第12章 森へ――帰るための任務
早朝。
まだ街が静かなうちに、ジンは外套を羽織っていた。
「今日はとても早いですね」
明日香が小さな声で言う。
「はい。集合が早まったので。アスカさんも仕事ですよね。まだ寝ていても良かったのに」
留め具を整えながら、ジンが振り返る。
「心配ですから。私が見ていないと、ジンさんはすぐ無理をします」
いつもの調子で言うと、ジンは苦笑した。
明日香は一歩近づき、真正面に立つ。
「傷、痛みは?」
「問題ありません」
いつも通りの返答だ。
本当に問題がないときも、少し無理をしているときも、ジンは同じ言葉を使う。
それでも明日香は、腹部へ一瞬だけ視線を落とした。
「絶対に、無理はしないでください」
「はい」
素直な返事。
少し間を置いて、明日香が続ける。
「本来なら、まだ外勤は控える時期ですよね」
「そうですね」
「……でも、行くんですよね」
ジンはわずかに目を細めた。
「初動にいたのは私です。状況を把握している者が同行する方が効率的です」
理屈は分かっている。
それでも、胸の奥は簡単に納得しない。
「……気をつけてください」
そう言ってから、明日香はそっとジンの袖をつかんだ。
ほんのわずかな力。
ジンはその手に視線を落とし、指先へ静かに触れる。
「必ず帰ります」
落ち着いた声。
明日香の胸が、きゅっと締まる。
手を放し、視線を上げる。
「……行ってらっしゃい」
「行ってきます」
扉が閉まる。
足音が遠ざかるまで、明日香はその場を動かなかった。
――――――――――
森は、前回と変わらず光が薄かった。
湿った土の匂いと葉擦れの音。何事もなかったかのような静けさが、かえって神経を逆撫でする。
5名の調査班は間隔を保ちながら進んでいた。
中央にジンとライト。その周囲を3名が自然な三角形で囲む。歩幅も視線の動きも揃っている。前回と同じ場所へ向かう足取りは慎重だが、過度に張り詰めてはいない。
「前回の出現地点まで、あと少しです」
「ああ」
ジンは短く返しながら、周囲の魔力の流れに意識を向ける。濃度は安定している。目立った歪みもない。それが逆に、不自然だった。
「ここだ」
足を止める。
戦闘の痕跡は消えている。血も、裂け目も、荒れた地面もない。森はすでに元の顔を取り戻している。
ジンは膝をつき、地面へ手を触れた。
意識を落とす。
わずかな、継ぎ目の感触。
「縫合点がある」
ライトが横に並ぶ。
「自然か」
「可能性は高い。地下の層が薄い。圧が一点にかかれば緩むことはある」
完全に否定はできない。
ジンが立ち上がった、その瞬間だった。
空気がわずかに揺れる。
地面の表面が波打つ。
「来るぞ」
裂け目は見えない。ただ、空間が滲む。
小型が1体、形を取る。
続けて2体、3体。
影が次々と濃くなっていく。
「数が増えるな」
ライトが低く言う。
「散開。囲まれるな」
ジンの声が森に走る。
3人が左右へ開き、間合いを保つ。
小型は素早い。だが力は弱い。数で押す。
1体が飛びかかる。
ライトが斬り落とす。反対側で若い隊員が連携して1体を処理する。
ジンが前へ出ようとした瞬間、ライトが肩を押さえた。
「出過ぎるな」
「分かってる」
返した直後、死角から1体が跳ねる。
「班長、後ろ!」
声が飛ぶ。
ジンは半歩踏み込み、最小限の動きで刃を振る。腹部を無理に捻らない角度で。小型は一撃で崩れた。
「深追いするな。処理優先だ」
戦闘は広がらない。
隊は円を保ったまま、確実に削る。
数は残り7。
質は低いが、同時に襲われれば面倒だ。だからこそ連携を崩さない。呼吸を合わせ、位置を入れ替え、視界を共有する。
やがて数分後、最後の1体が地面に崩れた。
残滓が淡く舞い、森は再び静まり返る。
誰も無理をしていない。乱れもない。
「大型の兆候はありません」
「ああ」
ジンは息を整え、再び地面へ視線を落とす。
「小規模な不安定化だな。縫合が一時的に緩んだ」
ライトが周囲を確認する。
「再発は」
「低い。ただし放置はできない」
ジンは立ち上がる。
「安定化処置に入る。縫合点を補強する」
魔術具が展開される。
円陣が描かれ、魔力が流し込まれる。縫合点に触れると、わずかな抵抗が返るが、強い反発はない。
ライトが出力を支え、ジンは一定の流量で層を縫い直す。焦らず、無理に押し込まず、丁寧に。
揺らぎは徐々に落ち着いていった。
「安定しました」
「ああ」
ジンは短く頷く。
「南区画を一時封鎖する。立入制限をかける。定期監視を回せ」
「了解」
処置は想定よりも早く終わった。
大規模な異常ではない。
だが、確実に揺らいだ事実は残る。
撤収途中、ライトが隣に並ぶ。
「腹はどうだ」
「問題ない」
「本当にか」
「本当にだ」
ライトは鼻で笑う。
「まぁいい。問題あれば、怒られるだけだろ」
ジンは一瞬だけ目を細める。
「ああ」
森の出口が見えてくる




