「僕は土手に座り込み、今日の出来事を考える。」
昔書いた作品です。
最後まで読んでいただけたら幸いです。
少し落ち着いた僕は、少しおなかがすいたな、などと考えながら、土手に座り込んでいた。四月の暖かな朝日が反射して、輝く川の流れを見つめて考えた。
学校ではもう始業式が始まっている時間だ。
音のするほうに目をやると、電車が橋を行くところだった。
平日の朝だ。仕事にいく人々が乗っているのだろう。そんなことを考えると、自分はまったく何をしているのだ、と少し不安になった。
* * *
相沢先生が家に来たのは昨日の夕方のことだった。
先生は過去に何度も僕を訪ねていたが、僕は学校に行くことはなかった。先生の優しさは嬉しかったし、言いたいこともわかる。でもできればもう、門の前に立つだけで吐き気のする学校には行きたくなかった。
吉田たちのグループが僕を罰ゲームと称して暴行を始めたのはいつだったか覚えていない。多分一年の冬頃だっただろう。
不幸なことにうちの中学はクラス替えが無いため、二年になっても吉田から逃れることはできなかった。吉田たちの暴行は次第にエスカレートし、脳震盪を起こして倒れた事だって、みんなの前で裸にされた事だってあった。
でも、僕が、なにより悲しかったのは、仲のよかったクラスメイトまでもが僕を避けるようになっていった事だった。
僕は学校を休むと吉田たちに負けた気がして、あまり休みたくなかった。でもその日は風邪をひいてしまい学校に行くことが出来なかった。
休んだのはたった二日。二日でも悔しかった。
吉田は逃げたのかと思ったぜ、と下衆に笑い、学校に戻った僕を待ちわびたかのようにまた僕に暴行を始めた。でもそれはいつもの事だった。変わりない僕の日常だ。
事件が起きていたのは僕の休んだ二日間。おもちゃの無くなった吉田は、僕の代わりに僕の友達に手を出していた。
そりゃあ誰だって殴られたり蹴られたりするのは嫌だろう。当たり前のように僕の友達は減っていき、最後には口を聞いてくれる者もいなくなった。
吉田たちもあんなに毎日暴行を繰り返していたのに、今度は面白がって一緒に僕を無視し始める。
誰からも感心を持たれない毎日。
しだいに僕から誰かに話しかけることも無くなり、そうして唯一の支えを失った僕は、学校から逃げ出した。
家は母子家庭で、母さんは仕事に出ており、先生の来る時間はいつも僕ひとりだ。いつもならうつむく僕に、優しく質問を繰り返すばかりだったが、その日、先生は自信ありげに切り出した。
「もう明日から新学期だぞ。そろそろ学校に出てきたらどうだ?」
先生はいつも優しい。
「いや、無理にとは言わない。だがお前を心配してる奴だっているんだぞ。」
「・・・。」
そんな事は絶対にない。学校では僕は独りなんです。
先生は何も口に出さない僕を見つめ、一枚の色紙を僕に渡した。
「これでもか?」
それは色とりどりのペンで書かれた、クラスメイトたちの寄せ書きだった。
「今まで見てみないふりをしててゴメン。学校来いよ。」
「クラスメイトが揃わないと寂しいです。みんな待ってます。」
「いつまで休んでるんだよ!羨ましいから学校来い!」
そして真ん中には僕の名前と、「負けるな」の文字があった。
そこには僕が望んでいたクラスメイトたちの優しさがあった。吉田の名前は無かったが、その時、本当に僕は心の底から救われた気がした。
本当は、僕はあの学校が大好きだった。
屋上に上ると川の向こうの海まで見える。
友達も先生も。
無視をされていたけど、みんなのいいとこいっぱい知ってる。
悪い奴らじゃないんだ。
ウチのクラスだったら、三十人全員。みんなのフルネームが書ける。
入学のとき覚えたんだ。先生だって。
いつの間にか僕は嗚咽とともに泣き出してしまっていた。
「吉田には先生からもよく言ってある。あいつも反省してる。直接お前に謝りたいそうだ。だから。な?」
「せ、先生」
嗚咽に邪魔をされ上手く喋れない僕は、唾をひとつ飲み込んだ。
「僕。学校に行きたいです。」
今、変わらなければ僕は、一生逃げることになってしまう。僕はいじめを受けていたんだ。
僕はその時、もう逃げないと心に固く誓った。
そして、朝はすぐにやってきた。
自分の部屋のカーテンを開けるのはどれぐらいぶりだろう。朝日が部屋を強く照らす。
久々に腕を通した制服は少し防虫剤の臭いがしたが、同じく久々にぐっすり眠れた僕には気にならなかった。
朝ごはんを食べながら、僕は母さんを見た。
昨晩、学校に行く決意を母さんに話したとき、母さんはわんわん泣いて僕のことを抱きしめた。こんなに泣いている母さんを見るのは生まれて初めてで、僕は驚いた。
僕が見ていることに気づいたのか、母さんは微笑んだ。
「今日は頑張りなさいね。」
「うん。大丈夫。」
母さんは嬉しそうだった。
僕は校門の前に立っていた。もう吐き気は無い。校庭には大きな桜の木が一本。見事に咲いている。新入生の気分だ。
始業式はホームルームの後だから、僕はまず、教室へ行かなければならない。
下駄箱にはまだ僕の上履きが残されており、何故か不登校になる前にタイムスリップしたような、不思議な感覚に陥った。下駄箱のネームプレートの端は錆びていたが、僕の名前はまだ残っていた。少し嬉しかった。
教室は学年が変わったので2階から3階に変わっていた。僕はクラスメイトに会わないか、正直びくびくしながら階段を上った。階段には新しい手すりが付いていた。その手すりを頼りに階段を上っていく。
3階が遠い。
僕は別に悪いことをしているわけではないのに、ただ学校に来ただけなのに。胃袋がのどを押し上げる。息が荒くなる。教室はすぐそこだ。大丈夫。大丈夫だ。
そして僕は教室の扉をそっと開けた。手は震えていたに違いない。一瞬で教室は静まり返り、僕にみんなの視線が突き刺さる。
怖い。
「・・・・おはよう。」
やっと出た一言がそれだ。
でもその一言で緊張していた体が一気に開放される。やっと帰ってこれた。大好きな学校に。
そう思ったときだった。
「マジで?」
「ほんとに来ちゃったよ!」
教室が爆笑に包まれた。僕は意味が分からない。すると一人の男が立ち上がった。吉田だ。僕の体が震える。
「ごめーん。あの色紙嘘なんだよね。」
再び笑いが巻き起きる。あの色紙が嘘?
その意味を理解したとたん、僕は胃の中のものを吐き出してしまった。
「うわぁ。きたねぇ!」
吉田がはやし立てるように叫ぶ。涙で前がかすむ。
なんで?なんで?
うきうきしていた自分が恥ずかしい。
みんなで僕を騙したの?
なんで。あんまりだ。
息が荒くなる。逃げたい。逃げたい。逃げたい。逃げたい。
「ひぃ、うぅわぁ・・。」
僕は情けない声を出して教室を飛び出した。その声を聞いてまた笑いが巻き起こる。
あんなやつらに弱いところ見せたくないのに。
僕はその笑い声から逃げた。
みんなが僕を笑う。
恥ずかしい。
全部嘘だった。嫌だ。
なんで?
ひどい。
僕は悔しくて、悔しくてひたすらに走った。もう逃げないって決めたのに。僕は上履きのままで下駄箱を駆け抜け、校門を駆け抜ける。
そのときに急に手首を強く掴まれた。
「ひぃい、ごめんなさい、ごめんなさい。もぉ許して・・・」
搾り出すように僕は謝った。もう顔は涙でぐずぐずだった。もう許して欲しかった。
「おまえ、どうしたんだ?」
僕の手首を掴んだのは相沢先生だった。眉間にしわが寄り、今にも殴られそうで、僕は驚いて手を振り解こうとした。
でも相沢先生の力は強かった。
「何があった?言いなさい!」
僕を掴んだまま、先生は強い口調で聞く。
「離せよ!!」
僕は相沢先生を突き飛ばしてしまった。先生は尻餅をつき驚いているようだった。
「・・・・ごめんなさい。」
僕は小さく謝り、再び走った。
先生は大声で僕の背中に何か言ってたけど、よく聞こえなかった。
* * *
僕は土手に座り込み、四月の暖かな朝日が反射する川の流れを見つめていた。
学校ではもう始業式が始まっている時間だ。
音のするほうに目をやると、電車が橋を行くところだった。
平日の朝だ。仕事にいく人々が乗っているのだろう。そんなことを考えると、自分はまったく何をしているのだ、と少し不安になった。
そろそろ行こうかな。
川の流れに飽きた僕はゆっくりと立ち上がった。薄い上履きでアスファルトを走ったから少し足が痛い。僕はとぼとぼと歩き始める。
ちょうど今の時間は土手を歩く人はあまりいなくて、途中、犬の散歩をしているおばあちゃんとすれ違っただけだった。
駅に着くと登校用の定期を使ってホームに入った。相変わらず、人は少ない。次は赤い特急列車だ。
「ピンポーン。まもなく1番線に電車が参ります。この駅は通過です。」
独特の濁声がホームに響き、橋をわたる電車が線路の向こうに小さく見えはじめた。
それを見ても僕は怖くは無かった。
もう。終わりにしよう。
僕はホームの端に立ち、一歩を踏み出した・・・。
おわり
ありがとうございます。
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