第8話 一段落
「いきなり陛下は来るし、お前はお前でセンサルティオの坊ちゃんを連れて来るし、珍しいことは重なるもんだ」
「センサルティオ先輩は偶然というか成り行きで……あんなに機械が好きとは知りませんでしたけど」
ようやく緊張した時間から解放された。
やれやれ、とどちらからともなく息をついた二人は、ようやく弛緩した空気の中で一拍の間を置く。
「坊ちゃんは機械だから好きなんじゃねえさ。それが鯨油使ってるかどうかとかじゃなくて、新しいから好きなんだ」
「へぇ……じゃあ、使ってて腰を痛めにくい形の鍬ができたら農村にまで見に行きます?」
「そこにしかないなら行くだろうな」
筋金入りだな、とカナタは半笑いを浮かべながらも素直に感心した。
己の知る限りに贅を尽くした金持ちはやがて消費自体に飽きてしまい、未知の目新しさを求めて外国の物を漁りだすというが、彼の場合はそういった道楽の末に至ったものとは訳が違うらしい。
ガジェット好きとは厳密にはニュアンスが異なるかもしれないが、カナタはそういう解釈をすることにした。
「そういえば、先輩のこと『坊ちゃん』って呼んでますけど、そんなによく来るんですか?」
「ウチだけじゃねぇよ。商会、商店、交易所、物が作られたり流れたりする場所には引っ切り無しに顔を出してる。気づけば『センサルティオ様』から『ラザー様』、そんでもって『坊ちゃん』だ」
どうやら、どこでもあんな調子のようだ。
ロスリックの呆れたような言葉の端々に見え隠れする敬服の念からするに、少なくとも彼は〝暇なお貴族様が仕事の邪魔しに来る〟と思っていないのが見て取れた。
「昔は用も無いのに登城して第一工房を覗こうとしてたくらいだからなぁ」
「えぇ……?」
「流石にしっかり絞られたのか、その一回きりだけどな。それでも皇太子の誕生日会とかで城に入れる理由ができた時は、中の給仕とか警備に工房のこと聞きまくってるらしい」
あれはもう一生治らんよ、と豪快に笑うロスリックが机上の箱を手にした。
「ただ、坊ちゃんにもこれの中身はまだ秘密にせにゃならん」
魔導図書館の杖――中核を成す機関部。杖の心臓、改革の礎。
新技術というのは生み出されれば誰もが独占したがる。技術が有益であればあるほど生産者に富がもたらされるのだから、あらゆる手段で必死に隠す。
その為に専売・特許といった制度が編み出されたり、あるいは情報が漏洩しないよう厳重に関連人物を護衛したりするのだ。
この世界にも関連制度は既に存在しているが、制度だけで商売敵や他国から情報を完璧に守り通すのは難しい。少ない情報から模倣や試行錯誤が始まり、やがては似たものが現れて世界に伝播し、一般社会に普遍的なものとして浸透してゆく。
「そうですね。……はぁ、ますます持ってるのヤだなぁ」
「なんだ、工房の試作が出来た時は感動してたじゃないか」
「それはそうなんですけど……」
一番最初、工房が関わる以前の初期も初期に出来上がった杖が実際に期待通りの動作をした時は、それはもう飛び上がって喜んだものだ。
共同制作者と抱き合って互いの苦労をねぎらい、一週間は興奮で寝付けずに杖を振り回し続けていた――それが巡り巡ってこんな重大なアイテムになるなど想像もしていなかっただけのことで。
「職長ぉ! もう鍛冶場は動かしてよろしいんで?!」
威勢の良い声と共にカナタの背後にある工房の作業場に直通する扉が開かれる。
とっくに王も貴族も帰っているのに、いつまで経っても工房職長の号令が無いので痺れを切らしてやって来たようだ。
「おっとすまん! もう大丈夫だ。稼働前の点呼と安全点検、忘れるなよ!」
「へい!」
賓客が居る時には工房の稼働を停止していないと音が会話を遮ってしまう。
やはり時代もあって完全防音というのは難しいようで、工房で最も鍛冶場から離れた部屋でも鉄を叩く音が聞こえてくることがあるのだ。
早くも点検に伴う金属のかち合う音と蒸気の噴出する音が聞こえてきていた。
「本題を忘れるところだったな。砲口と重量の問題……後は?」
「杖自体の問題じゃないんですけど、カバーをワンタッチで取り外せるようにできませんか? こう、パンッってなるように」
現在の杖先を覆うカバーは特殊な軽量合金が使われており、二か所をスナップ錠で留めている。これを、せめて一か所で取り外せるようにできないかという要望だった。
咄嗟に使いたいときにいちいちバチンバチンと外して使ってられないという点で、取り外し重視での提案を行う。
「ん……留め具は一か所にしてバネでケースが弾けるようにするか」
「何回も言ってますけど先端の刃も外してもらえると助かります」
そもそも杖を覆う目的の半分が先端にある鷹爪のような三対の刃を保護するためである。
いざという時は長物として振り回せるようにという魂胆で試作品に取り付けられたものだが、カナタからすればあまりにも攻撃的すぎるというか危なっかしい存在だった。
「溶接してっから無理だっての。文句なら口を出した騎士団長に言ってくれよ」
けんもほろろに匙を投げられる。
魔導図書館の杖は製作の段階で三本という生産数と使用する人間が決められていたが、一つは王国騎士団の団長管轄の者が握っている。
回ってくる前段階で杖の話に関わっていた騎士団長にも口を挟む権利ができていたので、彼の要望通りに刃が付け加えられたという事情があった。
まぁ、もう一つの杖の所在である魔導団の団長とは揉めた末の決定だが……。
「試作品だから仕方ないか……じゃあ、それくらいです」
「あいよ。カートリッジの予備は予定通り今日運ばせてるからな」
「ああ、ありがとうございます」
遠回りにはなったがここに来た目的をようやく終えられそうだ。
窓から入る光はとうの昔に暗夜の月明りへと幕を開け、これから訪れる一日の区切りに向けていっそう足を速めていた。
「今日は試作品の稼働から一ヶ月ってことでの報告義務があったが、こっからは問題が起きた時だけ来てくれればいい」
「いいんですね!? 助かります!」
杖の為に入学の二ヵ月も前から王都に前乗りしていたカナタは、一ヶ月を最終調整、更に一ヶ月を杖の稼働試験に費やしていた。
二週間前までは、毎日杖を振っては工房に変わり映えしない報告を上げに行って、入学前の残二週でようやくその義務から解放されたばかりだ。
今日で最後の最後。後は特別大きな変化があった時に出頭要請が来るか、杖の保守点検を頼む時に訪れるくらいになる。
「二ヵ月……全部含めたら都合一年くらいか? お疲れだったな」
「ありがとうございます。でも、一番大変だったのはク……ミュルミクスさんですよ」
危うく開発当事者の名前を口にしそうになり、慌てて訂正を入れてハッとする。
他国への情報漏洩を防ぐ為に言及する際には偽名を使うよう徹底指導されていたのだが、王様はラザーにあっさりと自分が原案者だとバラしていたのを思い出したのである。
「その偽名はそろそろ使わなくて済みそうだぞ。公表の用意も無いのにお前に学校で杖を使わせないだろ?」
言われてみればその通りだった。
直前も直前だろうが、学校に杖とわたしの事を伝えているのであれば魔導図書館の杖の存在も公にする準備が整ったという事である。
「ってことはついに……」
「〝アルセーヌ〟とはお別れだな」
「う゛」
自分に宛てられていた偽名を言われて羞恥心にも似たむずがゆい感情が湧き出てきた。
紅潮した頬を結んだ唇で誤魔化すようにしてカナタは席を立つ。
「それ! 絶対誰にも言わないで下さいよ!」
「だっはははは! 言わない言わない!」
当てつけで〝アルセーヌ〟という偽名を設定したのは王様だが、残念ながらこれについては自業自得なので自分を責めるしかない。
笑い声を背中に受けながら工房を出たカナタは、腹の中にこそばゆいものを感じながら小走りで寮へ向かう。
(もう六時回ってるかぁ)
懐中時計を見てため息をつく。
ここからでは走っても十分以上かかる。どれだけ急いでも食卓には間に合わない。
こういう場合、魔術を使える者は風の道を作るか、足に風を纏わせてのスピードアップが可能だ。
魔術を使用可能にする魔導図書館の杖でも同様の選択ができるが、どちらにせよ時間は絶望的なので歩いて行った方が運動になる。
「お嬢さん、お帰りであればいかがですか?」
軽く体をほぐしてから動こうと考えていたカナタの首筋を生暖かい風が撫でた。
くすぐったさと気味の悪さに思わず身を竦めて振り返ると、極至近距離でクリクリとした愛らしいつぶらな瞳が自分を見つめている。
「あっ、工房に来る時の……」
「おや、憶えていて下さいましたか」
首筋を掠めたのは馬車を牽く馬の鼻息であった。
声を掛けて来た人物が工房に来る時に利用した辻馬車の御者である事に気が付いたカナタは、偶然に驚きながらも車体の後部に引かれた小型の荷台に視線を流す。
荷台に積載されているのは見覚えのある工房の印が入った箱。
王都に越してきて入寮した直後にも、同じ物が工房から送られてきていた。間違いなくカートリッジの予備が入っている箱である。
「その箱、行き先はレヴァレンシア学生寮ですか?」
「ええ。宛先はカナタ・オルレック様で先ほど承りました」
「わたしです」
「存じております。なので、お乗りになられないかとお待ちしておりました」
辻馬車は御者によっては人だけではなく、こういった軽荷を請け負う事もある。
工房に依頼されてから、荷物の宛先が中に居ると聞いて待っていたのだろう。ついでに受取人の帰路にも乗せてやれば運賃も手に入る。
このご老体、手堅く手広くやっているな。
「せっかくだからお願いします」
運動がてらに走ろうとしていたので出鼻を挫かれてしまった感はあるものの、待ってくれていたというのなら報いるのが心意気というものだ。
何よりこの辻馬車は質が良い。車体は綺麗に磨き抜かれていて、座席も板張りや布張りでなく綿詰め。バネを利用した最先端の技術であるサスペンションが採用されているので、他に比べれば乗り心地は抜群だ。
馬車を牽く馬の毛並みも色艶が出ていた。先ほど不意に至近距離で見せつけられたが、毛並みもきっちり整列していたのは丁寧な世話がされている証拠だろう。
「承知いたしました。……どうぞ」
そしてこの御者の所作。
どこかで執事務めでもしていたのだろうかと思うほど洗練されていた。
「ありがとうございます」
引き出されたタラップに足を掛けて乗車したカナタは、万が一にも車体から飛ばされないように座席横に取り付けてある棒を握りしめる。杖も足の間に挟んで飛ばされないようにしておく。
「ふふふ、ご安心ください。安全運転が信条でございますので」
人の良い笑みを浮かべた御者はカナタの防御姿勢を見てそう告げると、颯爽と馬に跨って走り出した。
滑らかな滑り出しから徐々に速度が上がり、街中に等間隔で設置されている鯨油のランプによる街灯が勢いよく視界を横切ってゆく。
暗くなって人が少ないとはいえ速度の出し過ぎじゃないのか? という懸念を抱きながらも、カナタは一日の気疲れから黙って車体に体を沈めていた。