Episode:23 The youth of a prison 【牢屋の青年】
牢獄の奥。両手を手錠と鎖で強く拘束され、暗がりの鉄格子の部屋で座り込んでいる。
特に何をするというわけでもなく、青年は黒い天井を見上げていた。
「久し振りだな」
神 想夜の兄、神 優人はある特別な牢獄へ来ていた。
殆ど自己判断で特別な許可を得て来たが、あまり来たくはなかった。
鉄格子の部屋へ閉じ込められている青年を見る。俯き、無言でこちらを睨みつける赤い瞳。
最悪最凶のクラッカーであり、最高峰のハッカー。
殺人までも起こした犯罪者。当時は13歳だったが、もうあれから三年経った。
(ソーヤと同じ16歳か……)
そう考えると、とんでもなく全身が震えを襲った。
「数日前、世界中の人間が意識不明、昏睡状態へ陥った。原因は、インターネット依存症だと言われているが……俺は、別の何かが原因だと思っている」
そう言って、俺は青年へ《β》の液晶画面を見せた。
コレは俺のモノではなく、想夜が使っていたもの。想夜の《β》には未だ【ERROR】の文字が表示され続け、所々ノイズが走っている。
「コレは、俺の弟が使っていた《β》だ」
「……その《β》……。そうか。お前の弟だったか」
突然、青年が口を開いた。
何か、懐かしむような表情をする。その表情は青年にしては珍しく、そして不思議な印象を残すものだった。
「お前、弟を知っているのか……?」
俺がそう聞くと、青年は表情を緩ます。
「知っている。が、リアルでは会った事はなかった」
「アウローラ・カオス・オンライン、で会ったのか?」
「そうだ。確か三年前だったか」
青年は想夜の《β》を見つめる。
「……想夜は、数日前再び昏睡状態へ陥った。この《β》と、そして度々何者かから届けられるメールだけが手がかりだ。……全てを調べてほしい」
想夜の《β》を手渡す。
すると突然、手渡された《β》の画面が、波打つ。
何も映されていなかったはずの画面に、何かが写り込んだ。
「なんだ?」
青年は画面を静かに見る。その『影』が一体何なのかを青年は知っているようにふ、と不意に微笑んだ。
「いいだろう。その依頼、特別に引き受けよう」
特別な牢獄に入れられている青年の本名は『燕 朝日』という。
彼が牢獄へ投獄される前、三年前とその三年間。彼は有名なとあるゲームクリエイターの新作オンラインゲームをプレイしていた。
それが、《β》専用オンラインゲーム〈アウローラカオスオンライン〉。
当時13歳だった彼だが圧倒的なハッキング能力を持ち、アウローラカオスオンラインを通しハッキング行為、クラッキング行為を行なっていた。
勿論これらは犯罪であり、許されることではない。だが、運営側は何もしなかった。
彼による被害者から報告はあるはずなのに……。
そんなある日、いつもとかわらないIDとキャラでログインすると、見知らぬPCがログインしていた。
有名なオンラインゲームだから新キャラや新IDのPCは多くはないが、あまりに珍しい職業の為目を惹いた。
そのPCは、『劣化』と呼ばれるほど扱いにくい職業〈魔術師〉を選んでいたのである。
魔法の多さもその扱いにくいと呼ばれる所以ではあるが、最大の欠点はレベルの制限というものだった。
強大な火力を誇り、最強とも呼ばれる一方。レベルの制限という縛りがあるため〈劣化〉と呼ばれていた。
そのPCの頭上を見ると、名前が表示されていた。
(ソーヤ……)
黒髪に、黒いフード付きのコートを着て同色の〈魔術師〉専用武器である革手袋を装備していた。
何を見ているのか、ソーヤという青年型PCはずっと虚空を眺めていた。
何か呟いているようで、ブツブツと口元を動かしている。……ログインしたままリアルで何か会話をしているのだろうか。
しばらくすると彼はふ、と虚空から視線を外し、俺の方を振り返った。
その瞳は酷く濁りきったような灰色の瞳。そして何も映さない無表情。
「何か用?」
「あ、いや。珍しい職業のPCだと思って……」
彼は一瞬不思議そうな表情になったが、直ぐに理解したらしく、あぁ、と呟いた。
「よく言われるよ。昔は居たようだけど〈魔術師〉は今じゃ本当にいないようだね」
興味無さそうにそう言う彼。
寧ろ面倒くさそうだった。
「……なぁ、アンタさ。俺とフレンド登録しない?」
何となくだった。口からこぼれ出たその言葉に、青年はポカン、とする。俺も何言ってるんだと思った。
彼は不審そうな目をしたが、直ぐに無表情へ戻った。
「まぁ、この『世界』では知り合いが多いほど損にはならないからね」
彼がなぜこのゲームのことを、『世界』と表したのか。それは、今ならもうわかっている。
(アウローラ・カオス・オンライン。あのゲームは普通のオンラインゲームじゃない……。人間が触れてはいけないモノだ。例えるなら『パンドラの匣』のような……)
パンドラの匣――。開けてはいけない禁断の匣。
それがもし、このアウローラ・カオス・オンラインなのだとすれば。
このゲームを造った者は、どういった人間だったのか。
(そういえばアウローラ・カオス・オンラインの開発者は……?)
アウローラ・カオス・オンラインは運営会社の〈オルフェウス〉のみ知っていたが。そういえば幾ら調べても開発者はわからなかった。
「アウローラ・カオス・オンラインの開発者」
俺は急いでPCを立ち上げ、作業に取り掛かった。
「……想夜」
記憶喪失の状態で目覚めた想夜。それは確かに、三年間の想夜ではなく、三年前の想夜だった。
三年間の想夜は何か、重い物を背負っていたような気がする。常にその瞳は暗く、黒く。
しばらくそのまま、想夜は外界とのコミュニケーションを断った。二ヶ月ほどだろうか。学校にも通わず、外にも出歩かず、ただ、暗がりの部屋の中に閉じこもっていた時期があった。
その時俺は心配したが、本人はか細い声で扉の前で「大丈夫」と言っていたので放おって置いたが……。
そして二ヶ月後。想夜は再び少しずつではあるが学校に通い始めた。
元々他人とのコミュニケーションが得意な方ではなかったため、更にそれは深刻になったが、唯一無二に近い親友である〈マサト〉とのコミュニケーションは途絶えることはなかった。
今思えば。想夜は。
少しずつ、変わっていったように思えた。
何かが確実に変化していった。
「……」
携帯を取り出し、着信を見ると母さんから着信が二回。メール通知が一件。
メールを開くと、そこには夕飯を出前や自分で作って食べるように、とだけあった。
想夜を守れるのは、母さんや父さんじゃない。母さんや父さんは想夜を守れない。母さんや父さんは、想夜を見放している。
俺が、想夜の兄であるこの俺が護らなければならないんだ。救わなければならないんだ。
その為には――。
自分のPCを起動し、メール通知を見る。
差出人不明のメール。解読不明なメール。この謎を解かなければいけないだろう。
◇
「アリスさん。俺」
俺はギルド基地へ戻る直前で、立ち止まりアリスさんに話しかけた。
アリスさんはまだ不機嫌そうに表情を歪ませ、引きつる笑顔でこちらを振り返った。
「――ソーヤ君。君はこれから彼等と戦わなければならないかもしれない。もしかしたら、だけど。けれど安心してほしい。その時は僕らが、いや、僕らじゃなくても誰かがきっと、君の味方だ。君は常に、コノ世界に〈愛されている〉。だから、独りになることはない。ソレは絶対だ」
アリスさんが何を言っているのか、わからなかったけど。
なんだか少し安心した。独りじゃないと言われただけでも、安心した。
そうだ。俺にはまだ、仲間がいる。大丈夫だ。大丈夫だ……。
まるで自分に言い聞かせるように、心のなかでそう反復した。
「さぁ、戻ろう。みんな待って、」
―ズドンッ
待っているよ、と言おうとしたらしいアリスさんの目の前で爆風が巻き起こった。
思わず戦闘態勢を取ったが、そういえば此処は安全地域のはずで、爆発がなぜ起こるのか。
「ソーヤッ!」
「カグラ?」
慌てたように、爆風から飛び出してきたのはカグラだった。
なぜか戦闘態勢が出来るようで、カグラの右手には赤い粒子を帯びていた。
「あれー。団長、帰ってきてたんですかー」
ガション、と巨大な剣を右手に持ち、だるそうな口調でそう言ってきたのは見たことのない大男。
職業は〈剣士〉か。
「何してたんだ?」
「ちょっと戦闘の練習に付き合ってくれって言っただけっすよ」
「つって、お前マジで殺すつもりでかかったんだろ」
「まーな」
カグラを見ると、よっぽどその練習とやらに酷くやられたらしく、もう足がガクガク震えていた。
それにしてもあの大男、誰なんだろう。アリスさんの知り合いで、コノギルド基地に居るってことは〈赤の剣闘団〉のギルド員のようだけど。
「そういえば、紹介し忘れてたな。ソーヤ。コイツと、あと二人とクロスもそうなんだが、〈三銃士〉っていう、〈赤の剣闘団〉幹部の一人、ショウタだ」
「よろしくー」
そう言って、大男、ショウタという〈剣士〉はペコリ、と頭を下げた。彼が頭を下げた瞬間、びくっとカグラが震えた。
一体どんな酷い練習をさせられていたのかわからないが、何となくわかるような、わからないような……。
「もう、俺、アンタの練習相手は絶対しねぇからな!」
「えー、じゃあ団長ー。相手してくださいよー」
「嫌だね。そこら辺に居るPCでもPKでもしてくれば?」
「ダメですよ!」
練習するためだけにPKって……今のこの世界じゃそれがどれだけ危険か……。
(PKギルドって、こんな感じなのか……)
「ソーヤ。ちょっと話がある」
寝起きなのか、ぼんやりした眼差しで俺の方を見るマサト。
俺はなんだろうと思いながら、マサトの後についていく。
「あのカグラって男のことはアリスさんから聞いた。三年前と三年間のお前の関係者なんだってな」
「俺も色々あったし、まだ良く話してないけど、そうみたいだな」
「俺さ、お前に話してないことがあるんだ。……今、話してもいいか?」
「?」
マサトは立ち止まって、俺の方を振り向く。
真剣な眼差しと顔つきに、俺も少し緊張する。
「……カイのことだ」
カイのこと。その名前を聞いただけで、心臓が痛んだ。
「カイ、のこと」
「俺も、正直今の状況が殆ど判っていない。いきなりのことが多すぎてな。けど、カイのことは別だ。アイツはいきなりじゃ、なかった」
「え?」
「よく聞け。ソーヤ。カイは、『二年前』もお前を裏切った」
二年前?俺は憶えていない。三年間の記憶を失っているのだからソレは当たり前だけど。
何故なのだろう。ソレとは関係なく。カイのことは――覚えていなければならないはずなのに。なぜなのかはわからないけど、コノ感覚はデルタと出会った時と似ているような。
「裏切ったって……?」
何を、何があってカイは二年前、俺を裏切ったんだ?
「……ソーヤ。俺は何があっても、お前を裏切らない。俺はお前を護る。何があっても、俺だけはお前のことを裏切らない」
まるでその言葉は、マサトが自分に言い聞かせるように呟いていた。
俺はそんなマサトの言葉に、カイが何を裏切ったのか聞こうと思い口を開いた――。
「―――」
「!」
その瞬間だった。
突然目の前で白いヒカリが弾けた。その白いヒカリは俺の身体と、マサトの身体を包み込み、目の前が真っ白になる。
「ソーヤ!」
マサトが突然の白いヒカリに動揺しながらも俺の名前を叫んだ。
けど、それよりも、そんな眩く弾けるような白いヒカリの中で、誰かの人影が見えた。
黒衣の、黒髪の人物。ぼんやりと特徴だけが見え、そして俺は目を強く瞑った。
◇
『アウローラ・カオス・オンラインの開発者。黒宮賢也』
黒宮賢也。その名が、アウローラ・カオス・オンラインの創造者の名前。
それにしても、黒宮賢也という名前を引き出すのに結構な時間を費やした。
黒宮賢也という男は、それ程までに格差無くてはならない人物だったということだろうか。
「……想夜の《β》……」
俺は想夜が使っていたと警官に手渡された《β》を手に取る。
《β》の画面は以前、ノイズが走ったまま動作しない。アナログコントローラーや十字キーを動かすがやはり反応しなかった。
アウローラ・カオス・オンラインではなく、他の機能も試してみると反応はあった。
「……?」
メール機能を動かすと、一通だけ未読と表示されたメールが保存されていた。
気になってそのメールを開くとそこには、小説のようなものが綴られていた。




