第6話 交流
大地に広がる橙色は建物の影と化している大通り。
街の景観を縁取る日常の一部として、灰色の石畳を行き交う人々に紛れたカナタは帰路を急いでいた。
(ご飯に間に合うかなぁ)
なるべく早足で寮へと向かうカナタは、寄り道する時間も計算に入れて馬車を使おうかと思案する。
王都ではタクシーとして馬車の需要が高い。貴族が自前で調達している物に比べれば相当に簡素ではあるが、屋根もついているし乗り心地も意外と悪くない。ただし、箱型ではない上に二輪なので油断していると曲がり角で車上から吹っ飛ぶが。
流石に現代の都心ほどに辻馬車が数多く徘徊してはいないが、分かっている者は商人や貴族が多く居る場所をよく巡回している。
特に商人はビジネスで急を要する出来事も起きやすい。王都は縦にも横にも大きいので、いざ目的地に向かおうとすると徒歩では時間もかかる。
金のある商人は自前の御用馬車を所持しているが、規模の小さい商人は馬の維持費や御者の給料を考えれば節約として持たない選択をする者が殆どだ。
(お、ちょうどいい所に!)
こちらへ向かってくる空の辻馬車を見つけてカナタが手を上げたのと、目の前の建物から出てきた別の人物が馬車を呼び止めたのは同時だった。
「あ」
「ん?」
レヴァレンシア学院の生徒である事を示すローブを身に纏っていたその人物は、背後で上がった声に振り向くと少々驚いた表情を浮かべた。
「君は確か、カナタ・オルレックだったか。短い間に二回も会うとはね」
「ど、どうも……」
カナタとしては気まずい人物――中庭で歯向かった上級生、ラザー・センサルティオ、その人であった。
ラザーほどの貴族が専属の使用人も付けずに辻馬車を利用しようとしていた事に意外性を感じながらも、カナタは一歩下がって軽く頭を下げる。
「失礼します」
「待て」
できれば早急にこの場を立ち去りたかったカナタの意思に反するように、ラザーは彼女を呼び止めた。
もしや中庭の件で何か釘を刺されるのだろうか。あの場では周囲の目もあったので穏便に済んだが、場合によっては学院から排斥されても仕方のない愚行であった事は既に明白。木っ端貴族が調子づかないようにお灸をすえられるかもしれない。
「……もう少し感情を隠せるよう努めた方がいいぞ、オルレック」
とにかくここから逃げたい! というカナタの気持ちは、表情や仕草を通じてラザーに丸々伝わっていた。
単に彼が人の心理的な部分を読まざるを得ない家柄というのもあったが、それ以上にカナタの態度は素人が見てもわかるくらい露骨だっただけだ。露骨が過ぎて、凄まじく呆れた顔をされている。
「へへ、嫌ですよ先輩。まるでわたしが先輩から離れたくてたまらないみたいじゃあないですか」
「仮にも貴族が観劇に出てくる悪徳商人みたいな真似をするな。みっともない」
普通に叱られてしまった。中庭の件よりよっぽど悪印象を与えたかもしれない。
揉み手はやっぱり駄目だな、としょうもない結論を出したカナタは観念して自分を呼び止めた理由を問うた。
「えっと……何か御用でしょうか?」
「君も馬車を呼び止めていただろ。寮か?」
「最終的には寮ですけど、途中で寄り道します」
「そうか、オレも方向は同じだ。乗るといい」
上位の貴族と横並びで同席するなど本来はよっぽどの事がなければ起こりえない。そういう意味でも畏れ多く、とてもじゃないがご遠慮願いたかった。
とはいえ、気を遣わせたにも関わらず断ってしまえばそれこそ不敬だと看做されかねないだろう。
カナタは覚悟を決めてローブを端を摘まんで一礼した。
「ご厚意、感謝いたします」
「ああ」
辻馬車は転回を終え、御者が車体のタラップを出して待機していた。
学院の生徒はだいたいが貴族だ。ローブを着ていれば、街中の平民はたいては相手が子どもでも相応の対応をしてくれる。
「足元にお気をつけて」
鳥打帽を被った初老の御者は、柔和な微笑みで二人を迎えた。
なかなか質の良い辻馬車だな、と車体の造りと乗降の快適さを上げる折り畳み式タラップに気を取られていたカナタは、突然視界外から伸びてきた手に意味が分からず凝視してしまう。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
先に乗ったラザーが手を差し伸べていた。
(やっぱり悪い人じゃなさそうなんだよね)
辻馬車に同乗させようという気遣いといい、乗車を手助けするマナーといい。
中庭でも感じた事だが、この人は普通どころか良い人だ。
カナタは尚の事彼を熱くさせる原因を作った会話が気になって仕方なかった。もしかして、レイベリーがラザーに対しても世界破壊論を唱えて反論された末のあれなのだろうか。
改めて謝罪したいというお題目を掲げて訊く事もできるが、過ぎた事で彼の機嫌を損ねるのもよくない。
「どこまで向かいましょう」
「王立第二工房まで。速度は任せる」
「承知いたしました」
ラザーの告げた行き先は、まさしくカナタが行く予定の寄り道先だった。
「センサルティオ先輩も工房に用事があるんですか?」
「何?」
彼にとっても予想外だったのだろう。
驚いた表情はすぐに訝しげな視線へ変わり、カナタの抱えていた杖に行き当たってまたもや面を食らったようになる。
「噂の杖、まさか持っているのは君だったのか……思い返してみれば、中庭で会った時も背負っていたな。なんの棒切れだと思ってはいたが……」
「これですか?」
どうやら当日中には学院全体に魔導図書館の杖の噂は広まってしまったらしい。革命的な品ではあるので当然ではある。
ただ、杖について訊かれてもカナタは『企業秘密』としか答えられない。
興味深そうにまじまじとカバーの付けられた杖を眺めながら、ラザーは矢継ぎ早に質問を繰り出した。
「魔術を行使できる杖らしいじゃないか」
「ええ、まぁ。まだ試作段階ですけど」
「仕組みは?」
「すみません、わたしは知りません」
「魔力の無い者や少ない者に使わせようという試みはわかるが、どうやって君が選ばれたんだ?」
「それは秘密です。勅令なので」
「陛下直々に……いや、当たり前か。想像はしても実体にできる技術とは思っていなかった」
国王の勅令であれば話せる内容も殆ど無いと察したラザーは、一旦質問を切って居住まいを正すと工房へ向かう理由を語りだす。
「工房に向かうのはその杖が目的だったんだよ」
「これがですか?」
「ああ、杖について色々と話を訊きたくてね。しかし無駄足だったな」
ラザーが先ほど出てきた建物は、センサルティオ家が懇意にしている商人の事務所兼自宅だった。
学院で杖の話を聞いた彼は、≪御三家≫にも届いていないとんでもない発明品がいかような物なのか実態を探るべく調査をしており、まずは東西南北あらゆる場所の新鮮な情報が飛び交っている商人に当たりをつけたのだ。
世の中、何が商機になるか分からない。
山に金が出たなら掘る道具や運ぶ道具が必要になるように。洪水に晒され家財金品の一切が無くなった時の為の備えが必要になるように。
有形無形を問わず、商人はあらゆる商売を探している。
『知らない事はまず商人に尋ねよ』。
このレヴァレンシア王国では使い古された言葉である。
「ヴィカレッジが……顔見知りの商人が鉱山から工房への輸送が頻繁にあったと言っていたが、掴めたのはそれくらいだった。本当は杖を持ってる当事者に訊こうと探していたんだぞ? なのに誰も肝心の名前を知らなかったものだから」
「使ってる本人はパッとしませんからね。無色ですし」
「オルレック、それは止めろ」
「え」
少々怒気を孕んだ声色にカナタは固まった。
冗談交じりで自嘲気味に笑う彼女の台詞に、ラザーは体を抉るような鋭い視線を突き刺す。
「魔力があるかどうかは関係無い。肝心なのは、本人が自分の資質をどう活かすかだ。立場や才能が人の自我を確立するんじゃない、行動がもたらす結果が貴様自身の規範になる」
至極真っ当な意見にカナタは恥じ入った。
魔力が無いから存在価値が無いのか? 貴族だから無条件で称えられるのか?
老人は力仕事ができないからお払い箱か? 子どもは何も知らないから役に立たないか?
それらはあまりに視野の狭い判断基準。
魔力が無くても政治はできる。貴族でも放蕩していれば浮浪者と変わらない。
老人には年月を重ねて培った知識がある。子どもは教えれば何でもこなすようになる。
見識の無さこそが人を貶めるのだ。
「すみませんでした」
「こちらも改めて謝罪しよう。中庭の件で君にはそう言わせるだけの理由を作らせてしまった」
頭を下げた。≪御三家≫が。
いや、違う。ここで彼に対して家を通して見るのは、それこそ先ほどの忠告を無碍にするものだ。ただの一個人として彼の行動を受け入れなければ嘘だろう。
とはいえ、あの件に関しては自分が勘違いした末のものだ。
「そんな、あれはわたしの勘違いで――」
「これで後腐れは無しということだ。素直に受け取れ」
「う……はい、わかりました」
ようやく頭を上げたラザーは、何でもないように正面を向き直ると少し腰を浮かせた。
「着くぞ」
二人が会話を交わす間に辻馬車は目的地へ到着しようとしていた。
王都ハースト通りに鎮座する王立第二工房。王城に据えられた第一工房とは違って大規模な生産設備を備えた大型の施設は、遠くからでも目立つ骨太な煙突を象徴として大きな存在感を放っている。
一般的な建築物と違ってところどころが金属製の異質なこの場所は、万が一施設内で火事が起きた際には被害が馬鹿にならないので、周辺は左右前後全てが一定の距離を空けた上で他の建物が建てられている。おまけに大火用に設立された王都に二つしかない消防団施設がほど近い距離に据えられた備えぶり。
まさしく工業力の塊と呼ぶに相応しい威容である。
「千フィデスでございます」
「快適だった」
フィデス――王国の貨幣通貨の単位で、日本円と同じく千フィデスだと紙幣一枚でぴったり出せる。そして、千という単位はまさに相場相応といった具合だった。
御者が受け取った運賃を馬の荷鞍に入れてタラップを下ろそうとした所で、工房の入口で警備をしている衛兵が近づいてきた。
「待て。何者か」
よくよく見てみれば普段は一人二人しか居ない警備が、今日はどうした事か数十人も入口にたむろしている。
どこかピリピリとした空気感を漂わせている衛兵は、先立って降りようとしていたラザーの後方に居たカナタに(正確には持っていた杖に)視線を向けると、やや雰囲気を和らげた。
「カナタ・オルレックか?」
「は、はい。杖のご報告に」
「失礼した。そちらは?」
「ラザー・センサルティオだ。工房職長に挨拶に来た」
挨拶? とカナタは内心で首を傾げたが、そういう言い回しもあるかと些末な疑問を思考から弾き出す。
付き添いとして迎えられれば杖の話を聞けるかもしれないという魂胆なのだろう。
「しばし待て」
そう言い渡して衛兵は工房の中へ引っ込んでいった。
またもや手を貸して丁寧に降車させてくれたラザーに、先ほどしれっと運賃を肩代わりした事も兼ねて礼を述べる。
「ありがとうございます」
「……なんだ、これは」
「後腐れ無しということでしたので」
それはそれとして、半分の五百フィデスは返しておく。
「ふん、驕り甲斐の無い奴め」
と言いながらも、別段気を損ねた様子も無くフィデスを受け取って懐へ仕舞う。
やけに多くの衛兵が詰めているなと感じたのはラザーも同じであるらしく、手持ち無沙汰になりながらも彼らの様子を観察していた。
「もしかして君か?」
「えっ?」
「杖の事で来る予定があったのなら警備を増やすのもわかる話だ。重要機密にあたるだろうからな。それでいけば、なぜ君のような者に持たせておきながら警護の一人も付けないのか理解できないが」
「ああ、それは――」
「お待たせした。お二方、中へ」
衛兵に話が遮られた。
貴族の会話中に躊躇無く割ってくるのは中々に豪胆な兵士と言える。貴族の私兵ではなく王国の兵士なのだから状況を配慮する理由も無くはないが、子どもとはいえ目上の相手なので普通はなるべくは気を遣うものだ。
そもそも平時は用件の内容は確認されども、兵士がわざわざ中に確認に向かう事もない。どうにも雰囲気がおかしい。
「行くか」
「あっ、はい」
堂々と先頭に立ったラザーを慌てて追いかける。
そうして敷居を跨いだ彼が一瞬だけ立ち止まったせいでつんのめって背中に追突しそうになるが、ギリギリで耐えて酔っ払いのように乱された歩幅で工房へ入った。
(うわ)
工房へ立ち入って瞬時にラザーが立ち止まった訳を理解する。
真正面の受付。左右の出入り口。人の出入りの邪魔にならない所の全てに兵士が配置されている。
目を惹くのは他の兵士と違って衛兵用の軽装備ではなく、全身甲冑でストールにも似た緑の識別標を首から下げている一人の御親兵だ。
彼らは街を巡回する衛兵や王城を守る近衛兵と違い、常に王と共に在る兵士。
つまり――ここに国王が居る。




