6.王太子の言
「何故、僕がこのようなことろにいるのか、諸君らはさぞかし疑問に思うことだろう! このような素晴らしい劇、見逃すわけにはいかないからね、わざわざ足を運んだというわけさ」
齢7歳の王太子が、余裕たっぷりの笑顔で告げる。
言われた人々はみな一様に困惑顔だ。フランを巻き込んだ騒ぎが、劇だとは思えない、と言いたげな顔だ。
「恐れながら、発言の許可をいただいてもよろしいでしょうか?」
一歩前に踏み出したのは、他でもないロドリコだ。
困惑と緊張がないまぜになった表情で、申告している。
王太子がちらりアレクを見やった。アレクが小さく頷く。
「よかろう。ロドリコ・ピログ伯爵令息」
「ありがとうございます。我が国の小さき太陽にご挨拶できますこと、光栄に思います。しかし、王太子殿下、我々は決して劇を行ったわけでは、」
「へぇ」
ロドリコの言葉を遮ったのは、他でもない王太子だ。
まだ、幼い王太子に他ならない。しかし、部屋の空気が一気に冷え込んだような印象を受ける。背筋が自然と伸びた。
ロドリコは続きの言葉を失ったようだった。
「劇ではないのだね。なら、仕方がない」
王太子の言葉で、おそらくその場のすべての者が理解した。
この非常識極まりない婚約破棄を、一度であれば茶番ということで終わらせようとしてくれていたのだ。しかし、今のロドリコの発言によって、それは全て水泡に帰したのだ。
「ピログ伯爵令息に問おう、汝の婚約の相手は誰だ?」
「……」
ロドリコの額に汗が浮かぶ。
「どうした、ピログ伯爵令息? それとも僕の質問はそんなに難しいものか?」
広場に静寂が広がる。
先ほどまでの熱気はどこぞへと吹き飛び、冷え切った空気になる。
当事者のフランも、冷や汗が止まらない。
こんなことは誰も想像できていない。
「応えよ。恐れ多くも王太子殿下の質問だぞ」
黙りこくってしまったロドリコに、アレクからの追い打ちがかかる。
ロドリコが喘鳴を洩らしながら、口を開いた。
「ふ……フラン・カーチアです。し、しかし! 彼女は義妹であるミリアンを虐めており、ボク……ああいえ、わたしの相手にはふさわしくなく……」
言葉につっかえながら、ロドリコは懸命に訴えている。
フランもロドリコの立場であれば、そうするよりほかはなかっただろう。
「そうか。それでは、貴殿はこれからどうするつもりだ?」
王太子の声音が、ロドリコの上に降り注ぐ。
「そ……れは、ミリアン嬢と結婚しようと考えております」
「へぇ」
もう一度、王太子が呟く。
誰もが、この予測不可能な展開を固唾を呑んで見守っている。
「みんな! 彼らを祝福してあげよう! おめでとう、君たちの愛は、おそらく真実の愛と言えるだろう!」
打って変わった王太子が拍手をする。
皆は顔を見合わせ、王太子に合わせて拍手するしかない。和やかな雰囲気になる。
ロドリコとミリアンはぎこちない笑みを浮かべている。
フランといえば、どうしていいか分からなくなり、ただ、その状況を見ていることしかできない。
「僕は大いに感激した! 何せ、君たちは爵位よりも大いなる愛を選べたのだから。きっと、そんな人には、一生会えないだろうからね、その純愛を、心から祝福するよ」
「へ?」
会場がまた打って変わり静寂に戻る。
誰もが、王太子の言葉を脳内で繰り返しているに違いなかった。
フランも実際そうである。
爵位よりも大いなる愛を選んだ?
何故、そうなるのか、フランには理解が出来ない。
「どういう……?」
ミリアンの口から疑問が零れた。
それは微かな声だったのだが、静かな会場にはよく響いた。
「おやおや。まさか本人が分かってないなんてこと、ないだろうね? でもまあ、事情を知らない者も多いだろう! 僕は寛大だからね、この滑稽な事態を分かりやすくまとめてあげよう」
身振り手振りを加えて、王太子は告げる。
「それじゃあ、アレク公爵。説明を頼めるかな?」
「かしこまりました」
王太子の言葉にアレクがお辞儀をして、受ける。
再度、2階にいるアレクとフランの視線が交わった。
(何を考えているの?)
フランは息を飲む。
これから起こることが怖い。覚悟していたこの断罪劇を進みだしたときより、緊張している。
握りしめた手が冷たい。
バクバクと心臓が音を立てている。
「殿下。全ての説明をする前に"真の被害者"の移動を求めます。よろしいでしょうか?」
「ああ、構わないよ。是非、公爵のやりやすいようにしてくれたまえ」
王太子がアレクに向かって軽く手を振る。微笑みを浮かべたアレクが深く頷いた。
「かしこまりまして」
そして、アレクは後ろを振り向いて、誰かに合図を送った。
すると、橙色の髪を二つの三つ編みにしたメイドが登場した。(あ……)
フランは目を見開いた。
メイドは王太子に綺麗な所作でお辞儀をすると、階下へ降りてくる。そのまま真っ直ぐ、フランの元へやって来る。
「リリー……」
掠れた声が、自身の声帯から漏れた。
リリーの翡翠色の瞳としっかり目が合った。リリーが泣きそうな顔で笑った。
鼻の奥がつん、とした。気を緩めたら涙が溢れそうになる。
「フラン嬢、失礼いたします」
温かな羽織がかけられる。それはすっぽりとフランに似合っていないドレスを覆い隠してくれた。
「さあ、お手を」
リリーが差し出してくる手を握り返す。
その手の温かさが、じんわりとフランの手を温めてくれた。
そのまま、リリーに導かれるまま、会場の隅へと移ることが出来た。ロドリコやミリアンの視界から逃れることが出来て、フランは泣き出しそうになる。
それでも、自分に泣き出す権利はないと、必死に耐える。
「それでは、改めて。まず、10年前にカーチア伯爵夫妻に起きた悲劇から話そう。ここに居る者達も大半は知っていることだろう。領地内で起きた、土砂崩れの調査に向かい、そのまま帰らぬ存在となってしまった二人だ」
アレクの言葉を聞きながら、フランは久しぶりに両親の顔を思い出した。
今まで上手く思いだせなかったのに、不思議と今ははっきりと思い浮かべることが出来た。
目つきが鋭い父と、柔和な印象を受ける母。
二人とも、フランのことを目に入れても痛くないぐらい可愛がってくれていた。
出かける前もいつも通り、フランの頭を撫でてくれたのだ。
思いだした、日常の何気ないシーン。それでも、全ては遠く儚い。
「二人は領民のため、被災地へ向かい死亡してしまった。まだ幼いフラン嬢だけを残して。そこで、本来であれば速やかに爵位を返還してもらわなければならなかった。しかし、そうはならなかったのだ。理由が分かる者は?」
会場にアレクの質問が響く。
フランはその問いに対する答えがあった。
答えるべきか視線が泳ぐ。
しかし、リリーが引き留めるようにフランの手を優しく握った。顔を上げるとリリーは緩く首を振った。そして、アレクを見上げる。
フランもつられて、アレクを見つめた。
そうして、確信する。アレクが見据えているのは、ロドリコとミリアンなのだ。
二人はどうやら、答えられないらしい。
「答えられる者はいないようだぞ」
透き通った声で、王太子が告げる。
「当事者は分かっていると思ったのですが……」
「当然、フラン嬢に答えさせるわけにはいかないからね。では、僕が答えてあげよう!」
芝居がかった声で、王太子は手に持っていた杖で床を一回叩いた。
「答えは簡単だ。そこのロドリコ伯爵令息が婿養子になるべく、カーチア家に迎え入れられたからだ。そして、そうするように裏から手配したのは、他でもない、国の太陽にして我が父、国王だ!」
王太子の演説がパーティー会場に木霊する。
アレクが拍手をする。つられたようにちらほらと拍手が出たが、すぐに消えた。
事態の重さが、会場の空気の重さとなって、全員の上にのしかかっている。
「仰る通りです、殿下。しかし、現実は王の心通りには動きませんでした。カーチア伯爵家は乗っ取られてしまったのです。フラン嬢の叔父と叔母、そして──」
アレクの真っ赤な瞳が、再び会場の中心へと戻される。
「義妹のミリアン嬢、ロドリコ令息によって」
話の展開を見守っていたフランはここにきて、ようやく気が付いた。
これは、断罪である。
ただし、対象はフランではない。
王家の怒りがミリアンとロドリコの上に、今、振り下ろされているのだ。