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2.アレク・カヴァノフ公爵

 フランはカヴァノフ公爵の夜会に参加して、後悔していた。

 豪華なシャンデリアが照らすダンスホールでは、楽し気に沢山の人がダンスを楽しんでいた。どの人も、流行りのドレスを身にまとい、笑顔である。

 ダンスホールの奥には、立食が楽しめるようにセッティングされていた。見たこともない色鮮やかな料理が所狭しと並べられている。それだけでは、飽き足らず、料理人が次々と空になった皿を下げては、新しい料理を運んでくる。

 どこをとっても素敵な夜会である。

 対して、フランは古いドレス。ヒールも壊れており、無理矢理つなぎ合わせたものだからダンスは難しい。

 誰も声をかけてくる者はいない。

「まあ、カーチア家も落ちたものね」

「ええ? あれがカーチア家のご令嬢なの?」

 ひそひそ話が漏れ聞こえてきて、心が痛い。

 用事をすぐに終わらせたいのだが、それは簡単ではないようだった。

 フランのお目当ての人物は、人の中心にいる。

 アレク・カヴァノフ公爵。

 遠くからもわかるすらっとした手足。整った顔立ち。黒い髪は後ろで軽くまとめられており、赤く切れ長の瞳は見ている人を虜にする。さらに、魅惑的な笑みが加われば、異性でなくとも虜にしてしまうようだった。

 そうでなくとも、彼は主催である。挨拶にくる人の対応に追われている。

 フランも挨拶をしたらいいのかもしれないのだが、自分の恰好がそれをためらわせた。

 やはり来るべきではなかったかもしれない。

 だが、屋敷で不遇な扱いをされているリリーのことを思うと、帰るに帰れない。

 リリーの話をするのであれば、今日しかない。今回の夜会に行くのだって、義両親から許可をもらうのに、大変苦労した。

 挨拶に行かねば失礼になると、義両親に嘘までついたのだ。

 フランはロドリコとの婚約破棄が控えている。今後の外出はさらに難しくなるに違いない。

 ならば、今日どうにかしなければならないのに。

 緊張と、会場の熱気に当てられてフランは眩暈を覚えた。

 料理の匂いはもはや、毒である。美味しそうではある。しかし、長いこと食べる量が少なかったせいか、少量の油の匂いが気持ち悪さを助長する。

 仕方なく、フランはバルコニーに移動することにした。

 時間はまだ、あるはずだ。外の空気を吸って、落ち着こう。

 フランはそう決めて、ふらふらとバルコニーへと出た。


 外気に触れると、幾分か気持ち悪さがましになった。

 冷えた夜の空気が、フランの頬の熱を奪って通り過ぎて行く。

(これから、どうしたらいいのかしら?)

 手すりに手を置いて、整えられている庭を凝視する。

 なんとかして、カヴァノフ公爵に話をしなければとは思う。

(こんな素敵な夜会の日に話すようなことでもないわね)

 自分が場違いであるということをフランは痛いほどに理解してしまった。

 唇を噛みしめて、俯く。

 浮かぶのは、笑うリリーの顔ばかりだ。

 自分には何も残っていない。彼女の笑顔しかない。

 本当は、傍に居てほしい。

 でも、それは駄目なのだ。

 フランはリリーに一緒に不幸になってほしくない。

 だから、離れてもらうしかない。

 リリーの笑顔が失われることがないように。

 自分が何とかするしかない。


「外は冷えないかい?」


 不意に低い声が聞こえて、フランは肩を揺らした。

 振り向くと、先ほどまで人波にもまれていたはずの、カヴァノフ公爵が立っていた。

「あ……、その……ご、ごきげんよう。素敵な夜会にご招待して下さりありがとうございます。カヴァノフ公爵様におかれましてはご機嫌麗しく……」

 慌てて、カーテシーをする。

「アレクで構わない。前も言ったろう、フラン嬢? 挨拶が遅くなってしまってすまなかった」

 気さくな態度でカヴァノフ公爵──アレクが言葉にする。

 前に一度、ブルーサファイアを売った時に、アレクは同じように言ってくれた。もしかしたら、みんなに言っているのかもしれないが、それでも、フランは嬉しかった。

「いえ、本来ならこちらからご挨拶に伺うべきでしたのに、御足労頂きありがとうございます、アレク様。お恥ずかしながら、少し酔ってしまったようで、少し外の空気を吸いに出たところなのです」

 フランは本当は一滴たりともお酒は吞んでいない。だが、人に酔ったなどと、口が裂けても申告する気にはなれなかった。

 突っ込まれる前に、バルコニーに出た理由を言ってしまうに限る。

 アレクの真っ赤な瞳が少しだけ見開かれた。

「何かアルコールを含んでいないドリンクが必要だな」

「いえ! そんなつもりは」

「良いから」

 言うが早いか、アレクは近くに待機していた若いバトラーに小声で何かを告げる。

 主人の命を受けたバトラーは恭しく一礼するとその場から立ち去って行った。

「申し訳ありません」

「何故、貴方が謝るんだ。別に貴方は悪いことをしたわけじゃないんだから。それに、俺の夜会のお客様なんだから、少しぐらい楽しんでもらわなければ」

「……ありがとう、ございます」

「ああ、そっちの言葉の方がずっと素敵だな」

 アレクが上機嫌そうに笑う。

 これが正しい反応だったのかとフランは、内心、安堵の息を零した。

「さて」

 アレクが発したその一言でバルコニーの空気は一変した。

 彼がやり手の公爵であることを一気に思い出させる。

「貴女がこの夜会に参加してくれた理由を聞かせてくれるかな? いつも俺の誘いを袖にしてきた貴方が、わざわざ足を運ぶほどの理由が気になっててね」

 真っ赤な瞳がフランを見つめている。

 フランはごくり、と唾を飲み込んだ。

 もう、ここしかチャンスがない。

 恐れ多い。

 しかし、この先、ロドリコとミリアンからの粛清が待っている身だ。

 幸い、ここにはフランとアレクしかいない。怖いものなんてないはずだ。

 そう言い聞かせて、フランはゆっくり口を開いた。

「っ、お願いしたい儀がございますっ!」

「ほう。それは?」

 アレクの瞳が眇められる。

 胃の当たりがキシキシと痛みを訴えた。フランはぎゅっと両手を握り締める。

「リリーの……、私付きのメイドの次の就職先を探しているのです。このような頼み事をしてしまい、大変申し訳なく思うのですが、良いところをご紹介いただけないでしょうか?」

「…………は?」

「彼女には今、助けが必要なのです。彼女はとてもいい子で、明るく、前向きで……それによく気の付く、素敵な子です。まだメイドを始めたばかりで、不慣れなところは多いかもしれませんが、非常に勤勉で……、」

「ま、待ってくれ」

 フランは懸命に説明しようとして自分が早口になっていた事にようやく気が付いた。

 アレクの言葉に慌てて、口を噤む。

「何故、そうなる?」

「このままでは、彼女が不幸になってしまうかもしれません。本来、主人である私が護るべきだということは重々理解しているつもりです。でも、今はこうするよりほかないのです」

 リリーの笑顔を思い浮かべる。

 彼女には自分とは関係のないところで笑っていてほしい。

 フランは頭を下げた。

「……俺には、貴方のほうが助けを必要としているようにみえるが」

 その言葉につきり、と胸が痛んだ。

 アレクの言う通りかもしれなかった。

 でも、もう遅いのだ。何もかもが、決まった後だ。

 ロドリコが好きだった。それが自分を助けてくれる王子というまやかしだったとしても。

 だが、この世界に王子はいない。

 ロドリコからの愛は得られない。

 自分は幸せになれない。

 それが、運命だというのであれば、飲み込む。

 飲み込める。

 フランは静かに顔を上げた。

「ありがとうございます」

 アレクの表情が少しだけ和らいだ。

「しかし、私は大丈夫です、"公爵様"。多くは望んでおりません」

「っ」

 微かに息を飲む音が聞こえた。

 一時でも夢を見せてくれた相手の為に、地獄を突き進む覚悟は出来ている。

 この先、生きていても仕方がない。

 愛した人が、断罪を望むのであれば。

 喜んでこの身を捧げよう。

 どうせ、価値のない命なのだ。

「何卒、リリーのことをよろしくお願いいたします」

 フランはもう一度、深く頭を下げた。

「貴女はっ」

 アレクが何かを言葉にしようとして止まった。

 顔を上げると先ほどのバトラーが少し困った顔をして、ドリンクを持ってきたところだった。

「……彼女へ」

 アレクが促すと、バトラーが冷えたグラスを渡してくれた。

 優しい香りのする果実水のようだ。

「ありがとうございます」

「……先ほどの件だが、俺の方で探してみよう。近いうちに書状を届ける」

 深く息を吐いたアレクが、言葉にする。

「ありがとうございます、アレク様にお願いできるのでしたら、安心ですわ」

「貴女はどうするのだ? ご自身のメイドを手放して」

「私は大丈夫ですわ」

 リリーの安全が確保できた。

 それだけでフランの心は軽くなった。

「良いだろう。今はそれで構わない。だが、困ったことあれば、声をかけるように」

「勿体ないお言葉ですわ」

「……夜会を楽しんで行ってくれ」

「はい、ありがとうございます。アレク様も良い夜をお過ごしくださいませ」

 挨拶をすると、アレクは出て行った。

 嵐のような時間だった。

 だが、何はともあれ、目標は達成したのだ。

 フランは果実水を傾けた。とろみのある甘い液体が喉を潤して流れていく。


 フランは、これで大丈夫だと、本気でそう思っていた。

 だが、現実はそう甘くない。

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