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祈りと業の十字

 修道院まで戻ってくると、ララは荒い息づかいのまま自室へと駆けた。


「ジェム!」


 乱暴に扉を開ける。いない。布団が投げ出されている。部屋をいくつか開ける。みんなベッドにいる。なんで、ジェムだけいない。どういうこと。寮を出る。ヤギ小屋を通り過ぎると、そこには、月明かり微かに照らされた聖堂があった。ぎいっと、重い扉を開ける。

 血の匂いが、ララの鼻を刺激した。かっと目を見開く。ララの目は、闇にあってうっすらと赤い。ステンドグラスから漏れた淡い夜の光りが、聖堂の十字架を照らしていた。古びた祭壇の向こうに、人影があった。小刻みに前後に動くその影に、ララはぷつりと正気を失い、怒りのままに突っ込んでいく。

 その影はララに気づくと、ゆっくりと祭壇を越え、正面に立った。影は、走ってくるララに対して、さっと横に飛ぶと、ララに向かって右手を突き出す。きらりと得物が光る。ララは素早くかわし、影の右腕を掴むと、そのままぼきりと握り折った。影が小さくうめく。ララは倒れ込んだ影の体に馬乗りになり、言う。


「なんで、あなたが」


 影の正体、老人の目に、光があった。


「ああ、女神様、お顔も美しかったのですね」


「なんで」


「これをあなたに託したい。わっしのすべての祈りが込められとります」


 老人は、右腕をなんとか上げ、ララの方へと伸ばした。十字架だった。錆びた鎖に繋がれた、メッキの剥がれた十字は掌ほどの大きさで、その下部分は角がすり減って尖っていた。老人は、にかりと笑った。黒い歯が一本あるのみだった。昼間のときの、美しい笑顔がそこにあった。


「なんであなたが、こんなことを」


 老人の顔に、ララの涙が落ちる。

 途端、老人の顔が豹変する。


「女神様、へへへ祈り?違うなあ。業さ業。その十字にゃあ俺の業が詰まってる」


「な、なにを」


「贄を教会で犯すのは、最高だったぜ」

 ララは、老人の頭をその十字架で突刺す。寸前、老人の表情が再び変わった。その目には憂いが帯びており、憐憫の情がララに向けられていた。

 ララの手は止まることはなく、今度は老人の胸を突刺した。涙を流しながら、何度も。果てに慟哭し、地面を思い切り叩いた。

 聖堂の扉が開いており、3つの影がそこにあった。


「お前もやるもんだなあ」


 とキーラはにたりと笑った。トアは相変わらず無言で、イゼは微笑みを浮かべながら、ララを見ていた。


「うーん、まだねむいんだけど。ねえねえみんな、なにがあるの?」


 三人の背後から、聞き覚えのある声がした。ララは、唖然として、祭壇の向こうを見た。

 ジェムが、変わり果てたジェムがそこにいる、と思っていた。そこには、腹を大きくかっ捌かれた子ヤギの死体があるのみだった。贄。そうか。ジェムは、生きている。私は、嘘だ。私は人を殺した。ジェムは、なんともなかったんだ。いくつもの感情がララを飲み込み、呆然と老人から渡された、その血みどろの小さな十字架を見た。なに、この世界は。この狭い部屋は。神は、祈りは、どこへ。私は、一体。


「ララさん、あなたがここにいてはジェムさんが傷つきます。今はなんとか水辺へ」


 イゼが優しく微笑むと、ララに疲れがどっと押し寄せた。イゼの腕に体を預け、なんとか聖堂を出た。裏手にある井戸で血を洗い流す。イゼの持ってきた服に着替える。


「3時間後、日の出の前に迎えの馬車がきます。私たちはそれに乗らなくてはいけません」


「ジェムの布団が荒らされてた。ほかの子はいたのに」


「主があなたを導いているのです。これからの試練を乗り越えるために」


「主?シスターケイが仕組んだの?こんなにも、辛い。苦しい。なんでこんなことを」


 イゼが優しくララの頭をなでた。

 とろりと脳がとける。落ちる。


「イゼ、あんた」


「今はゆっくりとお休みなさい」


 イゼに体を預けると、恐ろしいほど心地よかった。


 夜とも朝ともいえぬ時間。ララは、驚くほどすっきりと目覚めた。

 イゼの優しい笑顔がそこにあった。


「イゼの部屋?」


「ええ。もうすぐ出発ですよ」


「癒しの魔法を使った?」


「疲れは取れましたか?」


 笑顔を絶やさぬイゼ。しかし、イゼもまた、昨夜民家を襲い人を殺しているのだ。


「なんでイゼはそんなに従順なの?」


「すべては主の思し召しですから」


 ララは、予想通りの答えに、「そう」と答えた。


「もうすぐ馬車が着ます。港町のイェーテへ向かうと。詳しくは聞かされていませんが、この先私たちにはいくつもの試練と、そして犠牲が強いられるとのことです。それに耐えるための訓練だった、と。シスターケイもまた、その先で待っておられることでしょう」


 シスターケイ。そのことばを聞いて、ララは立ち上がった。


「ジェムさんに挨拶していかれますか」


「私はジェムに会っていい人間じゃない。置き手紙だけ置いとく。あのおじいさんは」


「教会の裏手にある大木のそばに埋葬しておきました。私は先に行って馬車の方を案内してきますね」


「ありがとう」とララのことばをうけて、イゼは優しく微笑むと部屋をあとにした。

 ララは、そーっとジェムと自分の部屋に入った。

 すやすやと眠るジェム。三年前、シスターケイに拾われてこの修道院に来た。相部屋の女の子は、自分よりも頭一つ小さい、無邪気な天使だった。


ーーーありがとう 


 故郷を失い、傷ついたララの心を癒したその天使の寝顔。したためた手紙を枕元に置くと、涙をこらえながら、ララは部屋の扉へ向かった。ふと、自分のベッドの下に本が落ちているのを発見した。燃え盛る故郷から唯一持ってきたその古い本をララはこの三年間の生活ですっかり忘れていた。あれだけ大切にしていたにも関わらず、である。ララはその古い本を大事に懐にしまうと、今度は本当に部屋を出た。

 教会の裏手に周り、老人が埋葬されている大木のそばへと向かう。土の色が違う地面に向かい、十字を両手で握り膝をつく。

 私が、殺したんだ。この手で。この十字架で。

 祈りか、業か。ララはそのどちらもを受け止め、十字のブレスレッドを右腕に巻いた。

 薄い光が森を覆っていた。ララは立ち上がると、ふと修道院の方を見た。拾われてから3年間生活した場所。つかの間の安息だったのかもしれない。ジェムの笑顔が何度も思い浮かばれる。


「おいおい、なんだ、朝か」


 ひょっこりポケットからシロが顔を出した。


「シロ、色が変わってる」


 その真っ白だったからだが、うっすらと濁っている。


「ん?ほんとだな。てかまだ朝早いじゃねえか。寝るぜ俺は」


 朝も昼も夜も関係なく寝てるのに、とは言い返さなかった。


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