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お前を愛する事は無いと初夜に宣った新郎の十年後

作者: 音乃 響
掲載日:2026/06/21

6/22 誤字報告本当にありがとうございます 助かります

 王による治世に於いて、王命の婚姻や、貴族間での婚姻は利害関係が及ぶのはあたりまえで、それは家庭教師が付く前の幼い子供であっても親か乳母か侍女にでも、説明はされている筈であった。

 だから、筆頭侯爵家の地位を誇るクァドリラテラル侯爵家嫡男ウィリアムと王家、公爵家とも近い血族であるオクタゴン伯爵家第一子である息女アグネスの婚約は王国の海岸を望む西地方一帯の防衛を考えての国策が絡む大切な計画の一つでもあった。

 だがしかし、ウィリアムはアグネスとの初夜の夜宣ったのである。


「お前を愛することはない。礼儀として夫婦の寝室に顔は出したが、今後この部屋を使うこともない。妻として公の場では遇するが、私の愛を得られるなどと愚かなことを感がるな」


「まぁ」


 くるんと上向きにカールした長い睫毛を震わせて、アグネスはウィリアムを見上げた。

 言いたいことは言ったとばかりに踵を返して部屋から出ていこうとするウィリアムは、がくんとつんのめりそうになって驚いて振り返る。

 見れば、裾ぎりぎりまでの長さのあるガウンの裾をアグネスの靴に踏みつけられている。

 裾を引き摺って居たわけではないのでガウンの裾を踏むためには女性が不通に歩く位の足の運びでは難しい。態と踏まれたのだと気が付いた時にはウィリアムは肩を押されてベッドに沈んでいた。


 余りの流れの良さに今度はウィリアムが目をぱちぱちと瞬いて、己を見下ろすアグネスを見つめる。

 アグネスは小首を傾げてにっこりとほほ笑むと右手を掲げ指を二本立てた。


「まず、一点。この婚姻は王命によるもの、両家の契約でなされたものであることはご理解いただけておりますよね? そうしてもう一点、私は少なくとも両家の血を受け継ぐ子供を2人産む義務があると侯爵夫人に頼まれておりますのよ?」


 立てた指を折りながら、アグネスはウィリアムをただ見つめる。しかし瞬きが無い薄い氷のような青い瞳は鋭利な刃物のようで、ウィリアムは呑まれた様に身動きが取れずにいる。


「なぜ、白い結婚を? もしや囲っているどなたかいらっしゃる?」

「そんな、不誠実なことはしていない。もしもそのような者がいるのなら、婚姻を結ぶなどと言うことはしなかった」

「では、何故ですの? 私の見目がどうしても難しいとか? 割と皆に賛辞を贈られますけれど、人それぞれ好みはございますから、希望と違ったとか? それでも婚姻を結んだからには子供を授かる努力は互いにしませんと」

「そこだ!」


 ウィリアムは勢いよくベッドから身を起こそうとしたが、とんと肩を押されて逆戻りとなる。

 アグネスのか弱そうな姿態からの的確な行動にウィリアムは首を傾げる。王宮で文官を勤め始めたとはいえ、領地では兵に混じって剣の稽古もしている、体力にだってそれなりに自信はあったものだが、ベッドに上半身を投げ出したまま、床についた足はアグネスの足がぴたりとくっついていて力をいれようにもどうにも逃げて動かない。


「そこだとはどこですの?」

「子供は、愛し合う男女の間に生まれるべきものだ。義務で作って子供に関心を寄せることができないのも、互いに子供が出来た後は奔放に過ごすのも間違った行為だろう」

「概ね同意ではございますが。まさかとは思いますけど、婚姻の後に互いに尊重し慈しみ合うことが出来ないとお考えですの?」


 ウィリアムが黙り込むのを見てアグネスはため息を吐いた。大きなため息にウィリアムが怯えたようにアグネスを見上げた。


「私は貴方の子を産みたいと思っています。私の両親は王命で婚姻しました。母には幼馴染でもある方と内々に婚約の話が進んでおりましたけど、王命に従いました。父を、心から受け入れるのに少し時間はかかりましたが、母の心を父は穏やかに受け止め今では互いに尊敬しあった、子供から見ても理想的な夫婦ですわ。

一方、熱烈に愛し合い婚姻できたにも関わらず互いに罵り合い、表面上は取り繕っているけれどギスギスした夫婦だっております。どちらを望み、どう努力するのか、どんな言葉を、どんな態度を取るのか、その選択の連続の先に私たちの未来があるのですわ」


 アグネスの顔が近づいたとウィリアムが気が付いた時には唇を奪われていた。

 互いのガウンが絨毯の上に丸まって落ちた時、アグネスに呑まれたウィリアムが顔を真っ赤にして息をつめている状態だった。


§§§ §§§ §§§


 全く夢見がちなぼっちゃんだこと、とアグネスは昨夜のウィリアムを思い出しながら羽ペンに手を伸ばした。

 ウィリアムの執務室の隣にアグネスの執務室も構えられている。婚姻への祝いの品を贈ってくれている貴族家への礼状を美しい筆跡で綴っていく。

 両家が婚姻で結びついたことで、互いに力を合わせて王国の西に広がる海の、大きな船の入ることのできる港と、防衛のための新しい街作りに梃入れを行うことは既に行われている。

 その事業計画に絡みたい豪商や、今まで接触していなかった貴族家からも祝いの品々が届いている。リストを執事から受け取り気になることを調べながらもアグネスは上機嫌であった。


 世間知らずの夢見がちではあるけれど、誠実であろうとする姿には好感も持てた。生理的に無理な相手では無かったことは良かったとアグネスは思う。

 閨教育は専門の口の堅い伯爵家の寡婦が数回勤めたと聞いている。下手に加虐趣味も無い夫で良かったとアグネスは色々と情報を教えてくれた従姉妹を思い浮かべた。


 夕食のテーブルを囲みながらちらちらと自分を伺うウィリアムの視線を感じてはいたが、アグネスは優雅にナイフとフォークを扱い、侯爵家のシェフの腕によりをかけた料理を堪能している。

 妻を意識しているらしい息子の姿に侯爵夫妻はにこやかにしている。

 政略での婚姻ではあるが、互いに仲よく円満に出来るのであれば素晴らしいことだと夫婦は考えている。人の言葉の裏側を探ったり、利害を考え情に流されない判断をして王家への忠誠と、部下や使用人、領民の安全を守る事は心をすり減らし大変な日々だ。家庭で心が休まることは大変な日々を過ごすための活力となる。

 婚姻に乗り気ではなかったが、性根が座ったのかもしれないと、侯爵は息子夫婦に穏やかな視線を送った。


 入浴を終え、ウィリアムは迷っていた。

 夫婦の寝室へ続く扉をじっと見つめる。

 アグネスとの白い結婚は無理となった。

 しっかり初夜を過ごしてしまったからだ。


「いや、あれを普通の初夜と言って良いのか?」


 なにせ、最初から最後までアグネスに翻弄された。

 服を脱がされ唇を舌を甘く強く吸われて、触れ合い、彼女の細く長い指が肌を滑るたびに背筋に電流が流れてこともあろうに男である己が喘がされた。


「普通は男がリードするもんだろう? 夫が妻を愛でるものだ」

「まぁ、普通の閨をご存じの様子でよろしかったわ」


 突然かけられた声に驚いてウィリアムはひゃっと声をあげる。

 恐る恐る背後を振り返るとアグネスがにっこりと微笑んで立っている。


「どうします? 昨夜の疲れが残っておいででしたら今夜は添い寝だけにいたしますけど?」

「昨夜の疲れって、き、君の方が普通は疲れるものだろう?」

「そうですわね、私よりも重い旦那様を良いように動かすのは骨が折れましたわ。気遣っていただけるのでしたら今後は能動的に動いていただけますと互いによろしいかと」

「は、破廉恥な」


 さあっと顔を赤くしてウィリアムはアグネスから一歩離れる。


「き、君はどうして、その、閨の知識が豊富なんだ?」


 耳まで真っ赤に染めてウィリアムがアグネスに問いかける。

 アグネスの純潔は疑ってはいないウィリアムだったが、それでも随分と男の生理を理解していたように感じて問い詰めてしまう。


「数年前に”真実の愛”だとかを貫きたいと婚姻の数週間前に婚約破棄をした侯爵家同士のお話がございましたでしょう?」

「え? あ、確か侯爵令息が男爵令嬢と恋に落ちたとかで、生まれたときからの婚約者である令嬢との縁を切った?」

「えぇ、令嬢のマリーゴールド様は私の従姉妹にあたります。令息はご自身が婚約者が居ながら浮気をしたにも関わらず、マリーゴールド様が悪辣な人物であると糾弾されて、マリーゴールド様のご両親が領地へ赴いている隙に令嬢を遊郭へと引き渡しましたのよ」

「えぇ!」


 一時期社交界を賑わした婚約破棄事件ではあるが、そういった事に興味が無かったこと、かつ、王宮の文官になるべく猛勉強をしていたウィリアムは詳しい話を知らなかった。

 痛まし気に言葉に詰まるウィリアムにアグネスは微笑みかける。


「お姉さまは令息を軽蔑しておりましたから婚約破棄はどうでもよろしかったようですの。遊郭のマダムは令息のなさり様に憤りを感じられたようでお姉さまをそのまま匿ってくださいました。話を聞いたおじ様は早馬で王都へ戻り、令息の侯爵家を王家に訴え、制裁を加えました。

婚約破棄を受けた令嬢、しかも男に指一本触れられていないとはいえ純潔を疑われる状況ではお姉さまは普通の婚姻はもう難しいとのことで、遊郭に残られることを決断されましたの」

「え?遊郭に!」

「はい」


 アグネスの笑顔にウィリアムは首を傾げる。可哀そうな令嬢の話をしているにしてはアグネスの表情はきらきらとしている。なんだか続きを聞くのが怖いような気もしたがアグネスはそのまま言葉を紡ぐ。


「おじさまは遊郭を買い取りまして、身元の確かな上質な男性の遊戯の場に変更なさりました。お姉さまは上級遊女のお姐様からあらゆる知識手練手管を伝授されまして」

「あらゆる……」

「人体の仕組みですとか、急所とか様々な事、そして色々な噂、お姉さまは元々情報を扱うのがお上手で外交の職に就きたいとお考えになっていた方でしたので、とても充実した日々をお過ごしのようで。お客はご自身で選びますし、外出も自由。私とも観劇やお茶など良くご一緒してくださいましたの」


 アグネスの指先がウィリアムの顎へ伸び、ついっと撫でる。ごくりとウィリアムは喉を鳴らしてアグネスを見つめた。


「男の方がどのような反応をしてしまうのか、どのように気持ちよくなってしまうのか。色々と教えていただきましたの。実践してみて、お姉さまの情報は確かであったと感心しましたわ」


 アグネスはウィリアムの顎先から指を滑らせて喉仏をくるりと撫でる。

 ウィリアムはぞわりと背に走る電流に一瞬目を閉じた。

 アグネスが目を細めて微笑みを深くする。


「さぁ、どうなさいます?年下の女である私に良いように翻弄されて息も絶え絶えでございましたでしょう? お疲れでしたら今夜は手を繋いで眠りましょう? それとも昨夜のリベンジをされます? 私を翻弄すべくチャレンジします?」

「う」

「ともかく、寝室へ参りましょうか。メイドのナンシーが王家からいただいた薫りの素晴らしいブランデーを用意してますのよ」


 ウィリアムはアグネスに手を引かれ、先ほどまで睨みつけていた扉を潜ったのだった。


§§§ §§§ §§§


「お父様とお母様は政略結婚なのですか?」


 驚いたようにウィリアムとアグネスの長子アビゲイル、次子セオドリックは声を揃えた。

 双子の子供たちに優しい眼差しを向けてそうですよとアグネスが笑う。その腕には近々二歳になる末の息子ヒューバートが抱かれている。


「驚きました。お父様はお母様が大好きな様子ですから」

「セオドリック、お父様はそんなに態度には出ていない!」


 ウィリアムの言葉に呆れたようにアビゲイルが視線を送る。


「先日お母様が伯爵家のおばあ様のお見舞いに一週間館を留守にした時のお父様ははっきり申し上げてポンコツでしたわ」

「ポンコツ……」

 貴族の娘らしくない言葉使いにウィリアムは娘をまじまじと見つめる。

 娘の横で息子がうんうんと頷いている。


「あら、まぁ。そうでしたの?」


 楽しそうにアグネスが笑い、腕の中の子もつられたようにうきゃうきゃと手を振り笑う。

 話題が己の不甲斐ない話で無ければ幸せな光景だとウィリアムは思う。


 最初から好きな相手との婚姻を夢見ていた世間知らずの次期侯爵は、いつの間にか妻に手綱を握られ、手の平で転がされるのに安心感を感じ、妻が傍に有ることが何よりも安堵できると感じるようになった。

 確かに互いの愛情を育てて行くには、日々の相手への思いやりと、相手の心を理解する努力と、自分の心を開示する努力が必要だった。

 最初に荒療治を受けたせいか、内心を吐露することに抵抗もなくなり、妻の言葉をしっかりと聞く姿勢を身に着けたウィリアムは、誰から見ても愛妻家でしかない。


「政略結婚でも深く信頼し穏やかな家庭を築く事は出来るのですよ。二人ともまだ先ですけれど、あなた方が心から信頼出来るお相手と縁を結べる事をお父様も私も望んでいますからね」


 はい、と大きく頷く双子と、穏やかに微笑む妻を見て、確かに己は妻や子を愛していること、幸せであることを感じて胸が温かくなるウィリアムだった。

R15つけるべきか悩んだんですけど、閨とか初夜とか遊女とか出てるから一応ね……

強い女の子好きです

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