第11話 星と神と
「――ここでの名前はカナタ・オルレック。二〇二七年の四月六日に交通事故で死亡。その後にクルヌエルと会って、王暦一九三三年に出生。なんら異常なく生活を送って十五歳を迎え現在に至る……」
わたしの半生を要約した〝スパゲッティのモンスター〟は、どこか不満げな目つきで話した内容の深堀りを始める。
「念を押すけど、クルヌエルとの会話は一言一句同じで間違いないね?」
「そうですけど……」
女神クルヌエルは、カナタが気が付いた時点で目の前に佇んでいた。
曰く、『夢見彼方さん。貴女は残念ながら交通事故で亡くなりました』
曰く、『地球に蘇らせることはできませんが、新しい世界に生まれることができます』
曰く、『生前とは文化や文明が異なりますが、私の庇護によってもたらされる力は貴女を理不尽から守ってくれます』
当時は返事や反応をしようがなかった。腕を動かしたり言葉を発しようにも体が動かなかったのだ。直前の記憶が抜け落ちていたせいで、夢を見ているような感覚だったからというのもある。
一方的に話をされて、あっという間に母親の腕の中で産声を上げていた。
「クルヌエルは君にどういう力を与えるかは説明しなかった」
「はい。女神様の言っていた『庇護』っていうのがわたしの持ってる力にあたるのかなって、なんとなく思ってました」
クルヌエルが付与した能力自体が女神の庇護を指すのか、あるいは能力はカナタが純粋に生まれ持ったものに過ぎず、女神の庇護は運の良さなどの見えない部分にあるのか。具体的な中身については判明しないまま過ごして来た。
『理不尽』の線がどこにあるのかも曖昧だが、少なくともこれまで一切のトラブルと無縁のまま過ごしてきたわけではない。
どころか、結構なイベント事を起こしたし、巻き込まれもしてきた。
「………………」
〝スパゲッティのモンスター〟はカナタの話を聞いてからというものの、視線こそ彼女に合わせてはいたが、稼働が増えた数十本の触手は絶え間なく見えない何かを撫で続けている。
君の事を聞かせてくれと言われたカナタは、ここまでの生涯を一から十まで語ると長くなりすぎるのである程度は端折って話をしていた。特に、魔導図書館の杖が関わる箇所は、王がラザーに自ら明かしたのは例外としてレイベリー達が居る前ではまだ公然と語る事ができない。
他にも細かい内容は省いて話をしたが、そのせいで必要な情報が得られなかったのだろうか? と、考え込んでいるように見える神を前にして、カナタは指を擦り合わせながら伏せた視線を泳がせていた。
「仮想環境は流石に無理だな……彼方」
「は、はいっ?」
緊張で声が裏返る。
そんな事は気にも留めずに〝スパゲッティのモンスター〟は、伸びていなかった話題に触れた。
「君がこの星で得た力っていうのは、なに?」
レイベリー、ユリウス、ユウ。
三者三葉の視線が向く中、カナタはレイベリーの瞳に灯った昏い光が輝きを増したのを感じた。
「説明が正しいかはわからないんですけど……」
「ざっくりでいいよ。簡単な部分だけ抜き出して言ってみて」
触手の動きが減り、宥めるように優しい声色が耳朶を打つ。
外辿血系としての力、権能の中身。それを開示したのは数名しかいない。理由は色々あるが、なるべく伏せて生きてきた。
地球を生き、今はこの星を生きる少女にとってその力は――あまりにも強大だったから。
「怒りを感じた時に、自分の思いついた方法で怒りの原因を取り除けます」
簡潔な説明をするのであれば内容に間違いはない。
自分でも時々疑う事があるが、力を自覚してから今日までをその通りに能力で解決してきた以上、それ以外に言いようがなかった。
「怒りを感じた時の度合いは?」
「些細なことでも……蚊に噛まれるとか、話し方がむかつくとか」
今度こそ、触手は完全に動きを止めていた。
「…………自分の思いついた方法で原因を取り除くっていうのは、考えた解決策が想像通りに機能するってこと?」
「なんていうか、その……例えばさっきの蚊に噛まれた話だと、飛んでる蚊を潰そうと思った時に『ハエ叩きで落としたい』と思えばハエ叩きが出てくるし、『手で潰したい』と思ったら動体視力と反射神経がすっごく上がって簡単に叩けるようになるんです」
〝スパゲッティのモンスター〟が困惑を目に浮かべる。
「怒りの解消に向けてなら無制限に何でもできるようになる……違うな、何でも望みが叶う?」
「どれくらいできるのか試したことは無いです。昔……子どもの時、近くに居ないはずのフロガプテロっていう火竜が街に飛んで来たことがあったんです。それで、火を噴いて家を焼き始めた時にカッとなって『落ちろ!』って念じたら、見えない大きな腕が体に生えた感じがして……それが自分の思うように動いて飛んでたフロガプテロを掴んで地面に押さえつけていたとかはありました」
「あれを、かい?」
ユリウスが心底驚いた声を出す。
この星においては、スライムやゴブリンなどといったわかりやすく魔物と呼ばれたりする類の動物にあたるのが、空を飛ぶ竜であったり海を泳ぐ大蛇などの大型生物だ。犬猫などとそれらの明確な区分は存在せず、単にそれを指す名前や『モンスター』とだけ呼ばれたりしている。
火竜フロガプテロはその一種であり、体長十五メートル程度で空を飛び火を噴く飛竜として名前がよく知られていた。
「あはは……ありえませんよね」
この世界の常識に照らし合わせれば、自分がいかに荒唐無稽な戯言を吐いている事か。
モンスター専門の狩人や軍の兵士が大人数で戦わなければならない生物相手に、子どもが一つの能力であっさり打ち勝ったというのだから。
わたしだって最初は自分が起こした奇跡が信じられなかった。
「嘘じゃないんだろ?」
「まあ、はい」
レイベリーの追及に頷いたカナタは、ちらりとだけ視線を交わしてすぐに逸らす。
彼の極めて真剣な眼差しは酷く鋭さを増していた。それこそ、杭でも打ち込まれているかのように錯覚するほどだ。瞳に映る昏いものの正体は掴めないのに、自分はなぜかそれを知っている気がしていた。
指先でなぞられていた心臓が握られ、徐々に締め付けられていく感覚に吐き気を覚え始める。
「…………彼方、これから主が知る君の事実について話す」
しばらくの間を空け、〝スパゲッティのモンスター〟は重苦しい声と共に彼にとっての事実を告げた。
「君が交通事故で死んだのは事実だ。けどそれは、家を飛び出した母親を追いかけての末であって、子どもを庇ったからじゃない。運転手も酔っ払いではなかった」
「――――え」
相違。
この星の神と地球の神の語った話が異なる意味。
――どちらかが、嘘をついている?
「なぜ主が君の名前を知っていたかも含め、少しこの宇宙についてを語ろう。銀河系、わかる?」
「銀河系?」
死因についての衝撃が抜けきらないまま話が宇宙に飛んだのでオウム返しになる。
どちらにせよ、銀河という単語にふんわりとした認識しかないカナタには大雑把な答えしか出せなかった。
「地球とか太陽とか……惑星の塊が集まってできてる、集団?」
「そう、人は宇宙を長年観測してそう定義づけたよね。膨大な広さを誇る天体の集まりを類別して天の川銀河だとか名付けたりした。君の居た地球は太陽系の、まさに天の川銀河に属している」
天の川銀河は県、太陽系は市、地球は区。
そう置き換えると幾分かスケールの大きな話も理解しやすく思えた。
「そして、その天の川銀河を内包するのがラニアケア超銀河団だ」
初めて聞く名前ではあったが、内包するという事はラニアケア超銀河団は国にあたるのだろう。
鈍った思考になんとか鞭打ち、話を頭に入れていく。
「君らの観測したように、宇宙ではそういった超銀河団がいくつもある。ここも当然そうだ。重要なのは、この星はラニアケア超銀河団ではなく、シャプレー超銀河団に属しているという点なんだ」
触手が〝スパゲッティのモンスター〟自体を指さす。
「ところで、彼方は主の事を知ってるみたいだね」
「へ? あ、ああ、はい。空飛ぶスパゲッティモンスター教ってサブカルチャーに触れてると目にしやすいので……」
空飛ぶスパゲッティ・モンスター教。
宇宙が空を飛ぶスパゲッティで出来たモンスターによって創造されたという説を掲げる、一見すると冗談か洒落にしか思えない宗教。
生物が単純な原子生物から時間をかけて変化してきたとされる進化論と、知性ある何かによって生命や宇宙が創られたとする説を掲げるインテリジェントデザイン説が大半を占めていた中で生まれたそれは、成り立ち、シンボル、教義などのキャッチ―な内容が様々な人の目に留まってじわじわと広がった。
カナタの眼前に現れたスパゲッティの塊こそがそのシンボル。教義内では大酒を飲んだ後に世界を創造したとされる神、空飛ぶスパゲッティモンスターなのである。
お出しされる地球の神様とやらがこれだと誰が考えようか。幻覚にでも侵されたかと今でも混乱したままだ。
「日本人はこういうの好きだよねぇ。お陰で認知が広まって信仰もたくさん集まった。どう、生の神様を見た反応は」
「どうって……そりゃビックリしましたよ。神様って空想のものですし、よりによって地球じゃなくてここで会うことになるなんて……」
そうは言ったものの、カナタはまだ眼前のスパゲッティ塊が本当に地球に類する神様であるのかは信じかねていた。
そしてはたと気がつく。空飛ぶスパゲッティモンスターが居るのであれば、他の神様はどうなのかと。
「そもそもなんでこの星に?」
話の腰を折ること承知で疑問の皿に乗っていた一番の獲物にフォークを指す。
レイベリーの合図で現れたこの神、地球の神様だと言うのならどうしてこの星にいるのか。
宇宙の話を持ち出して来たということは、宇宙で繋がっているからここにも来れるなどという理屈があるのかもしれないが、だとしてもここに顕現した理由が未だに見通せない。
「俺が召喚したからだ」
パン、と手を叩いた音が響く。
「っ!?」
何の前触れもなく、カナタの前に金縁のソーサーに載せられたカップが現れた。
湯気立つ中身は苔じみた緑色の液体で、放課後に振舞われた景色が重なる。
実際に触れてみてもカップは実体を持っており、恐る恐る口をつけてみれば、それはまごうことなく緑茶であった。
「この世に存在する、あらゆるものの複製を呼び出す。それが俺の権能だ」
今度は合図も無しにユリウスとユウの前にも同様のソーサーとカップのセットが出現する。
二人が躊躇いなくカップを手にするのを見て、カナタはゲオルグの言っていたことを反芻していた。
『彼の権能は大半の事を再現できる』という話のタネが、まさかこういう仕掛けだったとは。
「なんでも?」
「なんでも」
神様を呼び出せるのならそれはもう本当になんでもありなのだろう。
しかも彼はコピーだと言った。実物でなく複製品であれば、元手無しで気兼ねなく鯨油を生産できたり、希少な宝石を大量に生み出して市場に流すことで相場を崩すこともできる。
想定していたものよりあまりにも破滅的な権能に、驚きという感情すら素直に出せなかった。
チートじゃん、そんなの。
そんな陳腐な感想しか浮かばない。
「はい、それで主が呼び出されましたよということなんだけれども。こんな調子で彼は根本的に手が出せない領域にまで届いてしまっている状態だ。クルヌエルのせいでね」
「女神様のせい……」
「彼女は天地創造における禁忌をいくつも犯している。一つは直接的な力を頻繁に行使していることだ」
頭が痛くなってきた。
ただでさえ繋がらない話が延々と風呂敷を広げていく様に、ただただ言われるままの言葉を咀嚼もせずに呑むことしかできない。
「君は察したかもしれないが、神は主だけじゃない。南アジアはヒンドゥーのシヴァ、メソポタミアのティアマト、日本だと伊邪那美命や伊邪那岐命……人の世に一定の信仰を得た神様は全て実在のものだ。惑星は宇宙からエッセンスを与えられて生命を宿し、やがて生まれてきた知的生命体は自然現象を神の御業と捉えて信仰を捧げる。それが糧となって実体を得た主たちが生命の祀り上げた玉座に君臨して、いずれは星の運営に加わる――」
大昔の人々は雷や洪水を、人ならざる大いなる存在の力として恐れ敬った。
その自然現象に名前をつけることで人格を持たせ、祈りを捧げることでコントロールしようと目論んだのだ。
人の間で広がった人格は土地や物語で肉付けされ、共有されることで偉大な力として神格化することになる――つまり、神の誕生である。
カナタにはそういう簡素な知識しかなかったが、今の言葉と照らし合わせると大筋は間違いないようだった。
「そうして星を出された神は、基本的には人に手を加えてはならないのが主たちのルール。そこを思いっきり無視してるのが、一つ目の違反というわけさ。君たちは彼女が原因で生まれた、いわば被害者なんだよ」
『君たち』がどれほどの範囲を指しているのかだけは手に取るようにわかった。
この星で原則とされる魔力。それを持たない外辿血系がいかにして生まれる事になったのか、原因の一端に触れたカナタは知らず大きな息を吐いていた。




