ある時間犯罪の顛末
テンサイ博士は天才だった。子供のころから様々な発明をして一世紀近く。実年齢は百歳近いのに、身体年齢は四十代半ばというのも、自分の発明品の成果だった。もともと天才のうえ、老化をきわめて遅くし、衰えることのない頭脳で長い歳月を研究に励み続けているので、その成果は大きい。
同業の科学者たちは彼を「マッドサイエンティスト」と呼んでいるが、彼は気にしたことがない。山奥の住居兼研究所に籠って研究に励んでいれば満足だった。
助手として造った二体のアンドロイド「アンディ一号」と「アンディ二号」が家事もこなしてくれるので、日常生活にも支障はなかった。そもそも、万能調理器や万能食洗器、万能洗濯機などが完備しているので、家事そのものがあまり必要なかった。
ずっとアンドロイドたちだけと暮らしてきたテンサイ博士だが、あるとき、医学研究のための実験体となる人間が欲しいと思い立った。
もちろん、それまでにも、医学関連のさまざまな発明や研究を行っていたのだが、人体実験できる人間は自分だけ。最大の成果である老化を遅らせる薬も、三十六歳の時に発明し、動物実験の後、三十八歳の時に自分自身で実験した。その結果、老化の速度は八分の一ほどになったが、それが誰にでも適用できるかどうかはわからない。
自分を実験台にできない研究はなおさらだ。たとえば、頭脳の働きをよくする薬を発明して自分で実験してみたが、もともと天才なので、薬がどれほど効いたのかが判然としない。
実験体となる人間が欲しい。できれば子供のほうがよい。かといって、子供を攫ってきて人体実験などすれば犯罪だし、やりたくもない。
そこでテンサイ博士が思いついたのは、過去の世界から、死ぬ運命にある子供を連れてくるというアイデアだった。テンサイ博士は八十代のときにタイムマシンを発明していたので、それは不可能ではなかったのだ。
とはいえ、実験に適した子供を探すのは少し難しい。ペストのような流行病が発生したときには多くの死者が出ているが、病気が流行する前に親のいる子供を連れてくれば、事件になるだろうし、子供も親元に帰りたがるだろう。テンサイ博士はマッドサイエンティストではあったが、残酷でも非情でもなかったので、嫌がる子供をむりやり攫ってきて実験体にする気はなかった。
そこで、テンサイ博士は、貧しく過酷な暮らしの果てに、為政者などによって命を断たれることになる子供を選んで連れてくることにした。そのような子供であれば元の世界に未練はなかろうし、裁判の記録などから探しやすいと考えたのだ。
それに、テンサイ博士は、タイムマシンを発明して実験したとき、未来のタイムパトロールに目をつけられて、歴史を改変するかもしれない者として、危うく捕まりそうになったことがある。逮捕されずにすんだのは、過去の人間である博士を捕らえて未来に連れ去ることにより、歴史が変わるかもしれない恐れがあったのと、博士の関心がもっぱら発明そのものにあって、歴史の改変には興味がなさそうだと判定されたからである。
死ぬ運命にある子供なら、連れてきても歴史が変わることはないだろうから、タイムパトロールに妨害されることもないだろう。
博士の命令により、二体のアンドロイドは、一年ほどの間に五人の子供を連れてきた。
通りで商人の銭入れを掏り、役人に追われて逃げていた少年ジャン。逃げきれずに捕まって、処刑される運命にあった。
酒代目当ての父親によって売られるように奉公に出て、酔った旦那に手籠めにされかけ、突き飛ばして逃げたものの、役人たちに追いつかれそうになって川に身を投げた少女マリー。そのままだと溺死する運命にあった。
屋台で売っていたパンを盗んで捕らえられ、刑罰として両手首を切り落とされて放り出された少年ポール。そのままだと出血多量で死んでしまうところだった。
同じように、ひもじさから盗んだソーセージを分け合って食べていた兄妹アンリとエレンも、両手首を切り落とされて放り出されたところをアンディ一号に助けられた。
アンドロイドたちもテンサイ博士も子供たちと同じ言語を話せたので、子供たちはあるていど状況を理解し、受け入れた。未来の世界だの人体実験だのは理解できなかったが、ひもじくてみじめな生活や死ぬ運命よりも、ここでの生活のほうがずっとよいと思ったのだ。
博士の研究室には、客室として使える部屋がいくつかあったので、そこをアンドロイドたちに掃除させて、子供たちの部屋にあてた。ジャンとポール、アンリとエレンは同室だったが、子供たちにとって、初めて経験する快適な住環境だった。
火をともさないのに明るい照明とか、用を足せば水が流れるトイレとか、自動でお湯が出て毎日入れるお風呂とか、子供たちの時代には王侯貴族も知らないような設備がいろいろあるのも、初めは驚いたが、すぐにその快適さに慣れた。
食事の時間には、パンやチーズやソーセージといったなじみのある食べ物のほか、こちらの世界の料理だという、見たことのない食べ物が供されることもあったが、どうせ自分たちの世界の食べ物だって、上流階級の食事など見たことがないのだから、気にならなかった。今まで自分たちが食べていた食事に比べて、味もよければ量もたっぷりあったので、未知の料理も大歓迎だった。
それに、子供たちは、退屈することもなかった。博士はアンドロイドたちに命じて、自分の国の言葉も読み書きできなかった子供たちに、この国の言葉を教え、居間にはテレビや書物も置いた。研究所には広い庭や菜園もあり、敷地の外に出なければ、庭で遊ぶのは自由だった。
実験と言って、腕に注射されたり、得体の知れない薬を飲まされたり、頭や体と機械のようなものをつなげて何か調べたりするのは少し怖かったが、何度か経験すると、どうやら危険はないようだとわかった。博士はマッドサイエンティストだったが、ほんとうに危険な人体実験をするつもりはなく、安全だと確信してから実験していたので、それが子供たちにもわかったのだ。
博士のもとには、さまざまな企業や国から依頼が来ていたが、危険な細菌兵器の類になりそうな研究はすべて断っている。危険な病気を治す薬や解毒剤などの研究も、被験者に前もって病原菌や毒物を投与しなければならないような実験は、けっしておこなわず、臨床実験前の段階で提出した。効果と安全性には自信があっても、臨床実験は、実際にその病気や毒物にさらされ、死を待つよりも新薬の効果に期待したいと希望した患者で行うべきだと考えたのだ。
ただ、先に自分で試したことのある頭脳の働きをよくする薬だの、免疫を強くして病気になりにくくなる薬だのは、子供たちで試した。ポールが蜂に刺されたときには速攻でよく効く薬をつくって与えた。両手を切断されたポールとアンリとエレンには、本物の手のように動かせる義手をつくってやった。
そんなテンサイ博士は、子供たちには名医と映った。一度だけ、マリーが実験のあと熱を出して寝込んだことがあったが、博士が寝る間も惜しんで研究し、薬物アレルギーと診断して、適した薬をつくって投与して治ったので、その一件で子供たちが博士に不信感を持つこともなかった。
じつのところ、テンサイ博士は、子供たちとの生活が気に入っていた。子供たちは、いつのまにか、被験者というより、楽しい同居人か孫たちのような存在になっていた。子供たちも、衣食住に不自由しない夢のような生活も教育も愛情も与えてくれた博士が大好きだった。
そんな生活が続いたある日、博士の研究所はついに、未来のタイムパトロールに目をつけられた。
「過去の人間を未来に連れてくるのは違法だ」
銃を突きつけてそう言うパトロールに、博士が反論した。
「確かに、ふつうに暮らしている人間を未来に連れてくれば、生まれてくるはずの子孫が生まれてこないとか、周囲に与えた影響や業績などが消え去るなど、歴史が狂うかもしれない。だが。死ぬ運命にある者を死の直前に連れ帰ったからといって、歴史は変わらない。タイムパラドックスなど、起こる余地はない」
「そんな言い訳で、違法行為を許すわけにはいかない」
「だが、おまえがこの子たちを元の世界に戻せば、この子たちは死んでしまうのだぞ。酷いとは思わないのか?」
「かわいそうだが、この子たちはもともとそういう運命だったのだ。かわいそうだからといって、歴史の改変をしてよいものではない」
タイムパトロールがそう言ったとき、マリーが突然、背後から彼に体当たりをした。彼女の手には、リンゴの皮を剥くためにテーブル上に置かれていたナイフが握られており、それが、タイムパトロールの背に突き立った。
刺されたタイムパトロールも、博士も、他の子供たちも驚くなか、マリーが震え声で宣言した。
「これは正当防衛よ! 自分の命を守るためだから、罪にはならないわ!」
驚いていた子供たちが口々に同調した。
「そうだよ! マリーは悪くない!」
「前の世界では、飢え死にしないために食べ物を盗んでも、手を切り落とされた。博士とアンディたちがいなければ死ぬところだった」
「親や通りすがりのおとなに殺されかけて、反撃して、罪に問われて死刑にされた子だって、何人もいるんだ」
「でも、この世界はそうじゃない。自分が殺されそうになって、自分の命を守るために相手を殺しても、罪には問われない。正当防衛という制度があるんだ」
「そうよ!」と、マリーが言う。
「前の世界では、奉公先の主人にひどいことをされそうになって、反撃したら、罪人として追われた。主人だとか、親だとか、身分の高い方だとかに殺されそうになっても、殺されるよりひどいことをされそうになっても、手向かうことは許されなかった。でも、この世界では違う。貧乏でも、身分が低くても、立場が弱くても、生きる権利があるんだ。自分の命を守る権利があるんだ」
その間に、博士は、別の部屋で用事をしていたアンドロイドたちを無線で呼び、子供たちに言った。
「おまえたちを元の世界に連れ戻させるようなことはさせないよ。だから、ここはわたしに任せておくれ」
博士はタイムパトロールに向き直った。
「さて、取り引きをしよう。その傷は、放置すれば死んでしまうが、このアンドロイドたちにすぐ手当てをさせれば回復する。子供たちを元の世界に帰さないと約束するなら、手当てをさせるよ」
タイムパトロールは目を剥いた。
「脅迫するのか?」
「取り引きだよ。正当防衛だというマリーの主張は、もっともだと思う。が、それでも、実際に殺してしまっては、マリーも寝覚めが悪いだろう。だから取り引きだ。死にたいのかね?」
タイムパトロールはうなり声を上げると、しぶしぶといった口調で答えた。
「わかった。これ以上、過去の人間を連れてこないと約束するなら、取り引きに応じよう」
「よろしい。アンディたち、手当てしてあげなさい」
「だめだよ」と、子供たちが反対した。
「こいつ、信用できない」
「大丈夫だよ」と博士が答える。
「彼も、きみたちを連れて帰るのが歴史を守ることになるのかどうか、迷いがある」
博士がタイムパトロールのほうを振り向いた。
「この子たちはこの世界ですでに生きており、成長すれば大きな業績を残すだろう。それを連れて帰って死なせては、そのほうが歴史を狂わせることになるかもしれない。そういう迷いはあるだろう?」
タイムパトロールはしぶしぶ頷いた。そういうタイムパラドックスは、タイムパトロールだって判断が難しいのだ。
子供たちは、半信半疑ながらも反対せず、アンドロイドたちはタイムパトロールをベッドに運んで治療した。
数日で、彼は全快して帰って行った。
「過去から子供を連れてくるのは、もうやめるんだ。続ければ、わたしが不問にしても、いずれ同僚のだれかが気づいてやってくるだろう」
そう言い残して彼が帰っていくと、アンドロイドたちが博士に訊ねた。
「ほんとうに、あの人を信用してもよかったのでしょうか」
「信用するしかないな。もしも彼を帰さなかったら、別のタイムパトロールがやってくる。そうなったら対応しきれない。それにね。いくら正当防衛とはいっても、人を殺したら、マリーは生涯トラウマを引きずるだろう。人の心はそう簡単に理屈で割りきれるものではないからね」
それからまもなく、テンサイ博士は、子供たちが学校にいけるように手配をし、そのまま外の世界で暮らすか、研究所で暮らすかを選べるようにした。子供たちは、博士のつくった頭脳の働きをよくする薬のおかげで、それぞれ自分の才能を伸ばすことができたので、成長すれば、外の世界で企業に勤めて出世する道も、どこかの大学で学者となる道も、起業する道も、博士の助手を経て後継者となる道も選ぶことができた。
かくて、テンサイ博士とアンドロイドたちと五人の子供たちは幸せに暮らしたのだった。
読んでくださってありがとうございました。
じつは、この話、書き始めたときには、時間犯罪物の王道(?)、博士がタイムパラドックスで消えてしまうという展開だったのですが、途中で気が変わって、こういう話になりました。ストンとハッピーエンドでまとまっちゃいましたが、まあ。たまにはこういう話もいいかな~と。