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「わたくしレイチェル・ドルレット、22才…………男性に免疫をつけます…!」
目の前で一緒にお茶をしているナンシーにそう宣言すれば、彼女はキョトンした顔でレイチェルの事を見つめた。
「免疫って、一体どうしたんですか?」
「うぅ、わたくしってば悪い女なの……でもすべては免疫がないからだと思うし…」
「だから何があったんですかレイチェル様?」
目をいっぱいに潤ませてナンシーを見つめてから彼女を思い切り抱きしめて言う。
「弟相手にドキドキしちゃったのぉ!!!距離が近くて!!!!」と。
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時は遡って一日前。
ナンシーとの久々のお茶会に備えて紅茶のブレンドを考えたり、お菓子の用意をしていたレイチェルはルンルンと鼻歌をうたいながらその日は朝からキッチンに引きこもっていた。
「ナンシーはスパイシーなものも好きなのよね?お菓子の味付け変えてみようかしら?」
そんなことを口に出しながら呑気にお菓子を作っていたら、フィンリーがお腹すいたとキッチンに入って来てレイチェルの用意していたお菓子を見て目を輝かせた。
「わ!美味しそう!おねえちゃんお菓子作ってるの?」
「え?えぇ、明日ナンシーとお茶会をするの、その為のお菓子よ」
「いいなぁ…僕も食べたいなあ、お腹空いちゃったよ」
「ふふふ、仕方ない子ね?これを一つだけ分けてあげる!」
そう言って近くにあったクッキーをお皿から摘んで彼の前に持っていくと、フィンリーは笑顔でお礼を言ってレイチェルの指ごとぺろりとクッキーを口の中に入れた。そして、ニカっと口角をあげて「ん、おいし!」と言って手を振ってキッチンから出て行ってしまった。
突然のことで何も反応出来ずレイチェルは啞然と自分の指先を見つめた。
「ぬぇ………?」と小さく声を漏らしてから顔をボンっと赤くする、そして声にならない叫びをあげて顔をタオルで覆った。
「ふ、不可抗力……触れただけ、気にしたらだめ…!」
必死に自分の頬をぺしぺし叩いて大丈夫、大丈夫、と唸るとキリっと前を見る。
そして拳を握って「今のはなかったことにしましょう!リセットリセット!」と声に出した。
あんなことがあるまではフィンリーが自分の手から物を食べたり、唇が触れたりしても気にならなかったのに、今ではその一挙一動に完全に心が振り回されていた。
―免疫どころか経験も微塵もないレイチェルにはフィンリーのやることなすこと全てが毒なのだ。
心頭滅却…心頭滅却…とぼそぼそ呟きながらその日は自分の記憶を消して布団に入り朝まで眠った。翌日起きてまた頭を悩ませるように唸って……
今に至るのだ。
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「と、いうことなの………どうしたらいい…?!」
「領内でハグ大会でも開催してみたらどうです?」
「ハグ…大会…?」
「ほらなんでしたっけ…フリーハグ?みたいな……」
「なぁにそれ?」
そう尋ねればナンシーは今王都で流行っているらしいですよ?と答えた。
どうやら道端で知らない人間、誰とでもハグをする行いらしい。
ナンシーもフリーハグについては詳しくは知らないらしいが、男の人に近づかれてドキドキしてしまうから免疫をつけたいっていう事ならそういうのがいいのではないか?と考えてくれた。
レイチェルは「あったまいい…!」と額に手をあてナンシーの利発的な考え方に同意し、フリーハグを行う日程を考えた。
「既婚者はだめね、あと婚約者や恋人のいる人も…」
「まぁ…割と若者の多い領ですから男なんてたくさんいると思いますよ?今日帰ったらシドニーにも相談してみますよ」
「いいの?助かるわ!」
「お安い御用ですレイチェル様!」
ナンシーの助言のおかげで幾分か心が軽くなったレイチェルはウキウキ気分で2人だけのお茶会を楽しむ。
―今日フィンリーはシドニーと一緒に畑を耕しに行っているらしい、何事も経験だと言っていたが今朝出かけていくまでは、絶対に行かないから!と強く反抗していたのは記憶に新しい。
どちらかと言えば無理矢理連れていかれたと言うのが正しいかもしれない。
レイチェルはフィンリーのいない間にナンシーに相談したい事がまだあった。
「ナンシーに見てもらいたいものがあるの…いいかしら?」
「もちろんです!なんですか?」
ダイニングでのんびりお茶をしていたナンシーの手を引っ張り二階の階段を上る、そして自室の扉を開けるとクローゼットから一着の服を取り出した。
「これ…なんだけど……」
「え?これ…?」
「わたくしの新しい寝間着なの…どうかしら?」
綿生地のワンピースをナンシーの目の前に差し出し見せると彼女は首を傾げた。
「これで寝るんですか?暑くないですか…?」
「割と通気性はいいものなの!ほら衿ぐりはきっちり閉まっているけど後ろは…」
「あぁ、背中の所あいてるんですね?いいんじゃないですか?」
「いえ……ダメね……背中開いていたらダメだったわ……」
スンっと表情を落として寝間着を見つめるレイチェルにナンシーはまた首を傾げながら尋ねた。
「突然どうして着替えを変えるなんて…?寝にくかったですか?」
「ううん、寝やすくて気に入っていたんだけど……フィンが…」
「弟君が?」
「その……薄着すぎるからって注意されてしまって……」
「え!?過保護なんですね弟君…」
そうね、と頷いてあの夜の事をボカしながらナンシーに伝えると神妙な表情のまま考え込まれてしまった。
「私が言うのもなんですが…弟君相手ですし、気にしすぎでは?」
「え?そうなの…?」
「私にも弟はいますが、私がパンツで家の中を歩き回ろうが何しようが何も言いません、寝間着一つでそんな注意するなんて事なかったですが……」
あ、思春期っていうやつかもしれませんね!と手を叩いていう彼女にレイチェルも頷いた。
(思春期…そっか思春期だから姉だとしても女の子相手みたいに突っかかっちゃうのね?)
ナンシーに解決したわ!もう天才ね!と拍手して褒め言葉を放ちもう一度ぎゅぎゅ…と抱きしめた。寝間着は別に変える必要ないわね、と声に出せば「一応思春期の男の子相手なのでこれくらい羽織って置いたらどうですか?」と薄手のカーディガンを差し出されたのでそうすることにした。
日替わりでもう一着も着まわすことにに決めてレイチェルとナンシーはまた2人きりの楽しいお茶会へと戻って行った。
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そんなことをナンシーに相談して一週間が過ぎた頃、シドニーと2人そろって家に相談があるのだと尋ねて来られた。
フィンリーは領内を探索に出かけていたので、レイチェル一人で2人の事をもてなしてお茶を振舞っていた。
「レイチェルさん、ナンシーから聞いたんですがフリーハグをしたいというのは本当ですか?」
「えぇ、そういったものが流行っているのでしょう?それならしてみたいと言ったの」
ナンシーはどうやらちゃんとシドニーに相談してくれていたようで、とんとん拍子で話が進んでいった。
「2人で考えたんですが、毎年やっている秋の収穫祭にフリーハグの時間を設けようかと思っているんです!」
「…と、いうと………?」
どういう事かしら?と首を傾げながらシドニーの方を見ればナンシーが得意げに答えてくれた。
「親しい人とハグをしてお互いに感謝を伝えよう!みたいな企画を打ち出しているんですよ、昨日領内で相談しに行ったんですが結構好評で、レイチェル様にも参加しやすいと思うのでどうかと思いまして!」
ぱちんとウィンクしてみせるナンシーにレイチェルは手をぱちんと叩いて笑う。
「素敵な案だと思うわ!でもわたくしも収穫祭なんて参加してもいいのかしら……?」
自分の家にあるのは自分が食べる用の小さな畑くらいなもので、誰かに振舞うような量を収穫しているわけではなかったので参加することに少し不安を覚えた。
「どうしようかしら…」と呟いていたら、シドニーは首をブンブン振ってこたえてくれた。
「レイチェルさんの育てた花たちはこの領に住むみんなが気に入っています!お金を払おうにもあなたは要らないと言うのだから、みんなに食べ物を渡して欲しいといつもお願いされるくらいなんです!」
だから参加されてもなんの問題もありません!と胸を張る彼とその言葉にじんわりと胸が熱くなった。
「そんな、趣味で育てていたお花たちだったのに…気に入ってもらえているなんて嬉しいわ……」
「レイチェル様はとっても人のいい方なんです、この領内であなたはすごく人気者なんですよ?ここに立ち入ることはステンリー家以外の者は禁止されていますけど」
「まぁ、療養ということで来ているからねわたくし…」
「何も気にせずいらしてください!」
こくりと頷いてから、ハッと自分の顔を触るとナンシーは笑って教えてくれた。
「当日はみんな顔の隠れるような帽子を身に着けて参加する規則にする予定なんです」
「収穫祭ってそういう感じなの…?」
「いえ、今年が特別なだけです」
「特別…?」と2人の顔を見上げればニコニコ笑顔を浮かべたままシドニーとナンシーは体を寄り添わせた。
「私たちの婚約発表を収穫祭で行う予定なんです」
「ついでに俺たちの婚約に感化されて他にカップルでも出来ればいいな、ってことでフリーハグの企画を考えたわけです」
「へぇ…婚約発表の場にわたくしも参加できるなんて嬉しいわ!」
でも、それでどうして顔を隠すの…?と尋ねれば「だって顔の見えない相手との方がハグしやすくないですか?」と答えられ、確かに…とレイチェルは押し黙ってしまった。
その後例年の収穫祭の話や、今年行う企画やなんやらのお話を聞いてから2人の事を見送った。
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1人庭の花壇まで足を踏み入れ、ふう…とため息を漏らした。
手には小さな水やり用のジョウロを持ち、しゃわ…と水を上から振りまいて行った。
(収穫祭に参加して男の人相手に免疫をつけることが出来るのかしら…)
生れてこの方数えるくらいの人としか話してこなかった、それも殆どが家族に関わる人達ばかりで。少し人見知りなところがある自分は胸元をトンっと叩いて気合を入れなおした。
「わたくしがお願いしたことだもの、この機会に頑張らないと!!」
そう大きな声で言葉にしてよし!と立ち上がると後ろから。
「何を頑張るの?おねえちゃん」とフィンリーの声が聞こえた。
「あれ?帰っていたの?おかえりなさいフィン」
「ただいま!今戻ったんだ」
ニカっと歯を見せて無邪気な顔をして笑う弟の頬に少し泥が付いていたので指で拭ってあげた。そして近くで手を洗い一緒に家の中に入っていく。
「今夜のご飯は何にしましょうかね?」
「おねえちゃんの作るものなら何でもおいしくて好きだよ!」
「ふふ、ありがとう」
すぐに支度をするわね、と声をかけキッチンに入りエプロンをつける。
包丁を手に持ってトントンと食材を切っているとフィンリーにまた声を掛けられた。
「あ、それでさっきの頑張るって話はなに?」
「あぁ、今度の収穫祭よ」
そう答えればフィンリーはウエって顔をして顔を歪めた。
「収穫祭………?」
「えぇ、シドニーとナンシーの婚約発表もそこで領民にお知らせするみたいでね、わたくしもそれを見に行こうと思っているの」
「ふーん」
話にもう興味を失ってしまったのか、フィンリーはつまらなさそうに返事を返す。
レイチェルは仕方ないわね、と笑ってから「お花を2人に贈ろうと思ってるの」と話を続けた。
いいんじゃない?と言いながらキッチンの小さなスペースで本を広げ始めた弟を見つめ少しため息が出た。
(一緒に参加しないか、なんて聞いても流されそうね…)
心の中で苦笑いしながら「まぁ、そんな感じの独り言よ」と言って料理に集中した。
ちらりとフィンリーに見られていたみたいだったが、そんな視線も気にせずスープの鍋をかき混ぜる。
「あちち…」と指を耳元に持ってきてからフィンリーにお皿の用意をお願いした。
収穫祭は一人で参加しようかな?なんて一人で考え、その夜はワクワクした気持ちに心を弾ませ弟と二人きりの食卓を囲んだ。
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