7.終演
フランは新しく通された部屋で深く息を吐いた。
自分の身に何が起こったのかを正しく理解するのが難しい。
本来断罪されるべきはずだった、フランは王太子とアレク公爵に助けられてしまった。
そして、フランを断罪するはずだったロドリコとミリアンは、不敬を理由に捕縛され、衛兵に連行されてしまった。叔父と叔母のところにも衛兵が向かっている頃だろう、と王太子が高らかに宣言していた。
フランだけが、無事な姿でいる。
本来裁かれなければいけなかったのは、自分ではないのか。
そう言う疑問が先ほどから、頭を回って止まらない。
今は、自分から切り離したはずのリリーが今はそばに控えてくれている。
パーティー会場の待機室に通され、リリーが入れてくれた紅茶が目の前にある。
でも、差し出されたティーセットすら、高価なものでフランは手を出せずに座っている。
「お嬢様、お気に召しませんか?」
リリーが不安気な顔で聞いてくる。
返事をしたかったが、喉奥で言葉がつっかえ、フランは黙って首を左右に振るのみだ。
色々なことが起こって状況が整理しきれていない。微かな頭痛を感じて、額に指を添える。
「リリー……、私は貴女に謝らなければならないわね。酷い言い方をして、貴女を屋敷から追い出したこと……あんな雨の日に……。風邪とか引かなかった? 大丈夫だったか、本当はずっと心配してたの……」
手紙の一つも書かないまま過ごしたくせに、今更、都合のいいことを言っているような気がして、フランはリリーから視線を反らした。
膝の上で固く、手を握り締める。
「お嬢様!」
リリーの手がフランの手の上に重なった。包み込まれている。
そこから痛いほど、優しさと温もりを感じて、フランは恐る恐る顔を上げた。
「あたし、ちっともお嬢様のことを恨んでいません。むしろ、感謝してるくらいなんです。あたしみたいな、後ろ盾がなんにもない田舎の小娘が公爵様に庇護されるなんて……。全部、お嬢様のおかげなんです」
リリーの綺麗な翡翠色の瞳がみるみるうちに潤んでいく。
嗚呼、そうだった。フランは思いだす。リリーのこういう感情に素直なところに、いつもフランは助けられていたのだ。
自分がうまく怒ったり、泣いたりできない分、リリーがこうして真っ直ぐ感情をぶつけてきてくれたのが、嬉しかったのだ。そこに何度も救われてきた。
「でも、こんなことに巻き込んでしまって」
フランはまだ、歯切れ悪く言い募る。
「酷いです! お嬢様!!」
リリーの言葉に、フランは肩を跳ねさせた。
やっぱり、リリーは自分を恨んでいるのではないか、という不安が首をもたげる。
「あたしは望んで、ここに来たのです! アレク様がお嬢様を助けに行くと聞いたときに、あたしは自分で立候補したんです!! その気持ちを、お嬢様はお疑いになるのですか?」
「い、いいえ、違う! 違うの、リリー……」
フランはすぐに自分の発言を悔いた。
こんなやりとりをリリーとしたいわけではない。ただ、今、自分の身に何が起こっているのか分からず、困惑しているのだ。
まとまってから話すべきだったと、酷く哀しい気持ちになる。
「私、どうしたらいいのか、分からなくて……」
ずっと、暗闇の中を彷徨っている。
誰かに手を握ってほしくて仕方がなかった。でも、出来が悪い子だから、と諦めてきた。
全ての悪いことは、全部自分のせいにして生きてきた。
そうしないと、フランは生き残れなかったのである。ある意味、自衛のようなものだった。
義両親と義妹、そして婚約者の要求に応え続けて。
そうして、全部失ってしまった。
義両親も義妹も婚約者も。そして、両親が遺してくれた爵位さえも、きっと今はもうない。
王家の怒りの矛先は確かに、義両親と義妹、そしてロドリコにも向けられていたであろうが、フランに対しても向けられていたに違いないのだから。
せっかく返還させなかった爵位。
しかし、今回の騒動で、そうも言っていられなくなるだろう。
とすると、フランは爵位を護ることすらできなかった、愚か者ということではないだろうか。
「お嬢様……」
リリーの同情的な声が、心に響いた。
すっかり自分を見失っているフランにとって、それは酷く辛かった。
リリーが何か言い募ろうとしたときだ。
部屋にノックの音が響いた。
「はい!」
リリーが立ち上がり、扉を開けに行く。
そうして、息を飲む音が聞こえた。
そのまま、リリーが扉を開く。
入ってきた人物を見て、フランもまた、立ち上がり場所を移動する。
「小さき太陽にご挨拶申し上げます」
フランはなるべく丁寧にカーテシーをする。
「うむ、楽にしていいぞ。僕は別に長居するつもりはないからな!」
王太子がからり、と笑顔で告げる。
どう反応していいのか分からず、おずおずと顔を上げた。
来訪者は五人。
王太子と側近の騎士二名。それから、アレクと、その護衛騎士。
「さて、今回の騒動により、当然カーチア家の爵位は返納されることになるんだけど、それじゃあ、先代の夫妻に申し訳が立たないからね」
王太子は椅子に座り、流れるような動作で足を組む。
「それに、今回の騒動、王家の監視が足りなかったのも原因の一つだと王は考えていらっしゃる。そこで、色々考えたのだが──、君の今後のことは公爵に一任することにした」
小さな指をパチンと弾いて、王太子が無邪気に笑った。
どういうことか分からず、アレクを見やる。
「そのように言われると、俺がまるで無理矢理責任を負わされているようで、嫌なのですが……」
「なんだと? それもこれも、君がちんたらしてるからこんなことになっんだと僕は思うけどね!」
「いやいや、婚約者が決まっている女性に対して、何が出来るんです?」
壇上で見たときとは印象が違う。
アレクと王太子の距離感はまるで、先生と教え子のような雰囲気がある。
「むぅ~! だとしても! これはお膳だてってやつだよ!」
偉そうに王太子は胸を張る。
それを受けて、アレクはもはや嘆息しか出てこないようだ。
アレクが、フランに向き直る。
「ということだ……。貴女については俺が担当することになった。よろしく頼む」
「え、あ……はい」
おほん、とワザとらしい咳払いが聞こえる。王太子からだ。
「あ……あ~、本当はもっと雰囲気とか用意してからが良いんだが、そうも言ってられないらしい」
アレクが、そう前置きをした。
小首を傾げるフランに対し、アレクが膝を折った。
「俺は貴女を婚約者として迎えたいと思っている」
「……え?」
予想外の展開にフランは言葉を失ったのだった。