第9話 微熱
体感としては五分もかからずに寮へ到着した。
五階建ての学生寮は一階分の高さの塀に囲われており、貴族の公子公女が仮住まいをするだけあって出入口の門には衛兵が常時二名の体制で警備を行っている。
辻馬車が門扉に着くと、カナタの姿を確認した衛兵は名前も尋ねずに開閉用のハンドルを回して門を開いてくれた。
二ヵ月前から寮に住んでいただけあって既に顔パスである。
警備の人間も同じ面子がローテーションを組んで交代しているだけなので、全員が自分の顔を覚えてくれたのだろう。
警備に軽く頭を下げながら通過し、寮の玄関前に馬車は停止した。
「千フィデスでございます」
馬革の財布から千フィデスの紙幣を取り出し、御者に渡す。
そうして礼を言って箱を持ち出そうとしたところで、御者は荷台から箱を持ち上げるとそのまま寮の玄関内まで運びだした。
両手の塞がった御者の代わりに寮の扉を開くと、扉に取り付けられた鈴がチリンチリンと音を立てる。
「これはこれは、お手をお借りしてしまいまして」
「いえ、こちらこそ」
流石に部屋まで運び込んでもらうのは老体に忍びないので、玄関の上がり場に置いてもらう。
「わざわざ運んでいただいてありがとうございました」
「これくらいのことはお任せください。では、またのご利用をお待ちしております」
御者は鳥打帽を脱いでそう挨拶をすると、去り際に再度馬上で会釈をして仄暗い道へ消えていった。
箱は使用人さんに運んでもらおうかな、めっちゃ重いし。
と、扉の鈴の音を聞いて駆けつけてくるであろう寮務めの使用人を待っていた矢先、右奥――食堂の方から聞き覚えのある声が飛んで来た。
「ですから、芋は煮込んだ方が触感も柔らかくなりスープの味も染みて一番美味しくなるのです!」
「いいえ、焼いた方が香ばしくさっくりとした触感になり、皮ですら美味しくいただけます」
まーた何か妙な事で言い争ってるのか、あのお嬢様方は。
入寮してからと言うものの、あの二人の争う声を聞かない日はない。絶対、必ず、間違いなく、寮のどこかで一回は言い争いが発生する。
「だいたい、何でも焦がすほど焼けば香りが立って美味しくなると思っている方が工夫が無いのではなくて?」
「煮崩れて溶けただけの芋がスープの出汁になったと言うのは、工夫ではなく体のいい言い訳でしてよ?」
「それは調理の問題でしょうが」
相手の好みを否定したいがばかりに食材の調理法ではなく、調理の過程で起こりうるミスにまで波及し始めた会話に突っ込みを入れる。
部屋に戻る為に玄関口近くの階段まで向かって来ていた二人の少女は、カナタの姿を見つけて阿吽の呼吸で駆け寄った。
「カナタさんもお芋は焼いた方が良いと思いますわよねぇ!?」
「カナタさんもお芋は煮た方が良いと思いますでしょう?」
ええい、同時に喋るんじゃありません!
「どっちも好きだけど、わたしは揚げた方が好きだから」
芋を焼こうが煮ろうが構わないが、地球文明で生きた身としてはフライドポテトが忘れられない。細切りにして揚げた芋に塩をまぶす――これほど単純で美味い料理が他にあるだろうか。
その内、自分で普及させてやろうかなと思うほどだ。
「む……確かにフィッシュフライ&ポテトは、時にポテトがメインでは無いかと錯覚するほど美味しく感じることもありますが……」
「コロッケも素朴ながら大変美味ですものね……」
呆気なく喧嘩が収まる。
どっちかを肯定しても片方が増長して収集がつかなくなるので、第三の選択肢を叩きつけるのが二人を収めるのに最も効果的である……というのをこの二ヵ月で嫌というほど学んだ。
早期に入寮した段階で二人に揉まれまくっているカナタは、喧嘩の種が尽きないことにある意味で感動を覚えてすらいる。
「それにしてもカナタさん、今日は随分と遅いお帰りでしたわね!」
焼き調理を推していた、わずかにカールしたセミショートの金髪少女――シャルレーヌ・ルブリエールの指摘に「ちょっとね」と返事を濁す。
煮る調理を推していた、腰下まで伸びた琥珀色の髪をいかにも貴族らしい見事な縦ロールに仕立てている少女――アレクサンドラ・シトロエンは、カナタの傍にある箱に気が付いて身を寄せてきた。
「あら、それはいつぞやカナタさん宛てに運ばれてきた荷物では?」
「覚えてたんだ。また新しいのが来たから使用人さんに運んでもらおうと思って」
「でしたらわたくしにお任せくださいまし!」
アレクサンドラを押しのけて箱に手を掛けたシャルレーヌは、カナタが制止する前に箱を持ち上げ――とても貴族のお嬢様とは思えないような言葉を吐く。
「くっっっっっそ重てぇですわ!!!!」
持ち上がってはいるのだが、そのまま三階にあるカナタの部屋まで保つかというと微妙な具合だ。
箱を持ち上げるだけ大したものではある。鉄と鉱石が隙間なく詰まった箱は結構な重量だ。だから最初に来た時も、安全をとって男の使用人二人がかりで運んでいた。
カナタも持ち上げるだけは可能だが、ではそのまま階段を上がっていけるかと言うと休憩無しでは無理だ。
「≪殲嵐≫の家名が泣いていましてよ」
「ぐっ、くく……い、一旦置きますわ!!」
限界に達する前に箱を下ろしたシャルレーヌは、肩で息をしながらも表情だけは余裕を崩さずにアレクサンドラに場所を譲る。
「わたくしの剛腕でこれなのですから、貴女に持てるわけありませんわ!」
「力任せに持ち上げるだけの何が剛腕と仰るのかしら。重たい荷は、こうやってしっかり腰を落としてから持つのです」
そう言って腰を落としたアレクサンドラは、一気に箱を持ち上げて見せた。
「っ、お、思っていたより……重量がありますのね……!」
「あらあらあら? お膝が笑っていましてよ~!」
ところが、シャルレーヌと同じく持ち上がりはするのだが、そのまま移動は難しいようだった。
重たい荷物を持つ手段としては、腰を痛めないようにするのにもアレクサンドラの言い分は理に適っている。だが、それで物が運べるかというとまた別問題だ。
「……それ、壊れたら弁償代だけじゃ済まないかもしれないからね」
「「先に言ってくださいまし!」」
あんたらが勝手に持ち上げだしたんじゃろがい。
変なところでばかり息がピッタリの二人は、協力して箱をゆっくりと床に下ろす。
「お帰りなさいませ。手すきの者が少なく、遅れてしまい申し訳ありません」
と、ここでようやく寮の使用人が到着した。
「大丈夫です。この荷物、わたしの部屋まで運んでもらっていいですか?」
「承知いたしました」
恭しく頭を垂れる使用人に箱は任せ、カナタは二人に食堂の様子を窺った。
「もうみんな食べ終わってるの?」
「ええ、わたくしとアレクサンドラさんで最後ですわ」
やはりギリギリで間に合わなかったらしい。
基本的に寮では夕食を採る時間が決まっていて、その時間になると一階の食堂で全員が集まって食事をする決まりになっている。
とはいえ、時間外であっても料理人は住み込みなので頼めば夜食だって作ってくれるし、夕食に間に合わなかったからと罰則がある訳でも食事抜きになる訳でもない。
ただ、生前学んだ五分前行動という概念や給食の時間を思い起こすと、決まり事の時間に遅れてしまったという事実はカナタに罪悪感を抱かせるには十分だった。何かとても悪い事をしてしまったような気持ちになる。
「そっかぁ……」
「たまにはお一人でゆっくりとお食事をするのもよろしいのではなくて?」
「う~ん……そうかもね」
「シャルレーヌさんは気遣いがなっていませんわね。貴女と違ってカナタさんは孤独を愛している訳ではありませんのよ?」
「はあああ!? わたくしが今そんなこと言いまして!? それともアレクサンドラさんは違った言語体系にお住まいでお言葉が不自由でしたかしら~!?」
「はい、はい! 時間に遅れるつもりがなくて落ち込んだだけだから! じゃ、わたしは食堂行くからね!」
どんな話の種でもあっという間に喧嘩の花が咲くのだからたまらない。どんな不毛の大地も、二人が揃えば瞬く間に姦しい農園の出来上がりだ。
ついつい二人のやりとりに突っ込んでは挟まれる自分が悪いのは分かっている。分かっていて止められないのだからもうしょうがないのだ。
二人と別れたカナタは、厨房に向かって料理人に遅れた事を詫びて夕餉をお願いし、簡単な食事を済ませてから自室へ戻った。
運び入れられた新しいカートリッジが詰められた箱を確認してから、古い分の処分をどうするか聞いていなかった事に気が付く。
カートリッジは使い捨てだが、電池と同じで使い切っても中身のエネルギーが空になるだけで容器は無くならない。使う当てもない文鎮の山を前に、「とりあえず工房に送ればいいか」とカナタはベッドに身を投げ出した。
灯された鯨油のランプは部屋に薄明を拓き、白い布地から舞い上がった埃が鳥の抜け羽のように散ってゆく。
時刻は七時も半ばを迎えようとするところだった。
今から出るには早すぎるし、湯浴みをするのも外出を考えると戻って来てからの方がいい。中途半端に空いた隙間時間に、カナタの思考はまっさらな中空を漂っていた。
――トントン、トン。
「っ!」
扉をノックする音に寝てしまったのではないかと飛び起きる。
幸いにも手元の懐中時計は十分と進んでおらず、カナタはそれに安堵してから部屋の扉を開けた。
「わ、アリス!」
「カナタ! 戻って来てたんだ」
廊下の明かりで艶やかに映る桃色の頭髪からふわりと迷迭香の香りが浮き上がる。赤みを帯びた頬を見るに、どうやら入浴を終えて間もないようだ。
パッと花咲くような笑みを見せるアリスを部屋に招き入れ、ベッドで横並びに座る。
「遅かったみたいだけど……何かあった?」
心配そうに見上げてくる彼女の考えはとてもわかりやすい。
魔力の無い外辿血系だから、あるいは中庭の件もあって、どこかで因縁をつけられてしまい、それで帰るのが遅れたのではと想像を膨らませたのだろう。
揺れる蒼い瞳にいたずら心がくすぐられる。
「先輩に呼び出しくらっちゃった」
「えっ!? ほ、本当に!?」
嘘は言っていない。
しかし、そんな言い方をすれば当然悪い意味で捉えられる。
「あはは、アリスが考えてるようなことじゃないよ」
慌て始めたアリスの肩に頭を預け、横目に彼女の方を見た。
「それより、そっちも大丈夫だった?」
「うん、わたしは全然。むしろ、みんなとすぐに仲良くなれた……かも」
アリスはカナタと違って家は平民である。
なので、カナタとしては自分よりも彼女の方が心配だった。
同じクラスにシャルレーヌとアレクサンドラが居るので、万が一にもアリスを平民だからと虐げる者が居れば即刻叩きのめされるだろうが、陰で何が起きるかは予測できない。
今どきは貴族だから平民だからと地位の差で起こる露骨な差別は減っている。
心のどこかでは思うところがある者も居るだろうが、それを素直に吐いてしまう人間は単純に現代の道徳感に迎合できていないのだから当然だ。
ただ、社会階級の構造自体が薄れている訳ではない。少数の権力者から成る貴族主義が無くなりつつあるだけで、明確な立場の差は健在だった。
「さすがわたしのアリスちゃんだねぇ~!」
「大丈夫……って、わ、カナタ!」
肩に乗せた頭がグリグリと押され、体重をかけられたアリスは抵抗も空しくベッドの上でカナタと折り重なる。
互いを抱き留めながら一回転。過重のかかったベッドの木製フレームが鳴き声を上げた。
「もお~!」
「あははは!」
幼馴染のアリスとこうしてじゃれ合うのも日常の一部だ。
自分にとってかけがえのない存在である彼女を両腕から解放し、カーテンを閉じ忘れていた窓の外を見遣る。
窓枠に切り取られた黒いキャンバスに蒔かれた白い点のひとつひとつが、たった一部屋の為に灯された明かりよりも一層眩しく感じた。
月が映し出す夜空は地球の景色と変わりなく、だからこそより輝きの強い星々の中に故郷を重ねる。
「……カナタ…………」
拘束から逃れたにも関わらずしがみついていたアリスは、遠くの〝何か〟を見つめるカナタの右手に指を絡ませた。
「アリス……?」
柔らかな指先からは相反する力強い感触が現実へ引き戻す。
アリスの表情は胸元に隠れてしまっていたが、声の具合から察しが付いた。
「カナタは死なない」
幾度となく聞いた、彼女の台詞。
理由も根拠も無い。気休めの言葉。アリスの最大限の慰め。
それを言ってくれるからこそ、カナタは彼女のことがとてもとても大好きだった。
「うん、そうだね。わたしは死なない」
握り返した掌が二人のように密着する。
それからしばらくは、無言のまま互いの体温だけを感じていた。




