第4話「伝説の武器は邪魔なだけ」(後半)
カラン、コロン⋯⋯。
瓦礫の山へと転がっていった聖剣は、悲しげな余韻を残して静止していた。
かつて魔王を討ち果たし、数千年の時を経て新たな主を待ち続けていた伝説の神器。その末路としては、あまりにもあんまりな扱いである。
だが、この場にその価値を正しく理解する人間は一人もいなかった。
「わあ! さすがノアちゃん! すごい力持ち!」
エレナがパチパチと手を叩く。
彼女の目には、ノアが「重たい障害物を撤去した」という土木作業的な偉業しか映っていない。
聖剣から放たれていたスパークも遺跡の揺れも、すべて「力持ちだから」で片付けられた。都合のいい脳みそだ。
「でも、あの剣⋯⋯なんかベタベタしてて汚かったね」
エレナは瓦礫の隙間から覗く聖剣の柄を見下ろし、眉をひそめた。
「何千年も掃除されてない感じ? 錆びてるし、カビ臭いし。あんなの持って帰ったら、他の荷物に菌が移っちゃうよ。置いていって正解だね!」
(⋯⋯ナイス判断だ、エレナ)
ノアは心の中で親指を立てた。
エレナの価値基準は「清潔か、不潔か」「使えるか、使えないか」に特化している。
たとえ国宝級のアーティファクトであろうと、衛生的にアウトなものはゴミ認定。その潔癖なまでの生活感こそが、今回ばかりはノアを救った。
もし彼女が「磨けば光るかも!」などと言い出して持ち帰ろうとしていたら、ノアは全力で阻止しなければならなかっただろう。
「⋯⋯ん。汚い。ゴミ」
ノアは短く同意し聖剣に背を向けた。
未練など欠片もない。
むしろ厄介なフラグをへし折った達成感すらある。
これで「勇者」という、最もカロリーを消費する過労死職への転職ルートは完全に閉ざされた。
「よし! じゃあ道も通れるようになったし、さっさと調査終わらせて帰ろう! 今日のおやつは何にしようかなー!」
エレナが軽快なステップで先へと進む。
ノアも、憑き物が落ちたような軽やかな気分(あくまで気分だけで、足取りは重いが)で後に続いた。
背後の闇の中で、聖剣が「えっ、嘘でしょ⋯⋯?」と明滅しているような気がしたがノアは二度と振り返らなかった。
数時間後。
冒険者ギルド《銀の盾》は、いつもとは違う異様な熱気に包まれていた。
それは祝祭の熱気ではない。焦燥と、怒号と、混乱が入り混じったパニック状態だ。
バンッ!!
カウンターを叩く音が響く。
そこに立っていたのは、全身を煌びやかなプラチナの鎧で固めた、いかにも「私が主役です」という顔立ちの美青年だった。
その背後には聖職者の服を着た女性や、魔導師の杖を持った男などが控えている。
いわゆる「勇者パーティ」というやつだ。
王都でもトップクラスの実力と知名度を誇る、Sランク冒険者アレスとその一行である。
「どういうことだッ!! ギルドマスターを出して説明しろ!!」
勇者アレスが唾を飛ばして怒鳴る。対応に追われる受付嬢は涙目だ。
「い、言われましても⋯⋯その、報告によりますと⋯⋯」
「俺たちは! 神のお告げを受けて! あの地下遺跡へ向かったんだぞ! 『選ばれし者のみが抜ける聖剣』を手に入れるためにな!」
アレスの声がギルド中に響き渡る。
周囲の冒険者たちは、野次馬根性丸出しで聞き耳を立てていた。
一番奥の席――いつものデッドスペースで気配を消しているノアを除いて。
(⋯⋯うわ、本物が来た)
ノアはメニュー表を盾にして顔を隠しながら、心の中で舌打ちをした。
やはり、あの剣はそういうイベントアイテムだったのだ。
彼らは正規のクエストラインを辿って、満を持して聖剣を回収しに行ったのだろう。
だが、そこで彼らが見たものは――。
「行ってみればどうだ! 聖剣は既に引き抜かれ! あろうことか、瓦礫の山にゴミのように打ち捨てられていたんだぞッ!!」
アレスが震える手で証拠品を掲げた。
それは泥と埃にまみれ、刀身が少し歪んだ聖剣だった。
哀れすぎる。
かつての輝きは失われ、まるで雨ざらしの空き缶のような悲壮感が漂っている。
「しかもだ! 魔法的な解析を行った結果、解除術式を使った形跡は一切なし! ただの『腕力』で、無理やり引っこ抜かれた痕跡しかなかった! 台座のセキュリティー魔法が破壊されて煙を吹いていたんだ! 信じられるか!?」
ざわ⋯⋯とギルド内がどよめく。
聖剣の選定魔法を腕力で突破する。
それはもう英雄の所業ではなく、ゴリラの犯行である。
「許せん⋯⋯! 聖剣を、神聖なるアーティファクトを、こんな粗末に扱うとは⋯⋯! これは神への冒涜だ! 犯人は誰だ! どこのどいつだッ!!」
アレスは殺気立った目で周囲を睨みつけた。
犯人が見つかれば、聖剣のサビにしてくれると言わんばかりの剣幕だ。
(⋯⋯私です)
ノアは心の中で自白した。勿論、口が裂けても言わない。
言ったら最後、神への冒涜罪で裁判にかけられるか、あるいは「腕力で聖剣を抜いた化け物」として新たな伝説に祭り上げられるか。
どちらに転んでも地獄だ。
私は空気。私は窒素。私はメニュー表の一部。
ノアは呼吸を止めて心拍数を落とし、存在感を原子レベルまで希釈する。
幸い、ギルドには大勢の冒険者がいる。
まさか一番奥で死んだように座っているFランクの小娘が、その「ゴリラ」だとは誰も夢にも思うまい。
「ギルド中の冒険者を洗え! 今日、あの遺跡に入ったパーティーをリストアップしろ!」
「は、はいぃぃっ!」
受付嬢が慌てて台帳をめくり始める。
まずい。リストアップされれば「ノア&エレナ」の名前が出てくるのは時間の問題だ。
その時。
「ねえねえノアちゃん! あっち、なんかすごい騒ぎだね!」
トイレから戻ってきたエレナが、無邪気な大声で話しかけてきた。
「勇者様だって! かっこいいねー! 私たちもいつかあんな風になれるかな!」
ビクッ、とノアの心臓が跳ねた。
声が大きい。お願いだから黙ってくれ。
今、我々はその勇者様から指名手配されかかっている容疑者なのだ。
アレスの視線が一瞬こちらを掠めた気がした。
しかしFランクの装備に身を包み、能天気に笑うエレナとその陰でうなだれているノアを見て、すぐに興味を失ったようだった。
あまりにも「犯人像」とかけ離れていたからだ。
彼が探しているのは筋骨隆々の大男か、凶悪なオーラを纏った魔人なのだから。
(⋯⋯助かった)
ノアは安堵のため息を漏らす。
エレナの「弱そうオーラ」が、皮肉にも最強の隠れ蓑になった。
場所は変わりギルド近くのオープンテラスのカフェ。
西日が差し込む優雅な午後。
そこには紅茶とパフェを楽しむ二人の少女の姿があった。
「ん〜っ! このベリーパフェ最高! やっぱりクエストの後は甘いものに限るね!」
エレナはスプーンを口に運び、幸せそうに頬を緩ませている。
その対面でノアは無言でアイスティーを啜っていた。
ギルドは大混乱の真っ只中だ。
今頃、勇者アレスたちが血眼になって犯人探しをしているだろう。
その喧騒もここまでは届かない。台風の目の中にいるような奇妙な平穏。
「でもさあ、勇者様たち、何であんなに怒ってたんだろうね?」
エレナがパフェの上のサクランボをつつきながら、首を傾げる。
「聖剣がどうとか言ってたけど⋯⋯あんな汚い剣、誰か親切な人が処分してあげたのかもしれないのにね。感謝こそすれ、怒るなんてお門違いだよねえ」
(⋯⋯お前というやつは)
ノアはストローを噛んだ。無知とは罪であり同時に最強の盾でもある。
彼女は本気でそう思っているのだ。
自分が「親切な人」の共犯者であり、世界的ニュースの当事者であることに、微塵も気づいていない。
もし彼女が真実を知ったらどうなるか。
「えっ! ノアちゃんがあの剣抜いたの!? すごーい! じゃあノアちゃんが次の勇者様だね! 私も付いていくよ、魔王城まで!」
⋯⋯という未来が、あまりにも鮮明に想像できて寒気がした。
(⋯⋯墓まで持っていこう)
ノアは固く決意した。
あの剣を抜いた事実も、投げ捨てた事実も、記憶のブラックホールに封印する。
私は何も知らない。私は今日、遺跡でカビ臭い空気を吸って、ただ帰ってきただけだ。
「あ、ノアちゃんのアイスティー、氷溶けてきちゃったね。早く飲まないと薄くなるよ?」
「⋯⋯ん」
ノアはグラスを傾けた。
冷たい紅茶が喉を通り、胃に落ちていく。
美味しい。平和の味がする。
窓の外では衛兵たちが慌ただしく走り回っているのが見える。
それよりノアにとって重要なのは、世界の危機でも伝説の聖剣でもない。
目の前のエレナが、パフェの最後の一口を「あげる!」と言って差し出してくるのを、いかにして断るか(あるいは諦めて食べるか)という、ささやかで面倒な日常の攻防だけであった。




