第9話「英雄とパートナー」(後半)
王城の謁見の間というのは、なぜこうも無駄に天井が高いのか。
空調効率が最悪だ。
それに床はピカピカに磨き上げられすぎていてヒールで歩くたびにカツン、カツンと音が反響する。
視線が集まる。左右に並んだ貴族たちの、値踏みするような視線が。
(⋯⋯帰りたい。今すぐここから転移で消えたい)
ノアは内心で毒づきながら赤い絨毯の上を進んでいた。
姿勢が良いのは、コルセットで物理的に背骨を固定されているからに過ぎない。
表情が凛として(無表情で)いるのは、愛想笑いを作るカロリーすら惜しいからだ。
だというのに周囲の貴族たちはそれを勝手に好意的に解釈しているようだった。
「見ろ、あれがドラゴンの群れを鎮めたという英雄か」
「なんと落ち着いた佇まいだ。王の御前でも動じる様子がない」
「氷の美貌⋯⋯噂通りのクールビューティーだな」
(⋯⋯噂に尾ひれがついている。私はただの酸素不足の酸欠少女だ)
ノアの脳内酸素濃度は、コルセットの締め付けにより危険域に達していた。
思考が鈍り眠気が襲ってくる。
玉座には立派な髭を蓄えた国王グランゼウスが座っていた。
威厳のある王がノアたちの前で長々とした口上を述べ始めた。
「――よって、この度の東の森における未曾有の危機を救った功績、誠に大儀である。余は、其の方のような若き力が国にあることを誇りに思う⋯⋯」
長い。
話が長い。
校長先生の朝礼か。
ノアの意識が遠のきかける。
「ドラゴン牛」という餌がなければ、立ったまま気絶していただろう。
(⋯⋯ふわぁ)
生理現象は止められない。ノアの口が無意識に大きく開かれそうになった。
あくびだ。王の御前で、あろうことか大あくびをかまそうとしている。
咄嗟に手を口元にやったがその動作はあまりにも緩慢で、やる気のなさが全身から滲み出ていた。
ザワッ⋯⋯。
空気が凍りつき貴族たちが眉をひそめる。
「おい、見たか今の」
「王のお言葉の最中だぞ」
「不敬ではないか? やはり平民の冒険者上がりは礼儀を知らぬ⋯⋯」
ヒソヒソという非難の声が、さざ波のように広がる。
まずい。
このままでは「不敬罪」で投獄され、ドラゴン牛どころか牢屋の臭い飯を食う羽目になる。
だが弁明する気力もない。
「酸欠なんです」と言って、誰が信じるというのか。
ノアが諦めて目を閉じかけた、その時だった。
コツン、と一歩。
隣にいたレモンイエローの少女が前に出た。
「陛下! 恐れながら申し上げます!」
よく通る、鈴を転がすような声。
エレナだ。
彼女は貴族たちの視線にも王の威圧にも怯むことなく胸を張って立っていた。
「私の相棒、ノアちゃんは言葉少なで誤解されやすい性格です! 今も連戦の疲労と慣れない正装の息苦しさに耐えながら、陛下の言葉を一言一句噛み締めております!」
(⋯⋯いや、半分寝てたが)
ノアの内心のツッコミなどお構いなしに、エレナは続ける。
「彼女は決して多くを語りません。ですが、誰よりも早く戦場へ駆けつけ、誰よりも優しく仲間を助け、そして誰よりも強く敵を討ち払います! その行動こそが、彼女の言葉なのです!」
エレナの瞳がシャンデリアの光を反射してキラキラと輝いている。
その言葉には一点の曇りもない。
本心からそう信じているのだ。
ノアという人間を「無口で不器用だが、高潔な魂を持つ英雄」だと信じて疑わない。
「私は彼女のパートナーとして、その背中を一番近くで見てきました! ノアちゃんは⋯⋯この国の誰よりも優しく、最高の冒険者です! 私が保証します!」
言い切った。
王の御前で一介の新米冒険者が英雄の人格を保証すると宣言したのだ。
静寂、貴族たちは呆気に取られている。
(⋯⋯おい、やめろ)
ノアは顔から火が出るかと思った。
公開処刑だ。
こんな大勢の前で過剰な持ち上げ方をされるのは不敬罪で処刑されるより恥ずかしい。
「誰よりも優しい」んじゃない、それは「誰よりも面倒くさがり」の間違いだ。
「行動が言葉」もまったく違う、それは「喋るのが面倒だから動いた方が早い」というだけの短絡思考だ。
しかしエレナの熱弁は予想外の化学反応を引き起こした。
貴族たちが、ハッとした顔になったのだ。
「なるほど⋯⋯寡黙なのは、武人としての矜持ゆえか」
「多くを語らず、背中で語る⋯⋯なんと奥ゆかしい」
「それを支える健気なパートナー⋯⋯美しい絆ではないか」
誤解が加速する。
ポジティブ・フィルターが感染したかのように、会場全体がノアを美化し始めた。
「――グハハハハハッ!!」
沈黙を破ったのは豪快な笑い声だった。
グランゼウス王が腹を抱えて笑っていた。
「面白い! 実に面白いぞ!」
王は玉座から身を乗り出し、興味深そうに二人を見下ろした。
「余の前で、これほど堂々と友を誇れる者がいようとはな。⋯⋯うむ、気に入った」
王の視線がノアとエレナを行き来する。
「強大な力を持つが故に孤独になりがちな英雄と、その心を支え、代弁者となる太陽のような相棒。⋯⋯まさしく、絵に描いたような名コンビではないか」
(⋯⋯コンビ? いや、私はソロ活動希望なんだが)
ノアの拒絶電波は届かない。
王は満足げに頷き、高らかに宣言した。
「よかろう! ノア・アクライト、そしてエレナ・ミルトンよ。其の方らを王国公認の『双璧のパートナー』として称える! 今後もその絆で、国を守護するがよい!」
ワァァァァァァッ⋯⋯!
貴族たちから万雷の拍手が巻き起こる。
公認――その二文字が重たい鎖となってノアの首に巻き付いた。
これで逃げられない。
「たまたま一緒に行動しただけです」という言い訳はもう通用しない。
国が認めてしまったのだ。この騒がしい少女がノアの「セット装備」であることを。
「よかったねノアちゃん! 陛下に認めてもらえたよ!」
エレナが満面の笑みで振り返る。
ノアは拍手の嵐の中で遠い目をした。
「⋯⋯はぁ」
今日一番の深い溜め息、その直後。
「さあ、硬い話はこれまでだ! 宴を始めようぞ!」
王の合図と共に会場の扉が開かれた。
そこから漂ってくる芳醇な香り、トリュフの香ばしさ、肉が焼ける匂い。
――ドラゴン牛。
ノアの瞳に光が戻った。
そうだ、今の私には社会的地位や世間体などどうでもいい。
目の前の肉、それだけが真実だ。
ノアはドレスの裾を蹴り上げるような勢いで、ビュッフェ台へと向かった。
待っていろ、A5ランク。
私の失ったカロリーと傷ついたプライドの全てをお前の脂身で埋めてやる。
しかし、皿に山盛りの肉を載せ、いざ口に運ぼうとした瞬間、ノアは致命的な事実に気づくことになる。
(⋯⋯く、苦しい)
コルセットだ。限界まで締め上げられた腹部は胃の膨張を一切許容しなかった。
一口、たった一口食べようとしただけで胃袋が悲鳴を上げたのだ。
間違いなく美味しい。涙が出るほど美味しいはずなのに入らない。物理的に入らない。無理矢理押し込もうとすると吐きそうだ。
「あれ? ノアちゃんもうお腹いっぱい? 珍しいね、少食だなんて」
隣でエレナがパクパクと幸せそうにケーキを頬張っている。
彼女のドレスは、お腹周りにゆとりのあるデザインだった。
(⋯⋯計算通りか、エレナァァァッ!!)
ノアは皿の上の肉を睨みつけながら心の中で絶叫した。
英雄の称号も公認パートナーの栄誉もいらない。
ただ、このコルセットを緩める権利だけが欲しかった。
華やかな舞踏会の片隅で最強の少女は、空腹と満腹感の狭間で静かに涙を飲んだのであった。




