第2話 生活基盤が崩壊していた
毎日、つまらないことだらけだった。
目標も目的も無く、生きているだけの日々。
変化が起こることを期待しつつも、自分を変える気力すら沸かなかった。
そんなだからか、誰かに「自分を変える勇気がなければ、周りが変化しても何も変わりはしない」なんて言われていたような気がする。
……私は、それは違うと思う。そんなのは、自分を変えて成功した人にしか言えない戯れ言にしか思えない。
どれだけ清廉潔白に生きて努力を怠らなくとも、天災や人災で家族や家を奪われる悲劇に見舞われた人にも言えるのか?
生まれつき最悪の環境で、何かを変える、変えられるなんて概念すら与えられない人がいることも知らないのか?
現実は不条理で不公平で理不尽で残酷。
そう、人に……自分に都合がいい世界なんて、それこそ都合良く転がっている訳がない。
……異世界転生した直後、吐き気をもよおす凄惨な殺戮現場を目撃し、悪意しかない下卑た豚面に追い回される羽目になった私には、そう断言していいだけの資格があると思う。
「うわあっ!?……最悪。夢にまで見た……」
あんな愛嬌の欠片もない醜悪で狂暴な豚の顔なんて思い出したくもない。可愛いミニブタに癒されたい……それとも、豚を見るたびに思い出してしまうのだろうか?それは……正に悪夢だよ。それに、夢の前半は前世の嫌な事ばかりだったし。
「……って、ここ、何処?」
確か、でっかいハムスター?にミリィナが乗ってきたのを見て……そこから記憶が無い。
……ほっとして、気が抜けて気を失った?初めての経験だよ。まあ、かつてない緊張感と恐怖と肉体的疲労も重なっていたから仕方ない……か。取り敢えず、生きている事を喜ぼう。
「す~……す~……」
すぐそこから聞こえる寝息。私の隣でミリィナが眠っていた。目元が腫れぼったい。きっと、流せる限りの涙を流したのだろう。それだけの恐怖と絶望と痛みを味わったのだから。
それにしても……空にはまだ星が見える。つまり、ここは外であるのに、やたらと背中が温かく心地よい。毛皮?とてもフワフワモフモフ。私、何に寝てんの?
私はミリィナを起こさないように上体を起こした。
「やあ。おはよう」
不意にかけられた声に体がビクッと震えた。その声の主は……私を助けに来てくれた神官のアイントさんだった。
「お……おはようございます」
アイントさんは私達から数メートル離れて座っていて、小さな焚き火にあたっていた。その膝の上には、毛布にくるまって白黒髪の幼女が眠っていた。……そういえばあの子も私を助けてくれたんだよね。見たところ五歳くらいかな?でも……オークより強いってどうゆう……マリアの記憶を検索しても、そんなスペシャル幼女は知らないっぽいのですが?
「えと……助けて下さって、ありがとうございました。ミリィナも……貴方が来てくれなければ、今頃どうなっていたか……」
きっと生きてはいないだろう。生きていたとしても、死んだ方がマシと思えるような悲惨な状態に……想像すらしたくない!
こちらとしてはどれだけ感謝したってしたりない気持ちである。なのに、アイントさんはまるで、謝辞を述べられる資格なんてないかのように、悲しそうな顔をしていた。
「……さて、何から話したものか。先ずは……そうだ。まだ君自身の名前を聞いていなかったね」
「あ、私も真理愛って名前なんです。名前が同じな事に親近感を覚えてこの子の身体に転生させて貰って……あ、言っときますけど私を転生させる為に神様が運命操作してマリアを死なせた訳じゃありませんからね!神様が私の条件に該当する死体を探してくれて、その中から私が選んだのがマリアだったって話ですから!」
うん。こうゆうのは誤解されないように最初の説明が肝心だよね!異世界人を転生させる為にわざわざ生きてる人を死なせるなんて、邪神と思われちゃうかもしれないし!……まあ、あの女神様は聖神なんてガラじゃなさそうだったけど。平然と清濁合わせ飲んじゃう感じだったけど。
「ええ。貴女の……マリアさんの事情はおおまかにですが理解していますのでご安心を。私も神官の端くれですから……私の信仰を捧げる神が、命を無下に扱う筈がないと信じておりますので」
穏やかそうな反応で良かった。もし「神が所望するのであれば、命を捧げるのも当然です」とか狂信的な納得されちゃったり、「神を貶めるような発言……許すまじ!」とか厳格すぎて激怒されちゃったらどうしようかと思った。
「それより……大事な話があります。こちらへ……不用意に、聞かせたくはない話ですので」
アイントさんは、ミリィナにチラリと視線を送ってみせた。つまり、ミリィナ個人か、小さな子には聞かせられない……精神衛生上よくない話なのだと察した。
私はミリィナの毛布を掛けなおすと、焚き火を挟み、アイントさんと向き合う位置に座った。
「では……マリアさんが気を失う前に話したこと、覚えていますか?」
「んと、セイアス正教の大神殿までの護衛をして下さるとか?……それって、行かなきゃ駄目なのでしょうか?あまり、目立ったりして面倒事に巻き込まれたりしたくないのですが……本当、村で人並みな生活さえしていければ問題ないのですけど」
マジで、私は自分を大した人間だと思っちゃいない。神様的な存在がわざわざ転生させるような器だなんて、しっかり異世界転生をしてしまった今にしても思えない。何か特別な能力を持っていて、それをセイアス様とやらが教えてくれるのだとしても……全然期待していない。わざわざ生活環境の整っている村を離れてまで旅をするメリットがあるのか……甚だ疑問を感じてしまう。
「どうしてもって事情があるなら仕方ないですけど……その前にメリナ村に一度帰らないと。ミリィナ以外の皆がオークに殺されてしまったことも報告しなきゃいけないし……」
とても、気が重くなる……小さな村だけに、住民は皆顔馴染みで家族同然……両親を早くに喪ったマリアにとっては尚更。その上旅に出るなんて話もしなければならないとしたら、本当のマリアが死んでしまったことも説明しなければならなくなるかも……。
「報告の必要は……ない。その、相手は……いない。昨日、私達がメリナ村に到着した時点で、村はオークの群れに……奪われていたんだ」
「……え?嘘、でしょ?嫌ですよ……そんな、冗談」
冗談である筈がなかった。アイントさんの表情が、あまりにも沈痛で……。
「逃げ延びた人はいるかもしれない……だが、私達に生存者は見つけられなかった。オークは駆逐した、つもりだったが……し損ねたのが君達を襲ったのかもしれない……不始末だったと、謝って済む問題ではない……!」
……言葉が出ないって、こうゆう時のことを言うのだろう。どう感情を表現するべきか、そもそも自分がどんな感情を抱いているのかも判別がつかない。
怒り。悲しみ。憎しみ。それらを感じている筈なのに……沸き上がらない。圧倒的な喪失感で、心が思考を放棄している。
メリナ村も、その住人達も、マリアの記憶にある大切な存在が……一切合切失われた?
「……なんで……そんなことに……」
それが、ようやく絞り出せた言葉だった。これは、アイントさんに答えを求めての言葉じゃない。だって、誰にだって正解なんて答えられないからだ。強いて言えば……運、なのだろう。
「ほんの一日早く、私達がメリナ村に到着していれば……」
苦渋に満ちたアイントさんの呟きに、私は我に返った。
「自分を……責めないで下さい。オークがどう動くかなんて、誰にも解らなかったんです。それに……アイントさんが来てくれなければ私とミリィナも助かりませんでした。だから、本当に感謝しているんです!」
「……私の方こそ、救われた気分だよ。旅をしていて、何度か似たようなことは有ったけど、慣れなくてね。完全に間に合わなかったこともある。だから……生きていてくれて、本当に良かった。君がマリアの身体に転生してくれて、良かった……」
「……!」
アイントさんのその言葉に、私は尚も救われた。転生をちょっとした幸運だとしか思っていなかった私が、他人の身体を貰ってしまって、本当に良かったのかと、オークに襲われながら自問自答し続けた。それで、ミリィナたった一人でも助けられたのなら意味があったかもしれないと自分を納得させた。でも、それを誰かに認めてもらえるだなんて思っていなかったから……
「そう言って貰えて、転生した意味があったように思えます。マリアは、私よりもずっと前向きで、努力家で、優しい人で……そして……」
この先は、言うべきだろうか?これは、マリアが胸に秘めていた想いだ。もう、伝えられるのが私だけだとしても、乙女の純粋な恋心を暴露してしまっていいものか……マリアって、普段はしっかり者なんだけど、アイントさんのことを思い出すとポンコツだったぽいし、相当過激な妄想も……ん?この記憶……まさか!?
「……アイントさん。やはり一度メリナ村に戻りたいのですが。辛いでしょうが、ミリィナも自分の目で見なければ納得できないでしょうし……私も、村の人達と御別れをしたいです」
あ、急に変な方向に舵をきっちゃったから、アイントさんが胡乱な目をしている……。そりゃ不振だよね。でも……これは私に課せられた最重要使命なのだ!
「……村人の遺体は可能な限り集めて埋葬したが、オークの死体までは手を回せていなかった。野生の動物が死骸を貪りに集まっては、生存者も戻っては来れなくなるか……判ったよ。だが、惨いものを見る覚悟は……しておいてほしい」
それは言われる迄もない。寧ろ、村人の埋葬を済ませてくれているだけマシと言うものだ。それにしても……転生早々惨劇に厄介事に心配事だらけ……なんてハードモードな世界なのか。
そんな中で、世界的には取るに足らなくとも、私にとっては重大なミッションを発見したのは幸いだ。
知られたら、こんな時に何を考えているのかと問われそうだが……それでもやらなければならない。これはある意味、命よりも大切な……乙女の尊厳を守る為だから!
私はそれを発見し回収するか、闇に葬らなければならない。そう……パソコンのハードディスクを水に沈めてデータを完全抹消するかのように!
回収対象は〝マリアの裏日記〟。
日々の生活を綴った表の日記とはまるで別物の……妄想と願望が渾然一体と化し、支離滅裂な内容(18禁的な表現含む)が爆裂している黒歴史な日記である!
真理愛は、マリアの名誉を守る為、そして、自分が書いた訳ではないが、見つかったら自分が書いた事にされてしまう為……なんとしても他人の目に触れぬようにせねばならないと決意したのだ!