後日談
*
「ほんっとうに素敵なドレスでしたねレイチェルさま!」
「ありがとう、でもそんなに褒められると少し照れてしまうわ…」
きゃきゃっと手を繋ぎながら楽しそうに体を弾ませるナンシーにレイチェルは照れた表情で応えていた。
「それにしても…こんなにすぐまた会えるとは思ってもみませんでしたよ」
横から声を掛けてくるシドニーを一瞥してからまたナンシーの方へと向き直った。
「ナンシー、すごくすごく会いたかったわぁ!!」
「えっ、俺の事は無視ですか…!?」
「いえ視線で返事をしたつもりだったわ?」
あっけらかんとした顔のままレイチェルはくすりと笑ってシドニーの方を見て、やはりまたナンシーの方に視線を戻す。
そんなやりとりをフィンリーはもうかれこれ小一時間程見続けていた。
―そう、レイチェルを自分の膝に乗せた状態で。
「いや、ツッコむべきか熟考した上でのツッコミだけど。フィンリーは一体何やってんだ?」
「そんな考えていたようには見えなかったですけど…?まぁシドニー先輩ってあんまり頭使うタイプではないですもんね、あえて聞かれたのであれば、あえて答えます」
「はぁ……いいよ別に知りたいわけじゃ…」
「レイチェルが可愛いので繋ぎ止めてるんです!こうして膝にでも乗せておかないと誰に連れていかれるか分からないので」
ババン!とシドニーの制止も聞かずに答えるフィンリーは大まじめな顔でそう言い放った。
あまりに堂々と言うものだからシドニーもそういうものなのか?と流してしまいそうになる。
「シドニー、気にしないで、フィンはいつもこうなの。今日は人前だからマシな方よ、膝にわたくしを乗せるだけだし………」
散々な目にあっていたレイチェルは、結婚式の時やその後の生活を思い出して思わず口からため息を漏らした。
そう、結婚式を挙げてからもうひと月が過ぎようとしている。
今日シドニーとナンシーを家に呼んだのは、式で撮った写真が出来上がったからだった。
ついでにレイチェルは2人と会ってお茶をして楽しくお喋りなんかもしたい…と強く希望したため家に招かせてもらったのだ。
―フィンリーはレイチェルが友達とお茶をする分には何も言わないが、その頻度には指摘をしてくるのだ。
かと言って友達の少ないレイチェルにはあまり茶飲み友達というのはいない。
が三日に一度訪ねてくる聖女様と週に一度招かれる王妃さまのお茶会、そしてご婦人方に誘われるガーデンパーティー………なんやかんやでスケジュールが詰まりまくっている。
結婚後は2人で旅行に行こう、なんて話もしていたが結局どこにも行くことなくフィンリーは次期当主として父について勉強の毎日、レイチェルは母とガーデニング漬けの毎日……。
そう、2人でゆっくりとした生活を夢見ていたはずなのに全然二人きりにはなれずキツキツのスケジュールをこなす日々を過ごしていた。
そうして、ひと月も経つうちに先に爆発したのがフィンリーだった。
朝からレイチェルを離さず、今日から一週間休暇だ!と強く主張して部屋に籠城……基、引きこもった。
レイチェルもそんなフィンリーに付き添って一週間二人きりで過ごす覚悟を決めていたわけだが、両親は勿論そんなことを許してくれるわけもなく引っぺがされて仕事に駆り出される彼の後ろ姿を手を振って見送るしか出来なかった。
「新婚生活が前途多難で忙しすぎる!」とその晩文句を言うフィンリーに父は三日間の休みをくれた…というか彼が駄々こねてもぎ取った。
今は忙しくても慣れれば落ち着いてくる、と説得も試みたが我儘に育ったフィンリーを留める言葉としては足りなかったみたいだった。
―そしてその怒涛の休暇の三日間の最終日が今日なのだ。
朝からべたべたとレイチェルにピタリと引っ付いたまま離れないフィンリーを横目に気にすることなく前々から約束していたシドニー達を屋敷に迎え入れたのだ。
休暇の初日も二日目もレイチェルのやる事には何の文句も言わないし、お友達とお茶をしていても基本的に空気のように振舞っていたフィンリーだったので今日も何の問題もないだろう、と招待したわけだったが……。
なぜかお茶の相手がシドニーとナンシーだと知るや否やレイチェルを自分の膝の上に乗せたままガッチリと腕を回して固定しているので動けない状態になってしまった。
現状しっかり椅子としての役目を全うしてくれているので何とか気にせず済んでいるが、はたから見たらきっと…いやかなり変な光景だろうな、とレイチェルはわかるぞ。という目で2人に頷く。
「フィンも一緒におしゃべりしましょう?椅子ごっこはお終い」
「椅子でいい」
「でもわたくしの椅子だとシドニーとおしゃべり出来ないわよ?」
「レイチェル専用の椅子だからいい」
「もう強情ね………」
ごめんなさいね、シドニー。と謝りフィンリーの腕を軽く抓る。
ナンシーは特に気にしていないようだったので、このまま彼の膝の上に座ったままお茶を楽しむことにした。
結婚式は白百合の刺繡の施されたウェディングドレスを着たのだが、その時頭にはナンシーから受け取ったティアラを付けさせてもらった。
―そのティアラは今、他の結婚を控えた使用人へとお譲りさせてもらって自分なりに素敵な縁を繋げていけているのではないかと密かに幸せと達成感を感じている。
「この時のレイチェルさま本当に美しくて…私女神様かと思ったくらいです!」
純白のドレスには白百合が浮き出て、ラズベリーの髪を花のように結い上げ、緑色の瞳は透き通るように光を弾く………とつらつら褒め言葉を並べるナンシーにレイチェルは顔を赤くして照れてしまった。
「褒めすぎよ……さすがに恥ずかしいわ?」
ふわりと微笑めば、ナンシーの言葉に同意したようにフィンリーも声を上げた。
「さすがナンシーは分かってるね!レイチェルの可憐さはそれだけじゃない…歩く姿は百合の花のように凛として美しいのに、微笑んだ時の表情がまた…!!」
「わかりますわ!レイチェルさまの微笑みは世界一ですもの……っ!」
それからそれから!と盛り上がり始めた2人にレイチェルは顔をもっと真っ赤にして怒った。
「もう!これ以上はいいからぁ!!!!」
そんなレイチェルの様子を見て楽しそうに声を上げて笑うナンシーとフィンリーは意気投合したようにもっと話を繰り広げていった。
その日はレイチェルよりもナンシーとフィンリーが2人で盛り上がり、レイチェルはシドニーの方を向いてクッキーを一緒に食べながら領地でのことを話す会になっていた。
思い描いていたお茶会とは異なっていたが、それでも大切な友情たちと過ごす貴重な休暇の最終日を迎えたように思える。
フィンリーも明日からまたお仕事頑張って欲しいわ、なんて考えながら南になるトエウィースル領へと帰っていく2人を見送った。
*
ラズベリーの髪、特徴的なタレ目からバサバサと重たそうに生える睫毛、そこから零れそうなくらい大きくて綺麗な緑色の瞳。
レイチェルは髪の色から社交界では“ルベライトの姫”と呼ばれていた。
それも、もう昔の話。
レイチェルがジョルジュ王子の婚約者だったころに流行った通り名のようなものだ。
今の彼の妃は“菜の花の聖女”と呼ばれるエレイスで、結婚してからはおしどり夫婦だと推される新聞記事をよく目にする。
なんて事を頭の中で考えていたのに…。
「ねぇフィン、もう少しだけ待てないかしら………?」
「むり」
「あと少しで目を通し終わるのよ」
「やだ」
ぐだぐだ言い合ってもレイチェルの言葉は届かず、そのままフィンリーに優しく包まれていった…………。
―この少し前に時間は遡る。
シドニーとナンシーを見送ってから、引っ付き虫をしているフィンリーを背中に纏わせ部屋に戻った。
扉を閉めた瞬間もうレイチェルの体は宙に浮き、そのままベッドの方へ急降下。
成す術もなくボフンと体がベッドに埋まっていき、スプリングはギシギシときしむ音が部屋に響いた。
ベッドで横になりながら手に持っていた紙の束を見つめ、目の前でレイチェルの靴紐をせっせと解いている彼のことを見つめた。
(今日リボンで編み込んでいるシューズを履いていて正解だったかもしれない…)
レイチェルの足にはまった靴のリボンを引っ張る彼から、視線を手元に戻すと紙をペラペラと捲ってその中身に目を通した。
(ナンシーの改良した肥料…結構良さそうね、今度お母様やお友達にも使ってもらおうかしら…)
手に持っていた紙の束は先程帰り際にナンシーに渡された改良後の肥料の経過をまとめたものだった。
レイチェルは実家に戻って来てからも母とガーデニング漬けの毎日を送っていて、ナンシーの作ったものをいつも愛用させてもらっている。
(新しい肥料も全部輸入して、こっちでも使用した感想をまとめてみよう!)
うんうん、とワクワクしながらナンシーの新しい試みをまとめてある書類たちをベッド横に一枚ずつ置いていくと、既にレイチェルのややこしい靴を脱がせ終えたフィンリーが口を尖らせてこちらを見つめていた。
「あ、少し待てる?もう読み終えるの」
お願いするように上目遣いで彼と視線を合わせると、にこりと微笑んだフィンリーがレイチェルに向かって手を伸ばした。
「え?」と声を出したときにはもう視界は反転していて、ぺろりと自身の唇を舐めるフィンリーとばちりと目が合った。
「いっぱい待ったから、もう待てませんっ」
緩く二つに結っていた髪のリボンをするりと解いて、パラパラとベッドの上に広がるレイチェルのラズベリーの髪の上にフィンリーは優しく指で梳くようにして体を降ろした。
「フィン……あの、その」
「レイチェルは“ルベライトの姫”って呼ばれていたけど…俺はそんな宝石よりも“木苺の君”とかの方がいいと思う」
突然そんなことを言い出すフィンリーに思わず目を点にして、レイチェルは口をポカンとあけた。
「えっと…?」
「ラズベリーは小さく真っ白な花を咲かせるでしょう?その後真っ赤な実を生らす…レイチェルの白い肌はまるでその花のようだし、瞳の緑だって髪の色だって木苺みたいに小さくて可愛い…………そうだ!これからは“木苺の君”を通り名にしていこう!俺が言って回るから」
「や……やめて……普通に恥ずかしいわ、通り名なんてものはわたくしには必要ないのよフィン、お願いやめてね?あなただけが呼ぶならまだしも…ルベライトの姫だって呼ばれるの恥ずかしかったんだから…」
(これ以上変な名前が横行したら恥ずか死するわ…)
レイチェルの知らぬところで独断先行していったかつての名前を思い出し、少しだけ苦い顔をフィンリーに向ける。
誰か一人だけに呼ばれるならまだしも、国中の貴族に知れ渡るなんて絶対に嫌……と頬に手を添えむぅ…と膨らませると、視界に入ったナンシーの紙の束をまた近くに寄せた。
「えっと、どこまで読んでたかしら……」
目で文字を追っていくと、ちょうど切りのいいところまであと少しだった。レイチェルの髪をかき分けてくるフィンリーを押しのけその続きを読もうとしたら彼に紙を取り上げられる。
「もうだめ~、時間切れ。ここからは夫婦の時間ということで…」
「あと少し!あと少しよ!」
「今日でゆっくりできる日も最後だよ?最後は俺のお願い聞いてくれないの…?」
うるり、とパープルの瞳をこちらに向けてレイチェルだけを映す。
上から見下ろされ、彼の少し冷たい手のひらがレイチェルの頬にゆっくり触れた。
「フィン…」
「お願い」
これは可愛らしい表情で自分に触れる彼のお願いを断れない事を知っての行動だ。
仕方ないとため息をつくと、レイチェルは手に持っていた紙をベッド横のチェストに置きそのまま彼の首に手を回した。
「いいわ、三日間わたくしの好きにさせてくれてありがとうフィン」
楽しい時間だったわ、と言う暇もなく彼に口を塞がれた。
(前もこんな事があったわね…わたくしの言葉をキスで遮る趣味でもあるのかしら…)
そのままゆっくり瞼を閉じて、彼から落とされる口づけに応えるように触れる。
少しだけ唇を離そうとすれば、腰をグッと掴んだままもう片方の手で耳元に触れフィンリーはレイチェルの下唇を甘嚙みしてきた。溶かしていくように触れ、油断した口は小さく隙間をあける。
思わず目を開けて彼の方を見ると、ははっと笑うフィンリーがすぐ近くにいて、その瞳は熱っぽく今にも食べられてしまいそうだった。
仰向けに横になったレイチェルの上でフィンリーは楽しそうに口内を犯していくようなキスをする。
さっき彼が飲んでいたハーブティーの味が自分の口の中に移っていく気がして、思わず口を噤んだ。
「くち、あけて」
「……」
「なら開ける気になるまでゆっくり体中にキスして待ってるね」
無言の抵抗も空しくフィンリーはレイチェルの首元に痕を付け始める。指先でなぞるように鎖骨から胸元まで下がっていくとぺらりと服をまくってから、真っ白な柔肌に手で触れ口づけた。
どんどん下りてくる彼の手に羞恥が耐えきれない所まで達して、レイチェルから彼の唇にキスをした。
「フィン」と名前を呼べば、嬉しそうに目を細めて顔を近づける。
「レイチェルからのキス、嬉しいなぁ~もう一回してよ」
「むり」
「お願い!」
「……………むぅ」
フィンリーの首に手を回し、ぐいっと引き寄せるように顔を近づけるとチュッと可愛い音を鳴らした。
「どう?」と笑って聞いてやろうと閉じていた目を開ければ、彼は「初夜の時よりうんと上手くなったねぇ?でも、もっと甘いのがいい」と口にしてから思い切りレイチェルを抱きしめてキスの雨を降らすように何度も口づけた。
何度も、何度も角度を変えて繰り返されるキスにレイチェルは目を回してしまいそうだった。
深いところまで舌がまさぐってきては離れ、呂律が回らなくなった口からは涎と甘い声が何度も溢れてくる。
「ふぃん、まってぇ…んん、んあ…」
「まだ夜にもならないけど…今夜はずっと離さないよ木苺の君♪」
「それ、嫌だわ…ちゃんと名前で呼んで?」
「え〜可愛いのに」
でも気に入らないのならやめておくよ!と微笑んだ彼にレイチェルは頬ずりして手をフィンリーの胸元に這わせた。
「ねぇ〜誘ってるの?何しても全部可愛いんだから…」
優しい声が耳元で言葉を紡いでいく。
彼に触れられた場所は熱くて、でも離さないで欲しくて何度も縋った。
「すきよフィン、だれよりも」
「俺も、ずっとレイチェルだけが大好き」
空模様はオレンジが陰りだしたばかり、シドニーとナンシーは無事に家にたどり着いたかしら…なんて頭の中で思い浮かべすぐにそんな事考えられないくらい夢中で求められて、かき消された。
真っ暗な暗闇が来るまでの数刻、2人きりのこの部屋の世界でゆっくり流れるように時間を浪費していく。
いつか子供だった自分達が一緒に眠ったような夢想の日々を思い出しながら、彼と手を繋ぎ変わっていった関係を見つめ直す。
(これがわたくしだけの…ハッピーエンド、かしら?)
姉弟なのに、と言っていた2人暮らしをしたあの日々を懐かしく思い、レイチェルは静かにフィンリーを見つめ啄むような口づけをした。
髪を撫でられ、頬に触れられ、ただ一人の大切な彼に唯一の愛を注がれ囁かれる。
レイチェルの中で少しだけ残っていた可愛らしい弟としてのフィンリーをどうにか、いまの彼に書き換えたくなった。
彼がどう思うかは分からないけど、それでも…お願いをすることにした。
「ねぇフィン……おねえちゃんって呼んで?これを最後にしたいから」
不安そうに瞳を揺らすレイチェルに、こてん…と首を傾げたフィンリーは不思議そうな顔で少し考えてから何かに気付いたように「いいよ!」と目を輝かせた。
「バイバイ、僕のおねえちゃん!
愛してるよ、俺だけのレイチェル」
可愛らしく言ったと思えば、不敵な笑みで語りかける。
こうして胸の中にあった可愛い弟像は、かっこよすぎる大好きな旦那様に綺麗に書き換えられていった。
繋がれた手を離さないように絡めてぎゅっと握りしめられる。
今更知った性格の悪さも、欲しいものを手に入れるためのあざとさや周到さも、なんでも利用しちゃうずる賢さも…全部全部飲み込んで大好き!と叫べてしまう。
(わたくしの旦那様ってば……世界一の悪役になれちゃうんじゃない??)
最初から悪役の素質の塊だったのだと思い出し、原作の展開を鼻で笑った。
断罪の未来なんて自分が弟を可愛がり倒した時点でもうフラグが折れてしまっていまのね、と。
「愛してるわ、わたくしだけのフィン」
これは悪役令息になるはずだったの弟に気付けば溺愛されてしまった姉弟の幸せな、未来の始まりのお話。
―完―
ここまで読んでいただきましてありがとうございます。
これにて完結になります、多くの方に読んで頂けたようでうれしく思います。
ブクマ・評価もありがとうございます!
また何か新しい物語を始めたいな、とは思っているのでご縁がありましたらどうぞ見てやってください。




