再会の約束
長かったイヴの冒険も、ついに終わりです。いかがでしたでしょうか?イヴたちと一緒にハラハラし、涙していただけたのなら、私としてそれ以上の喜びはありません。
ここまで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました!「まだ原作をプレイしてないよ。」という方は、ぜひ、kouri様の原作、「Ib」をダウンロードして遊んでみてください。この物語とはまた違う、魅力的な物語が展開されていますよ!
気がつくと、イヴは『絵空事の世界』の前に立っていた。頭がボーとしていて、今まで何をしていたのか、何もしていなかったのかどうかさえもはっきりしなかった。イヴは、あの美術館でのことを全て忘れてしまっていた。
とりあえず、イヴは美術館の探索を再開する。いくつかの作品は初めて見るはずなのに、どこかで見たような感じがした。
たくさん飾ってある絵のうちのある一枚の前で、イヴは立ち止まる。薄暗い部屋の中、額縁だけの絵の前でうなだれている男の絵だった。イヴは、その絵のタイトルを見る。
『歪んだ敬意』
(こんな絵、ここにあった?)
「この作品は、初めて見るな。・・・うん。この作品からは、人間のエゴとその虚しさが伝わってくる。想いがあまりにも強いと、その想いに飲まれ、その人間の本性も歪んでしまう。君もそう思うだろ?」
一人の男性が、イヴに声をかけてくる。『無個性』の前でも、個性についてイヴに語ってきた男性だ。イヴは絵を見る。絵の中でうなだれている男を、どこかで見たことがあるような気がした。
「まあ、君には難しかったかな。ごめんよ。」
男性はそう言うと、絵の前から立ち去る。イヴは、思い出そうとするが、記憶が曖昧になっていた。イヴは、思い出すことを諦め、一階に降りることにする。
イヴは一階に降りる。
(たしか、一階は全部見たんだっけ?)
そんなことを思ったけれど、あまり覚えていなかった。せっかくなので、イヴはもう一度見て回ることにする。
暗い深海の絵を通り過ぎた後、大きなバラのようなオブジェのところまでくる。イヴの足は、自然にそこで止まる。
(なんか、これ、懐かしいような―)
イヴがその作品に近づく。その作品の前には、一人の男性が立っていた。
「―ん?何か用?お嬢ちゃん。」
若い男性は、ボロボロのコートを着ていた。どこか懐かしい感じがする、この男性。
「何を観ているの?」
「え?なにって。このバラの形の像だけど。」
男性はそう言うと、再びバラの形の像の方を向いた。イヴも、同じ方を向く。
「なんか、この像見てるとさ、すごく切ない気分になるのよね。―なんでかしら?」
男性は、懐かしい思い出を思い出すときのように、目を細める。イヴも、同じことを感じていた。
「―って、急にこんなこと言われても困るわよね。ごめん、イヴ―。」
男性は、イヴの名前を呼ぶ。イヴは、知らないはずの男性に突然名前を呼ばれたにもかかわらず、何の違和感もなかった。今まで、何度も呼ばれた。そんな気がしていた。
「―あれ?誰よ、イヴって。」
「私の名前―」
「え?アンタの名前?本当にイヴっていうの?変ね。アタシ別にアンタのこと、知らないのに。なんか口走っちゃったのよ。へんなの。」
イヴは、じっと男性を見る。もう少しで、この人のことを思い出せそうだった。ずっと一緒にいたような気がする。
「でもなんか、アタシたち、前にどこかで会ったことなかった?」
この人は、私に何かくれたっけ?私は、この人になにかあげなかった?
「あ、いや、ごめん。変なこと聞いて―。今のは気にしないで。―それじゃあね。」
男性は、イヴを置いて帰ろうとする。ちょっと待って。あと少しなの。あと少しで、大事なことを思い出せそうなの。イヴは男性に駆け寄ろうとする。すると男性が立ち止まり、ポケットに手をいれた。
「ん?なにこれ?・・・ハンカチ?こんなの、持ってたっけ?」
男性が取り出したのは、白いレースのハンカチだった。イヴは、そのハンカチに見覚えがあった。イヴは男性の側に寄る。
「そのハンカチ、たぶん、私の―。」
「え、これアンタの?―あら、ホントだわ。Ib―。名前が入ってる。でも、なんでアタシのポケットに?しかも、血がついて―」
すると、男性の言葉をきっかけにイヴの頭の中に映像が流れた。映像は次々と流れる。
額縁だけの絵
床に散乱したスケッチブックや本
パレットナイフを振りかざす、緑のドレスを身にまとった金髪の少女
私をかばう男性
泣きながら私にしがみつく金髪の少女
赤いバラを手に逃げる私
アリの絵を抱える私
いろんな服を着た肖像画の前で考え込む私
ギロチンが落ちてきてくじけそうになった私
奇妙な絵本を読んでいる私
青いバラを男性に差し出す私
突然飛んできた唾に必要以上に驚く男性
石膏像を動かす男性
倒れた私に自分のコートを掛けてくれた男性
石のツタの向こうで心配そうな顔をする男性
我に返ってポカンとしている男性
私と手をつなぐ男性
笑顔を見せる男性
そうだ。ギャリーだ。
「ケガ・・・したんだわ。それで・・・女の子が・・・。女の子が、ハンカチをアタシに・・・。そうよ。このハンカチ、貸してもらってたんだ。女の子に、イヴに!」
ギャリーは、イヴを見る。イヴもギャリーを見上げる。
「思い出したわ。アタシたち、一緒にいたじゃない!どうして忘れてたの、こんなに大事なこと―。ずっと、二人でおかしな美術館の中、歩き回って。変な像に追いかけられたりしたわよね。イヴ、覚えてる?」
イヴは大きく頷いた。私は、あなたに随分助けられた。あなたがいたから、私は頑張れた。
「ああ、よかったわ。正直、今でも信じられないけど、本当にあった出来事よね?イヴ、アタシたち、無事に戻ってこられたのよ!」
イヴの肩をつかみ、ギャリーは笑う。イヴは、泣きたいのか笑いたいのか、よく分からなかった。
「―もっと、いろいろ話したいことがあるけど、アタシ、そろそろ行かなきゃ。」
ギャリーは静かに立ち上がる。
「あのさ、イヴ。このハンカチ、もう少しだけ借りてても、大丈夫かしら?」
イヴは、声を出すことが出来ず、代わりに首を傾ける。
「このまま返すのは、さすがに、アレだから―。ちゃんと綺麗にしてから返すわね。だから・・・、また会いましょうね!」
イヴは、頷く。何度も、何度も頷いた。複雑な感情はまだ続いている。苦しいけど、不快じゃない、胸の奥が暖かいこの感情。
イヴはギャリーの背中を見送る。ギャリーは何度も振り返って、笑顔で手を振ってくれた。その度に、イヴも手を振り返した。
ギャリーの姿が見えなくなる。イヴは落ち着くと、キョロキョロと辺りを見回しながら、美術館をまた探索し始めた。イヴが思い出したのは、ギャリーだけではなかった。
「ここにいたの、イヴ。随分探したんだから。」
お母さんの声がする。振り返ってみると、そこには安堵の表情を浮かべるお母さんが立っていた。
「そろそろ帰りましょう。お父さんも待っているわ。」
イヴはお母さんの手を取りながら、懸命に辺りを見回す。しかし、それらしい人影は全く見当たらなかった。
「どうしたの、イヴ?」
「メアリーは―」
「だあれ、それ?お友達がいたの?」
「金色の髪をした、青い瞳の子なんだけど。緑のドレスを着てる。」
「あら、そんな子、美術館にいたかしら?」
イヴは、もう一度探しに行きたかった。けれども、美術館の中はもう何度も探し回った。メアリーは、どこにもいなかった。
「お友達なら、きっとまた会えるわよ。さあ、帰りましょ。」
お父さんと合流し、二人に連れられて、イヴは美術館を後にする。イヴは何度も振り返った。すれ違う人の中に、彼女はいない。出てくる人の中に、彼女はいない。ようやく、お父さんとお母さんに会えて嬉しいはずなのに、イヴは素直に喜ぶことができなかった。
イヴに残ったのは、ギャリーとの再会の約束。そして、姿を消したひとりの少女との果たされない約束だった。
あれ、終わりじゃない・・・?




