05
*
ドレスからナイトウェアへ着替えると、外からぽつぽつ、と小さな雨音がした。
降りしきる雨音に耳を傾けながら、ベッドの上に座った。
「これ、お父様もお母様も帰ってこれるかしら……」
両親のことを頭に浮かべると、ふと自分は18才になったのだから結婚を意識しなさいと話されたことを思い出した。
(お父様とお母様には悪いけど、結婚しないのよね…)
なんて考えていたら降りしきる雨はもっと音を立てて窓を濡らしていた。
これ以上雨が強くならないように祈って、布団の中に身を埋めた。暫くウトウトと舟をこいでいると、どこからかゴロゴロと音がした気がした。
ハッと目を覚まして、外を見る。
「うそ…」
窓の外には暗闇の中でも分かるくらいの雨雲とピカっと光る稲光が見えた。自分の体を膠着させるように固め、思わずベッドの上から転がり落ちた。
夜もどっぷりと進んでしまっていて誰かに助けを求められそうにない、かといってこんな深夜に弟の部屋に行くのも何か違うな…と思い近くにあったソファの上で毛布を被って丸くなった。
―体は小刻みに揺れ、雷はまだ止みそうになかった。
(こわい、こわい……大丈夫、すぐ止むわ…我慢よ…)
いくつになっても、何年たってもどうしても雷を体が怖がったままで、震える体は強張るように硬くなる。瞳からはぽろりと大粒の涙が頬を流れる。
「誰かに、傍にいて欲しい…」
まるで自分が子供みたい、と自嘲気味に笑い、寝ているであろう弟の部屋に足を運ぶことにした。
眠っている彼の姿を見たらきっと安心できると、何となくそう思えたから自分の震える足に気合を入れて部屋の前までやってきた。
部屋の前までやってきて、その先の扉を開ける自信が持てなかった。
「やっぱりこんな時間に起こしてしまうなんて、迷惑よね……」
こんなのおねえちゃん失格だわ、としょんぼり肩を落として部屋に引き返そうとした瞬間、近くの窓が大きく光り周りが揺れるほど大きな音がした。
あまりの大きな音に叫ぶ声も出なくて慌てて部屋の扉を開けて走ってベッドにダイブした。
ただただ恐怖でいっぱいで、自分に雷が落ちたときの事を思い出してしまうようで苦しい気持ちが胸の中をしめていく。
飛び込んだ毛布の中でもぞもぞと動くものを見つけ、抱き着けば「えっ」という声が聞こえた。
その途端にべりべりと毛布をはぎ取られ、カタカタ震えていたレイチェルが露わになった。
「おねえちゃん?」
「………ごめ、ごめんね………」
震える声のままフィンリーに抱き着いたままレイチェルがそう謝れば、彼は首を振った。
そしてレイチェルの体を支えるようにして起き上がって座る。
「僕すっかり眠ってたから雷に気づかなかったよ、ごめんねおねえちゃん…起きてたらすぐにでも部屋に行ったのに…」
優しく声を掛けてくれるフィンリーに申し訳なくなりながらレイチェルは彼の方に顔を向けた。体を震わせ、目に一杯涙を溜め落とさないように我慢しているそんな顔を見られて恥ずかしさで苦しくなる。
「おねえちゃんが…こんな事で泣いてごめんね、フィン…」
「いいよ、雷に打たれた事がある人間が雷を怖がらない方が可笑しいんだから、僕がおねえちゃんを守るって決めてたのに、肝心な時は寝てるんだもん、ダメだなぁ」
ゆっくり体を支えながらベッドに倒され、彼の手が腰に回るのを感じた。
額にちゅっとキスを落とされて「眠れるようにおまじない」と微笑まれる、雷の光はまだ部屋を照らしているけど、音は遠くにいったようだった。
すこしずつ、強張っていた自分の体が解れていくように思えた。
目に溜めていた涙もゆっくり頬を伝って流れ落ちていく。
「フィン、ありがとう…」
レイチェルはそう言ってゆっくり目を閉じた。
弟の腕の中のぬくもりを感じながら、安心して夢の中に落ちていく。
―この子に大切な人が出来るまでは、その時までは雷の夜は傍にいて、と願いながら。静かに夜が明けるのを夢の中で待ち続けた。
*
「あ、おねえちゃん寝たの…?」
姉に声を掛けてから、小さく寝息をたてるのを見ていた。
安心して眠れたようで良かったと微笑み、腰に回していた手を片方レイチェルの頬に触れるように撫でた。
そして流れるようにその頬にキスを落としてから、また手を腰の方に戻す。
抱きしめるように体を引き寄せレイチェルを自分の方へもたれかけさせ、いつもやるように髪をすこしかき分けると彼女のうなじに、ちゅうと強めにキスを落として痕をつけた。
―これはレイチェルと一緒に眠っているときに先に起きたらいつもやっていた事だった。―
「この人は俺だけのものだから、ちゃんと印を付けないと」
そう声に出してからぺろりと自分の唇を舐めた。
両親が18才になったばかりの姉に言っていた言葉を思い出す。いつかレイチェルは結婚して家を出ていく、そのために自分がこの家に引き取られ愛情込めて育てられた。
そんな事はもうずっと前から分かっていた事だった。
年々美しく育ち、結婚出来る年になった姉はまだ弟と思って自分の事をいっぱい甘やかしてくれる、こっちが何を考えているかなんて想像もしないで。
クスリ、と笑ってそれからまたレイチェルを強く抱きしめるようにして眠りについた。
*****
「きゃっ…きゃあ…!!」
眩い光が射しこむ朝、レイチェルの悲鳴で目が覚めた。
先に起きたらしい彼女は抱き寄せられている腕から逃れようと暴れていた。
そんなか弱い力ものともせずに、もう少しだけ、と目を瞑ればワナワナと震える体から大きな声で叫ばれそうだったので慌てて目を開けた。
「おねえちゃん、おはよう」
「フィン、あなたどうして服を着ていないの…?」
「え?」
そこで自分が昨晩熱くて服を脱いだことを思い出した。
「僕はいつも寝る時は服を身につけない派なんだよ?」
「え、そうなの?」
「うん、だからおねえちゃんが布団に入ってきた時にはもう着てなかったと思うけど?」
そう言えばレイチェルは顔を赤らめて「昨晩は起こしてごめんね」と謝ってきた。
全然いいよ、気にしないで!と笑えば「本当にあなたはいい子なんだから…!」と頭を撫でてくれる。
正直雷の日は役得と思っているし、最近は何かと理由をつけて一緒に寝てくれなくなった姉を怪しんでいた節もあった。“婚約者の王子様”と結婚が近いのではないか、と。
自分だけのおねえちゃん、どんな時も絶対に守ると約束してくれた大切な人。そして同じ誓いも自分は結んだつもりでいる。
(王子様なんかに渡すかよ)
おねえちゃんの喜ぶ自分でいたい、可愛くて無邪気な男の子を望まれていると分かったから一人称を僕に変えて弱い振りをして毎日毎日傍にいた。
年が上がると少しずつ離れていく距離に焦りも感じた。
それにもうすぐ学園に入学してしまう、三年間もレイチェルと会えなくなってしまうのだ。
もしかしたらその間に王子様が何かしてくるかもしれない…自分にとって姉を守るチャンスは入学して一年という王子様と在学期間が被るそこだけなのだ。
両親には何度も王子様との婚約がなんとかならないのか聞いたし、レイチェルは婚約破棄になっても何の心配もいらないのだと言う。婚約破棄になる可能性があるなら、それなら…
(おねえちゃんは俺が貰ってもいいはずだろう?)
柔らかい姉の体をまた引き寄せて抱きしめる。その甘い香りに、肌に自分の体をぴたりと引っ付けた。
(ずっと、ずっとそばにいてよ…俺から離れないでよ)
そんな言葉も気持ちもまだ何も言えずに、腕の中から逃れようとするレイチェルをぎゅうと抱きしめた。
*****
「お嬢様~お手紙ですよ!」
「あら、ありがとう。誰からかしら?」
「フィンリー様からですよ」
「まぁ……」
―机に向かい、椅子に座って手紙の封をぴりぴりと破く。
フィンリーは今年14才になり聖オリバーライン学園へと入学を果たした。
最近はジョルジュとエイリスの噂も少しずつだが聞こえてくるようになった、きっと首尾よくヒロインパワー的な何かで恋愛を進めているのだろう。
そして、レイチェルは今年19才となった。
前世大好きだった小説“今夜、悪戯な運命に導かれて”で王子とヒロインの噂に心を痛めて臥せってしまう年になったのだ。
まぁ、実際は応援している側の人間なので気に病んだりはしないわけだが、それでも病弱という設定なので数日に一度体調が悪い日を作って部屋で寝込むようにしていた。
フィンリーから送られてくる手紙には近況報告と、王子の身辺についてが綴られていた。
そこには学園内での噂話も書いてある、勿論レイチェルが教えて欲しいとお願いしたものだったので事細かに詳細を調べて教えてくれる。
今学園内では“菜の花の聖女”と呼ばれるエイリスが聖女様の判定を受けるための試練に挑戦する予定で、そのためエイリスとジョルジュが最近よく2人でいる所を目撃されているらしい。
ついにエイリスの想いが通じてジョルジュと付き合い始めたのか、と周りには勘繰られているようで日々噂が絶えないようだった。
最近めっきりジョルジュからの手紙の数も減ったので、レイチェルもフィンリーから聞く噂の信憑性の高さには驚かされている。
(きちんと裏付けを取って確認して情報として扱ってくれる弟……本当に賢くて良く出来た子!!)
目の前に居たら頭をウリウリと撫でまわしていたところだっただろう。
そしてそのフィンリーにも学園で友人が出来たという、いつかレイチェルに紹介したいと書き記してありそこで手紙は終わっていた。
「あの子に、友達が……そう、良かったわねぇ」
フィンリーからの手紙を胸に抱き、レイチェルは椅子から立ち上がった。
ジョルジュの心に今いる女性がエイリスだったとしても、婚約破棄をされていない現時点ではレイチェルが王妃教育を引き続き受けなければならない。
―おまけにパーティーや王妃様主催の催し物にも参加しなければならないのだ。
「はぁ、きっと腫れ物に触るかのように扱われるわよねわたくし…」
世間の目は聖女かもしれないと言われているエイリスに向いている。
レイチェルはこれから王城で王妃様に誘われているお茶会に参加する予定になっていたので、正直なところとても気まずい。深いため息をついたところでメイドに声を掛けられた。
「お嬢様~!ドレスは深いブルーのこちらでよろしかったですか?」
「素敵な色ね、ありがとう。それにするわ」
すぐに支度を整えなければとメイドの持って来てくれたドレスに袖を通し、髪を綺麗に結ってもらう。
アクセサリーを付けようと手を伸ばし、ルベライトの宝石が付いているイヤリングが目についた。
「これ…」と声に出してすぐに目を逸らした。
自分が“ルベライトの姫”と呼ばれているのだと教えてくれた日にイヤリングを贈りたいと話してくれた王子が後日贈ってくれたものだった。
結局一度もつけることはなく、未だに箱の中に収納されているままだ。
「こんなもの付けて行ったら未練がましい女だと思われてしまうわ!」
他のプレゼントと一緒にしまっておきましょう、と箱を手に取ってジョルジュプレゼントBOXの中に置いておく。
ーこのBOXの中身は全ていつかお返しするプレゼントの墓場…否、山だ。
(どれもわたくしに似合うものばかりでちょっと持っておけないのは残念に思えるのよね…)
きっと選んでくれた使用人のセンスが抜群なのね!と心の声に付けたし、ヒールを履いて部屋を出た。
部屋を出てから玄関を潜り抜け、馬車に乗り込もうとしたところで母に声を掛けられる。
お庭で母が最近育てているハーブの鉢植えを手に持ったままこちらに近づいてきた。
「レイチェル、これから王妃様に会うのかしら?」
「えぇお母様、お茶会に誘われているんです」
「そうなのね…そのジョルジュ様の事……」
言いにくそうな顔をする母を見てレイチェルは笑って答えた。
「心配しないでお母様、今日はお茶会です。その話題が出てもわたくしは何も気にしませんから」
「……何もしてあげられなくてごめんなさいね、レイチェル……」
持っていた鉢植えを地面に置いてレイチェルの手を静かに握りしめる。下を向いていた母の顔がこちらを見つめるように上がった。
「こんな時にフィンリーがいてくれたらもっと気の利いた言葉でも、かけるんでしょうね……」
「フィンですか…?」
「えぇ、あなたたちは本当の姉弟のように仲良しなんだもの」
その言葉になんだか胸が温かくなる。心が嬉しいと弾むようだった。
「そう見えるのなら良かったです!わたくしたちはずっと仲のいい姉弟でいたいので」
レイチェルは嬉しそうに微笑んで見せ、母に手を振った。
―ここからが本当の闘いなのだ。
王妃様にきっと噂の事を聞かれる、そしてお茶会に参加する人間はみんな王妃様サイドの人達…自分が婚約破棄をされてもいいというスタンスでいても大丈夫か見極めないと!レイチェルは気合を入れるように自分の拳をぎゅうと握りしめた。
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