青年と青いバラ
偶然なんですけど、このサブタイトル、面白いことになっています。「青」年と青いバラ。これに気がついたあと、「イヴと赤いバラ」にも、似たようなことができないか考えましたが、残念ながら思いつきませんでした。
ここから個人的な話になってしまいますが、お気に入り登録してくださった方、本当にありがとうございます。とても励みになります。アクセス解析というもので、どのくらいの方が読んでくださっているのかは分かるのですが、やはり、こういった反応があるとより一層「読んでくれているんだな。」と実感することができます。これからも、「Ib ~不思議な美術館~」をよろしくお願いします。
扉を抜けると、小さな机の上に花瓶が置かれていた。花瓶の中には、水が入っているようだった。
(バラにお水あげようかな―)
イヴは、花瓶に近づくと胸ポケットから赤いバラ取り出し、花瓶に挿した。花瓶に挿した途端、バラの色が一層鮮やかになったように見えた。
(よかった。元気になったみたい。)
イヴは、花瓶からバラを取り出し、再び胸ポケットに入れる。廊下は、左右に分かれていた。イヴは、左に進むことにする。
左に進むと、小さな部屋が見えてきた。ちょうど、廊下の壁から突き出すようになっている。部屋の近くに、また花瓶が置いてあった。しかし、今度の花瓶には水が入っていなかった。
イヴは、部屋の扉に手をかける。扉は鍵がかかっているようだった。部屋の窓から覗き込もうとするけれども、窓は少し高いところについていて、イヴの身長では中を見ることは出来なかった。
(あれ、なんだろう?)
イヴが扉から視線をそらすと、床に小さな青いものが落ちていた。イヴは、近づいてみる。
(これ、バラの花びらだ。)
青いバラの花びらは、何枚も落ちていた。イヴは、その花びらをたどってみる。花びらをたどると、すぐに壁が見えた。壁には、何かが貼ってある。イヴは、それを読んでみる。
『青い服の女』
イヴは咄嗟に辺りを見渡す。イヴは、さっき『赤い服の女』に追いかけられたばかりだった。だから、『青い服の女』も、イヴを追いかけてくるのではないかと思ったのだ。しかし、どうやら近くに『青い服の女』はいないようだった。
(もうひとつの道を進んでみようかな。)
イヴは、来た道を戻っていき、今度は水の入った花瓶の右の方の廊下を進んでいった。
右に進むと、床に何かが倒れているのが見えた。床に倒れたまま、微動だにしない。
(なんだろう?)
イヴは、おそるおそる近づく。もしかしたら、近づいた途端に起き上がってきて、襲われるのではないか、と思ったからだ。近づいてみると、それは人のように見えた。ボロボロの黒いコートを羽織っている。
「うっ・・・。」
イヴは身構える。しかし、弱い呻き声をあげるだけで、起き上がろうとしない。その人の手には、鍵が握られていた。おそらく、先ほどの部屋の鍵なのだろう。
(その鍵、必要なんだけどな―)
イヴはしゃがみこむと、静かにその人の手を開き、鍵を抜き取った。ここで襲いかかってこないかな、とイヴは心配したものの、やはり、その人は身動き一つしなかった。
「い・・・痛い・・・。」
イヴが鍵を手にしたとき、そう言ったのが聞こえた。
(もしかして、この人、美術館にいた人かな・・・)
イヴは記憶を遡ってみた。しかし、イヴの記憶は曖昧だった。黒いコートを着た人がいたような気もするし、いなかったような気もした。それも、当然だ。美術館に来て、人ばかり見ている人なんていないだろう。イヴは、記憶をたどるのをやめ、今来た道を戻る。
イヴは、小さな部屋の前に立つと、鍵を鍵穴に差し込む。鍵はぴったりはまった。鍵を回し、扉を開ける。部屋に入ると、青いバラの花びらが落ちているのが見えた。
(ここにもある―)
イヴは、青いバラの花びらをたどる。すると、イヴは突然歩みを止めた。イヴの視線の先には、『青い服の女』がいた。『青い服の女』は、絵の中から上半身だけ出し、花びらの枚数が少なくなった青いバラをいじっていた。イヴは、胸ポケットに入っている赤いバラを見る。
(もしかして―)
すると、『青い服の女』がイヴの方を見る。見つかってしまった。『青い服の女』は、青いバラを投げ捨て、両腕を使い、ものすごい勢いでイヴに向かって来た。イヴは急いで部屋の外に出る。
(こうすれば、追いかけてこないはず―)
イヴは、大きく息を吐き出す。
ドンドンドン!
思い切り窓ガラスを叩く音がする。イヴは、上を見上げ窓を見る。窓の向こうに影が見える。
ガシャーン!
鋭い音とともに、窓ガラスの破片が床に落ちてくる。破片の落ちた上に、鈍い音を立て、『青い服の女』が落ちてくる。『青い服の女』は、すぐに体勢を整え、イヴに向かってくる。イヴは再び部屋の中に飛び込む。部屋に入ると、さすがに追いかけることができないのか、『青い服の女』が部屋に入ってくることはなかった。
(どうやって、あんな高いところに登ったの?)
イヴは気がつかなかった。部屋の中に倒れた椅子があったことを。『青い服の女』は、その椅子を使い窓まで登ったのだ。
結局、イヴがその謎を解決することなかった。それどころではなかったからだ。イヴは、床に落ちている青いバラを拾う。青いバラは、もうほとんど花びらの枚数がなく、枯れかかっていた。
(早くしなきゃ。)
イヴは、部屋の外に飛び出す。飛び出すと、『青い服の女』が再びイヴを見つけ、追いかけ始めた。イヴは後ろを振り返らずに、水の入った花瓶のところまで走っていった。
花瓶の前まで来ると、後ろを振り返った。どうやら、ここまでは追ってこないらしい。イヴは大きく息を吐き出すと、青いバラを花瓶に挿す。萎れかかっていた青いバラは、みるみるうちに花びらの枚数を増やし、色も鮮やかになった。イヴは、青いバラを花瓶から取り出すと、そのまま右の廊下を進んでいった。
右の廊下を進むと、床に倒れたままの人が見えてきた。イヴはしゃがみこみ、青いバラを差し出してみる。
「うーん・・・あれ?痛みがなくなってる。」
倒れていた人は、顔を上げ、イヴを見る。整った顔をした男の人だった。男の人は、イヴを見ると、飛び上がり、後ろに下がる。
「な、何よ。もうこれ以上何も持ってないわよ!」
男の人は、イヴのことをここにある奇妙な作品たちと勘違いしているようだった。それを悟ったイヴは立ち上がると、青いバラをそっと差し出す。
「それ、アタシのバラ・・・。もしかして、取り返してくれたの?」
男の人はイヴから青いバラを受け取る。身長は高かった。イヴのお父さんよりも高いのではないだろうか。細身の体型に、ボロボロの黒いコートが似合っている。
「そっか。ありがとうね。このバラの花びらが散るたびに、身体に痛みが走っちゃって―。死ぬかと思ったわ。」
男の人は、さっきまでの痛みを思い出したのか、胸に手を当て、苦痛の表情を浮かべる。
「ねえ。アナタ、もしかして美術館にいた人じゃない?」
男の人が、イヴに問いかける。そう。この男の人は美術館にいたのだ。イヴは覚えていなかったが、実は彼女は彼を見かけている。イヴは、男の人の問いかけに対し、静かに頷く。
「そうでしょ!アタシの他にも迷い込んだ人がいたのね。ねえ、もっと詳しく聞かせてくれる?」
男の人は、イヴに今までの経緯を説明するように促す。イヴは、ある大きな絵を見たら、突然、美術館に人がいなくなったこと、青い足跡を追っていたら、いつの間にかここにいたこと、ここに来るまで、奇妙な出来事や困難があったことを男の人に話した。
「そっか。それは大変だったわね。私も気がついたら、人がいなくなっててさ。辺りを探っていたら、壁だったところに階段が出来てて―。降りていくと、ここに着いたのよ。あとは・・・分かるでしょ?」
イヴは、頷く。きっと、イヴが体験してきたことと同じような体験をしてきたのだろう。そして、 『青い服の女』に襲われ、青いバラを奪われてしまった。
「で、とりあえずさ。一緒にここから出る方法を探さない?アタシは、ギャリーっていうの。アナタは?」
ギャリーと名乗る青年は、イヴに優しく尋ねた。
「イヴ―」
「イヴっていうのね。よろしくね、イヴ。」
ギャリーは、イヴにそっと手を差し伸べる。イヴは、少しためらいはしたものの、差し出された手をしっかり握った。ギャリーの手は温かく、大きかった。
「さあ。行くわよ、イヴ。」
ギャリーが勇ましく先に進もうとしたとき、壁にかかっていたチロチロと舌を動かしている絵が、唾を吐き出してきた。吐き出された唾は、ギャリーの足元に勢いよく飛んできた。
「ぎゃー!」
ギャリーは腰を抜かす。それを平然として、黙って見ているイヴ。腰を抜かしたギャリーを、イヴが見下ろす形になる。
「い、今のはちょっと驚いただけよ。本当よ!」
ギャリーが慌てて言い訳をし、立ち上がる。イヴは黙ったままだ。絵は何事もなかったかのように、舌をせわしなく左右に動かし続けている。
「それじゃ、気を取り直して行くわよ。」
ギャリーが咳払いをしてそう言うと、先へ進む。イヴは、しばらくギャリーの背中を見ていた。すると、イヴの顔に自然と笑顔がこぼれた。もうひとりじゃない。そのことが何よりも嬉しかった。
「どうしたの、イヴ?行くわよ。」
ギャリーが振り向く。イヴは駆け出すと、ギャリーの隣まで行き、並んで歩き出した。