第八話 ぎゅってされてしまった
菊花のその行動に一冴は強く動揺した。
同年代の女子から初めて腕を抱かれたのだ――しかも唐突に。自分の二の腕は菊花の胸と接していた。
「ええ、ラブラブですよ。」
菊花の声に驚き、そして蘭へ目をやる。
蘭は軽く目を見開いていた。刹那、視線が一冴へと向く。深い栗色の瞳に敵意が宿った――恋人を誰かに盗られてしまった時の顔だ。
盗ったのは――、
――俺かい!?
身体が強張って何もできない。
「さ――行こ、いちごちゃん。」
困惑する一冴の腕を引き、菊花は歩き出す。
何が起きたか分からず、そのまま一冴も歩いた。
教室棟へ這入る。
――まさか、蘭先輩に見せつけるために?
冷静になり、菊花の腕を振りほどく。
「菊花ちゃん――いつまで腕握ってるの!」
「あ、ごめん。」
「てか――いきなり何するの?」
「いいでしょ――女の子同士なんだから。」
一冴は周囲を見回す。蘭の姿は見えない。
そして、ちょっと、と言い、ひとけのない階段の陰へと移動した。
声を潜め、男の声をだす。
「あのさ――お前、蘭先輩に何かされないために俺を使わなかったか?」
「え、だって、まあ、他の女の子とイチャイチャしてるときなら、蘭先輩も変なことしないでしょ。」
「だからって、俺を使う!?」
「誰だっていいじゃん、こんなの。」
「よくねえよ――蘭先輩が――」
――俺は。
ふっと、何事かを菊花は考え込んだ。
そして、こう言う。
「ねえ――私と付き合う『ふり』してくれる?」
唐突なことに目を瞬かせた。
「――はい?」
「だって――私、そっちの気なんか全くないじゃん。けれど、たとえ断ったとしても、蘭先輩は私につきまとってきそう。だったら、このまんまあんたに『魔除け』になってもらったほうがいいでしょ。」
「いや――それは。」
菊花だって知っているはずだ――どんな気持ちを一冴が蘭に抱いているか。だが、そんなことをすれば恋は実らないし、蘭からは嫌われるに違いない。
菊花は硬い顔となる。
「分かってる? 蘭先輩――レズだよ? けど、あんた男じゃん。」
それを言われれば黙らざるを得ない。
菊花は疑わし気な顔となる。
「それとも――やっぱり一冴ってゲイなの?」
「な――」
確かに――そちらの気もないではないのだが。
「なに言うの――いきなり。」
「だって――このままじゃ、三年間だれとも付き合えないよ? いいの、それで? だったらさ――『ふり』だけでもよくない?」
一冴は再び黙り込む。反論しがたい。そもそも、性別を偽り続けながらつきあうこと自体が非常に難しい。しかし――菊花ならばその心配はないのだ。
その刹那、魔が差した。悪くないと思ったのだ。菊花も美少女であることに変わりはない。菊花は異性愛者で――この学校で唯一、一冴を男だと知っている。
だが、それは少しの気の迷いに留まった。自分が――どれだけのあいだ蘭を想ってきたと思っているのか。
「と――とにかく――」
声を女子のものに切り替え、一冴は顔をそむける。
そして、教室へ向けて駆け始めた。
「私は――菊花ちゃんとはつきあえないんだから!」




