――1――
雪の上に滴る鮮血ほど、敵を導く道しるべに適しているものがあるのだろうか。
まだ二十に満たないだろうその少年は、左手で腹部を抑え、右手には鈍い光を放つ背丈ほどの銅剣を、引きずりながら携えていた。
真っ白な雪原とまるで正反対な赤い血は、彼の歩いて来た道を点々と示している。
その源泉となっているのは、他でもない彼の体。そんな彼の体のあちこちには、鋭いもので抉られたような傷が重なり、乱雑に巻かれた白い包帯もまた、溢れる鮮血によりどす黒く染まっている。
(もう……だめだ)
彼はそう呟くと、膝を折り曲げてその場に倒れ込んでしまった。そんな彼を思いやることはなく、流れる血は止まることを知らない。その場は、みるみるうちに血溜まりと化す。
頬を撫でる雪の感触を感じながら、彼はゆっくりと目を閉じた。かじかむ指は既に感覚がなく、冷たいはずの雪の絨毯も、彼には包み込むような暖かさを感じさせてくれた。
(無事、逃げてくれただろうか)
薄らぐ意識の中、彼は数時間前のことを思い出す。
彼の住んでいた村は一瞬で壊滅した。“トゥルストゥイ”と呼ばれる魔獣。外見は犬に酷似している。しかしそれを犬と間違える人間はいない。大きさが違うのだ。
その魔獣は、大型犬より遥か数倍の大きさで、長い体毛は寒冷地によく適している。眼光は紅に光っていて、口から飛び出た牙は何ものでも噛み砕く。
魔獣とは、人間が、絶大な力を持つ人害になる動物に付けた総称である。それは太古より存在し、長年の歴史を見れば度々の衝突はあっても、概して平和に人間と共存してきた。
魔獣は山や森で、人は川や平野で。それぞれの領域を守り、他を犯すことはなかった。
彼らが人を襲うようになったのは、ほんの数百年前からである。人口の増加で、食糧難や過密を打開するために人間は山林に侵出した。自分たちの利益のためだけに彼らの領域に侵入することは、彼らを怒らせるには十分すぎた。人は自分たちの力を過信し、彼らを力で制圧できると思っていた。
だがその力は想像以上で、逆に魔獣の反撃に遭い、各地で村々が滅ぼされていった。
一つ、また一つ。
彼らの怒りは収まることを知らず、遂には、本来の棲み処である山林から遠く離れたこの地にさえ、魔獣の手が伸びたのだった。
少年の身を置く村には、貧弱な装備の自警団が一つ。当然のごとく、圧倒的な数と、圧倒的な強さをもつトゥルストゥイ軍団に、一矢報いることなく全滅した。
村に怒涛のごとく侵入したトゥルストゥイは、何の抵抗もできず逃げ惑う人々に容赦なく襲い掛かり、次々とその牙にかけていく。
彼は、恋人に先に逃げるように言った。自分がしんがりをつとめ、少しでも逃げる時間を稼ごうと。恋人は泣いて彼にすがった。しかし彼は、涙を堪えて繰り返し言った。頑なな彼の目を見た彼女は「きっと無事で戻って」と、溢れる涙を浮かべながら走り去った。