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*



「レイチェル、僕と結婚してください…!」


 震える手のひらの中には小さな花が一輪、凛と咲いていた。

風に揺れるその花弁を見つめながら、彼のオレンジ色に光る瞳を見て答える。


「本当にわたくしでよろしいんですか、ジョルジュ様」

「勿論だよ!レイチェルとの未来しか考えられないから!!」


 何度も頷くように首を振る彼に、戸惑う心を抑えてゆっくり花を受け取った。


「わたくしで…よろしければ是非」


 控えめに笑えば彼は満開に咲いた花のように笑みをこぼした。

嬉しい、嬉しい、とこちらを見つめながら喜ぶ彼になんて言葉をかけたらいいのか分からなかったけれど、こんなに自分の事を好きになってくれる人に出会えたことに感謝した。そして彼の頬を伝う涙を自分のハンカチで拭ってみせた。


「泣かないでくださいませジョルジュ様?」

「ごめん、レイチェル…私は今すごく感動してて…う、う…」

「もう」


 涙を拭ったハンカチをそのまま彼に渡せば、嬉しそうに手に取って握りしめた。


「私の方がレイチェルより二つも年下だが、必ず頼りになる良い王となる!その時私の隣にいてくれるか…?」


 潤ませた瞳をこちらに向ける彼にくすりと笑ってみせる。


「えぇ、ジョルジュ王子の御心のままに」



 こうして私、レイチェル・ドルレットは“オランジェーズ王国”の第一王子と婚約をした。

二歳年下の王子様の熱烈なアプローチの末の恋愛婚約というやつだった。



 ドルレット家は超名門の伯爵家で、今や飛ぶ鳥を落とす勢いでのし上がっている所だった。父は次期宰相と言われる程有能な人材で人柄も良く、少し腹黒い所が玉に瑕だと母は言う。

「まぁ…宰相になるつもりはないし領地運営だけで十分楽しいから、婚約は好きなようにしていいよ」という父の言葉で関係をなあなあにしていた王子との婚約が形になってしまったとも言う。




「お嬢様!王子との婚約おめでとうございます!!」

「はは、は、ありがとう」

「あら?あまり気乗りしないですか?」

「そういうわけではないの…でも王妃という肩書はわたくしには重いように思えて…」


 まぁ、この先の未来なんてまだ分からないわよね、どうなるかなんて誰も。と小さく漏らせばメイドに弱気な言葉はダメですよ!と怒られた。


 正直、自分にこの国の王子を支える技量があるように思えない。

こう…熱量が足りてないのだ。でも求婚を受けて婚約してしまったから自分はすぐに王妃教育が始まってしまう、本当に出来ることなのだろうか…と心配する気持ちが日に日に強くなっていった。


それでも…


「こんなわたくしを会うたびに好きだと、一緒にいたいと言ってくださるジョルジュ様の期待には応えたいのよね…」


 心の中に小さな光が灯るように、先ほどまで重くのしかかっていた重圧が少しだけ軽くなっていったように思えた。

 まさか、恋…?なんて思いながら、やっぱり素直な気持ちを長年ぶつけられ続けていると絆されてしまう心もあるものなのだろうな、と笑ってしまった。



 ジョルジュとレイチェルの出会いは彼の7才の誕生日パーティの時だった。


 王妃様の後ろを付いて回っていた彼に、両親と共に挨拶にいった時になぜかとても懐かれてしまった。その時は自分の事を姉のように思ってくれているのだと嬉しく思っていたが、交流を重ねるたびに、彼の気持ちは姉への親愛ではなく女性への好意なのだと気づいた。


 彼の恋心を否定するのは気が引けて、これは年上のお姉さんに憧れを抱いているという一種のプラシーボ効果的な何かだと諭すようにしていた。

 ある一定の期間を過ぎればきっとその気持ちは醒めるのだと教えれば彼は首を振って否定した。そんな彼が可愛く思えて、少しだけ…と交流を重ねていった結果………


―そう、今に至るのだ。


 彼の恋心は醒めることなく想いは私にだけ注がれていき、婚約という形で決着がついた。

決着と言っていいものなのかは謎だが、やはりこちらが絆されてしまったのだ。愛やら恋やらという分からない感情の上書きで。




*****




 くるくる回るように優雅に体を運んでいく。

ダンスやマナーは実家の家庭教師に習っていたけど、王妃教育のために用意された教師からの厳しい指導を毎日のように受けさせられていた。


「レイチェル様さすがですわ!ここまで出来ていれば何も問題ありません」

「先生ありがとうございます、でもまだまだですわ…もっと精進いたします」

「まぁ、ほんとうに謙虚な方……では来週もよろしくお願いしますねレイチェル様」


 こちらこそ、とお辞儀をして部屋を後にした。


(このくらい出来ていれば合格の範囲なのね…覚えておきましょう…)


 何事も程々が一番なのだ、疲れてしまっては意味がないし。そう心の中で唱えながら彼の待つ部屋へと足を運んだ。

 メイドに扉をノックしてもらい中に入れば、目をキラキラと輝かせたジョルジュがソファに座って待っていた。彼の前のソファに腰を掛けて顔を向ければ勢いよく話しかけられた。


「レイチェル!王妃教育お疲れ様!!今日はどうだった?」

「ジョルジュ様、労りのお言葉ありがとうございます、今日はダンスのレッスンでしたよ」

「そうか!レイチェルは蝶のように優雅に舞うからなぁ、きっとレッスン室は華やぐような空間に早変わりしたんだろうな、私も見たかったよ」


 にこにこ笑顔を見せながら楽しそうに話すジョルジュを見つめて、心が優しい気持ちで満たされた。


「ありがとう…ございます…」

照れたように笑ってお礼を返せば「いえいえ」とまた微笑まれて、いたたまれない気持ちになった。


「そうだ、体は大丈夫?」

「はい、最近は調子がいいんですよ」

「それなら良かった、レイチェル無理だけはしないで?あなたは体が弱いんだから」

「…気を、付けますわ……」

「これは注意じゃないよ、私が心配なだけなんだ」


 困ったような顔を見せる彼に、私も瞳を戸惑ったように揺らした。


 それから本当に平気だからと笑って彼の前から立ち上がった。


 いつも王妃教育の後、時間が合う日は殆どジョルジュとお茶をしてから帰っているのだが、今日は少し天気が崩れそうだから挨拶だけして先に失礼させてもらうことにした。

少しだけ気まずい気持ちになりながら頭を下げて部屋を退室した。




*



―馬車を走らせ、揺れる座席の上で物思いにふける。


そして頭の片隅で今朝母に言われた言葉を思い出した。


「養子……か…」


それは今朝唐突に母から告げられた言葉だった。

“来週養子の子を引き取って屋敷に迎えるから、そのつもりでね?”


 ドルレット家に子供は娘である自分だけ、その私が王子との婚約でお嫁にいく事が決まってしまったから親戚筋から男の子を一人養子に貰う、という事らしいが…。


 ただでさえ人見知りな自分に弟なんて…仲良くなれるのかしら、と憂鬱な気持ちに心が沈んでいくようだった。


「わたくし、そんなに器用ではないから今は王妃教育だけで手一杯なのに…」


 レイチェルの体は昔から弱く、幼い頃は病弱で外にも中々出ることが出来なかった。今では無理をしなければ体調を崩すことは無いが、やはり体力があまりないので程々にこなせる自分の限界を見極めて行動する事を常に心がけている。


 はぁ、と大きくため息をついて窓の外を見つめた。

ぽつぽつ、と降っていたはずの小さな雨粒は見ないうちに大きな雨音のする大きさに形を変えていた。


 暗い色をした雲の中から光が射す。ピカッと光ったと思えば大きな音が辺りに轟々しく響いた。


「きゃっ………なに……?雷…?」


 自分の体を両手で抱きしめ、窓にまた視線を向けた。

どうやら近くで雷が落ちたようで馬車が進まなくなってしまったみたいだった。家まではまだ少し距離がある、ここから歩いて帰るのは難しそうだと思いレイチェルは一人座っていた馬車の中で蹲るように体を縮めた。


「あ、また光った……」


ゴゴゴゴ…と大きな音が辺りに響く。


「はぁ、雷って少し怖いのに…最悪だわ…」


 いつまでも止まっているわけにもいかず仕方なく外の様子と従者たちの確認をしようと馬車の扉を開け一歩下りた時、目の前に眩い程の光が見えた。


 その瞬間、何が起こったのか分からないほど体にビリっと何かが駆け抜けた。


一瞬の出来事で何が起きたのか理解できなかった。



 周りから焼けこげるような匂いと、従者の叫ぶ声、そして動かない自分の体。

ぴりぴりと痛みを感じる肌に雨が降り注いでくる。



(あぁ、わたくし…雷に打たれたのね…)



そう理解したときには、もう、意識が遠くにいってしまったあとだった。






*****




「――チェル…!レイチェル!!!!目を開けて!!!」


 ハッと目を開け気づけばそこには、目に一杯涙を溜めた母の姿があった。

ぱちぱちとゆっくり瞬きをしてから、何かに違和感を感じた。


「レイチェル!!目が覚めたのね?あぁ、可愛い我が子、本当に良かった…!」

「お母さま………わたくし…」

「もう大丈夫よ、あなたは雷に打たれてしまったの、でも奇跡的に無傷だったの!」

「…そう、でしたか…」

「えぇ、きっと神様が守ってくれていたのね!本当に良かった…雷の中外に出るなんてもう絶対にしてはダメよ?いいこと?」

「はい、お母さま」


 母に注意された後もう一度目を瞑った。何か、違和感が拭いきれないのだ。

何かを忘れているような、思い出せない何かが自分にとってとても大切なことのように思えて……



―ぱちりとまた目を開けた。



「わたくしの名前はレイチェル・ドルレット……伯爵…令嬢…………オランジェーズ王国の第一王子であるジョルジュ様の…こん、やくしゃ………」



はっ、と息を飲んだ。


(どうして、どうして忘れていたの………?)


 遠くにある鏡を見つめ自分の姿を映す。ラズベリーの髪は優美な波を打つ長髪で、エメラルドグリーンの瞳と特徴的なタレ目。真っ白な肌に細い体は少し不健康そうで……………


「わたくし、やっぱり……!」


(大好きだった小説の登場人物に転生してしまっている…!?!?)



“今夜、悪戯な運命に導かれて” 通称:こんいた


 前世の私が大好きだった女性向け小説のタイトルだ。

めちゃくちゃリスペクトし続けていた女性向けゲームのプロデューサーの田上Pが初めて書いた恋愛小説なのだが、これがまた面白くて王道な話なのに泣ける。

「あんた!なんてもんを世に出してしまったんだい!」と泣きながら最終巻までしっかり応援させていただいた小説だった。


 話の流れはそう特別なものではない、王子様と平民の女の子が恋に落ち結ばれるシンデレラストーリーだ。後に女の子が実は聖女だったという驚愕な真実もあるが、至って設定はシンプルで分かりやすい王道物語そのものなのだ。


それでも何がそんなに私自身を引き付けたかと言うと、“悪役令息”の存在だった。


 王子様には幼い頃から将来を誓い合っていた婚約者がいて、その婚約者の弟がヒロインの女の子に嫌がらせをするのだ。

 婚約者の女の子は体が弱く、王子様の心が離れていく事で心労が溜まり病気になり寝たきりになってしまう、そんな姉の姿を見てどうにか王子様に戻ってきて欲しい一心で、ヒロインの事を虐めまくる、その行為は段々とエスカレートしていき犯罪すれすれな行為まで進んでいく…最後は王子の卒業式の場で断罪されてしまう。


 悲しい姉弟愛と運命の恋に翻弄されていくヒロインたち、天国と地獄のようにバラバラと綴られていく群像劇に思わず息を飲んで読み進めていたものだ。


 最後は婚約者であった姉が王子様に婚約破棄を申し出て、弟の嘆願をしてなんとか命だけは助けてもらい国外追放になってしまうが、聖女を王妃にもらったこの国は豊かになっていきみんな幸せに暮らしていく。という結末になるのだ。


 その婚約者の弟はやりたい放題なわがまま人間だったから、ざまあみろと思ってしまっていたところもあったが……………


「もしかして…わたくしって物語に出てくる悪役令息の…おねえちゃんなのかしら?」


 その事実に気づいてしまい思わず顔が真っ青に染まっていく。

そんな、そんなはずはないわ…あれは小説の世界なんだから!と頭を振ってもう一度よく考えた。あの悪役令息の名前は…確か……


「フィン……そうフィンリーだったわ…我儘な甘ったれ小僧…」


―確か母は来週に養子を迎えると言っていた、その時に来た子供の名前がもしフィンリーだったら、自分の未来はもう確定されたものだと思おうと胸の前に手をおいた。

震える自分の手のひらを思い切り掴んで「大丈夫よ、」と呟く。


「大丈夫、だってわたくしはこんいたを前世読みつくした女なのだから……」


 展開だってなんだって分かるんだから…!と自分の事を奮い立たせる。むしろ大好きな小説の世界で当て馬のようなポジションではあるが登場させてもらえている、この幸福を運命と思わずなんと呼ぶのか、そう考え直して震える手のひらを抑え込んだ。


「王子との婚約は未来で破棄されてしまう…それでも、わたくしに出来る事はなんでもさせていただきますからね!」


 急に愛おしく思えたこの国の未来のため。

 そしてこの国の聖女と王子のラブストーリーの立役者となるのだ、このわたくしが!と胸を強く高鳴らせた。



「あ、弟…………」


 そこまで考えてから自分の弟の存在について考えた。

原作では養子に来る弟は幼い頃に家族の愛情をあまり受けられずに、伯爵家から金をもらって生きてきたという。

 レイチェルが体が弱かったせいもあるが、体調の良い時は王妃教育に行き予定のない日にしか弟と遊んであげることが出来なかった。

 その少しだけの愛情を糧に彼は成長していき、悲しむ姉を見て何とかしたいと立ち上がるのだ…。


「わたくしが王妃教育をやめる…?いえ、でもそれでは小説のお話が始まる頃に設定が変わってしまいそう……」


 それなら…どんなに無理をしてでも弟に愛情を注ぎまくって真っ直ぐな性格の良い人間性を育んで、婚約破棄されても心配なんてしなくていいのだと何度も言葉にして伝える…?と考えた。


(これなら弟は真っ直ぐ育ってくれて、おまけに王子様とヒロインが上手くいっても暴走して虐めたりはしないはず…。たぶん)


 自分の両肩をグルグル回すように体を動かす、それから体を前に倒して屈伸するように伸びをした。

小説の事を思い出してから何故か体に羽根が生えたように軽く感じた。


「もしかして、稲妻パワー的な……電流浴びて体が強くなったのかしら…?」


 そんな馬鹿な事あるわけ…と考えてから、いや体が強くなったのならそれは好都合だな?と思い直した。これから王妃教育と弟を可愛がり倒すという大変な仕事が待ち受けているんだ。体が強くなったのであればミッションクリアも夢ではない。むしろ現実的だ、と顎に手を当て頷いた。



「これ、イケてしまうかもしれないわ…?」



 妙に自分に自信が付き、前向きに未来について考えられるようになったレイチェルはそのまま物音を立てないようにベッドから降りた。


 ピョンピョンと何度か床を跳ね、そのまま部屋の中を走り回る。

いつもならすぐにバテてしまうはずの運動が何故か全然疲れなかった。


(やっぱり!体が丈夫になってる!!)


「雷、様様ね?」


 これなら学校に通う事も出来そうだけど…と思い、すぐに首を振った。


「原作に忠実に行動するのよレイチェル。わたくしがこの国を豊かにする大恋愛のキューピットになるのですから!そうわたくしが見届けるのです!!!」


 王子様と聖女様の運命の恋を!と声に出して満足げに笑う。

今は王子に愛されているかもしれないけど未来では婚約破棄となる約束、それならこれ以上絆されるわけにはいかないわね。ともう一度気を引き締めるように自分の手を握った。


「やることだらけの人生の始まりね、でもようやく……」


 周りの事に関心を持てなかった自分の心に炎が灯ったようだった。

 やる気が溢れてくる、何事も程々にこなして体が疲れないように考えていた過去の自分が馬鹿らしく思えてしまうくらい、こんいたの世界に転生しているかもしれないと言う事実が自分を奮い立たせているようだった。



*


中編くらいの連載予定です。

可愛い弟と断罪回避と婚約破棄を目指す、めげない負けないヒロインのレイチェルを

どうぞよろしくお願いいたします。


次回更新5/2になります。





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