番外編:アレクのお話
穏やかな昼下がり、アレクは屋敷に帰ってきた。
中庭から、くすくすと楽し気な笑い声が風にのってアレクの耳に届く。どうやら、彼の奥さんは中庭で自分のメイドとお茶を楽しんでいるようだった。
花束を持って、アレクは中庭の小道を進む。
奥さんであるフランがどんな表情をしてくれるのかと思うと、楽しみで口角が上がってしまう。
そんな浮ついた気持ちを悟られないように、アレクは努めて真面目な顔を作ろうと努力した。
小道を通り終え、中庭にあるガゼボが視界に収まる。
白い柱の中で、フランがリリーと他愛もない話に花を咲かせている。その自然な笑顔を見て、アレクは目を細めた。
フランがここまで回復するのに、本当に多くの時間を要したことを思い出したのだ。様々な思いがアレクの中を駆け巡る。
フランの心にはずっと檻があった。
自分は出来損ないで、幸せになってはいけない、という呪いが彼女の心を蝕んでいたのだ。
アレクはフランに初めて会った時から、その淀んだ感情に気が付いていた。それをどうにかしたい、と思った。笑った顔が見たい、何より幸せにしたい、とそう思ったのだ。
同情などではない。
ただ、純粋にフランに惚れたからこその想いだった。
フランとアレクが初めて出会ったのは、とある商談会だった。
公爵になったばかりのアレクが定期的に開催していた、貴族向けの商談会だった。それは、貴族の流行を知る手がかりにもなったし、情報を集めるのにも打ってつけだったのだ。
今はもう、開催していない。ありがたいことに評判が良くて、そのせいで、長蛇の列が屋敷前にできるようになってしまったからだ。
様々な者がアレクを通して行き交った。
絵画、ドレス、宝石、そして、噂話。
そんな中、フランがやって来たのだ。
ブルーサファイアを携えて。
それは、ブローチだった。ブルーサファイアの輝きを最大に活かすための銀細工があしらえてある、非常に高価なものだった。そも、ブルーサファイアそのものが、とてつもなく値段が張る。
しかも、ブローチの大きさだと、領地の運営をするぐらいの金が動く。
フランはそれを遠慮がちにアレクに差し出して来た。
「これに似合う金額を融通して頂きたいのです」
真剣な声だった。緊張しているのか、声は震えていた。
「失礼ですが、これは手放すにはあまりにも惜しいものかと思いますが……?」
本当に失礼だが、アレクはその時、フランがこのブローチの価値に気が付いていないのかと思ったのだ。世間知らずのお嬢様かと、疑ってしまった。
フランのおずおずとした態度もアレクの勘違いを加速させた。
「いえ……価値はよく分かっているつもりです。ですので、一介の商人には鑑定すら頼めておりません。とても大金が動きますので……」
フランの言葉に、アレクは眉を潜めた。
一体、何を狙っているのか、疑いを持ってしまったのだ。
この商談会の中には、アレクに取り入って、融通してほしい貴族もいたのだ。王家の試金石でもあるアレクとしては、こういう貴族は王の近くから排除しておきたい、という思考が回った。
しかし、そのアレクの思考は次のフランの発言で霧散してしまった。
「あの……本当におこがましいとは思うのですが、こちらは私の両親の形見でもあります。そこを踏まえて、融資額を検討して頂けますと幸いです」
「形見だって?」
思わず聞き返したアレクにフランは頷いた。
「どうして、そんな大事な物を手放すのです?」
聞かずにはいられなかった。
フランの視線が、左右に揺れる。気まずいのか、嘘を付くつもりなのか。
やがて、言いにくそうに、彼女はまた口を開いた。
「お恥ずかしい話ですが、カーチア領は今、傾いているのです。領民や、屋敷に働きに来てくださっている方々に、きちんとしたお給金すら支払えていない状況です」
フランがそこで初めて顔を上げた。
透き通った水色の瞳が、アレクを真っ直ぐ射抜いた。
「こちらを元手に、領地を立て直さなければなりません。宝石よりも、土地に生きる民の生活が大事です。そのためであれば、両親もきっと恨みはしませんでしょう」
ありきたりな表現になるが、天使だと思った。
銀色の髪と、水色の瞳。すらっと通った鼻。薄桃色の唇。どれも荒れてはいたが、とても美しいと思ったのだ。
この貴族社会において、ここまで裏表なく民を思いやれる心を持った人には初めて出会ったのだ。
アレクは、そのブローチを相場の三倍で買い取った。
小切手を抱えた彼女は、丁寧にお辞儀をしてアレクの前を去ってしまった。
本来であれば、それだけの話だ。
ただの商談相手。
それ以上の関係はない。
しかし、それで終わらせるアレクではなかった。
アレクはまず、フランについて調べた。
彼女が置かれている状況に、怒りを覚えたし、その場で気が付いてやれなかった自分にも嫌気が差した。
お茶会や夜会の招待状を送っても、フランから返事をもらうことはなかった。実際、会場に姿を現すことも、当然なかった。
兄である王にも相談した。
王である兄は、一つの貴族にだけ特別扱いはできない、と言った。それは国王として正しい判断だった。しかし、残酷でもあった。
アレクは、そこをなんとか、と言い募った。
王は、そんなアレクに対して、知恵を貸してくれた。そして、最後にこう付け加えた。
「これは、王に対しての反逆罪にも当たるからな。それに、あの子の教育にも丁度いい。全ての采配は王太子に一任する」
それは実質、アレクが事の結末でレールを敷いて良い、という許可でもあった。
王が自ら手を下すことは叶わない。
だが、好き勝手やれると思うな、という王族からの強い意志表示でもある。
アレクは王に感謝を告げた。
そうしている間にもフランの立ち位置はどんどん悪い方へと転がっていった。
婚約破棄の可能性が出てきて、これは利用できる、とアレクは思った。
しかし、それがフランを追い詰めた。
それまで散々、アレクの誘いに応じなかった彼女が初めてアレクの社交界に姿を現した。
遂に自身の置かれた状況に気が付き、助けを求めに来てくれたのだ、とアレクは思っていた。
しかし、その予想は大きく裏切られることになった。
「リリーの……、私付きのメイドの次の就職先を探しているのです。このような頼み事をしてしまい、大変申し訳なく思うのですが、良いところをご紹介いただけないでしょうか?」
その言葉を聞いた時、アレクは本気で頭が真っ白になってしまった。
そして、ようやく気が付いたのだ。
彼女が自分の人生をあきらめてしまっている、ということに。
救いなど求めていない、当然そうあるべき、と言わんばかりな態度に眩暈がした。
「……俺には、貴方のほうが助けを必要としているようにみえるが」
「ありがとうございます。しかし、私は大丈夫です、"公爵様"。多くは望んでおりません」
「っ」
必死に絞り出した言葉は、しっかりした拒絶で帰ってきた。
彼女は真っ直ぐ幸せに背中を向けて、前を見据えている。
何が彼女をそうさせたのか?
そんなものは決まっている、彼女の義両親がそうなるように言い聞かせた結果だ。容易に想像できて、吐き気がした。
アレクはその時、改めて決めたのだ。
彼女は救いを求めていない。
だけど、自分のエゴで彼女を必ず救う、と。
どれだけ時間がかかっても、彼女をこの手で幸せにする、と。
その決意は、今も揺るいでいない。
自己肯定感が低いフランに、愛の言葉を惜しみなく伝えた。
彼女の瞳を濡らすものは、全て排除した。
どんな些細なことにだってお礼をしたし、アレクは自分の気持ちを隠さず愛を注ぎ続けた。
他の皆にとって、当たり前のことでも彼女にとってそれは青天の霹靂だったようだ。
最初は戸惑いが多かった。
だが、辛抱強くアレクは伝え続けた。
「愛してる」
「好きだよ」
「貴女は素敵だ」
「俺は今、貴女のおかげで幸せだよ」
沢山の愛を注ぐ。
彼女の心に穴が開いているのであれば、零れ落ちるより速度より多くの愛を。
「その……ありがとう、ございます」
「私も、です」
「アレク様のおかげで、幸せです」
少しずつフランが返してくれるようになった時、アレクは涙が出るほど嬉しかった。
遠慮がちな笑顔も増えて、リリーとの会話も増えた。
痩せ細った体も健康を取り戻した。
だからこそ、アレクは告げに行く。
「やあ、俺の妖精たち。ご機嫌はいかがな?」
ガゼボに近づいて、アレクは声をかけた。
銀色の髪を揺らしながら、フランが振り返った。透き通った水色の瞳がアレクを捕らえる。
「アレク様、お帰りなさい。今日はお早いのですね」
「ああ、貴女に用事があってね」
何かを感じ取ったのか、リリーが一歩下がる。
アレクはフランに近寄った。
「私に?」
「ああ」
言いながら、アレクは片膝を付いてフランに花束を差し出した。
「俺と結婚してほしい」
「まあ!」
フランが両手で口を押える。
その美しい瞳に透明な膜が浮かんだ。
「私……いいのかしら?」
尋ねてくる声はいつかの時と同じように震えていた。
アレクは微笑んで見せる。
「フラン。貴女がいいんだ」
「アレク様、ありがとうございます」
涙を散らしながら、フランが花束を受け取る。
「もう一つ。サプライズがあってな」
言いながら、アレクは立ち上がる。胸ポケットから一つの箱を取り出した。
それを開けて、フランに見せる。
「それは……!」
「これは貴女の物だ」
取り出したのは、ブルーサファイアのブローチだ。
「受け取れません! これは貴方にお売りした物ですもの」
「そうだな。俺が貴女から買い取った物だな。だから俺は、フランにこれを贈りたいんだが?」
「アレク様……甘やかしすぎです」
泣きながら、フランが笑う。
「俺は貴女を甘やかし足りないな」
「これ以上甘やかされたら、私、我儘になってしまいますわ」
「なってから言ってくれ」
言いながら、アレクはフランの手に箱を握らせた。
フランはブローチを眺め、また新しい涙を浮かべた。
「それで、答えを聞かせてもらっても?」
アレクが問うと、フランが顔を上げる。
涙を浮かべているものの、素敵な笑顔だ。
アレクはそっと腕を広げた。
フランがその腕の中にためらいなく飛び込んでくる。
「私でよろしければ」
小さな声で囁かれた言葉にアレクは笑う。
「何度でも言おう、貴女がいいんだフラン」
必ず幸せにするから。
だから、どうかいつまでも傍で笑っていてくれ。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
最初だから流行りの令嬢ものを書こうと決めてから、この作品を作り出しました。
執筆するのは久しぶりで緊張してしまいましたが、何とか形に出来たのかな、と考えております。
番外編はリリーやミリアンの話も書きたかったのですが、需要がないような気がしたのでアレク目線のお話だけ執筆させていただきました。
楽しんでもらえらた嬉しいです。
長々とすみません。
また、どこかでお会い出来たら幸いです!