12
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あれから二年余りがあっという間に経ってしまった。
自然豊かな田舎暮らしで、すくすく健康体に成長したレイチェルはもう22才の年を迎えた。
ジョルジュ様はエイリスとの婚約発表を世間に公表し、すでに結婚の準備も進んでいるらしい。
こんいたの原作通りに進む2人の恋愛を見届けたつもりのレイチェルは一人きりの田舎暮らしを心から満喫していた。
そろそろ一人も寂しく思う日があるし、犬でも飼って本格的にこちらに移り住もうかしら?なんて笑っていると、ドアをノックする音が玄関から聞こえた。
二階の部屋にいたレイチェルはどたどたと階段を駆け下りて玄関の扉を特に相手も確認せずに開け放った。そして笑顔で「ナンシーかしら?それともシドニー?」と言って出ると。
「久しぶり、おねえちゃん!」
成長した姿の、フィンリーが立っていた。
「え………」とレイチェルは思わず絶句し、周りをキョロキョロ見渡してから自分の頬を抓った。
そして目の前にいる彼に手を伸ばし「フィンなの…?」小さな声でそう尋ねた。
レイチェルの伸ばした手をフィンリーは自分の手で覆うように優しく掴む、そして指を絡めるように握って言葉を紡いだ。
「ずっと会いたかったよおねえちゃん、どうして僕に居場所を教えてくれなかったの?」
「それは……」
言い淀んだレイチェルをフィンリーはジッと見つめてから、小さく首を振った。
「ごめんね、意地悪した…本当は僕分かってたんだ、学園にいる僕が誰かに言ってしまったりしないように気を遣ってくれたんだって……でも寂しかったよ」
「フィン…」
「本当に、会いたかった」
そう言って彼は繋いだ手を離してレイチェルをぎゅうと抱きしめた。可愛い弟からの抱擁を受け入れるように後ろに手を回せば、もっと強い力で抱きしめられる。
「く、苦しいわフィン……ねぇ」
「まだ離したくないよ、おねえちゃんに会うのは三年ぶりなんだよ?」
ぎゅ~っと声に出す弟に可愛いなんて思いながら、レイチェルも同じ気持ちでいた。
「もう、おねえちゃん離れしないと…、そういえば一人で来たの?お父様とお母様も一緒かしら?」
「ううん、お父様とお母様たちはいないよ。僕と友達で来たから」
「お友達?」と尋ねればレイチェルに回っていた腕をパッと離して、大きくフィンリーは頷く、そしてずっと彼の後ろにいたらしい人をレイチェルに紹介してくれた。
「おねえちゃん僕の友達に会いたがっていたもんね~?だから連れて来たんだ!こちらが僕の友達の、エイリス・ローエンさん!菜の花の聖女様だよ!」
―開いた口が塞がらなかった。
見間違いかと思っていたその顔に思わず「ひゅ…」っと喉が鳴る。
どういうわけなのか、原作のこんいたの世界で悪役令息を張っていた弟がこの世界で最初に出来た友達として連れてきた人はヒロインである“エイリス”だったのだ。
「どういうこと…?」
首をかしげながら二人のことを見比べるように視線を這わせた。
(もしかしてフィンはエイリスに片思いをしていたり…?)
だってこんなに可愛いんだもの!おまけにヒロインなのだし、大いにありうるわ!でも彼女は既に王子のもので…とレイチェルは顔を赤くしたり青くしたりと一人で百面相し始めた。
そんな様子をみたエイリスはおずおずとレイチェルに声を掛けた。
「レイチェル様!お久しぶりでございます!!!!わ、私の事を覚えていらっしゃいますか…?」
胸の前で指を交差させてもじもじする彼女を自らの瞳に映してから、レイチェルはにこりと久々に淑女の笑みを浮かべてベタリと顔に張り付けた。
「えぇ、舞踏会以来ですわねエイリスさん、いえ…聖女様」
「あ、私は、そんな…」
「あの時はとんだご無礼を、お詫びいたしますわ」
ゆっくり頭を下げ舞踏会の時に気安い態度を取ったことを詫びれば、エイリスは顔を真っ青にして首を振り「頭をあげてください!」と涙目で訴えてきた。
「でも…」とレイチェルは頭を上げて困ったように首をかしげると、横からフィンリーが口を出してきた。
「おねえちゃん、ここではアレだしさ!お家に入れて欲しいな?……だめかな?」
レイチェルよりもうんと背の伸びたフィンリーにうるうるとした瞳でお願いされて、内心可愛い…と蕩けながら「いいわ、どうぞ」と令嬢らしい毅然とした態度で玄関のドアを開ける。
「広い家ではないのだけど、住み慣れたわたくしの家へようこそ」
そう言ってダイニングへ2人を招待した。
ぱたぱた歩いてついてくる様子を見てから席に座ってもらい、レイチェルは一人キッチンへと向かった。
(え、なんでヒロインのエイリスがわたくしの家に…!?)
フィンリーの友人とはいえレイチェルの家に遊びにくるのは訳が分からなくて困惑した。今まで張り付けた笑顔のおかげで顔には出さずにいたが頭の中では、なぜ?どうして?という言葉がグルグルと回っている。
お茶をトレイに乗せ、手作りの小さなマフィンも一緒に添えて持っていく。
「おまたせ」とダイニングで待つ2人に声を掛ければ、持っていたトレイをテーブルに置きテキパキと前に並べていく。ハーブティーをティーカップに注ぎ、自分も椅子に座ってエイリスの方を見つめた。
「さぁどうぞ召し上がれ?」
ニコリと笑って手を差し出せばフィンリーは驚いたような顔をしながらハーブティーの入ったティーカップに手を伸ばす。
そして一口ごくんと飲み込んでニカリと笑った。
「これ、すごく美味しいよおねえちゃん」
「本当?お口に合って良かったわ!」
「マフィンも食べていい?」
「勿論よ!」と笑顔で頷き手が止まっているエイリスにもどうぞと勧めた。
エイリスはこくんと首を縦に振ってからカップのお茶を口の中に含んでゆっくり飲み込んだ。
そして口元に手を置いて「おいしい…」と柔らかく微笑む、その表情を見てレイチェルはホッと胸をなでおろした。
エイリスは困ったように眉毛を下げた後に、レイチェルに手を伸ばす。その手に応えるように彼女の手に触れれば目の前でエイリスは突然泣き出してしまった。
「……レイチェル様、申し訳ございません……私、私がジョルジュ様の婚約者となってしまいました、私は…」
ぽろぽろと止まらない涙が頬を伝うように流れていく、掴まれた手はそのまま、レイチェルは反対の手のひらでハンカチを持って彼女の涙を拭ってあげた。
「気にしないで、わたくしから婚約破棄を望んだのです」
だから泣かないで?と微笑むレイチェルにエイリスは目を見開いてまた大きな雫を瞳から落とした。
「でも…私はレイチェル様がこの国の正妃に相応しいと…私が望んだのは側妃という立場だったのに……私があなたから王子様を奪ってしまった」
絶え間なく流れる涙と懺悔の言葉にレイチェルは言葉を失ってしまう、それでもあなたは何も悪くないのだと頭を撫でてから涙をまた拭ってあげたらキラキラと輝く黄色い瞳とばちりと目が合った。
「よく聞いて、わたくしは王妃になるのはあまり気乗りしていなかったの。
幼い頃からずっとね…ジョルジュ様がわたくしを選んで下さったからその気持ちに報いれるように努力してきたけど……本当はずっと自由に生きたいと願っていたの。あの人が学園に通って聖女様であるあなたを見つけて恋に落ちて恋人同士になったというお話を聞いて、わたくしは安心してしまったわ……」
これで解放される、てね?と笑って答えればエイリスは目をまん丸にしてレイチェルの顔を見つめた。
そしてコテンと首を傾げてから「え…でもレイチェル様は王子様の事が…あれ?」と困惑した表情を浮かべた。
そんな表情のエイリスの事を見ながらクスクスと笑ったレイチェルは「涙止まったわね?」と彼女から手を離して少しだけ冷めてしまったお茶を飲みほした。
エイリスは頭にハテナマークを浮かべたままジッとレイチェルの事を見たまま固まってしまっている。
きっと彼女は自分が王子を奪ってしまったから、と後悔していたのね。と笑ってから、気にすることなんて何もないのよ。と答えた。
それにしても…と自分の顎に手を添えレイチェルは不思議そうにフィンリーの方を見て彼に尋ねた。
「王都でわたくしは死んだことにされているのではなかった?」
「あぁ、その噂ね。今でもどちらか分からないってあやふやになっているよ」
「あやふや?」
「大半の人は死んだと思ってるよ、でも王都から遠く離れた地で療養していてもう戻ることはない、とか…そんな風に言っている人もいる」
「そうだったのね…エイリスさまはどこで知ったの?」
そう尋ねればフィンリーは微妙な顔をしながら答えてくれる。
「僕が教えたんだ、あまりに毎日毎日泣きじゃくるから…」
「だって…私のせいで憧れの人が死んでしまったなんて、そんなの耐えられなくて!」
エイリスはムスっとした顔で頬を手で挟みながら答え、フィンリーの事を睨んだ。
その様子を見ながらレイチェルはまた首を傾げた。
「ふたりはとても仲良しなのねぇ」
「「え……」」
レイチェルの言った言葉に体をピシりと固めた2人はお互いを見合ってからため息をつく。それからレイチェルの方を見てエイリスは反論してきた。
「まさか、最初はとても仲が悪かったんですよ私たち。会うたびに私無視されてて…」
(え!?フィンがヒロインを無視!?)
あわあわした顔で視線をエイリスからフィンリーに向ければ彼も不本意だという顔をレイチェルに向けていた。
「だっておねえちゃんの婚約者である王子を誑かす人なんて、仲良くなれるわけないよ」
(原作通りだったの!?!?!?)
まさか本当にそんなことが…と固唾を飲み込めば2人はヘラりと笑いだす、そしてレイチェルの方を見て話してくれた。
「私の恋の応援をしてくれたのがフィンリーなんです、レイチェル様」
「え?」
「毎日毎日頑張ってる姿見てたら、まぁ…応援してもいいかと思って」
「え?」
困惑したように2人の事を見比べ見つめれば「それに」とフィンリーが言葉を零した。
「エイリスさんはおねえちゃんの事が大好きだって言うからさ!」
変なことにはならないと思ったんだよ、婚約者はおねえちゃんなんだから。と付け加えたがそんな声はレイチェルには届いていなかった。
(ヒロインのエイリスがわたくしの事をすき……?)
どうして…?と口を開けポカンとした顔をエイリスに向ければ、彼女は楽しそうに笑ってレイチェルの傍に駆け寄った。そして手を取ってから、レイチェルの耳に手を伸ばした。
思わず目をぎゅうと瞑れば彼女の手はサラリと髪を撫でるようにしてレイチェルの髪を留めていたバレッタをゆっくり撫でた。
「きっと覚えてはいらっしゃらないと思いますが、私とレイチェル様は小さい頃に会ったことがあるのです」
「え?」と小さく声を漏らせば彼女はまたくすりと笑って見せる。
そして自分のワンピースのポケットからレイチェルが付けていたものと同じバレッタを取り出して見せてくれた。
「これは私が作ったものです。幼い頃に手作りしたアクセサリーを露店に置かせてもらってお金を稼いでおりました。ある時通りかかった貴族様がその露店で娘さんに何か買ってあげようと声をかけて品物を選んでいたのです。でもお気に召すものは見つからず露店を去ろうとした所、ご令嬢がピンク色のバレッタを手に取って髪につけて下さったんです」
そう言われ、レイチェルの頭の中にモワモワ…となんとなくの当時の記憶が頭の中に写り込んだ。
「私の作ったものを、可愛いと、一生大切にすると微笑んで下さった貴族のご令嬢…その方の髪はラズベリーの長髪で、緑色の瞳と特徴的なタレ目でした。引っ込み思案だった私はコツコツとアクセサリーを作る事が好きで、でもその日あなたに褒められて自分に自信を持つことが出来たのです。」
私の事、思い出していただけましたか?と尋ねられてレイチェルは大きく頷いた。
「このバレッタとても気に入っているの、可愛らしくてとても使いやすくて…ここで暮らし始めてからは毎日愛用しているのよ?」
「嬉しい…!」と涙ぐんで口元を抑えるエイリスにレイチェルは困ってしまった。
まさかそんな昔にヒロインと出会っていたなんて、と考えあの頃はまだ前世も思い出していなかった頃だったから思い出した記憶が薄いのも仕方ないとため息を小さくついた。
「僕も彼女からこの話を聞いてすぐにおねえちゃんの事だと思ったよ、誰よりも優しい僕のおねえちゃんならそういう行動を取るだろうなって」
誇らしげに胸を張って笑っているフィンリーを横目に見ながら、レイチェルはまたエイリスと向き合った。
「素敵なバレッタをありがとう、これからも大切に使わせていただくわエイリスさま」
「そんな勿体ないお言葉…ありがとうございますレイチェル様」
目頭からポロリと落ちる涙の粒をレイチェルはすぐに拭って彼女の肩を叩いた。
―そして顔を上げたエイリスはハッと窓の外に視線をやってから慌ててレイチェルに言った。
「あ、あの…私そろそろ王都に戻らないといけなくて…!」
「え?今から王都に戻るの?もう遅くなってしまうし泊って行ったらどうかしら?」
「いえ、私外泊の許可を貰っていなくて…迎えも来ているようなので」
「迎え?」と首を傾げレイチェルも窓の外に視線を向ければ、馬車がもう一台並んでいた。
「レイチェル様、もしよろしければ…またここに遊びに来てもいいでしょうか…?」
「えっと……」
「ジョルジュ様にはレイチェル様の居場所は絶対にお話しません!約束します」
真剣な瞳でお願いされ、頭まで下げられてしまったので仕方なく彼女のお願いを了承した。
本当は自分の居場所をあまり人に知られたくなかったのだが、聖女様相手では仕方ないのだ。なんてったってレイチェルの田舎暮らしは聖女の与える安寧の未来あってこそなのだから。
「また遊びにいらしてください、どうかお一人で。バレないように」
そう言って大急ぎで帰っていく彼女の事を見送った。姿が見えなくなるまでずっと手を振ってくれるエイリスにレイチェルは再来が楽しみだな、と笑ってしまった。
「よしっ!」と玄関の戸を閉めダイニングに戻る。
そこには、寛いだままの弟が椅子に座ったままレイチェルの方を見ていた。
「エイリスさん帰ったの?」
「えぇ、お迎えが来たからね」
「そっか~」
「フィンはどうする?明日帰るなら今夜は泊るお部屋を用意するわ」
テーブルの上に置いたままのティーカップやお皿をトレイのお上に乗せテキパキと片付けを進めているとフィンリーはあっけらかんと答えた。
「何言っているのおねえちゃん、僕はここに一年だけ一緒に住むために来たんだよ?」
「は…?」
何を言っているのか分からなくて聞き直したが、どうやら自分の耳は可笑しくなっていなかったようだった。フィンリーは馬車に積んでいた大きな荷物を家の中に運び込んで、にっこりと笑った。
「それでは、一年間お世話になります!」
えええ…!?!?と一人叫び声をあげたレイチェルの事なんてガン無視で楽しそうに荷物を一人で二階へと運び込んでいった。
(なに!?一体どうしてこんな事になってしまったの……!??!?)
レイチェルは階段を上っていく弟の背中を見つめながら一人腰を抜かして、ははは…と乾いた笑いを浮かべるばかりであった。
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