02
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ふわりと揺れるピンク色の髪、長めの前髪の隙間からパープルの瞳を大きく見開いてこちらを見つめていた。
「レイチェル、この子がフィンリー今日からあなたの弟になる子よ」
母に説明をされてもう一度彼に視線を戻した。
怯えるような仕草で母の後ろに隠れながらこちらを見てくる彼にレイチェルは自分の手を差し出した。
「こんな格好でごめんなさいねフィンリー、あなたの姉になれること嬉しく思います。どうぞこれからよろしくね」
そう声に出せば、のどが焼けるように痛くてゴホゴホと咳き込んでしまう。メイドに背中をさすられてから水を差し出され受け取る。
もう一度彼の方を見つめてからニコリと笑って手を差し出した。その手をゆっくり掴んでくれたフィンリーはレイチェルの瞳をジッと見つめてから緊張が解けたようにふわりと微笑みを見せた。
「ぼくの…おねえちゃん………こちらこそよろしくお願いします……」
その可愛らしい笑みにノックアウトされるように胸を押さえる。
(おね、おねえちゃん……おねえちゃん呼びされちゃった…)
彼はまだ8才で親元を離されたのだと聞く、そんな幼い子供が知らない家の子になるのだ怖いだろうし怯えてしまう事も無理ない。
ここは自分が彼の姉として…おねえちゃんとしてこの家に馴染めるように取り計らわなければ!と胸を熱くした。
「レイチェル、無理はしないで…まだ熱があるのだから、さぁフィンリーこちらにいらっしゃい。他の部屋を案内しますからね」
握られていた手が離れていき、寂しそうに笑う彼の姿に胸を痛めた。
「フィンリー、いつでもここにいらっしゃい。今は熱を出して寝込んでいるけれど、わたくし、本当はもっと元気なのよ?お庭を走り回れるくらい!」
「ぇ……」
「だからそんな顔をしないで?いつでも会いに来て欲しいわ」
「おねえちゃん…うん、ありがとう!また遊びに来ます!」
母に手を引かれて部屋を出ていく彼は扉が閉まるまでずっとレイチェルに向かって手を振っていた。その姿を微笑ましく見つめながら熱に侵される自分の頭を手で押さえた。
(やっぱり弟の名前はフィンリーだったわ……わたくしはこんいたの世界の悪役令息の姉に転生してしまっているのね…)
分かっていた事だったが、今日ようやく確信に変わった。
―レイチェルは今13才、弟になったフィンリーは8才で自分とは5才も年が離れている。
王子は今11才で小説のヒロインである聖女は王子と同じ年のはずだった。
小説の舞台になるのは“聖オリバーライン学園”この国に住むすべての国民に開かれた学園だが入るためには国でも難解とされている入学試験を受けなければいけない。
その試験を突破した者だけが通う事の出来る学園なので自然と幼い頃から教育を受けた貴族の子供が多く集まってしまうらしい。
王子であるジョルジュは14才になったらその学園に入学し17才の卒業までヒロインと恋を育んでいくことになる。フィンリーは王子が最高学年になった年に入学し、ヒロインの存在を知り姉の心が病んでいくのを何とかするために虐めの首謀者となる。
ジョルジュとヒロインの心が通じ合っていくのはフィンリーの働きあってこそだが、意地悪な罠なんてなくともきっと2人の出会いは運命で必然なのだから弟には絶対にいじめなんてさせないし、王子からの断罪なんてされてたまるものか!と自分の心に誓った。
レイチェルの目標は『自分とは婚約破棄をしてもらい、王子には聖女と結婚してもらう。弟にはうんと可愛いお嫁さんを見つけ国外に追放されないように立ち回る!』に決定した。
婚約破棄された令嬢には今後良い相手が見つかる可能性は少ないと言われているので、自分の未来は病弱という設定を生かして静かな土地に小さな家を買い、犬でも飼ってゆっくりとした老後を迎えてみようと考えた。
結婚願望があるわけでもないのだから自分に婚約者は必要ない、生活出来るだけのお金があればきっと毎日聖女様のいる国で豊かに暮らすことが出来るだろうと楽観視して未来を見据えた。
前世で夢見たスローライフが今世ではすぐ先の未来で叶う可能性が高いのだ。
「頑張ればわたくしの求める最良の未来が訪れるかもしれない…ということね」
気合が入るわ…!胸を押さえてワクワクする気持ちに心を躍らせた。ぶり返した熱にその後三日間程うなされてしまったがレイチェルの闘志は醒めることなく燃え続けた。
*****
コンコンとノックの音が鳴り響く。
「どうぞ」と声をかければ部屋の扉がギィ…とゆっくり開けられた。
「…おねえちゃん……?」
可愛らしい顔を覗かせるフィンリーが手に絵本を持ってやってきた。
テクテク歩いてベッドの上にいたレイチェルの傍まで来ると上目遣いで本を差し出した。
「これ、一緒に…読みたくて……」
「わたくしと?」
そう尋ねればこくりと頷いた。
可愛らしいおねだりに嬉しくなって彼を自分のベッドの上に座らせた。
「いらっしゃいフィンリー、今日は何の絵本かしら?」
「今日は森で木の実を集めたリスのお話だよ!おねえちゃん」
「まぁ、可愛らしいお話ね」
彼は夜寝る前にレイチェルの部屋に絵本を一冊持ってやってくるのが習慣になっていた。
最初の頃はレイチェルがよく体調を崩したりしていた為、思うように仲良くなれずにいた。体調が良くなればそのまま王妃教育のために王宮に通う日々が始まりフィンリーとの距離は全く近づくことがなく焦ったレイチェルが取った行動がこの夜の本読みの時間だった。
夜、彼は寂しくて泣いているとメイドに聞いたレイチェルが何とか両親を説得して毎晩フィンリーと一緒に居る時間を許してもらえたのだ。
(最初はどうなることかと思ったけれど…なんとかフィンリーを甘やかすことは出来そうね……)
ー2人でベッドに並んで絵本を読む、先に寝てしまうフィンリーを見つめてくすりと笑って使用人に彼を部屋まで運んでもらうというところまでが夜のワンセットになる。
8才の男の子を思い切り甘やかす方法なんて外で遊ぶことくらいかと思っていたけど、こうして絵本を読んであげることで彼の心が救われるのであれば良かったとレイチェルは自分の胸をなでおろしていた。ー
「おねえちゃん、このリスはどうして木の実を集めたのにすぐ食べないの?」
「あぁ、それは冬の間に食べるために残しているの、大切な食料でしょう?無くなってしまっては困るから、後で食べられるようにしているのよ」
「そっかぁ…」
すぐに食べたほうが他の人に取られないと思うけどなぁ、と彼が言葉を漏らすので、レイチェルは頭をゆっくり撫でてあげながら彼の話に耳を傾けた。
「大切に思うものほどしまい込んでおきたくなるものなのよ、きっと」
「人に取られたりしないの?」
「うーん、そうね…フィンリーは取られたことがあるの?」
レイチェルが聞けば彼は頷いて答えた。
「あるよ、いつも年下の僕は全部取られてきたから」
その言葉を聞いてレイチェルはここに来る前の彼の事を考えた。それは兄弟の中で一番末っ子の彼がご飯を奪われないように一生懸命食べたり、大切なものを隠してきた防衛の一つなのだと考えてから胸が苦しくなった。
(親戚筋とはいえ…裕福であるとは限らないものね……)
ふわりと柔らかい彼の髪の毛を梳くように頭を撫でれば、目を細めて喜ぶフィンリーと目が合った。
「ここにあなたの物を取る人間なんていないわ、大丈夫よフィンリー。何があってもおねえちゃんがあなたを必ず守ってあげるから」
「…………」
目を見開いて驚く彼が、持っていた絵本を置いてレイチェルに抱き着いて来た。
「本当…?」とか弱い声で尋ねる彼に「本当よ」と答え、自分からも彼の背中に手を伸ばす。そのままトントンとさすってあげれば、ぎゅう…と抱きしめられて一緒にベッドに横になった。
彼の震える体を安心させるように自分の方へ寄り添わせる。
こんな小さな男の子が将来自分のために断罪される道を選んでしまうのかと思うとやり切れない気持ちが溢れてきた。
大丈夫、大丈夫よ。と優しく声を掛け続けたら、ストンと彼の体重が重くなるのを感じる、もしかして?と思いながら胸元に顔を埋める彼を見ればスヤスヤと穏やかな顔をして眠っていた。
「ふふふ、眠ってしまったのね…」
彼から体を少し離して、顔にかかる前髪を払ってあげる。
整った顔をしたフィンリーはレイチェルの体に腕をまわしたまま、口を小さくあけて眠っている、その体を使用人に渡そうとしたらぎゅう…と服を掴んだまま離してくれなかった。
「あら、お嬢様どうしましょうか…?」
「今夜は仕方ないわ、ここで寝かせてあげて?」
「かしこまりました」
使用人にフィンリーの部屋から毛布を持って来るようにお願いして、自分のベッドの上から眠りやすそうな場所に移動した。枕を彼に譲りレイチェルは近くにあったクッションに頭を沈める。
ふぅ…とため息を吐いてからもう一度彼の寝顔を見つめれば嬉しそうな表情を浮かべたまま眠っていた。
「いい子ね、フィンリーは優しい子に育ってね…わたくしの事なんて何も気にしなくていいのよ」
言葉を声に出して、その夜は一緒に眠った。
少しだけ肌寒い日で一緒に眠る小さな男の子を湯たんぽみたいに抱きしめて朝までぬくぬくと優しい夢に包まれていた。
*
次の日、目が覚めたらフィンリーは先に起きていたようでまじまじとレイチェルの寝顔を見つめていた。
「な……あぁ、そうか…おはようフィンリー」
起き抜けに可愛い弟と対面してしまって驚いたレイチェルは体を仰け反らせたが、昨晩の事を思い出しふわりと笑って挨拶を交わした。
「おねえちゃんの傍、温かくていつもよりも…いっぱい眠れたよ」
へへへ、と笑うフィンリーは可愛いの化身でも纏っているかのように思えて、思い切り抱きしめた。
(この笑顔を守り抜く…おねえちゃんは今そう強く思ったわ!)
この日は王妃教育のために朝から王宮に向かう日で、あまり朝ゆっくりしてはいられなかった。
フィンリーにベッドから降りてもらい部屋から帰そうとすれば「今日もお勉強頑張ってね、おねえちゃん」と彼に励ましの言葉を貰い元気に頷いた。
「おねえちゃん、どこまでやれるか分からないけど頑張るわね!」
「へへ、僕のおねえちゃんは未来の王妃様だもん!すごいなぁ」
「あ……」
無邪気な笑顔でそんな風に言われ、レイチェルは首を横に振る。
「フィンリー、未来なんて誰も分からないの。もしかしたらおねえちゃんは王子様との婚約は破棄されるかもしれないし…でも、もしそうなっても心配なんてしないでね?今わたくしが培ってきたものは何も無駄にはならないの。これはわたくしが成長するために学びに行かせてもらっているようなものなのだから」
早口でそう答えればフィンリーは困ったように首を傾げた。
「おねえちゃんは…王妃様にはならないの?」
「分からないわ」
「おねえちゃんは…………」
そこまで言ってから口を噤む彼を見てレイチェルはハッとする。
(もしかして、わたくしが婚約破棄して家に戻ってきたら自分は要らないのではないか…と考えてしまっている!?)
彼の両腕をぎゅうと掴んで目を見つめた。
「婚約破棄されても、この家の当主になるのはあなたよフィンリー、あなたの居場所をわたくしは決して侵さないわ。大丈夫よ、おねえちゃんは一人でも生きていけるの」
こてん、と首を傾げたままの彼を見てレイチェルは考えすぎだったかしら…?と苦笑いした。そのまま手を離して彼を見送る。
まだ小さな子供に話すような事ではなかったわね、と笑ってメイドを呼んでドレスに着替えた。
そのまま急いで朝食を取り馬車に乗り込んで王宮に向かう。
今日はマナーレッスンの試験と王室の歴史を学ぶ。その後はジョルジュとお茶をしてディナーの時間までには家に帰る。
今日も体調はいい、やはり前よりも体が丈夫になっていた。色んな事をこなしても疲れなくなったし、何より今は生きる活力が湧いている。
可愛い弟に毎晩癒してもらえているし、ジョルジュとは良い関係を保てている。きっと学園に入った彼は真実の愛を知って、今の婚約を見直すはず、その時笑ってお別れを言える婚約者でありたいとレイチェルは願っていた。
「大丈夫よ、レイチェル…わたくしはまだまだ人生を楽しめるはずだもの!」
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