我が愛しの王女様
道のお話。
少し長め。
それは私がまだ生きていた頃の話。
主に出会う前の話だ。
*
私が生まれ育ったのは、その大地の半分を草原に覆われた西の大陸。
そこを国土とし、大小様々な部族からなる遊牧民のとある豪族の長子として私はこの世に生を受けた。
遊牧民、とはいっても今ではほとんどどこの部族も地に根を下ろしてはそこに集落や、町をつくって定住しているのが現状だった。
曾祖父母の時代には、遊牧民らしく季節が変わるごとに部族の営地を行ったりきたりしていたそうだが、やがてその手にとるのが家畜を追い立てる鞭ではなく剣に変われば時代はあっという間にその様を変えていった。
戦がおこれば必然と強者が残っていく。
私は幸運にもその強者の家に生まれることができたのだ。
*
「道様、道様!どこにおられます!!」
自分を呼ぶ声に剣を振る腕を止めた。
屋敷の裏手で素振りをしていた自分の姿を見つけた年嵩の下男が息を切らして近づいてくる。
「あぁ、よかった!いらした!」
「どうした、何かあったか?」
「へぇ、東坡様がお呼びでございます」
「叔父貴が?」
父の弟である東坡は、体の弱い父に代わり一族を取り纏める長だ。
何の呼び出しかー・・なんてすぐにわかってしまって思わず溜息を洩らしてしまった。
「たっ道様!」
「わかっているさ、梁。叔父貴の呼び出しに溜息など誰かに見られでもしたら一大事だとでも言うんだろ?」
茶化すようにいってみれば梁は「やめてくだせぇ、道様」と肩を落とした。
「わしは道様のことが心配でしょうがないんですよ。道様に何かあったんじゃ、亡くなられた奥方様にも、慶谷様にも申し訳がたたない」
両親に長く仕え、自分が生まれたときからずっと側にいた梁は昔よりも多く刻まれた皺まみれの顔をさらにくしゃくしゃに歪ませる。
「心配するな、梁。私なら平気さ、叔父貴も私の剣の腕だけは買ってくださっている」
さて、叔父貴の機嫌を損ねかねないうちに母屋にいかなければ-・・上半身に浮かんだ汗を軽く拭うと、脱いでいた上掛けをさっと身に纏う。
ここいらの部族の間では世襲制が多い。
だが時として父・慶谷のように生まれつき体が弱く、騎馬部族の長として跡を継ぐには到底ふさわしくない場合などに限っては兄弟の中から代わりを務めるものが出てくる。
それが父のすぐ下の弟である東坡であり、そして彼は何よりもその地位に固執していた。
だからこそ父の長子である私の存在を何よりも厭っている。
叔父貴の部屋へ赴き、彼の許可を経て中へと入れば射るような目線が私を出迎えた。
私はそんな視線に本日二度目となる溜息を心の中で盛大につきつつ、おとなしく叔父貴の声を聞くことに徹する。
*
「父上」
母屋から離れた西の離れに父の居室はある。
叔父貴からの呼び出しの後、私の足は自然とここへとむかっていたのだ。
寝巻きのまま庭にある池の鯉に餌をまいていた父は、私の呼びかけに振り返るとその柔和な顔を綻ばせた。
「やぁ、道」
あの叔父貴と本当に血が繋がっているのかと言うぐらい穏やかな顔をしている父、その肌は病的に青白く頬は痩せこけている。
「父上、起きていらして大丈夫なのですか?」
「あぁ、今日は気分がいいんだ。そうだ、夢でね、白い虎をみたよ」
「白い虎…ですか?」
古来より色が白い獣は神の使いなどといわれているが、夢見での"白"というのはあまりいいものではない。病的な暗示があり、またそれが虎のように大きい獣であるというなら容態の急変、体力低下、というあまり誉められた夢見ではないー・・はっきりいって凶兆だ。
「あぁ、実に美しかった」
だが父にとってはそんなことはどうでもいいのか、気にもしていない様子でその夢を思い出しては微笑を浮かべている。
病に伏せる父がそんな夢を見るだなんて洒落にもならないが、余計なことを言って水を差すのも悪い気がして「私も見てみたいですね」とだけ返した。
「…東坡は何といっていた?」
梁辺りにも伝え聞いたのか-・・叔父貴に呼び出されたことは既に父の耳に入っていたようだ。
「東へ行けと」
「東…次は鎌鵬の地を取り込む気か」
父は戦を心底嫌っている。剣を手に取る生活よりも放牧生活に心底憧れを抱いているのをしっている。
きっと父は生まれる時代を間違えてしまったのだ、と私は思う。
もう少し早く生まれてきていれば、こんな幽閉まがいの生活などせず草原でのびのびと暮らしていただろうに。
「道、お前には苦労を掛ける」
「何を仰いますか、父上。私には剣しかありませんから」
私を忌み嫌いながらも生かされているのは私が叔父貴にとって"役に立つ"存在だから。
私がここから離れられないのは、亡き母の墓標と、臥せる父を守るため。
-・・そのために父は生かされ続けている。
「明が私の元を去ってから、私の生きがいはお前だけなのだよ。だが私はお前の枷にしかならないー・・親としては不甲斐無いばかりだ。私ならいつでも明の元へと行ける用意はできている」
「気弱なことを仰いますな、父上」
最近、より一層父の体が小さく見えるのは気のせいだろうか。
父は悲しげにその柳眉を潜める。
「お前はまだ若いのだからもっと自分のための生を生きなければいけないよ」
「私の剣は父上あってこその剣です。私からこれを取り上げてしまったら後は何も残りませんよ、父上」
そういって私は父の部屋を後にした。
私は上手く笑えていただろうか・・・?
*
その夜、私は父の言っていた白い虎の夢を見た。
つい眠れなくて酒を片手に縁側にいた筈だが、いつの間にか眠ってしまっていたのだろう。
庭先の竹林から姿を現した白い虎、それが喋ったのだ、夢でなくて何としよう。
「小僧、死臭がするな」
くぐもった声で虎がそう告げる。
「出立前だというのに…嫌なことを言ってくれる」
やはり凶兆の夢、か。
空いた盃に酒を注ぎ、ぐいと虎へと突き出してみせる。
「飲むか?」
「随分と落ち着いているな、小僧。驚かぬか」
そういいながらも虎は近づいてくると差し出した盃に口を落とした。
「どちらに?喋る虎にか?それとも死を予言されたことにか?-・・どうでもいい、所詮は夢だ」
「夢?…あぁそうだな、確かに夢だ」
虎が笑った。
獣の表情など到底分かりもしないが確かに、笑った、のだと感じた。
「この世は皆、まやかしよ。何が真実で何が嘘かなど些細な絵空事でしかない」
達観しきった虎の物言いに私も笑った。
「まやかし、か。ならそのまやかしの中で生きる私は実に滑稽な生き物だ」
その背に手を伸ばしその毛並みを梳く。夢だというのに手に伝わる質感はまるで現実のようだ。
虎が顔をあげ、じっとその両目でこちらを見上げてくる。
「-・・実に澄んだ瞳をしているな、小僧。思わぬ拾い物をした気分だ」
「何だ、それは」
だが虎は私の質問に答えることなく、その身を起こすとやってきた竹林へと方向を変えた。
「馳走になった。また近いうちに会おうぞ、小僧。次は我が…と共に」
「何?」
聞き取れなかった言葉に聞き返すも、霞のごとく虎の姿は消えている。
やはり夢だったか、と首を振るもその瞳は地面に置かれたままの空になった盃に落とされたままだった。
*
その少女に最初に出会ったのは血の臭いと、土ぼこりが漂う、野営地でのことだった。
東の豪族の一つである鎌鵬との戦を開始して三日目。
互いの戦力は五分五分、多少こちらに戦況が傾いているものの早々に決着が付くはずもなく、陣を張った天幕では連れてきた女奴隷や近くの村から呼び集めた女を集めては男衆の血気を高めるために夜毎宴が繰り返される。
その中に少女はいた。
容姿が目立つわけでもない、まだ幼いといってもいい普通の村娘。
周囲もそんな少女を気にも留めることなく、宴の席で酒を次いで周る少女の存在は空気にも等しかった。
だが何故だろう、何故こんなにも目を惹かれるものがあるのか。
自分に稚児趣味など断じてない。だというのに気付くとその少女の姿が目に入っていた。
宴中一度だけ目が合う。上座にいた自分と目があったことで少女は驚きさっと目をそらしてしまったが、その目があった瞬間胸に湧いてきたざわりとした不思議な感情。
情欲とも違う、恋愛感情とも違うー・・だが決して不快ではないそれに私は戸惑うばかりだ。
疲れてしまっているのだろうか、と早々に宴を辞した私は自分の天幕へと戻り一晩得体の知れないこの感情に悩まされ続けた。
そして次にその少女にあったのは戦場でのことだった。
何度目の闘いだっただろうか。
馬を駆り、馬上から剣を振るう。
豊かな草原だった場所は血濡れ、死体が転がり、土煙が待っている。
あちらこちらで雄たけびや怒号が響く中、その少女はいた。
何故こんなところに!?そう思い少女の方へ駆け様とするが敵兵の攻撃がそれを阻む。
「早く逃げろ!」
せめても、と声を張り上げるが少女は動かない。
こちらに気付いていないのか…いやそうではない、少女の目は確かに私を見ている。
「何をしている!逃げろといっているのが聞こえないのか!」
私の怒声に-・・少女は笑った。
「!?」
馬鹿にしているようでも、見下しているようでもないー・・父と同じ、ただただ穏やかに笑う少女の笑みはこの場において実に異質だった。
改めて少女の存在自体が"おかしい"と思った私は何としても少女の元へとたどり着きたかったが、目の前の敵をなぎ倒した瞬間、少女の姿は忽然と消えていたのだ。
そして三度、少女に見えた時。
私はその生を終えようとしていた。
*
戦はその後三日三晩続き、そして私たちの勝利と相成った。
敵陣の長の首を討ち取ったという手柄を得た私はその夜の宴の席の後、寝床を襲われた。
気をつけてはいたつもりだったが連日の疲れと、わずかばかりの油断が生んだ結果でもある。
私を襲ったのは同陣営にいた叔父貴の長子だった。
-・・そう、私は味方に殺されようとしている。
腹に剣を突き刺され床に這い蹲る私に、従弟は普段から私に持っていたという不平不満をぶちまけた。
何かと叔父貴に呼び出されては戦で手柄を上げている自分が気に入らなかったようだ-・・従弟の目にはそれが自身よりも叔父貴に可愛がられていると映ったようだ。
馬鹿だな、俺は誰よりも叔父貴に疎まれていたというのに。
言いたいだけ言って従弟は出て行く。
そしてその後に残ったのは従弟の部下-・・いや、こいつはみたことがある、叔父貴の私兵だ-・・が口を開いた。
-・・慶谷様が亡くなられました、と。
私は目玉こぼれるんじゃないばかりに目を見開き、そして腹の痛みなど気にもならないぐらいに笑った。実に乾いた笑いではあったが。
成る程、さも従弟が私の手柄をねたんでの行動のようにも思えたが実際、裏で焚き付けたのは叔父貴自身だったか。
父亡き今、私を縛るものは既にない-・・そう判断した叔父貴は早々に手を打ったわけだ。
「私は用済みか…」
元より私に野心などはないというのに-・・誰よりも臆病な叔父貴らしいといえば、らしい。
そんな私を哀れんでいるのか、一人残った叔父貴の私兵は顔を曇らせ再び剣を手にとった。
「あぁ…頼む」
「御免」
喉元に振り下ろされる刃を目が追う。
その刀身にあの少女が映った気がした-・・やはり、あの少女は私自身が生み出した幻覚だったのか。
喉が熱い、呼吸が出来なくなる、視界が薄れ、そして
「勝手に幻覚にしてもらっては困るな」
「!?」
耳朶を打つ甘い響きに身を起こした。
…身を起こした?
「傷が…ない…?」
腹に、喉に手をやるがその何処にも血は愚か傷の痕跡も見当たらない。
「ほほぅ小僧、魂に傷を残さぬとは見上げた根性じゃないか」
「お前…!?」
聞き覚えのある声に顔を向ければいつぞやの白い虎がこちらをニタリと笑ってみていた。
「さすがは我が見込んだだけのことはある-・・姫様、如何ですかな?」
まだ誰かいるのか?
そうだ、最初に耳に届いた声はこの虎のしゃがれた声ではなかった筈だ。
「悪くはない」
虎の横に少女が現れる。
そう、あの少女だ。
だが、どうしたことだろう。確かに私が見たあの少女と同じだと言い切れるのに、その外見は全く異なったものだった。
何処にでもいる村娘だったはずだ-・・なのに虎の側で笑う少女は、顔立ちすら違う。
この大陸の人種とは異なる顔かたちは一度見たら忘れられないほど美しく、腰まである雪のように白い髪と、紫水晶を埋め込んでいるかのような瞳、華奢な体を包むのは海を越えた別大陸から来る行商人が持ってきていたドレスというものに似ている。私がみたドレスよりも丈は短く、膝から下の細く白い足がむき出しとなっているが目の前の少女によく似合っている。
「白の寄り道もたまには役に立つ」
「たまには、は余計ですぞ、姫様」
「お前たちは…一体何なんだ…それに私は…」
これは夢の続きなのか?と問う私に少女は笑った。
「いいや、違う。これは夢ではないし、お前は死んだ」
少女の穏やかな声に事実がすとんと心に落ちてくる。
「そうか、私は死んだのか」
「そう、そしてここからがお前の始まりでもある」
「始まり…?」
少女の不可思議な言動に首を傾げれば、少女がすぐ間の前までやってきてその手を差し出した。
「お前が今まで生きていた世界は夢現の絵空事」
その声は歌うように私の耳に響く。
「私の手をとれば今まで以上の絵空事を見せてやろう」
差し出された白い指先に視線を落とす-・・あぁ、そうか
「とるもとらぬもお前の自由。とらずにこのまま"終わらせる"か、それとも私と共に"始める"か、好きなほうを選べ」
「私はー・・」
そっとその場に跪きその手を恭しく手に取った。
あの時から、初めてこの少女を見たときから私の胸に宿ったこの感情。
これは畏怖。
目の前の少女に対する、畏怖ー・・そして深い深い憧憬。
「貴女に捧げましょう、私の魂を」
口から自然と出てきたのはその言葉。
私の魂が心のそこから求めるのは目の前の少女。
私の魂は少女に捕らわれた-・・それは愛情でもなく、恋情でもない。それ以上の何か。
私の言葉に少女は満足げに頷く。
「道、私の魂鬼」
そして私は、レティシア様の魂鬼となった。
近いうちに人物紹介作ります。