていいのではないでしょうか?」
「うーむ……では彼らをどう扱おうと丞相は知らぬ存ぜぬで通してくれる。お前はそう言うのか?」
「もちろん招致してはいなくとも、彼らがこの屋敷を訪問されるのは確実でしょう。その場合は最低限のもてなしは必要でしょうが、それでも他の貴族を迎えるような大々的なモノではなくても良いかと。マスターである彼も堅苦しいものは嫌いな気があると聞いた事もありますので」
王都に存在する組合のマスターである男“狂荒のアレス”。
脳筋気味の彼は正直言って貴族の世界に蔓延る腹の探り合いは正直出来ない。しかし戦闘や生存本能などに対しては天性の感を持っているからこそSランクにまで上り詰めた、どちらかと言うと考えて動く事よりも本能で動く事の方が多い。
そんな人物が礼儀やモラルなどに縛られた空間を好むだろうか。少し考えれば分かる通りに好むはずがなく、むしろ嫌っている傾向にある。
だからこそ執事の彼は最低限の歓迎で良いと考えたのだろう。
「他のSランク冒険者はどうする?彼らも同じ様な対応で良いと?」
「マスターが満足している者に対して組合員が非公式とはいえ貴族の前で文句など言うはずもないかと。そんな事をすればマスターを否定しているのも同義であり、貴族を馬鹿にしている事にもなり得ますから」
「……儂はお前の事を信頼している。そんなお前がそこまで言うのであれば、今回はその通りに動いてみよう。責任は儂が取る、好きにやれ」
「ありがとうございます。では準備は全てこちらで行いますので男爵様には当日歓迎する時の挨拶の方をお願い致します」
男爵の言葉に満足したのか執事の男は笑みを浮かべると頭を下げてその意を示した。しかしそれも一瞬、すぐに体を起こした執事の男は当日の行動について男爵に注文を付けた。
「分かっているとも。今度こそお前がびっくりするような口上を考えてやる」
しかし男爵もいつもの事なのか、突き付けられた注文に対して待っていたかのように挑発的な言葉で返す。
いや、と言うよりも完全に挑発している。
「えぇ、期待しています。私も一度は添削しなくても良い口上にあってみたので」
「くそっ。今に見ていろよ……」
「ハハハッ、いやー今から楽しみですね」
男爵と執事。
主人と家来の関係ではあるが、そこには見えない長年の付き合いで築かれた信頼という名の関係が結ばれていた。十年二十年では決して結ばれる事のない、強固な関係が。




