表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/13

第1章 縁結びのはずだった

出雲大社といえば縁結びなのよ、と母が言った。

窓の外には、秋の雲がゆっくりと流れている。

父は膝の上の観光パンフレットをめくりながら、「そうなのか」と気のない返事をした。


「有名なのよ。知らないの?」

「知らなかったな」


二人のやり取りを聞きながら、私は窓の外を見た。


「……関係ないから」


母が笑う。


「何が?」

「別に」


それ以上は言わない。

言わなくても、分かっているはずだ。


機体が軽く揺れた。

最初は誰も気にしなかった。

旅行客のざわめきと、穏やかな機内アナウンス。

もうすぐ島根だね、と母が言う。


二度目の揺れは、少し長かった。

アナウンスの声色が、わずかに変わる。

父が無意識にシートベルトを確かめた。


三度目は、揺れではなかった。

体がふっと浮く。

悲鳴が上がる。

何かが落ちる音。

父の手が、強く私の腕を掴んだ。

母の指が、反対の手を握る。


機体が傾く。

視界が斜めになり、金属が軋む音がして――そこで、記憶が途切れた。


* * *


目を開けると、森だった。

背中に湿った落ち葉の感触。

冷たい土の匂い。

少しひんやりとした空気。


「……お父さん?」


喉がうまく動かない。


「お母さん……?」


返事はない。


見渡す。

高い木々。色づき始めた葉。

木漏れ日が差し込んでいる。

日本の山に、似ている。


「……山に、落ちた……?」


飛行機は。

煙は。

人の気配は。


何もない。


立ち上がろうとして、足に力が入らないことに気づく。

膝が震え、体を支えられない。


枝の折れる音がした。

顔を上げる。


犬のように見えた。

けれど、犬ではなかった。

体が大きすぎる。

四足で立っているはずなのに、輪郭がはっきりしない。


黒い靄のようなものが、その全身を取り巻いている。

光が当たっているのに、形が揺れて見える。


理解が追いつかない。


逃げなければ、と思うのに、足が動かない。


黒い塊が地面を蹴った。

迫ってくる。


次の瞬間、銀色の閃光が視界を横切った。

何が起きたのか分からない。

目の前にあった黒いものは、ふっと崩れた。


足元に、淡い光が浮かぶ。

円を描く模様が一瞬だけ現れ、すぐに消えた。


顔を上げる。

銀髪の青年が立っていた。

後ろで軽く結ばれた髪が、わずかに揺れている。

整いすぎた顔立ちだった。

碧い瞳が、まっすぐこちらを見る。


一瞬、本気で思う。

――なにこれ。


「怪我はありませんか」


落ち着いた声だった。

聞き慣れない響きのはずなのに、意味が分かる。


「……え」

「立てますか」


体を動かそうとして、力が抜ける。

そのまま傾きかけると、青年がすぐに支えた。


「失礼します。抱き上げます」


返事をする間もなく、体がふわりと浮いた。

両腕で支えられ、視界が高くなる。


近い。

鎧越しに伝わる体温と、金属の匂い。

こんな時なのに、顔が少し熱くなる。


森の中を、一定の速度で進んでいく。

枝が足元で折れる音。落ち葉が擦れる音。


しばらくして、思わず口を開いた。


「……重くないですか」


自分でも驚くほど小さな声だった。


青年は歩みを緩めることなく、短く答える。


「大丈夫です」


それだけだった。


耳元に手をやり、低い声で告げる。


「南東区域。生存者1名確認。女性。保護済み。搬送する」


わずかな間。


「了解。搬送を優先せよ」


姿は見えないのに、会話が成立している。

意味は分かる。

けれど、理解は追いつかない。


やがて木々の密度が薄れ、開けた場所に出た。

数頭の馬が待機している。


青年は私を一度、地面に下ろした。

足はまだ震えている。


すぐに馬の背へと支えられるように乗せられた。

続いて青年が跨り、手綱を握る。


肩に重みがかかる。

彼のマントだった。


「寒くありませんか」

「……ありがとうございます」


声が震える。

寒さのせいか、恐怖のせいか分からない。


「私は第4騎士団所属、ジン・ヴァレルです」


落ち着いた口調。

名乗られたから、私も言うべきなのだろうと思った。

一瞬だけ迷う。


「……明日香、友永です」


青年――ジンは、小さく頷いた。


「明日香さん。安全な場所までお連れします」


馬がゆっくりと歩き出す。

体が揺れる。

背後から支える腕がある。

森の木々が、次第に遠ざかっていく。


何が起きたのか、まだ何も分からない。

ただ、見知らぬ青年の腕の中で、揺れに身を任せていた。


あの日、私はまだ、何も知らなかった。

――5年後、この国を出るかどうかで、あんなにも悩むことになるなんて。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ