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第2話「不法侵入とホワイトシチュー」(後半)


 幸福とは何か。

 古今の哲学者が追い求めたその問いに対し、ノアは明確な答えを持っていた。

 それは「満腹状態で、直射日光の当たらない場所で、横になること」である。


 エレナの手による特製ホワイトシチューは、悔しいかな絶品だった。

 トロトロに煮込まれた野菜、舌の上でほぐれる鶏肉。

 空っぽだった胃袋が温かい何かで満たされると脳内麻薬が分泌され、意識がふわふわと心地よい場所へ旅立とうとする。

 食後の睡魔。これこそが生けるノアにとってのデザートだ。


(⋯⋯おやすみ、世界)


 ノアは椅子に寄りかかったまま、重力に身を任せてまぶたを閉じた。

 あとはこのまま意識をシャットダウンするだけ――。


「よし! お腹いっぱいになったね! じゃあ運動しに行こう!」


 ――悪魔の宣言が、安らかな入眠を妨害した。


「⋯⋯は?」


 思わず目を開ける。

 エレナが仁王立ちしていた。

 その手には、なぜか真新しい服が握られている。


「食べてすぐ寝ると牛になるって言うでしょ? 健康のためにはウォーキングが一番! さあ着替えて! ノアちゃんのそのジャージ、もう三日は着てる匂いがするから新しいの買ってきたよ!」


(⋯⋯嗅ぐな)


 プライバシーの侵害も甚だしいが、それ以上に聞き捨てならない単語があった。

 ウォーキング。運動。外出。

 今のノアにとって最も忌避すべき言葉の羅列だ。


「⋯⋯断る。私はここで消化という内臓運動に専念する」

「ダメー! もう行くって決めたの! ほら、バンザイして!」

「⋯⋯やめ、離せ」


 抵抗は無意味だった。

 満腹で動きの鈍ったノアに対し、家事スキルをカンストさせているエレナは手際が良すぎた。

 まるで駄々をこねる幼児を着替えさせる母親のように、あっという間にノアの古びたジャージを剥ぎ取り、新品のチュニックとキュロットスカートを装着させていく。


(⋯⋯サイズが、ぴったりだ)


 恐怖を感じた。

 目分量で採寸されたのか。それとも寝ている間に測られたのか。

 どちらにせよ、この女の「お世話スキル」はストーカーの領域に片足を突っ込んでいる。


「うん、可愛い! やっぱりノアちゃんは素材がいいね! さあ出発進行!」


 ずるずると引きずられる。

 ドナドナ。

 市場へ売られていく子牛の気持ちが、痛いほど理解できた。



 休日の王都は無駄に活気に溢れていた。

 大道芸人の口上、屋台の売り声、馬車の車輪が石畳を叩く音。

 行き交う人々は皆、何か目的があるような顔をして歩いている。


(⋯⋯眩しい。空気が薄い)


 ノアはエレナに手を引かれながら、魂の抜け殻のように歩いていた。

 一歩歩くごとにライフポイントがガリガリと削られていく。

 すれ違う人々が小綺麗な格好をした少女二人組(片方は死んだ魚の目)を振り返る。

 視線という名のレーザービームが痛い。


「あ、クレープ屋さんだ! 後で寄ろうね! あ、あっちには吟遊詩人がいる!」


 エレナは水を得た魚のように生き生きとしている。

 彼女のエネルギー源は他者との交流なのだろう。ノアとは生態系が違いすぎる。

 早く帰りたい。アパートのお布団という名の結界に引きこもりたい。


 その時だった。


「おっ、ねーちゃんたち。可愛い格好してんじゃん」


 前方の路地から、いかにも「治安が悪いです」という風貌の男たちが三人、現れた。

 ジャラジャラと無意味な装飾品をつけた革鎧。腰には手入れのされていない剣。

 Dランク、よくてCランク下位の冒険者崩れだ。

 進路を塞ぐように立ちふさがり、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべている。


(⋯⋯うわぁ)


 ノアは心底げんなりした。

 ザ・テンプレート、三流小説に出てくるような典型的なチンピラだ。

 こういう手合いと関わるとどうなるか。


 『無視して通ろうとする』→『肩を掴まれる』→『絡まれる』→『騒ぎになる』→『衛兵が来る』→『事情聴取』

 地獄のフルコースが見える。


「こんにちは! お兄さんたちも散歩ですか?」


 しかし、隣のポジティブモンスターは違った。

 屈託のない笑顔で挨拶をしたのだ。


「あ? ⋯⋯あ、ああ、まあ散歩っつーか、ねーちゃんたちと遊びたいなーってよ」

「遊びですか? ごめんなさい、私たち今ウォーキング中なんです! カロリー消費しないといけないので、立ち止まってる暇はないんですよー!」


 エレナは悪意を感知しない。

 相手の「遊び」という隠語を字義通りの「遊戯」と解釈し、爽やかに断ったのだ。

 それが逆に男たちの神経を逆撫でした。


「あぁ? バカにしてんのかテメェ。俺らが声かけてやってんだぞ?」


 男の一人が威圧的に一歩踏み出す。

 その場の空気が凍りつき周囲の通行人が、関わり合いになりたくないと遠巻きになる。


「えっ? バカになんてしてませんよ? ただ、私たちは忙しいので⋯⋯」

「うるせえよ! ちょっとツラ貸せっつってんだよ!」


 男の手がエレナの肩に伸びる。エレナが「ひゃっ」と小さく声を上げた。

 その光景をノアは数歩後ろから冷めた目で見つめていた。

 脳内でコスト計算が行われる。


 パターンA:エレナに任せる。

 →会話が通じず、揉み合いになり、最終的にノアが助けに入るまで数分かかる。

 →カロリー消費量:大。精神的疲労:特大。


 パターンB:ノアが言葉で説得する。

 →「失せろ」と言う。逆上される。喧嘩になる。

 →カロリー消費量:中。


 パターンC:物理的強制終了。

 →所要時間一秒。


(⋯⋯Cで)


 思考終了。

 ノアは無言で一歩踏み出した。


「おいコラ、無視してんじゃねえぞ、後ろの陰気な女もよぉ!」


 別の男がノアに矛先を向け、胸倉を掴もうと手を伸ばした。

 その手がノアの服に触れる直前。


「⋯⋯邪魔」


 ノアはボソリと呟き、男の手首を掴んだ。

 握力も腕力も使わない。

 ただ相手の重心を少しずらし、自身の体重を乗せて路地の壁に向かって放り投げただけだ。

 合気道に近いが、そこに込められたのは「面倒くさい」という負の感情エネルギーである。


 ドォォォォォン!!


 轟音が響いた。

 投げられた男はまるで砲弾のように飛んでいき、レンガ造りの建物の壁に激突。

 そのまま壁にめり込んだ。


 比喩ではなく、文字通り「めり込んだ」レンガが人型に凹み、男は白目を剥いて気絶し、ピクリとも動かない現代アートと化した。


「「は?」」


 残りの二人が間の抜けた声を上げる。

 ノアは事態を理解する隙など与えず流れるような動作で、残る二人の襟首を掴んだ。


(⋯⋯会話をするな。呼吸をするな。私の視界に入るな)


 ヒュン。

 ドカッ、バキッ。


 一人は石畳に頭から突き刺さり、もう一人はゴミ箱の中に綺麗にホールインワンした。

 戦闘時間、約一・五秒。

 周囲の喧騒が、嘘のように静まり返る。


「⋯⋯行こう」


 ノアは何事もなかったかのように、埃を払う仕草をした。

 実際には指一本触れられていないので汚れてなどいないが、精神的な汚れを払ったのだ。


「す、すごーい!!」


 沈黙を破ったのはやはりエレナだった。

 彼女は壁に埋まった男とノアを交互に見比べ、目を輝かせている。


「ノアちゃん、やっぱり魔法使いじゃなくて武闘家だったの!? あの人たちを一瞬で『おねんね』させちゃうなんて! すごい、街の平和を守ったんだね!」


(⋯⋯気絶させただけだが)


 平和を守ったつもりはない。自分の平穏を守っただけだ。

 だが訂正する気力もない、周囲の人々がざわめき始め「おい、あの子何者だ?」「壁が⋯⋯」という声が聞こえる。

 長居は無用だ。


「⋯⋯帰るぞ」

「うん! あ、その前に!」


 エレナは近くの露店に駆け寄ると何かを小銭で購入し、戻ってきた。


「はい、これ! 私たちが初めて協力して悪党を倒した記念!」


 彼女が差し出したのは木彫りのキーホルダーだった。

 一つは能天気に笑う犬。もう一つは、だらんと垂れ下がったナマケモノ。

 エレナは迷わず、ナマケモノの方をノアの鞄に勝手に取り付けた。


「お揃いだね、相棒!」


 カチャリ、と安っぽい音がした。ノアの鞄に異物がぶら下がる。

 たかが数グラムの木片、しかしノアには、それがとてつもない重量を持った鎖のように感じられた。


「⋯⋯重い」


 ノアは本音を漏らした。物理的な重さではない。

 これをつけている限り、この「お節介な相棒」との縁が続いていくという、運命の重さだ。


「えー? そんなことないよ、軽い軽い! じゃあ帰ってお菓子でも食べよっか!」


 エレナはノアの腕を取り、ひだまり荘への道を歩き出す。

 夕暮れの空が二人をオレンジ色に染めていた。


 ノアは鞄についたナマケモノを見つめる。

 外そうと思えば、すぐに外せる。金具をひねるだけだ。


(⋯⋯面倒だ)


 ノアは外さなかった。指先を動かすコストすら惜しい。

 あるいは、嬉しそうに笑う隣の少女の表情を曇らせた時の、その後のフォローの手間を考えたのかもしれない。


 どちらにせよ、結果は同じだ。

 最強の少女は今日も断る隙を逃し、日常という名の泥沼へまた一歩、足を踏み入れたのだった。

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