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第7話 麗しの姫君と一目惚れした貴人の最後

「ぐっ……この程度のことで、諦められるものですかぁっ!?」

「おい! 魅了解けてない奴がいるが?」

「あれ? 私、失敗しました?」


 不思議そうにリーナが小首を傾げる。

 あれだけの浄化魔法を受けてなお、状態異常が解けないなんてことは本来ない。

 ありうべからざる事態に、むむむとリーナは思案気に眉間に皺を寄せる。


「うーん。でも、手応えはありましたし、他の方々は魅了解けていますし。どちらかといえば、本人の意志で魅了にかかっている、ような?」

「あぁ、そういうことか」


 リーナの言葉を聞いて、ゲーベンは納得する。

 そもそも、最初から違和感はあったのだ。

 魅了はかかっているはずなのに、ブルーノは明確に己の意志で動いていた。

 麗しの姫君と尊ぶ、ルスランという女性のために。


「こいつは、その麗しの姫君という女に本気で惚れていたんだな」

「当然でしょう……っ!」


 彼は血が引き、白くなった目を見開いて、目の前の三人へと訴えかける。


「この世界にある天上の美! 我が心を魅了してやまない美しさに、私は一目見た時から惚れこみました。あの麗しの姫君のためであれば、私はこの命さえ惜しくありません!」

「……ブルーノさん」


 それは、惚れた女への愛を叫ぶ男の姿であった。

 魅了とは関係なく、彼女に惚れたのだと男は必死に叫んでいた。


「退いてはいただけませんか?」

「否。否です平民。いいや、『勇気の剣』クラージュ!」


 平民と格下に見ていたクラージュの名を、ブルーノは初めて口にした。


「そちらの女性のおかげで、先ほどよりも意識は明瞭です。操られていたというのであれば、その通りなのでしょう」


 状況も悟った。

 一目見て惚れた女性に操られていたのだと、ブルーノはハッキリと口にした。


「ですが! たとえ麗しの姫君が悪であったとしても! 私の手を守るべき平民の血で汚したとしても!」


 クラージュの攻撃を捌き続けて、ボロボロになった短剣を捨てる。

 唯一残った武器であるレイピアの切先を、ブルーノは己の意志で突き付けた。


「私はルスラン様に心奪われた愛の奴隷として、最後まで麗しの姫君のために戦いましょう!」

「……残念です」


 意気軒昂いきけんこうなブルーノと、無念であると悔しそうに顔を伏せるクラージュ。

 対照的な二人を眺めていたゲーベンは、クラージュにかけていた強化魔法を解くと腕を組んで壁に背を預けた。


「あれ? なんで強化魔法を解いたんですか?」

「……どうあれ、遺恨は残さんほうがいいだろ」

「はぁ……? 安心安全に、命が助かればそのほうがいいと思いますけど」

「お前ほんと神官なの? 心まで救うとか考えないわけ?」

「もちろん、救えるなら救いますけど、死ねば心もなにもあったものではありませんからね!」

「お前はほんと言葉を包み隠さないな」

「神官ですので!」


 神官であることは免罪符ではない。

 心意気も誇りも理解しないリーナに辟易しつつ、譲れぬ男の決闘を見逃すまいとゲーベンは顔を前に向けた。


「お覚悟を、クラージュ殿」

「受けて立ちます、ブルーノ・ボンサンス子爵」


 互いの名を呼び、己が信頼する武器を構えた二人。

 これまで絶え間なく戦い続けていたのだ。体力も限界だろう。

 武器を一つ失い、怪我を負っている分ブルーノが不利であろうが、そうは感じさせないほどに闘気が漲っている。


 勝負は一瞬であった。


 全身鎧であるが視界確保のために唯一防具のない頭部を狙ったブルーノの一突きを大楯で弾き、上段から槍を叩きつけたのだ。

 槍で刺さなかったのは慈悲か憐れみか、それとも人を手にかけたくなかったからか。


 クラージュは影の差した顔で、倒れたブルーノを見下す。


「終わりか……んじゃまぁ、帰るか」

「なに言ってるんですか?」


 終わった終わったと身を翻して帰ろうとするゲーベンを、きょとんとリーナが見上げる。


「住人たちを床に転がしておくわけにはいきません。お部屋に運んで介抱しないと」

「そうだね」


 気持ちの整理が付いたのか、戻ってきたクラージュにまで同意されて、ゲーベンはがっくりと項垂れる。


「やだぁ……疲れてんだよぉ。帰らせてくれよぉ」

「私も疲れていますし、できるなら部屋に帰って寝たいですけど、我慢します!」

「ほんと、素直だなリーナは」

「褒められました!」

「褒めたからな」


 やったー! と両手を上げて喜ぶリーナを見て、素直だなーとゲーベンが諦めて住人たちを運ぼうとした時であった。


「――あら? 負けちゃったのね? 残念だわぁ」


 不意に、脳を犯すように響く艶やかな声。

 おぞましい気配の出現に、三人が同時に声のした方向へと振り向いた。


 立っていたのは、下着のように布面積の少ない服で豊満な体を隠す妖艶な女性であった。

 ただし、注目すべきは彼女の蠱惑的な肢体ではない。

 頭の両脇から生える、先端だけが白い刺々しい二本の黒角。

 彼女を包むように折りたたまている蝙蝠の翼を思わせる大きな黒き翼。


 大陸に生きる種族は数あれど、このような特徴を持つ種族は一つしかない。


「――ッ!! 魔族かっ!」


 魔族の全てが角と翼を持つわけではない。けれど、黒き角と蝙蝠の翼を持つ種族は魔族の中にしか存在しない。

 人を魅了し、男の精を求める種族。


「ええ、お利口さん。正解したご褒美に、私の名を教えてあげましょう」


 ゲーベンの指摘にニッコリと笑うと、剥き出しの谷間に手を添えて、金色の瞳を怪しく輝かせる女性は妖艶に、そして堂々と名乗り上げる。


「私は淫魔族のルスラン。尊き我らが淫魔女王にお仕えする、淫魔の一人よ」


 淫魔。

 男を惑わし、精を喰らう魔に属する種族。

 人の肉を喰らいこそしないが、人を餌として精を喰らい殺す、恐ろしき人喰種ひとぐいしゅであることに違いはない。


 凶悪なる脅威の出現に、ゲーベン、クラージュ、リーナは息を呑んで身構える。


 張り詰めた空気の中、ルスランの気配を感じて目が覚めたのか、ブルーノが肩を押さえながら彼女の足元へと這いずる。


「……っ。我が、麗しの姫君……っ、申し訳、ございませんっ」

「あらぁ? ブルーノ、だったかしら? まだ生きていたのねぇ」

「ルスラン様のお美しい顔に、泥を塗ってしまい、ましたっ」


 涙を浮かべ、謝罪するブルーノ。

 けれども、ルスランは彼がなにを言っているか分からないというように、不思議そうに地べたに這う男を見下ろしていた。


「泥……? うふふ、なにを言い出すのかと思えば、可愛らしいこと。意志が強くって、私の魅了がかかりきらなかったのだけど、私の美しさはこういう事態も起こすのね」


 面白いと、赤い舌が唇を舐める。


「ねぇ? ブルーノ?」

「は、はい」

「私は、綺麗かしら?」

「この世で最も美しき姫君であると確信しております」

「うふ、うふふふふふふふふふふ!」


 ブルーノの答えに、ルスランは壊れたように笑う。


「あぁ、本当に。天上を知らぬ不敬な男」


 瞬きの間にルスランの瞳は氷雪のごとき冷たさを宿し、不愉快そうにブルーノを見下ろした。

 ぞっとするブルーノ。

 けれど、山の天気のようにわずかな時間で変わる彼女の機嫌は、次の瞬間には雲一つない快晴となる。


「でも、いいわぁ。ご褒美を上げる。立ちなさい」

「……はいっ!」


 クラージュとの戦いで、ブルーノの体は意識を保つのもやっとの怪我だ。

 それを理解していながら立つよう命じるルスランは正に悪魔の所業であり、彼女のめいに応えようと壮絶な痛みに抗い立ち上がるブルーノは健気であったがあまりにも痛々しかった。


「さぁ……ブルーノ? 私の唇を奪って……?」

「ルスラン様……っ!」


 惚れた女性に求められる。

 途端、男の胸に湧き上がるのは歓喜と情欲だ。

 一挙手一投足が男の性を刺激するルスランの妖美なる魔力も合わさって彼の理性を溶かし、ブルーノは貴人の礼節すら忘れ獣のように彼女の唇を貪る。


「……んっ……強引な男」

「……はぁっ……申し訳、ございまっ……」

「いいのよ、獣のように貪ることこそ、男の本能ですもの。だから……ねぇ?」


 甘く、妖しい囁き。

 女が男に愛を求める睦言かのようであるが、彼女は淫魔であり、男は人族であった。

 それは真実悪魔の囁きであり、


「私に精を頂戴……?」


 男を死へと誘う死神の鎌であった。


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