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「彼は僕を怒らせるようなことを言う。まっとうな忠告をしてくるんだ。」


   ドリアングレイの肖像 / オスカー・ワイルド / 仁本めぐみ 訳


 役者になりたくて上京したのはいいものの、どんなに練習したってちっともうまくなりはしなかった。セリフは無機質の棒読みで表情筋は動かず。人手不足の劇団の隅に席をもらってほそぼそとはやっているものの端役しかまわってきた試しがない。

 理由は単純で私よりも上手な人が百人はいるから。もうちょっと視界を広げてみたら千人、都内に絞っても一万人はいるかもしれない。学生のお遊びみたいな学芸会にだって私よりできる人はいそうだ。練習したらしただけ上手くなるんだと単純に信じていた昔がバカみたい。私には愛想がない。登場人物の輝くような魅力を表現する技術がない。夜闇のような深い感情を吐き出せない。だって私の中にはそんな魅力や感情が一片だって眠っていないのだから。どんなに本を読んで技術を調べて練習をしたって私にはわからなかった。だのに私はこの世界にいることを捨てきれずにいる。練習した成果を無駄にすることができずにいる。これ以上の進歩も進展もないのにここにしがみついている。

 コンコルドの誤りというのを中学生の時に教科書で見た。コンコルドという超音速飛行機は開発の途中で採算があわないことに気づいてしまった。でもそれに注ぎ込んだ莫大な労力と金を途中で放り捨てることを惜しんで完成させて赤字を垂れ流し続けて2003年にやっと全機が停止した。これまでに投資と労力を惜しんで動き続ける私。停止するのはいつになるのだろう。「夢」というエンジンは私をどこに連れていくのだろう。

 風邪を引いたからこんな暗い考えばかりが思い浮かぶのだ。脇に挟んだ体温計を取り出すと38,9℃。平熱の低い私からすれば完全にダメな体温だった。みんなに移したら悪いし練習には欠席の連絡をいれて布団を被る。どうせ私がいない程度では劇団は困らない。誰かが二役こなしてそれで済む。

 電話がかかってきて劇団の誰かかと思ったら母親からだった。心の準備をしてから通話に出る。あんたの同級の誰々ちゃんが結婚しただの何何ちゃんはまるばつ商社で頑張っていてそのお母さんが温泉旅行をプレゼントされただの、そんな話を延々と聞かされる。面倒臭くなってきたのでスピーカーをオンにして「ねえ、あんたちゃんと聞いてるの?」に対して「聞いてるよ」とだけ答える。ノドが痛い。

 BOTがあればいいのにと思う。「ねえあんたちゃんと聞いてるの?」に「聞いてるよ」、それから「そろそろあんたこっちに帰ってきなさいよ。一文にもならない劇団なんかやめちゃってさ」に対して「うん。わかってる。全部わかってるよ。でももうちょっとだけがんばらせて」と答える機能がついてたら完璧だ。

 一時間ばかりお母さんが一人で勝手に話してようやく通話が途切れる。なにもしていないのにひどく疲れた。

 熱は三日目に下がった。念のためにもう一日休んで劇団に顔を出す。「おはようございます」と私が言うと、みんなが一斉に私を見た。……? なんだろうこの空気。いつもは私が挨拶しても「おはよー」と義務的な返事がやってくるだけで誰もこっちを見たりしない。あれか。休んでいる間についに私の代役が来て私はお払い箱になって「もうこなくていいよ」と引導を渡す役を押し付け合ってるのか。

 吉永さんが「やあ、我が団の新たなスターのご到着だ!」と言った。みんなが笑った。でもその笑い方は嫌な感じじゃなくていつも主役 (女)をやっている人気の水守さんに対する態度みたいで、私はタチの悪いドッキリの匂いを嗅ぎ取る。

「なんの嫌がらせですか、これ」

 訊いてしまう。

「嫌がらせ?」

 吉永さんは何を言われているのか本気でわからないみたいにとぼけた顔をする。

 うちの劇団の主役 (男)をやってる吉永さんはとぼけた顔をしていても絵になるイケメン (稲垣吾郎似で鼻筋が通っていてくっきりした顔立ちなのに目だけが優しい)で私はムカつく。いつもは私のことなんて路傍の石ころみたいに見るのに。ツンと済ました無表情なのに。きっと私の名前すら憶えていないのに。胸倉掴んで言ってみたくなる。私の名前は来島くるしま よりだよ。人が寄りつくような魅力的な子になるようにって父がくれた名前だよ。

「悪かったよ、これまでのことは謝るよ」

 吉永さんは言う。

「君があんなにれるなんて知らなかったんだ」

「はぁ?」

「昨日のサロメは素晴らしかった。ぼくとしたことが心奪われそうになった」

「やめてくださいよ」

 やっぱりからかっているのだ。

 昨日の私はといえば病み上がりでなにかスタミナのつくものを食べたくて特別にニンニク抜きをやってくれる近所の牛丼屋さんで特盛を爆食いしてコンビニでジュースとお菓子を山盛り買ってワンナイトフィーバーしていて失った体力とか気力とかをなんとか取り戻していたのだから。ポテトチップスの油で唇をつやつやにしていたのだ。

 でも吉永さんの話では、昨日の私は劇団の練習に普通にやってきて風邪は治ったとけろりとしていて。ちょっと気難しいところのある水守さんがへそを曲げて帰ってしまってサロメ役がいなくなって練習が中断したのを「私、セリフ覚えてますよ。代役やりましょうか?」と買って出て見事にサロメ役を引き継いでヨカナーンの生首にキッスしたらしい。

 なんの冗談だ。

「とにかく、今日も頼むよ」

 ウインクして吉永さんが離れていく。

 私は腹を立てて壁を蹴る。苛立って昂ってしまった時にはいつもこんな風に壁を蹴っ飛ばすのだけど、誰も気にしない。だってそもそも誰も私がいることになんて気づいていないんだから。でも今日は吉永さんがスッとんできて「役が不満なのかい?」と言った。いい加減にしろ、クソ野郎。そのイケメンフェイスを血まみれにしてやろうか。

「わかった。次の舞台には必ず君の技量にふさわしい役を用意する。けれど今回だけは我慢してほしい。水守の演技なんて。あんな豚みたいな女に主役をやらせておいて君が≪召使たち≫の中の一人だなんてさぞかし不満だろうけど、」

「やめろっつってんだよ!」

 怒鳴ってしまった。

 水守さんが豚? あんなキラキラした素敵な人がブタ? 私の百倍は表現力がある人が? だったら私はなんなんだ。

 周りの人たちだって水守さんがまだ来ていないのをいいことに、吉永さんの言ってることが当然みたいな顔をしている。いい人達だと思ってたのに。少なくとも悪い人達ではないと思ってたのに。

 こんな子供っぽい嫌がらせをする人だったなんて。


 私はなにもかも嫌になって劇団を飛び出してアパートに駆け戻る。



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