嘆きの花嫁と嘆きの花婿
前回、オネエ口調のイケメン、ギャリーが登場しました。私が「Ib」をプレイし、初めて彼が口を開いたときの衝撃は、まさに「!?」でした。「え、女なの?」としばらく混乱していました。彼のその独特なキャラクターも、「Ib」の魅力の一つなのでしょう。
今回から本格的に始まるイヴとギャリーの二人の冒険を、一緒に楽しんでいただければ幸いです。
イヴとギャリーが廊下をしばらく歩いていると、ちょうど扉の前に石膏像があるのが見えた。『無個性』という名の石膏像だった。イヴがここに迷い込んだばかりの頃、イヴはこの『無個性』に襲われたことがある。イヴは、また動き出しはしないか、とおそるおそる様子をうかがう。
「なによ、これ。邪魔ね。動かせないかしら。」
ギャリーはそう言うと、石膏像の横に立つ。
「よっ、と。」
ギャリーが石膏像を押す。石膏像はギャリーに押され、そのまま左に動く。
「よし。これで通れるわね。」
イヴは、石膏像に注意を払う。石膏像が動き出す気配はなかった。しかし、扉を開けているギャリーのもとにいくまで、イヴは警戒心を解かなかった。結局、扉をくぐるまで、石膏像が動き出すことはなかった。
(気にしすぎかな―)
イヴは、一抹の不安を抱えながらも、ギャリーと一緒に先に進む。イヴは、誰かに見られている気がしてならなかった。けれども、それは、この奇妙な美術館にいることによる錯覚という程度のものと言えなくもなかった。
先に進むと、そこには二枚の絵と二つの手の形をした石像があった。イヴは、左側の方の絵を見る。ウェディングドレスを着た女性がブーケを握り締め、正面を見ながら涙を流していた。イヴは、その絵のタイトルを見る。
『嘆きの花嫁』
「こっちは、『嘆きの花婿』ね。」
右側の絵を見ていたギャリーがそう言った。イヴは、絵の前に置いてある手の石像を見る。その手の石像は、指が細く繊細な感じがするため、イヴは、女性の手じゃないかな、と思った。
「特に何もなさそうだから、先に行きましょ。」
ギャリーに促され、二人は先に進むことにする。
先に進むと、入り組んだ廊下に出た。廊下には扉がいくつかあった。薄暗い廊下に、冷たい空気が充満している。
とりあえず、二人は部屋に入ることなく、辺りを探索することにする。廊下には、さまざまな絵が飾られている。大きな氷の絵、目の部分がくぼんでいる白いヘビの絵、変な幾何学模様の絵などがあった。
「どうも、薄気味悪いわね。何が出てきてもおかしくないわ。」
「えへ、えへへへへ。はな、お花いいなあ。」
ギャリーは、驚きのあまり声を上げて飛び上がりそうになる。イヴは、落ち着いて辺りを見渡す。声は正面の絵から聞こえてくるようだ。目と口だけが描かれた青を基調とする絵だった。目から涙が溢れている。絵は、不気味な笑い声を発しながら話しかけてくる。
「そのお花くれたら、ここ通してあげるよ・・・えへへ。えへへ・・・お花、ちょうだい?」
イヴは、胸ポケットにある赤いバラを見る。もし、このバラを渡して食べられちゃったりしたら?花びらが全て散ってしまったら?イヴは、さっき床に倒れていたギャリーの姿を思い出す。イヴは、何度も首を横に振る。
「ねえ、おねがい・・・ちょっとだけ。におい、嗅ぐだけだからさぁ。」
絵は言い終わると、短く笑う。その一言で、イヴは迷い始める。
(匂いを嗅ぐだけならいいのかな。危ないと思ったら、すぐに引っ込めればいいし。それで、ここを通してくれるのなら―)
「イヴ。なんかこいつ、信用できないわよ。もっと別の方法がないか、考えたほうがいいんじゃない?」
ギャリーが隣で耳打ちする。確かに、顔を歪めながら、不気味に笑い続けているこの絵は、少し怪しい。イヴは、見た目だけで判断するつもりもなかったけれど、ギャリーの言う通り、もっと安全な方法があるのなら、そちらの方が断然いい。
「そうだね。行こう、ギャリー。」
イヴとギャリーは、絵に背中を向け、元来た道を戻る。絵は、二人の背中に向かって、ずっと声をかけていた。
「ちょっとぐらい、いいじゃん・・・。えへへへへへ。おはな、おはな。えへへ、えへへへへ。あははははははははは。」
絵の不気味な笑い声が、薄暗い廊下に響き渡る。その笑い声は二重、三重になってイヴとギャリーの耳に届いた。二人の歩みは、自然と速くなった。
笑い声が聞こえなくなると、二人は立ち止まり、大きく安堵のため息をつく。
「さて。それじゃあ、部屋を見て回りましょうか。」
ギャリーは、近くにあった扉に手をかける。イヴはそれに続く。部屋の中には、たくさんのキャンバスと椅子が所狭しに置いてあった。
「なんで、こんなにたくさん置いてあるんだろ?」
「まったく。ちゃんと整理しときなさいよね。あれ?あそこのテーブルに、なにか置いてない?」
ギャリーは、部屋の奥の方にあるテーブルを指差す。確かに、そこには何かが置いてあった。ただ、イヴやギャリーのいるところからでは、それが一体なんなのかまでは分からなかった。
「ちょっと、行ってみましょうか。」
ギャリーは近くにあった椅子を持ち上げようとする。
「なにこれ?持ち上がらないわ。この椅子、一体どうなってるのよ。」
その椅子は明らかに木製であり、見た目ではイヴでも持ち上げられそうな椅子だった。しかし、実際には、ギャリーがどんなに力を込めてもビクともしなかった。
「押せないのかな?」
「きっと無理よ、イヴ。こんなに重いんだもの。」
試しにイヴが椅子を押してみる。すると、椅子はなんなく移動した。
「押すことはできるのね・・・。ホント、ここは変なものばかりだわ。」
「パズル、なのかな?」
イヴがつぶやく。動かないキャンバスと、ずらすことしか出来ない椅子の配置。それは、まるでパズルのようだった。椅子を動かして、テーブルのところまで続く道を作るパズルだ。
「なるほど、そういうことね。よし、ちょっと考えるから待ってて、イヴ。」
ギャリーが部屋を見渡し、テーブルまでの道順を考え始める。そのあいだにも、イヴは次々と椅子を動かしていく。
「ちょっと、イヴ!ちゃんと考えてから動かさないと。やり直しはできないのよ。」
それでも、イヴは椅子を動かし続ける。いつの間にか、イヴはギャリーのところからずいぶん離れ、テーブルのすぐ近くまで来ていた。
「よし、出来た。」
イヴは、最後の一個を動かすと、テーブルの上のものを手にし、ギャリーのところに駆け足で戻ってくる。部屋の入り口からテーブルのところまで、綺麗に一本道が出来ていた。ギャリーは、呆気にとられている。
「・・・すごいわね、イヴ。」
「昔、お父さんと似たようなパズルやったことがあるの。それより、これ、なんだと思う?」
イヴは、テーブルの上から取ってきたものをギャリーに見せる。小さな小瓶に透明な液体が入っている。ギャリーは、小瓶についている銀色の蓋をとってみる。
「これ、目薬みたいね。どうして、こんなところに・・・。」
イヴもギャリーも、その目薬の使い道が思い浮かばなかった。部屋の探索も続けてみたけれど、ほかに変わったものはなさそうだったので、二人は部屋を出る。
「それとも、これ、目薬じゃなくて、もっと別の―」
小瓶を見ながら下を向いていたギャリーの足が止まる。ギャリーを見上げて歩いていたイヴも、それに合わせて立ち止まる。ギャリーは、足元のある一点を見つめたまま、視線を逸らそうとしない。イヴは、不思議に思い、ギャリーの足元を見る。
そこには、目玉があった。床から目玉が現れ、じっとギャリーを見ている。すると、少し離れたところから、新たに目玉が現れ、徐々にその数は増えていった。気がつくと、廊下の床一面が目玉で覆われていた。
「ギャー!気持ち悪い!なんで床に目玉があるのよ!」
さすがに、イヴも足がすくむ。しかし幸いにも、目玉はその場でキョロキョロしているだけで、こちらに向かってくることはなかった。
イヴが廊下を埋め尽くす目玉を見ていると、ひとつだけ赤い目玉があるのが見えた。どうやら、その目だけ充血しているらしい。イヴは、震えているギャリーから目薬を受け取り、目玉で覆い尽くされた廊下を進む。
「ちょっと、イヴ。危ないわよ!」
危ないということはなかった。目玉たちは、廊下を進むイヴをただ目で追っているだけだった。充血している目玉のところまで行くと、イヴは目薬の蓋をとり、上から目薬を垂らした。目薬は真っ直ぐ目玉に落ちていき、みるみるうちに充血が治った。
目玉はうれしそうにぐるぐると視線を動かすと、イヴの目の前からパッと消えた。周りの目玉を見ると、皆同じ方向を見ている。
(あっちだよって言っているのかな。)
「ねえ、イヴ。大丈夫なの?」
「こっちに来てよ、ギャリー。」
イヴの呼びかけに、ギャリーは躊躇する。この不気味な廊下を渡りたくなかった。けれども、イヴが呼んでいるなら、行かない訳にはいかない。ギャリーは、一歩ずつ廊下を進み、時間をかけてイヴのところにたどり着く。
「目薬を指してみたら、みんなあっちの方向を向いたの。行ってみようよ。」
「そ、そうね。それ以外に手がかりもないことだし・・・。」
ギャリーは、イヴに連れられさらに廊下を進む。すると、ある目玉が、壁の方をじっと見つめていた。
「この壁の向こうに、何かあるってこと?」
イヴがそう言うと、廊下を埋め尽くしていた目玉が一斉にパッと消えた。イヴとギャリーは、壁の前に立つ。
「一体何が―。あっ。これ、スイッチだわ。」
壁を調べていたギャリーがスイッチを押す。すると、大きな音を立て壁が動いた。
「隠し扉になっていたのね。」
二人は、中に入っていく。中はそんなに広くなかった。縦長の部屋で、部屋の真ん中に赤く光るものがあるだけだった。
「なんだろ、あれ?」
イヴは、赤く光るものに近づき、手に取る。イヴの手の平ほどの大きさのガラス玉だった。
「あれ、それひょっとして・・・。イヴ、ちょっとそれ、貸してくれない?」
イヴは、ギャリーにその赤いガラス玉を渡す。ギャリーは、部屋の外に出ると、廊下を迷うことなく歩き始める。イヴは、その後ろをついていく。
ギャリーは、白いヘビの絵の前に立ち止まる。白いヘビの目はくぼんでいる。ギャリーは、白いヘビの絵のくぼんでいる目の部分に、赤いガラス玉をはめ込む。
パサ。
白いヘビの絵の隣に飾ってあった絵が落ちてきた。イヴが近づいてみると、額縁の裏に文字が書いてあるのが見えた。
『大きな木の後ろに・・・』
「大きな木ってなんのことだろう?」
「他の部屋を調べる必要があるわね。」
二人は、近くにあった扉に入る。そこには、さまざまなオブジェがあった。目の前には、『ワインソファ』という名前のオブジェがある。
「あんまり、座り心地、よくなさそうね。」
その他にも、カラフルな骸骨など、いろいろな作品があったけれども、イヴにはそれが一体何を表すのか、理解できなかった。
部屋の奥に、人の形にも見える木のオブジェがあった。イヴは、そのオブジェのタイトルを見る。
『感情』
「よくこんなもの考えつくわよね。大きな木って、ひょっとしてこれのことかしら。」
ギャリーは、『感情』の裏側に回る。すると、葉っぱの中に何かが光っているのが見えた。銀色の指輪だった。ギャリーは、その指輪を木の枝から抜き取る。
「これ、結婚指輪じゃない?どうして、こんなところに?」
指輪には細かい文字が刻まれていた。おそらく、新郎と新婦の名前だろう。
「さっきの花嫁と花婿のものじゃないかな?」
「そうよ!さっそく戻りましょ!」
二人は部屋を出ると、さっそく花嫁と花婿の絵があったところまで戻る。絵の前にある手の石像のタイトルを見る。
『嘆きの花嫁の右手』
『嘆きの花嫁の左手』
「たしか、婚約指輪は左手の薬指につけるのよね。」
ギャリーはそう言うと、『嘆きの花嫁の左手』の薬指に銀色の指輪をはめる。
―ありがとう―
どこからか声がしたかと思うと、『嘆きの花嫁』がブーケを絵の外に投げ出した。ちょうど、ブーケの落下地点にいたイヴは、それを両手で受け止める。花嫁の表情は先程までと違い、笑顔になっていた。
「『幸福な花嫁』になっているわね。一体どういう仕掛けなのかしら?」
ギャリーがタイトルを見ながらつぶやく。花婿の方も、『幸福な花婿』になっていた。
「これ、どうしよう?」
イヴが、ブーケを両手で持ったまま、ギャリーに尋ねる。
「イヴが持ってていいんじゃない?」
イヴは、しばらくブーケを見つめる。すると、イヴは何かを思いついたのか、ブーケを持って、廊下の先に進んだ。ギャリーは、不思議に思いながらもイヴのあとをついていく。イヴが向かっているのは、さっきバラをちょうだい、としつこく頼んできた絵のところだった。
二人は、再び目と口だけ描かれた絵の前に来た。絵は相変わらず、不気味な笑い声を発している。
「えへ、えへへ。はな。お花、くれるの?」
「うん。これ、あげるよ。」
イヴはそう言って、ブーケを絵の前に差し出した。
「えへへ。それじゃあ、いただきます。」
絵はブーケにガブリつくと、バリバリと音を立ててブーケを食べ始めた。
「あー、おいしかった。ありがとう。ありがとう。約束だからね。ここ通すよ。このドアで奥に行けるよ。それじゃあね。えへへへへ。」
絵はそう言い残すと、壁から落ちた。すると、重い音を立て壁が横に動き、奥から扉が現れた。
「これで先に行けるね、ギャリー。」
イヴは扉を開き、先に進む。ギャリーは勇み足に進むイヴの背中をしばらく見ていた。
(大した子だわ。)
ふと、ギャリーは後ろを振り返る。視線の先には、静まりかえった廊下が続いているだけだ。
「どうしたの、ギャリー?行くよ。」
「え、ああ。ごめん、イヴ。」
イヴに呼ばれ、ギャリーは扉をくぐる。
(気のせいよね―)
ギャリーが扉を通ったあと、扉の閉じる音が誰もいなくなった廊下に響く。それに続くように、小さな笑い声が響き始める。
―ねえ、楽しい?楽しいなら、ずっとここにいなよ―