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大阪のおばちゃん。山田千代子が、その姿のまま聖女に転生する

作者: momotarou
掲載日:2026/06/13

「聖女様をお迎えせよ!」


 高い天井の神殿に、神官たちの声が響いた。


 白い石の床には、大きな魔法陣が光っている。


 神官たちは膝をつき、騎士たちは剣を胸に当てていた。


 誰もが息をのむ。


 長い銀髪。


 白い肌。


 清らかな瞳。


 神の祝福を受けた、美しい乙女。


 それが、アルヴェリア王国に伝わる聖女の姿だった。


 魔法陣の光が強くなる。


 白い光が柱のように立ち上がる。


 そして、その中心に一人の女が現れた。


 ヒョウ柄の上着。


 くるくるに巻いた茶色のパーマ。


 腕には大きな買い物袋。


 片手には、特売で買った長ネギ。


 もう片方の手には、飴ちゃんの入った巾着袋。


 神殿が、しんと静まり返った。


 おばちゃんは、きょろきょろと周りを見回した。


「……どこや、ここ」


 神官たちは、誰も答えなかった。


 騎士たちも、口を開けたまま固まっていた。


 おばちゃんは眉をひそめた。


「ちょっと。人を呼んどいて黙るんは失礼ちゃう?」


 白い法衣を着た老人が、震える声で言った。


「こ、これは……」


「これは、やない。人の顔見て、なんちゅう顔してんねん」


「聖女召喚は、成功したはずだ」


「聖女?」


 おばちゃんは自分を指差した。


「うちが?」


 老人は青ざめた。


 リリイ神殿の大神官、オルディス。


 聖女召喚を取り仕切った男だった。


「ありえぬ。このような者が聖女であるはずがない」


 おばちゃんの眉が、ぴくりと動いた。


「このような者?」


 オルディスは一歩下がった。


 おばちゃんは長ネギを肩に担ぎ、ずいっと前に出た。


「このような者って何や。名前で呼び」


「な、名前など知らぬ」


「知らんなら聞き。山田千代子。大阪から来たチヨさんや」


 神殿にいた者たちは、さらに黙った。


「オオサカ……?」


「チヨコ……?」


「長ネギを持った聖女……?」


 おばちゃんは大きくため息をついた。


「ほんで、ここどこなん? うち、商店街の帰りやってんけど」


 その時、一人の若い騎士が前に出た。


 背が高く、銀色の鎧をきちんと着ている。


 黒髪を後ろに流し、真面目そうな顔をしていた。


「失礼しました。私は王国騎士団副隊長、レオナード・グレンと申します」


「レオナードくんか。長い名前やな」


「レオナードで結構です」


「ほな、レオくん」


「……レオナードで」


「細かい子やなあ」


 おばちゃんは、レオナードの顔をじっと見た。


「レオくん、あんた顔色悪いやん」


「私は問題ありません」


「問題ある顔してるわ。ちゃんと食べてるんか?」


「今は、そのような話をしている場合ではありません」


「そういう子ほど、倒れるねん」


 おばちゃんは巾着袋をごそごそ探った。


 そして、黄色い包み紙の飴を一つ取り出した。


「ほら、飴ちゃん食べ」


「いえ、勤務中ですので」


「ええから食べ。口に入れても仕事できるやろ」


 おばちゃんは包み紙をむくと、無理やりレオナードの口に押し込んだ。


 その瞬間、淡い金色の光がレオナードの体を包んだ。


 神官たちがどよめいた。


「なっ……!」


「聖光だ!」


「レオナードの疲労が消えていく!」


 レオナード自身も目を見開いた。


「体が……軽い」


「そらそうや。顔色戻ったわ」


 おばちゃんは満足そうにうなずいた。


 オルディスは、わなわなと震えた。


「まさか……本当に、聖女の力が……?」


「知らんがな。飴ちゃん食べただけや」


 その時、神殿の外から慌ただしい足音が近づいてきた。


 若い侍女が、息を切らして飛び込んでくる。


「大神官様! 城下の避難民の子どもが、また黒い瘴気に倒れました!」


 神殿の空気が変わった。


 オルディスは顔をしかめる。


「またか。聖水を使え」


「もう使いました。でも熱が下がりません」


「ならば、治癒師を呼べ」


「治癒師も、もう限界です」


 侍女の声は震えていた。


「子どもたちが、何人も倒れています。食べ物も足りません。母親たちが泣いています」


 おばちゃんは、その言葉に目を細めた。


「子どもが倒れてるんか」


 誰も答えなかった。


 おばちゃんは買い物袋を持ち直した。


「案内して」


 オルディスが叫ぶ。


「待て! まだそなたが聖女と決まったわけではない!」


「決まってへんでも、倒れてる子は待ってくれへんやろ」


「勝手なことをするな!」


 おばちゃんは振り返った。


「ほな、あんたが助けるんか?」


 オルディスは言葉に詰まった。


「祈るだけで助かるなら祈ったらええ。でも、今その子らは熱出して、お腹すかせて、泣いてるんやろ?」


 おばちゃんは、まっすぐオルディスを見た。


「神さんの話は、そのあとでええ」


 オルディスは黙った。


 レオナードが一歩前に出た。


「私が案内します」


「頼むわ、レオくん」


「レオナードです」


「はいはい」


 おばちゃんは神殿を出た。


 外には、見たことのない世界が広がっていた。


 石造りの城。


 尖った塔。


 馬車。


 鎧の兵士。


 空には、薄紫色の雲が流れていた。


 普通なら驚いて立ち止まるところだ。


 けれどおばちゃんは、泣き声の方へまっすぐ歩いた。


 神殿の裏庭には、布を敷いただけの避難所があった。


 痩せた人々が座り込んでいる。


 子どもたちは青白い顔で寝かされていた。


 母親たちは、我が子の手を握って泣いている。


 おばちゃんの顔つきが変わった。


「これはあかん」


 レオナードが低い声で言った。


「黒い瘴気です。北の森から広がり、村をいくつも飲み込みました。触れた者は熱を出し、力を失います」


「食べ物は?」


「不足しています」


「水は?」


「井戸はありますが、浄化が追いついていません」


「寝る場所は?」


「見ての通りです」


 おばちゃんは買い物袋を地面に置いた。


「そら治るもんも治らんわ」


 おばちゃんは近くの侍女に声をかけた。


「あんた、鍋ある?」


「な、鍋ですか?」


「大きいやつ。あと水。火。塩。野菜。何でもええから食べられるもん持ってきて」


「でも、聖女様」


「様はいらん。チヨさんでええ」


「チヨさん……?」


「そう。ほら、手ぇ動かす」


 侍女は戸惑いながらも走り出した。


 おばちゃんは次に、兵士たちを指差した。


「そこの若い子ら。ぼーっと立ってんと、薪運んで」


「我々は護衛で」


「護衛が薪運んだら死ぬんか?」


「いえ」


「ほな運び」


 兵士たちは顔を見合わせ、慌てて動き出した。


 レオナードも薪を持とうとする。


 おばちゃんはすぐに止めた。


「レオくん、あんたは座り」


「私は働けます」


「あんたが、働いてどうするねん。人を使わんか」


 レオナードは反論しようとして、やめた。


「……分かりました」


「素直でよろしい」


 しばらくすると、大きな鍋が運ばれてきた。


 おばちゃんは買い物袋から長ネギを出した。


 神官たちがざわつく。


「聖なる杖か?」


「いや、野菜ではないのか?」


「しかし、召喚陣を越えて現れた物だ。聖遺物かもしれぬ」


 おばちゃんは包丁を借りると、長ネギを手際よく刻んだ。


「聖遺物ちゃう。特売のネギや」


 鍋に水を入れる。


 野菜を入れる。


 少しの穀物を入れる。


 塩を入れる。


 おばちゃんは鍋をかき混ぜながら、倒れている子どもたちを見た。


「あんたら、もうちょっと待っとき。あったかいもん食べたら、体がちょっと楽になるからな」


 一人の少女が、弱々しく目を開けた。


「おばちゃん……だれ?」


「大阪のおばちゃんや」


「おおさか……?」


「遠いとこや。まあ、近所のおばちゃんみたいなもんやと思っとき」


 少女は少しだけ笑った。


 その瞬間、鍋から淡い金色の湯気が立ち上がった。


 神官たちが息をのむ。


「また聖光が……」


「料理から光が出ているぞ」


「まさか、浄化の奇跡か」


 おばちゃんは鍋の味を見た。


「うん。ちょっと薄いけど、弱った体にはこれでええ」


 器によそい、少女に渡す。


「熱いから、ふうふうして飲み」


 少女は母親に支えられながら、少しずつスープを飲んだ。


 一口。


 二口。


 青白かった頬に、ほんの少し赤みが戻る。


 黒くにじんでいた手首の瘴気が、薄くなっていく。


 母親が震えた。


「あ……ああ……!」


 少女は小さく息をついた。


「あったかい」


 母親は泣き崩れた。


「ありがとうございます……ありがとうございます……!」


 おばちゃんは少女の頭をなでた。


「よう頑張ったな。えらい、えらい」


 神官たちは言葉を失っていた。


 治癒師たちは目を見開き、騎士たちは膝をつきかけていた。


 レオナードは、静かに呟いた。


「本当に、瘴気が薄れている」


「レオくん、感動してる暇あったら、もっと食材持ってきて」


「しかし、もう配る食料がありません」


「なんやて。こんな綺麗な服着てる人が多いのに、もうないの?」


 皆が、気まずそうにうつむいた。


 その中で、一人だけ笑っている男がいた。


 上等な服を着て、指輪をいくつもつけた、腹の大きな男だった。


 おばちゃんは、その男へずかずかと歩いていった。


「あんた、何わろてるねん。子どもが泣いてるのに」


 男は、鼻で笑った。


「貴様、わしを誰だと思っておる」


 おばちゃんは鼻をひくつかせた。


 男は、甘ったるい香水をつけていた。


 けれど、おばちゃんの鼻には、その奥に別の匂いが混じっているように感じられた。


 しまい込まれた麦の匂い。


 樽に閉じ込められた油の匂い。


 食べ物より、帳簿と金貨を気にしている匂い。


 そして、腹を空かせた人の前で笑える、冷たい心の匂い。


「……くさ」


 男の顔が赤くなった。


「な、何だと?」


「くさ〜。ドブのような匂いがするわ」


「貴様、この女を捕まえろ! 縛り首にしろ!」


「ちゃうちゃう。体の匂いやない」


 その時、黙っていたオルディスが息をのんだ。


「まさか……魂香識別……」


 おばちゃんは眉をひそめた。


「こんこう、何?」


「魂香識別です。魂に染みついた嘘や悪意を、香りとして嗅ぎ分ける聖女の奇跡。古き聖典に、わずかに記されています」


「長いわ」


 おばちゃんは、鼻を押さえたまま男を見た。


「くさいもんは、くさい。それだけや」


 オルディスは、さらに青ざめた。


「聖女の奇跡を、そのような言い方で……」


「名前なんかどうでもええわ」


 おばちゃんは一歩近づいた。


「あんた、食べ物がまだある場所、知ってるやろ」


「そ、そんなものはない!」


「ほな、なんでそんなに慌ててるん?」


 男の顔から血の気が引いた。


「で、でたらめだ!」


 避難所の騒ぎを聞きつけた騎士の一人が、すでに王城へ走っていた。


 しばらくして、避難所の入口から重い足音が近づいてきた。


 騎士たちが一斉に膝をつく。


「陛下」


 皆が頭を下げた。


 そこに立っていたのは、アルヴェリア王国の国王だった。


 国王は避難所を見渡し、眠る子どもたち、泣いている母親たち、薄いスープの鍋を見た。


 そして、男へ視線を向けた。


「マルセル。何を騒いでおる」


 腹の大きな男は、慌てて頭を下げた。


「へ、陛下。私は何も……」


 国王の声は低かった。


「聖女様に失礼ではないか」


 おばちゃんは、国王をじっと見た。


「あんた、王様なの?」


「そうだ」


「やはり偉い人は違うな。ちゃんと人の顔見て話すわ」


 国王は苦く笑った。


「このような惨状を起こした愚かな王だ」


「自分で愚かって言えるなら、まだ大丈夫や」


 周囲の者たちがぎょっとした。


 おばちゃんは気にしない。


「あんた、ええ男やね。うちが三十年若かったら、口説いたかもしれへんわ」


 避難所の空気が、一瞬止まった。


 国王も目を丸くしたあと、小さく笑った。


「それは光栄だ」


「そんなこと言うとる場合やなかった」


 おばちゃんは、すぐに鍋の方を振り返った。


「王様、神官さん、騎士さん。人手はあるんやろ。子どもと病人が先やで」


 国王はマルセルを見た。


「マルセル。支援物資の倉庫を確認させてもらう」


「陛下、それは」


「やましいことがないなら、構わぬはずだ」


 マルセルは何も言えなかった。


「レオナード。至急、支援物資の倉庫を調べよ」


 レオナードは馬に乗ると、部下と共に駆け去っていった。


 それからおばちゃんは、避難民たちにスープを配り続けた。


「はい、あんたも飲み」


「お母さん、先に子どもに食べさせたいやろうけど、あんたも食べなあかん。倒れたら子どもが困るで」


「そこの兵隊さん、隠れてふらついてんの見えてるで。あんたも座り」


「泣いてええ。泣いたら、次は食べ」


 おばちゃんが声をかけるたび、金色の光が広がった。


 傷がふさがるわけではない。


 病が一瞬で消えるわけでもない。


 それでも、人々の顔に少しずつ力が戻っていった。


 冷えた手が温まる。


 震える肩が落ち着く。


 泣いていた子どもが眠る。


 黒い瘴気が、少しずつ薄れていく。


「もう配るもんがないなんて。神官さんも騎士さんも、ぼーっとしてんと何とかしい」


 その時、荷馬車が何台も避難所へ入ってきた。


 先頭にいたレオナードが、国王の前で膝をついた。


「陛下。支援物資の倉庫に食料がありました」


 マルセルの体が震えた。


 荷馬車には、麦、油、干し肉、薬草が積まれていた。


 すべて、避難民のために保管されていたものだった。


「これは緊急時の備蓄でございます!」


 マルセルが叫んだ。


「勝手に配れば、王都全体が飢えますぞ!」


 おばちゃんは、鍋をかき混ぜながら言った。


「ほな、今がその緊急時ちゃうんか?」


 マルセルは口をつぐんだ。


「備蓄いうんはな、人を助けるために置いとくもんや。人が倒れてからも出さへんのやったら、何のための備蓄や」


 マルセルの顔が、ゆがんだ。


 言い返そうとした口が、ゆっくり閉じる。


 彼は、避難所を見た。


 母親の腕の中でぐったりしている子ども。


 空の器を握りしめている老人。


 泣きながらスープを待つ人々。


 その顔を見た瞬間、マルセルの肩が小さく震えた。


「私は……」


 マルセルは、かすれた声で呟いた。


「私は、何をしていたのだ」


 おばちゃんは、鍋をかき混ぜながら横目で見た。


「気づいたんか」


「備蓄だ、手続きだ、責任だと……そう言って、私は、この者たちの顔を見ていなかった」


 マルセルは、震える手で腹の前を握りしめた。


「私は、悪いことをしていたのだな」


「そうや」


 おばちゃんは、きっぱり言った。


 マルセルの顔が、さらにくしゃりとゆがんだ。


 国王は静かに息を吐いた。


「詳しい判断は後だ。今は食料を配る」


 そして、マルセルを見た。


「生活支援大臣。そなたも手伝え」


 マルセルは目を見開いた。


「わ、私が、ですか」


「そなたが管理していた食料だ。そなたも、民に配れ」


 マルセルは、唇を震わせた。


 少し前なら、何か言い訳をしていただろう。


 だが今は、深く頭を下げた。


「……はい」


 おばちゃんは叫んだ。


「はよ作るで! 子どもら待たせたらあかん!」


 隠されていた麦が鍋に入る。


 干し肉が刻まれる。


 油が少し落とされる。


 さっきよりも、ずっと濃い匂いのスープが湯気を立てた。


 マルセルは太った体を震わせながら、麦の袋を抱えていた。


 冷や汗を流し、何度も足をもつれさせながら、それでも逃げなかった。


 眠っている子ども。


 泣きながら器を受け取る母親。


 黙って頭を下げる老人。


 その顔を一人ずつ見ながら、マルセルは食料を運んだ。


「すまぬ……」


 小さく、彼が呟いた。


「すまなかった……」


 誰に向けた言葉か、自分でも分かっていないようだった。


 おばちゃんは、その姿をちらりと見た。


「……あら」


 マルセルの肩がびくりと跳ねた。


「な、何でございますか」


 おばちゃんは鼻をひくつかせた。


「くさくなくなったわ」


 マルセルは目を見開いた。


「ほ、本当でございますか」


「まだ汗くさいけどな」


「そ、それは申し訳ございません!」


「心の匂いや。さっきより、ずっとましや」


 マルセルの目に、涙がにじんだ。


「ありがとうございます、チヨさん……!」


「礼はええから、麦を運び」


「はい!」


「返事だけはええな。ほな、手ぇ止めんと働き」


「はい、チヨさん!」


 子どもたちが顔を上げる。


 母親たちが泣きながら笑う。


 疲れた兵士たちが、黙って薪を運ぶ。


 アルヴェリア王国の危機を、ヒョウ柄のおばちゃんは、鍋一つで変え始めようとしていた。


 夕方。


 避難所にいた人々の顔色は、朝よりもずっと良くなっていた。


 熱にうなされていた子どもたちも、母親の腕の中で眠れるようになっていた。


 おばちゃんは鍋の横に腰を下ろし、肩を回した。


「あー、腰にくるわ」


 レオナードが近づいてきた。


「チヨコ様」


「チヨさん」


「……チヨさん」


「よろしい」


 レオナードは、深く頭を下げた。


「私は、あなたを疑っていました。申し訳ありません」


「そら疑うやろ。急にヒョウ柄のおばちゃん出てきたら、うちでも疑うわ」


「ですが、あなたは多くの者を救いました」


「大げさやな。スープ作って、飴ちゃん配っただけや」


「それを、誰もしなかったのです」


 おばちゃんは黙った。


 レオナードの声は、かすかに震えていた。


「私たちは、瘴気を恐れ、祈り、命令を待つだけでした。自ら動くことを忘れていました」


 おばちゃんは、避難所で眠る人々を見た。


「偉い人らは、何かと大変やからな。でも、みんなを大切にしなあかんよ」


 レオナードは顔を上げた。


「あなたは、本当に聖女なのですか」


「知らん」


 おばちゃんは即答した。


「うちは聖女なんてなった覚えないし、神さんの声も聞こえへん」


「では、なぜ動けるのですか」


「子どもが泣いてたら、放っとかれへんやろ」


 レオナードは息をのんだ。


 おばちゃんは巾着から飴を一つ出し、彼に渡した。


「ほら、もう一個食べ」


「またですか」


「またや。あんた、まだ顔色悪い」


 レオナードは少し笑った。


「いただきます」


 その時、避難民の中から小さな声が上がった。


「聖女様……」


 おばちゃんは振り返った。


 昼間、熱を出していた少女だった。


 少女はまだ弱っていたが、母親に支えられて座っていた。


「聖女様、ありがとう」


 周りの避難民たちも、次々と頭を下げた。


「ありがとうございます、聖女様」


「助けてくださって、ありがとうございます」


「聖女様が来てくれてよかった」


 おばちゃんは、少し困ったように笑った。


「ちゃうちゃう」


 人々が顔を上げる。


 おばちゃんは巾着袋を腰に結び直した。


「聖女様やなんて、うちには似合わへん」


 そして、いつもの調子で言った。


「おばちゃんでええねん」


 神殿の夜風が、白い布を揺らした。


 遠くでは、まだ黒い瘴気が王国を覆っている。


 けれど避難所には、温かいスープの匂いが残っていた。


 泣いていた子どもたちは眠り、疲れた大人たちも少しだけ笑顔になっている。


 その中心にいたのは、白い聖女ではなかった。


 ヒョウ柄の上着を着て、飴ちゃんの巾着を持った、大阪のおばちゃんだった。


 そして、いつしか山田千代子は「アルヴェリア王国の希望」と呼ばれるようになった。

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