03
*
「レイチェル!聞いたよ、マナーの先生からお墨付きをもらったみたいだね。流石だ、私も誇らしく思うよ」
「まぁジョルジュ様ありがとうございます」
ごくりと紅茶で喉を潤す。会うたびいつもレイチェルを褒めてくれておまけにいつも欠かせず愛を囁いてくれるジョルジュ。こんな婚約者に対して熱烈な愛を持つ人が、ヒロインと出会って惹かれて恋をしていくなんてあまり想像がつかなかった。でも…
(わたくしはこんいたをしっかり読み込んできたオタクなのでどうやって恋に落ちるかは知っているのよね!)
―それこそ学園で恋に落ちるのがキーなのだ。
ジョルジュの通う学園にレイチェルは通わない、まだ娘は貧弱な体と信じている両親が来年14才になる娘に進学は勧めなかった。これは二回に一回仮病を使っていた事もあるが、まだ体力がない自分に寮生活は無理だと判断した両親の結論だった。
その上学園と王妃教育の両立なんてしたらレイチェルの体がもっと弱くなってしまうと考えてくれたことでもあった。
(原作通りに進んでくれて良かったわ…お父様もお母様もありがとうございます…)
心の中で手を合わせて感謝を贈り、レイチェルは前に座るジョルジュの話にまた耳を傾けた。
「最近レイチェルを王宮で見た人があなたを“ルベライトの姫”と呼んでいるらしい」
「ルベライトの…姫…ですか?」
「あぁ、あなたのそのラズベリーの色をした綺麗な髪をルベライトの宝石に例えて呼んだんだろうね」
「まぁ、そんな恐れ多いですわ…」
「私はとても良い呼び名だと思ったよ、ルベライトの姫だなんてとても素敵だ。そうだ今度あなたにルベライトの宝石のイヤリングを贈らせてもらえないか?」
「考えておきますわ」
「期待していて欲しいね」
ふふ、と口元に手を当ててジョルジュに笑いかける。
アクセサリーや宝石なんかは何度かプレゼントとして贈られた事がある、そのどれも着けずに大切に保管している。
全て婚約が破棄された時に傷一つつけていない状態でお返ししようと思っているから。
公の場では何かしら贈られたものは身に着けるようにしているが、細心の注意を払って汚したり傷つけたりしないように本当に、本当に気を付けている。
(これも婚約破棄までは続く苦労…がんばらなくては!)
自分の心に気合を入れなおしてもう一度紅茶に口をつけた。
*****
「あら?フィンリー?フィンリーってば…」
一度一緒に眠った日の夜から、三日に一度くらいのペースでフィンリーはレイチェルの手を眠ったまま掴んで離さない日が続いた。
前までは甘えたい年頃なので仕方ないと思っていたが、最近は朝起きた時に頻繁に体を抱きしめられるような形で眠っている事が多くなっていた。
「仕方がない、のかしら………?」
困ったように眉を下げながら、またベッドの上で眠ってしまった幼い弟に目をやる。今日はパジャマの裾をしっかりと握られているようだった。
いつものように彼の肩まで布団を掛けてあげて、寝息を立てる姿を少しだけ見つめる。
(家庭教師から今日は剣術を頑張っていたと話を聞いたし…きっと疲れていたのね)
こうやっていつまでも一緒に眠るような関係ではいけない、と思いながらもやっぱりまだこの子がこの家にやってきて一年も経っていない、どうしても甘やかしてしまう気持ちを拭いきれずにいた。
(でも…まだ8才の男の子なのよ…もう少しだけ、寂しい夜だけ一緒にいてあげるくらいなら…)
そんなことを考えていたら外から雨音がぽつぽつと聞こえてきた。
窓にあたる雨の粒が次第に大きくなっていくのを見つめ、自分の体を震わせた。
レイチェルは雷に打たれて以降、雷の音を聞くと体が震えて固まってしまうのだ。自分ではそこまで恐怖心を覚えたつもりはなかったが、体はすっかりあの時の痛みを思い出して小刻みに揺れてしまう。
自分の方に布団を手繰り寄せて体を覆うように毛布を被る。がたがたと揺れてしまう体を押さえながら両手で耳を押さえた。自然と目には涙が溜まってきて、本当に自分が恐怖しているのだと理解できた。
カタカタ震えながら雷が過ぎるのを待っていたら近くから自分を呼ぶ声が聞こえた。
「――ちゃ、―――ちゃん…」
耳を強く押さえていた手を離せば、毛布の外でフィンリーがレイチェルの事を呼んでいた。
「おねえちゃん!!どうしたの!?震えてるよ?」
「あ………」
可愛い弟は一生懸命レイチェルを呼んで、毛布の山に埋まった自分を助け出してくれた。
「フィンリー……」
「おねえちゃんは雷が怖いの…?」
「そ、そうね…昔、ちょっと当たったことがあって…」
「そうなの…?」
「えぇ、でも音を聞かなかったら大丈夫よ」
へらっと笑って彼を見れば、むう…とした顔のフィンリーと目が合った。彼はレイチェルの両手を自分の体に回すように抱きしめさせて、体を寄せる。そしてフィンリーの両手のひらはレイチェルの耳を覆った。
耳元に彼が近づいてきてくすりと笑う。
「僕の手は結構大きいんだ、おねえちゃんを雷の音からも守ってあげられるよ?」
「あ…りがとう…いい子ねフィンリー…」
微笑ましい彼の行動に強張っていた体が少しだけ解けていくような感覚を感じた。
大きな手のひらに頬をすりすりと寄せて笑い返せば、フィンリーも照れたように頬を少しだけ赤らめて笑い返してくれた。
「おねえちゃん、怖い夜はこれからも僕が守ってあげる。おねえちゃんだけは特別に僕のことをフィンって呼んでいいよ…?」
「フィン…?」
「うん、僕のお母さん…本当のお母さんが呼んでくれていた名前なんだ。おねえちゃんは僕にうんと優しくしてくれるから、だからもっと仲良くなりたい…な」
フィンリーにとって自分は本当の母親のように大切な存在の一人にしてもらえたのかと嬉しく思い頷いて「フィンありがとう」と感謝を告げた。
へへへ、と笑う彼にレイチェルはきっとこの子はいい子に育ってくれるわ、と嬉しく感じてその日の夜は雷が鳴り響く豪雨だったのにも関わらず2人で抱きしめ合って朝まで静かに眠った。
フィンリーにおねえちゃんと呼ばれるたびに、自分の心のなかに弟を守ろうと強く思える未来を思い描けるようになっていた。
(こんな可愛い子にわたくしのためにヒロインをいじめなんてさせないし、断罪なんて絶対にさせるものですか…!)
*****
「もう14才に、早いですわねジョルジュ様」
「学園でしっかり学んでくるよレイチェル、私が卒業して17才になったらきっと立派になってあなたの事を迎えに行く…約束だ」
そして、18才を迎えたら…と言ってから口を閉じた。
小指を立てて微笑む彼にレイチェルも同じように自分の小指を重ねた。
「お待ちしておりますわ」
2人で笑い合って将来の約束を交わす、穏やかに過ぎていく時間がついにタイムリミットを迎えようとしていた。
―ジョルジュが聖オリバーライン学園に入学する日が近づいてきたのだ。
14才の入学式でヒロインである女の子と出会い、一年間は2人は友情を育む。
二年生になった時に2人の関係が変わるイベントが訪れるのだ、黒猫が2人の運命を悪戯に搔き乱しながら導く標となる。
そして三年生になりお互いに両片思いのような気持ちを抱えたまま悪役令息であるフィンリーによって2人の恋は熱を上げていく……。
(うぅ…わたくしもその現場見たかった…!!!!!!)
出来るだけお手紙を書いて近況をお知らせくださいね、とジョルジュにお願いをして、どんなことでも相談に乗りますと彼に伝えた。
そして…
「ジョルジュ様が最高学年になられる年にわたくしの弟のフィンリーが入学する予定なんです、よろしければどうか仲良くしてあげてくださいませ」
そう告げて頭をゆっくりと下げた。
「勿論だよレイチェル、あなたの弟ということは私にとっても未来の弟だからね。いつも話を聞いている弟くんに会える機会を楽しみに待っているよ」
「ありがとうございます、ジョルジュ様」
(出来ればちょっと悪戯したくらいで断罪とかはやめて下さいね…!)
心の中でヒヤヒヤしながら付け加えて、これから学園に行く準備を進めるというジョルジュを見送った。これでジョルジュに会う機会はかなり減ったはずだ。
学園の寮に住むと言う話も聞いたし、公務は学園に在籍中は減らすのだと言う話も聞いた。
多くの人と触れ合い民の暮らしに寄り添う王になりたいと言っていた彼は、この学園でかけがえのない友情や絆、繋がりを作っていく。
婚約破棄をされる予定の自分はそれを遠くから見守っていく事しか出来ないが、この国が豊かになる未来が見えるので何の心配もいらない。
(どうかわたくしのいない世界で青春を謳歌してくださいね)
こちらは原作通りに進むよういつでも見守っておりますから!と目を輝かせて彼の出て行った部屋の扉を見つめていた。
*****
―ジョルジュが学園に入学して早一年が経った。
不思議な事にレイチェルの周りの環境は何も変わることがなく、王妃教育の時間が少しずつ減っていく程度だった。教師陣はレイチェルの体の事も気にしてくれているようだが、どうやら教えるべきことは殆ど教え切ってしまったのだと笑ってそう言った。
思っていたよりも自分は優秀な人間だったのかと、笑ってしまったがこのおかげでフィンリーと過ごす時間がうんと増えた。
毎日のようにフィンリーと午後にお茶をして、夜は一緒に本を読んだ。
さすがにもう絵本を読み聞かせたりはしなかったが、彼の持って来る本を一緒に読んで過ごした。
そのまま寝落ちてしまう事も度々あったが、昔みたいに使用人が運べるサイズ感ではなくなってしまったのでその都度起こしたり仕方なく一緒に眠ったりしていた。
*
びゅう…と強く風が吹く。
外に干されていたシーツがこちらに向かって凄い勢いで飛んでくる。
両手を顔の前に突き出して飛んでくるシーツを掴もうとばたばたしていたら、思っていたよりも大きなシーツを体と顔面で受け取ってしまった。
そのまま地面に転がるように倒れれば後ろからレイチェルを呼ぶ声が聞こえる。
「おねえちゃん!?!大丈夫!?!?」
ぶはっとシーツから顔を出してにかっと笑う。
「大丈夫よ!でもシーツは落としてしまったわ…今日は風が強いわねぇ」
「ほら貸して?僕が持ってあげるよ」
「ふふ、ありがとうフィン」
フィンに手を取られ転んだ地面から立ち上がろうとした瞬間また風が吹き、目の前が真っ白の何かに覆われた。
「きゃっ……!?」
「ぶわ…………っ」
目の前にいたフィンリーと一緒にまた地面に転がる。
何が起きたのだと焦りながら自分の上に飛んで来たものを取れば、それは先程のものとは違う大きなシーツだった。
「ほんとうに…今日は風が強いのね…」
呆れながらため息を吐いて彼の方に視線を向ければ、シーツを被ったままのフィンリーがもごもごと動いていた。
「大変!フィン、大丈夫?」
慌てて彼に被さっているシーツをめくれば、中から顔を赤くした彼がぶは~と声を上げて出てきた。
「ふふ、もう大丈夫?フィン」
「おねえちゃん……」
シーツを掴んだままフィンリーにぎゅうと抱きしめられて、その体を支えるように抱きしめ返す。頭を二、三度撫でてあげればニカリと口角をあげた彼がこちらを見つめた。
そしてシーツを頭まで被って、その中にレイチェルも入れる。
「フィン、どうしたの?」
「へへへ、おねえちゃんと2人だけの世界みたいでしょう?」
真っ白なシーツの中で、可愛く笑う弟と見つめ合って笑う。
少し近い距離に思えたけど、こうして風よけのようにシーツを両手で掴む彼が可愛くてしょうがなかった。
「そうね、2人だけの世界みたいね」
ぼそり、とフィンリーは言葉を漏らす。レイチェルには聞こえないように小さく「ずっと、ここに居てくれたら…いいのに」と。
「ん?なぁに?」
「なんでもないよ、おねえちゃん!」
真っ白なシーツに包まれて笑う弟は天使のように愛らしかった。ピンク色の髪と重たそうな前髪の隙間から見えるパープルの瞳。自分の指を彼のおでこの方に持っていき髪をかき分けるようにその瞳を見つけ出す。
「フィンの瞳はとっても綺麗な色ね」
「僕の目がすきなの?」
「えぇ、綺麗な宝石みたいで大好きよ…こうして前髪をわけないとちゃんと見られないのが残念なくらい」
そう言うと頬を少しだけ赤らめたフィンリーが被っていたシーツをガバリと下に降ろした。そして自分だけもう一度被りなおすと、シーツに包まりながらこちらを見つめ「おねえちゃんがそう言うなら…目、いつも出すようにする…」と恥ずかしそうに答えてくれた。
「無理しなくてもいいのよ?」
「ううん、僕ももうすぐ学園に通える年になるんだ…いつまでも髪で自分を守ってるだけじゃ………おねえちゃんを守れる男になれないもん」
シーツを手でぎゅうと掴んだままレイチェルに向かってそう言うフィンリーは頼もしく見えた。
(成長したのね…嬉しいわ…)
なんてほっこり思いながら、優しい瞳を彼に向ける。
「おねえちゃん嬉しいわ、でもいつかフィンがこの人だけだと思える女の子に出会った時その言葉を言ってあげて?」
「おねえちゃんだけだよ?」
「ふふ、今はそれでもいいの…いつか、ね?」
「いつか…?」
フィンリーが被るシーツを剥ぎ取り、ボサボサになってしまった髪の毛を整えてあげる。
そして優しく髪の毛を梳くように撫でながらレイチェルも笑って話した。
「フィンの胸がドキドキと、ときめいてしまうような出会いをして、その人の事ばかりを考えてしまう日常がやってきて、それで…触れたい優しくしたい一緒にいたい、とそう思える女の子と出会ったら…その子にあなたを守れる男になりますと、伝えてあげて?」
わかったかしら?と微笑めばフィンリーは唇を尖らせて「わかんない」と答えた。
「いつかでいいの、フィンの見つけた素敵な人をわたくしにも紹介してね?」
この子にはまだ恋や愛は難しかったかしら…?と反省しながら二人で飛んで来たシーツをたたんだ。
こつこつ足音を鳴らせば、身長が最近少しずつ伸びてきた彼がとなりをぴょこぴょこ歩いて追ってくる。
いつか、悪役令息なんていう肩書を持たなかった未来のあなたが素敵な恋人を紹介してくれる日を、心待ちにわたくしは自分の人生を謳歌してみようかしら?なんて少しワクワクする気持ちを胸の中に抱えた。
(婚約破棄される未来は確定しているけど、弟の断罪される未来だけは…わたくしが食い止めて見せる)
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読んでいただきましてありがとうございます。
次回更新5/4になります。