実験
「森川くん!」
結城さんが手を振って近づいてくる。
先日の悪夢のせいで一瞬だけ身構えたが、ちゃんと目がついているのを確認して胸を撫で下ろすと、彼女はなぜか顔を赤くしていた。
「も、森川くん?」
「ああ、ごめんね」
俺は距離をとって、わざとじゃないことを示す。
「ごほんっ! えっとね、今日集まってもらったのは実験のためなんだけど、それは前回で証明できたから——今日はまた別の実験!
言わなきゃベレトに怒られちゃうからさ」
「当たり前だ。訓練していたら急にお前の気配を感じて吐き気が止まらなかった」
「まあまあいいじゃん、君の仕事も減ったんだし!」
「はぁ…せめて本人たちに説明してからにしたらどうだ?」
「なんで? 僕そんなこと一度もしたことないよ?」
「はぁ?! おいお前、それは本当なのか?」
「え? 俺ですか?」
「お前以外に誰がいる」
「本当です。だって聞いたところでどうにもならないし」
「…今回は陽菜もいるんだ、説明してもらう」
「ベレトさん、寡黙キャラだと思ってたのに…」
結城さんのぼそっとした呟きも、ベレトは聞き逃していない。
「相手がアスモデウスだからだ」
「じゃあ、面倒だけど説明するね。前回の実験で“君のスキルを反転できる”ってわかったから、その効果範囲を探るよ。わかった?」
「…え? 全然わかりません。前回の実験って何?」
「そこからぁ? 君たちにこれ付けてもらったでしょ! それだよ」
アスモデウスは俺の首を指で軽く叩く。
同じものが結城さんの手首にも付いていた。
(…なんで俺のは首なんだ)
「それじゃあ意味わからないんだけど。ちゃんと説明して?」
「ほんとにわかんないの?」
「ええ」
胸を張る結城さんに、アスモデウスは心底呆れた顔をしていた。
(あんな顔もできるんだ)
感心していると、アスモデウスがこちらを振り向く。
「君はわかるよな?!」
「まあ推測にはなるが」
「ならいい。お前のスキルは“他人の痛みや傷を自分に移す”ものだろう?
それを反転する。つまり——“自分の痛みや傷を他人に押し付ける”ってことだ。
今回の場合、お前の傷をあいつに送ったわけだ」
「……え?」
結城さんは固まった。
自分でかなり痛めたのだろう。俺は寝てたから気づかなかったが。
「ご、ごめんね!」
「いや、俺寝てたし」
「それでも本当にごめん!」
深々と頭を下げる姿が、悪夢と重なった。
「結城さん、顔上げて」
「…うん。ごめんね」
その後はずっとしょんぼりしていた。
そして皮肉にもその日、俺たちは初めて外に出た。
空はどんより、空気は重く、家の造りも道も日本とはまるで違う。
「ねえアスモデウス。他のみんなはどうしてるか知ってる?」
「僕が把握してるわけないだろ?」
「一人も?」
「興味ないもん」
「……まあ、そんな気はした」
歩く俺の手首から、突然血が滝のように溢れた。
「まだ行けるみたいだね。そのまま進もう」
てくてく歩くたびに、また新しい痛みが与えられる。
「もっと大胆に行っちゃうか」
アスモデウスが指を鳴らすと、景色が一変した。
そして俺の首から大量の鮮血が流れ出る。
「よし、データは十分。戻ろう」
再び指が鳴り、結城さんと最初にいた場所に戻った。
少しして結城さんとベレトも戻ってくる。
「治りが遅いな…」
俺の首を見たベレトが顔を寄せてきたので、思わず身を引く。
「ベレト、これは僕のだ」
「お前が人間に執着するとは珍しいな」
「たまにはあるの」
そう言うと、アスモデウスは首輪を外し、俺の傷をぺろりと舐めた。
気持ち悪いと思いきや、妙にじんわり気持ちいい。
「わっ、治った…」
「…え?」
その瞬間、アスモデウスが吐血した。
「君、変なの混じってるよ。しかも結構前のやつ。ほらベレトも」
アスモデウスは俺の手首を切って見せる。
(俺は食いもんじゃない)
ベレトも血を舐めるが、即吐血した。
「なんだこれ…うわっ、めっちゃ埋まってる…おぇっ」
アスモデウスはベレトの服に盛大に吐いた。
「……アスモデウス!!!!」
直後、ベレトの拳が飛び、アスモデウスはタコ殴りにされる。
「変なの」
笑う結城さんの顔は、どこか吹っ切れていた。
「ねえ、今度は戻さないようにするから、もう一回血ちょうだい」
「好きなだけ飲めばいいだろ」
俺の首に噛みつき血を吸う。
「んー…なんで君にあいつらの痕跡が……しかも高位……ひっ、こっち来るっ!」
その悲鳴と同時にサイレンが鳴り響いた。
「アスモデウス、お前何をした?」
「僕は視ただけ! それに気づくなんてどんな執着心…あ、やばい逃げるよ!」
俺と結城さんは抱えられ、地下へと放り込まれた。
「いつもの部屋にいて!」
「わかった」
アスモデウスは焦りまくった顔のまま、どこかへ走り去った。




