第1話 『無色』
レヴァレンシア学院では生徒の能力向上を目的として定期的に共通課題と個別課題が与えられている。
共通課題はいわゆる教育課程に則った、すべての生徒に与えられる試験。魔法・魔術の使い方を教わった者が、それを正しく行使できるのか図るためのもの。
個別課題は学生ひとりひとりの能力に見合った山場が用意され、それを解決できるのかを図るためのもの。
「次、ラザー!」
「はい」
二学年に上がったばかりのあるクラスでは、さっそく共通課題として実践試験が行われていた。
三十人弱が収容された階段状に机が並ぶ教室では、教壇に置かれたフラスコを前に生徒が一人ずつ課題をこなしていた。
内容は至極単純で、フラスコの中にある氷を一分間溶かさないように維持する事。
本来なら氷などは一分程度で溶け切るようなものではないが、ある種のマジックアイテムである丸型のフラスコ内部は高温になっており、何もしなければ中の固体はあっという間に液体へ変貌してしまう。
「…………よし。完璧だ」
己の体内で練り上げた魔力を手のひらへ集中させ、冷気へ転換して放出する事で零下を保つ。
加減を損なう者は日陰の道路程度の冷気しか出せずにみすみす氷を溶かすか、あるいは雪山の落石が如き氷塊を造り出してしまいフラスコを破壊する羽目になる。
が、そこまで微細な魔力調整を求められる厳しさはこの試験にはない。基礎も基礎、これまでの学習内容を復習するだけの簡単な準備運動。
とはいえいかに自分の魔術使いっぷりに自信のある少年――ラザーでも、赤子レベルの試験では内容を教師に褒められたところで一寸の喜びも無かった。
「当たり前です」
「その当たり前は積み重ねられた上で存在する事を胸に刻め」
大袈裟なんだよ、と胸中で悪態を燻ぶらせながらもラザー・センサルティオは静かに自分の席へ戻る。
彼にとって学院での生活は退屈そのものだった。
センサルティオ家は国では名の知れた家であり、ともすれば名前を聞くだけで尊敬や羨望の眼差しを受け、偉そうに椅子にふんぞり返っていた誰彼が地べたに頭をこすりつける。
であれば、センサルティオ家の、いかに四男坊とはいえど相応しい生き方があるのではないかと憤懣やるかたない。
というのも、兄らは父の雇い入れた個人教師の下で学びを得ていたのに対し、自分だけが「交友を得ろ」という理由で学院に押し込められたからだ。
兄達はしかるべき社交場で交友を育んで来たというのに、なぜ自分だけが(王立とはいえ)家柄も格式も関係無い場所で三年間も過ごさなくてはならないのか。彼にとっては屈辱という他なかった。
皆、口を揃えて言う。
『真摯に生きろ』と。
「ふざけてる」
「何か言ったか?」
留めきれずにいた苛立ちがこぼれ、隣に立っていた学友の傍を通り過ぎる。
釈明も弁明も面倒がったラザーは、自分は知らないと言わんばかりに鼻を鳴らした。
「何も……ふん、次はあの無色じゃないか」
「また手品でもやるんだろ」
基本的に、実践とはいえ共通過程の試験は内容的には他人にのめり込むようなものは無い。
だから誰かが教師の前に出て何をテストしていようと大半は上の空か、自分が失敗しないかうっすら心配しているのが少数といった塩梅だった。
なんとなく、眺めているだけ。
だが、ラザーの次に出た学生に対してだけは少し雰囲気が違っていた。
好奇、興味、侮蔑――向けられる視線の数々に明らかな関心がある。
進み出た彼の特異な部分に、誰もが心を揺り動かされているのだ。
――ラザーはそれがとても気に食わない。
「レイベリー、一応確認だが代わりの課題は必要ないかな?」
「お気遣いありがとうございます。問題ありません」
銀髪の少年――レイベリーは、他の生徒たちがやってみせたようにフラスコに向って手をかざす。見慣れない動作も仕草も何一つない、代わり映えのしない光景。
しかし、他の者と同じに見えるという事が彼を特異な存在へと押し上げていた。
「よし。とはいえ、あくまで採点は標準点だぞ」
「承知しています」
歓声などありようもないが、代わりに数名が首をひねる。
どうしてレイベリーが氷を固体のまま維持したのか、その正体が掴めないからだ。
一学年の頃からだ。いかにして魔力の無い彼が数々の試験をパスしているのかは、直に見ている生徒たち、教師たちの誰もが解明できないでいる。
魔術にしろ魔法にしろ、行使すれば痕跡というものが現れる。
魔術――先ほどのラザーが行ったように、人が自分の中にある魔力を練って取り出せば、心得のある者なら肌で飛散した魔力を感じ取る事ができるだろう。
魔法――目には見えない自然の力を借りて望んだ現象を行使しても、大地や空気から魔力が集まり、馴染み深い形に変貌するのを見て取る事ができるだろう。
自分を媒介にしようが自然を媒介にしようが、痕跡というのは必ず出るのがこの世の決まりである。
ところが、レイベリーの行使する力にはそういった前提が通用しない。
今だってそうだ。フラスコの氷を維持して見せたにも関わらず、どういう過程を経て結果が出ているのかは不明。誰にも説明がつかない。
ただ、課題である『氷を固体のまま維持する』という目的は達したので標準点……とせざるを得ないのだ。
実は、「魔術でも魔法でもないのなら何なのか?」という事自体には説明がつく。
「やはり君の権能は柔軟性に富んでいるな。だからこそ惜しい」
「いつもご面倒をお掛けして申し訳ありません」
「そういう意味合いではない。私の研究室に来るのならいつでも歓迎しよう」
「熟慮いたします」
「一年も考えを巡らせていては腐ってしまうぞ」
「発酵する場合もあるかと」
「酵母があればな」
権能――この世界の法則では未だ測りきれない、本来の意味での異能。この星に生まれ落ちた者は誰もがその身に魔力を宿す。魔力自体の大小はあれど、それは不変の摂理。太陽が昇った後に沈んでいくように当たり前の事。
しかし、いつの時代からなのか、ごく稀にその常識から外れた者が現れる。
身体に一切の魔力を持たず、生み出す力も永劫持てない者。
そして、魔力を操るのではなく固有の力によって身を立てる者。
それが権能という力を持った外辿血系と呼称される者たち。
レイベリー・ラプスカリオンはその系譜だった。
―――― ★ ★ ★ ★ ★ ――――
「今度はどんな手を使ったんだ?」
学年で最初の試験を終え次なる科目の境目。学舎の中庭で外の空気を吸っているレイベリーの所へ、まるで尾けているかのように現れたのは同学年のラザーだった。
年齢不相応な童顔、そこにある碧眼は鋭く細められている。
こんなに分かりやすく因縁を付けに来る人物だっただろうか、と内心で懸念を抱きながらも過去数度に渡って答えた内容でもって返した。
「冷気を再現しただけだよ」
「そうか、そうか。再現だったな」
どことなく噛み締める物言いで唇を歪ませたラザーは、これまた言い聞かせるかのように呪詛を吐く。
「そう、再現なんだ。お前のは魔術じゃなくて複製……偽物なんだよな」
「魔術を真とするなら、そういう事になる」
「なぜまだここに居る?」
唐突にも思える質問だったが、似たような台詞は以前にも言われたことがある。
「……レヴァレンシア学院が前身のレヴァレンシア貴族魔導学院から名称を変更したのは、本学の意義である『力を持つ者が果たすべき義務』を顧みた時、時世の流れと併せれば、力を持つ者は貴賤上下とその先天的資質に関わらず――」
「誰がマルスェル・フーコー陛下の宣下文を読み上げろと言った!」
結局のところ、彼が言いたいのは『ここから出ていけ』、だ。
レイベリーは話を遮られるのがとても嫌いだった。嫌な事の内のかなり上位に来るほどには嫌いで嫌いで仕方がない。
もし話の内容に反論があったとして、途中で遮ったばかりに最後で反論点を潰される中身であったならば完全に二度手間だからだ。数秒を惜しんで数秒を無に帰するのは、細かい無駄だからこそ余計に腹立たしい。
「では聞くが、先ほどの発言の意図は?」
苛立ちを覚えても見せはしない。
感情を剝き出しにして生身になる行為は元来心置きなく行われるべき事であって、気を置くような相手には隙にしかならないのだから。
「いいか……オレはね、お前のような存在を否定してる訳じゃないんだよ。確かに陛下は全ての才能を取りこぼさないようにと学院を間口の広いものへ変えられたが、それはこれまで特に例外だった者たちが迫害されてきた歴史を慮ってだ。平民の貧しい者ならともかく、お前だって貴族の端くれであるのならば学院に来ずとも権能専門の指南役を雇えるくらいのツテはあるはずだろう? そうすればお前も学院を無色で出ることは無い」
長々と理由を語ってはいたが、彼の主張は変わってない。要約すれば『ここから出ていけ』だ。ただ、それとは別にレイベリーを追い立てようとする理由の側面もうっすらと見えてきた。
センサルティオ家は、ここレヴァレンシア王国においては司徒の棟梁として≪御三家≫の名を拝している。
王政機構としては最高位にある立場の家の者としては、由緒ある学院から落第とほぼ同義を示す『無色』を冠する生徒が排出される事に嫌悪感を抱いているのかもしれない。
少なくともラザーという少年は、これまで魔力の扱いがすこぶる下手な学友相手にもこのような感情は向けていなかったように思う。どころか、積極的に手ほどきをしていた部類だ。
魔力を扱う場所に、魔力の無い者が居て、魔力を操る真似事をする。
これが彼を刺激したポイントなのだろうとレイベリーは推測していた。
「権能は魔術やなんかと違って体系すらない特異体質みたいなものだ。海を泳ぐ魚に空を飛ぶ鳥の指導ができるとは思ってない」
これは少々雑な伝え方ではあったが、レイベリー自身は大枠としてこの考えに基づいて学院に籍を置いている。それはそれとして、肝心の目的についてはまた別にあるのだが。
と、ここで思わぬ方向に舵が切られた。
「我々が魚?」
ラザーに目に宿っていた敵意が明確に鋭くなる。
「言葉のあやだ」
これは自分の言葉選びも迂闊だった、とレイベリーは自省する。
アダストラの国章には象徴として四枚羽の大鷲があしらわれており、先の内容では自らを鳥――大鷲と指して驕り高ぶっているようにも聞こえるだろう。
彼が『我々』と言ったのも、外辿血系以外の者を指しての発言だと考えたからなのは明白。普段の佇まいであれば、ラザーも重箱の隅をつつくような事にはならなかったはずである。
「いや、今の発言を見逃す訳にはいかない。家名を賭け――」
「ちょーっと待ったぁーっ!!」
ずざざぁっ、と。
二人の間を割って一つの影が躍り出る。
小柄な体躯のそれは、皺のない真新しいローブに一年生を示す四枚羽の大鷲の幼鳥と併せて無色の腕章を身に着けた黒髪に馬尾の少女。背中には、見慣れない鉄の棒。
「……じゃ、なかった! 少々お待ちください!!」
威勢良く割り込んで来たわりには律儀に丁寧な言い回しへ修正した彼女は、無垢な瞳をラザー・センサルティオへと向けていた。