ふさわしき者
私がこの世で最も敬愛してやまない方。
だけどこれは決して恋などという甘い感情ではない。
*
「レティちゃ~ん、折角こちらに来たのだし~お姉様温泉に行きたいわ~」
と2番目の姉が提案したのは昨夜のこと。
それからあれよあれよという間に(半ば強引)に私たちは屋敷から連れ出され、今はリンドンヴェールの屋敷から山三つほど離れた場所にある人間たちの避暑地へと来ていた。
「や~んv凄いわ~ん」
立ち並ぶ宿の数々、行き違う人の数の多さに姉は目をきらきらと輝かせている。
姉の行動力には敬服すべきところもあるが、もう少し落ち着きを持って貰いたいと切実に願ってやまない。
「…マリアンヌお姉様、もう少しで着きますからそうやって身を乗り出すのはやめてください」
馬車の窓から子供のように上半身を外に出して騒ぐ姉に注意すれば「レティちゃんのケチ~」という声が返ってきた。
「いいじゃない~少しぐらい~」
「ならばせめてもう少し姿を変えてください。私たちの容姿はこちらでは目立つのです」
この辺りの住人は茶褐色の髪色が多いー・・マリアンヌは足元まで輝く白金色の髪が波打つように美しい巻き毛だし、アンジェラは薄桃色のフワフワとした髪をかわいらしいリボンで纏めている。私にいたっては更に珍しい白髪。
ただでさえ目立つ容姿にその配色、その上、御者台には道とメルが従者として乗っているのだからさっきから道行く湯治客の視線が突き刺さってしょうがない。
目立つことを避けたいレティシアは、屋敷を出る際にも姿を変えていこうと提案したのに、マリアンヌに止められてしまい結局もとの姿のままだ。
しょうがないからつばの広い帽子とベールで隠しているが、マリアンヌはそれすらも拒んだ。
「レティシアお姉さま、これ以上マリアンヌお姉さまに何をいってもむだですわ。マリアンヌお姉さまは一度決めたらてこでも動きませんもの」
二人のやりとりを馬車の端で見ていたアンジェラが呆れたように溜息を洩らす。
「そうよ~、レティちゃん諦めは肝心って言うでしょ?」
「そういうことではないのです」
どうしてこうも騒がしいのか。
アンジェラに引き続いてマリアンヌが屋敷に押しかけてきてからというものの騒がしくない日など二日と置いてないかもしれない。
これではまだあちらにいたときのほうがマシだったかもしれない。あの頃は姉様の来襲は月に多くても3度ほどだった。
その変わりといっては何だが二日に一度は兄弟たちのくだらない争いに何かしら巻き込まれはしたが…いや、やはり今の状況よりはまだあれらの相手をしていたほうがマシだった。
後悔先に立たずとはよく言ったものだ。
やがて馬車はこれから一週間ほど逗留する屋敷へと到着した。
避暑地の最奥にある人気の少ない、だが景色だけは十二分に良い湖のほとりにある白亜の屋敷だ。
どこぞの王族が別荘として建てた屋敷だったそうだが今は上流階級向けの貸し出し別荘となっているとのことだ。
「きゃ~素敵です~!こないだ読んだ絵物語にでてきたお屋敷みたいです~!」
「本当ね~。実家に比べたら小さいけど結構綺麗なところじゃな~い。アン~、お姉さまと一緒にお屋敷の中を探索するわよ~ん」
「はい!」
馬車を降り立った途端屋敷の中へとはしゃぎながら入っていく二人の後姿を見送りつつ、レティシアは一人別の方向へと足を向ける。
「レティシア様?」
「少し散歩してくる。後は任せたぞ、道」
このまま二人の後を追えばここまで来たと同じようにマリエンヌに拘束され、アンジェラに懇願され…着いた早々疲労困憊するのは目に見えているのだ。せめてほんの少しの間だけでもいい、一人だけの静かな時間が欲しい。
私の切実な願いを汲み取ったのか、道は「お気をつけて」と一言だけいうにとどめた。
気付かれないうちに、と意識が早っていたのか少しばかり足早に私はその場を後にする。
屋敷の裏手にある湖のほとりを時計回りに進むことにした。
整備された遊歩道をあるきながらそよりと吹く風を肌で感じる。
周りには誰もいない。聞こえるのは風に揺れる木々の葉のこすれる音と、わずかばかりに聞こえる波の音。
あぁ、静かだ。
何と心地がいいのだろう、実に素晴らしい。これこそ私が求めていた静寂。
ガラにもなく感動してしまった。胸いっぱいに空気を吸い込み深呼吸をする。
「レティシア」
油断しているつもりはなかった。だが久方ぶりに得た満足感にやはり気持ちは緩んでしまっていたのだろう。
すぐ側の木陰から姿を現した人物の気配に全くといって気付くことが出来なかったし、その人の姿を目にした瞬間、間抜けにもぽかんと口を半開きにして立ち尽くしてしまったのだから。
「久しぶりだね、レティシア」
太陽の光を受けてキラキラと輝く髪は白金、肩ほどまであるそれは絹のように滑らかに揺れている。
白い肌に細身の体、それは決して貧弱などというわけではなくしっかり引き締まった体躯を見せ付けている。
優しげに微笑むその顔立ちも記憶の中のそれと全く相違ない。今となっては似た顔を毎日のように見ているのだが…やはり彼女のモノとは受ける印象が違う。
そしてその中でも特に目をひきつけられるのが黄金の瞳。
「ミリアン、お兄様…?」
マリアンヌ姉様の双子の兄、ミリアンお兄様。
前にお会いしたのはいつのことだったろうか。
私が幼い頃は良く遊んでいただいたものだったが、王位争いが本格化してきた頃からは滅多な用事がない限りは極力、お兄様に会いに行かないよう努めた。
冥府の第三王子としてお生まれになったミリアンお兄様は次期冥王に最も近い方と言われていて、とてもお忙しい方なのだ。
王にふさわしいのはミリアンお兄様。そのお兄様の邪魔をしてはいけないのだから。
「しばらく見ない間にまた美しくなったね、僕の可愛い妹姫」
彼は微笑みながら私の手をとり口付けた。
「何故…?」
今も沢山の兄弟たちとの抗争でお忙しいはずのお兄様が何故このような場所にいるのか?と小首を傾げれば、彼は苦笑しながら言った。
「少しこの近くで用があってね。そしたらどうだい?懐かしい気配がしたから辿ってくれば君がいた」
「そう、だったのですか」
「驚かせてしまったようだね」
すまない、と私の頬を撫でながるお兄様の指の温かさがとても懐かしい。
「そのようなー・・いえ、確かに驚きました。まさかこんな所でお会いできるなんて思っても見なかったものですから」
「僕もだよ、レティシア」
「このようなところで立ち話もあれですね。まだお時間はありますか?少し言ったところに屋敷を借りております、お茶でもいかがですか?」
「ありがとう、レティシア。ではお言葉に甘えるとしよう」
屋敷への道を促せば、彼が背を向けるー・・そして
「っ!?レティし…?」
彼の背中につき立てたのは私の両手に納まった短剣。
深く深く根元までぐいっと押し込めば、そこからあふれ出すのは鮮やかな赤色。
「なぜ…だ…?」
驚愕に染まる顔でこちらを見てくる彼から数歩距離をとる。勿論短剣を抜き取るのは忘れないし、その返り血を浴びるのも真っ平ごめんだ。
「何故、だと?」
彼の言葉にくっと笑いを噛み締める。
「それを私に聞くのか、愚かな」
「レティ」
「私の名前を馴れ馴れしく呼ばないでいただきたい」
縋るように伸ばされた手を斬りつける。
「あ"ぁっ!!」
痛みに悶え、苦しみ、そして乱れた髪の間からこちらを睨む形相に最早ミリアンお兄様の面影はない。
その様子に私は「おや」と笑みを深くする。
「ご自慢のお顔が崩れておいでですよ、ミノレラ兄様?」
「お前っ!?気付いて!?」
仮面が剥がれるようにその顔が、色彩が変わる。
濃紺の髪、灰色の瞳、ミリアンお兄様には似ても似つかない容姿。
「相変わらず猿真似がお好きなようですね、実に趣味が悪い」
「っ」
嘲笑えば羞恥と憤怒によってその顔が赤黒く染まった。
あぁその姿、何とも滑稽。
「ミリアンお兄様の姿で私を誑かし亡き者にでもするおつもりでしたか?それとも傀儡にでもしたかったのでしょうか?まぁどちらでも宜しいですが」
短剣にこびりついた血を振り払う。
「私に手を出したのがそもそもの間違いだったー・・白」
「!?」
足元の影から白が飛び出すとその喉元に勢いよく喰らい付きそのまま噛み千切る。
バランスを失った体が崩れ落ち、首はそのすぐ側に転がりその顔がニタリと口元を吊り上げ笑った。
「…人形か」
根暗なのも相変わらずのようだ。本当に趣味が悪い。
『くくく』
声帯を失っても尚、その口元からは声が洩れる。だがどこか遠くから響いて聞こえてくるように不明瞭だ。
「大事なお人形が壊れたというのに、随分とご気分が宜しいようですね?」
『くく、人形一体で済むなら安いもの、目的は既になされた。やはり私の思ったとおりだったな』
「…とは?」
『最初から狙いはミリアンだ。お前を狙えば奴は必ず出てくる、最初はお前を捕らえてからとも思ってはいたがー・・思ったよりも早く現れてくれたようだ』
「お兄様が?」
訝しむ私に気分を良くしたのかミノレラは饒舌に語り始める。
『今頃あやつは我が術中よ。私の結界の中で命尽き果てるのも時間の問題ではない』
酔いしれるようにミノレラの笑い声が響く。
『ははっ私こそが王にふさわしい!どうだレティシア、私と手をとらぬか?』
囁かれる甘言。
ああ、ああ、実に、
『あれについていても得なことなど何一つはない。私と共に来るというのなら存分に可愛がって、』
「ミノレラ」
実に-・・耳障り。
「"馬鹿も休み休み言え"という人間の言葉をご存知か?」
『何?』
「貴方が王?冗談も過ぎれば笑えもしない。あぁ、こういう場合"井の中の蛙、大海を知らず"とも言うのだったか?なぁ、白」
『いわせておけば-・・っ』
羞恥と怒りで声が染まる。それと共に首から伝わってくるドロリとした黒い気が私の肌を撫ぜる。実に不快だ、と蔑んだ目で首を見下ろす。
「そもそも、姿さえ見せない矮小な小者につくほど私は愚かではないのですよ」
右手に短剣を握り、首の上にかざした。
『レティシア!その言葉口にしなければ良かったと後で後悔してもっ』
「どうぞ、ご自由に」
手を離せば重力にしたがって短剣がその眉間に突き刺さった。
次いで柄に片足を乗せ、ぐっとそれを踏み込んだ。途端、人形の頭がざらりと塵になって消えていく。
「それに、もう二度と会うこともない」
辺りからミノレラの気配が消える。肌に纏わり付いていた不快な気もすでに無い。
もう用は済んだ、とその場から身を翻せば足元に白が擦り寄ってきた。
「姫様、宜しいので?」
「構わぬ。それにあの程度の輩にミリアンお兄様が遅れをとろう筈もない」
もしかしたら既に勝負は付いているかもしれないな、といえば白は「それもそうかもしれませんなぁ」と喉を鳴らして笑い、影へとその身を沈める。
折角の散歩が台無しにされてしまった…気分直しに道の淹れた紅茶が飲みたい。
さぁ、さっさと戻るとしようか。
*
-・・玉座争いなど心底どうでもいい。兄弟たちの抗争などくだらないと吐き捨てる。
だからこそ私は不干渉、無関心の立場を貫く。
-・・だが王に相応しいのはミリアンお兄様以外に有り得ないと思っている。
だからこそ私はミリアンお兄様の邪魔だけはしない。
ー・・だからといってその手助けを進んですることもない。だってお兄様はそれを望まれないから。
だけれどもしも私がお兄様の障害になりえるなら、私は私を消してしまえるだろう。
この気持ちは決して甘い恋心でも、淡い恋心でもない。
私の『誇り』、それこそがミリアンお兄様。
レティシアはブラコンって話。