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桜花の鬼  作者: 寿桜壱屋
3/4

桜雨の章


 しとしとしとしと……。


 春の雨は絹糸のように柔らかく優しく地をぬらす。それは盛りを迎えた桜の花にも触れ、しっとりと水の衣を纏わせれば、その重さに耐え切れぬ花達が、枝を伝う水滴とともに地に落ちる。

 薄紅色の絨毯がゆっくりと地に広がっていくのとは対照的に、頭上の色は乏しくなる。

 盛りが終えた桜はあっけない。哀しいほどに目の前から去っていく。

 それが桜の生き様だと言われればそうなのだけれど、名残惜しむ心は止められない。

 幾年も、それこそ人の時よりも長く桜を見続けた鬼でさえも、散りゆく様をみるのは心が揺れる。

 身体が濡れるから表には出ず、棲みかにしている桜の花陰に身を潜め、散りゆく桜を眺めていれば、賑やかな水音が響いてきた。


 ぴちゃぴちゃばしゃっ!

 ばしゃばしゃぴちゃっ!


 ぬかるんだ道を、溜まった水たまりの中を怯むことなく突き進む元気な音。

 それと同時に現れたのは、桜色の傘だった。大きな傘は、けれど随分低い場所で大きく揺れている。まるで傘だけが浮いて移動しているように見えるが、そうではない。持ち手が傘とたいして変わらないほどの幼子なだけだ。

 大人の大きな傘は小さな子には大層重たいようで、その上足下もぬかるんでいるとなれば、その歩みはふらふらと安定せずに危なっかしい。それでも慎重に歩いているようで、水しぶきなど気にすることもなく、一歩一歩大きくしっかりと地面に足を下ろしているから転ぶことなく、神社の奥にある古木の桜までやってきた。


「桜のお兄ちゃん、こんにちは!」


 雨はまだ降り続く。

 虫も鳴かず、鳥もさえずることなく鎮守の森に響きわたるのはかすかな雨音だけの境内でヒナは、ひとり声をあげる。

 

「お兄ちゃん、遊びに来たよ!」


 ぐっと傘を大きく傾け、雨に濡れそぼつ桜を見上げる。

 パタパタと小さな顔に桜から滴り落ちる雨がかかる。


「桜のお兄ちゃん?」


 ヒナの目には、桜の木の上にいるはずの鬼の姿は見えない。当たり前だ。今日は雨で、外に出れば濡れてしまう。鬼とて雨に濡れるのは不快を感じるものだ。だから、陰に隠れて桜雨を眺めていたのに、鬼の姿を見つけられないヒナは、とたんにくしゃりと顔をゆがめた。

 雨に濡れる顔が、雨ではないもので濡れていく。


「ひっく……桜の、お兄ちゃん……んくっ……いないのぉ?」


 約束をしていたわけではない。

 今日は会えずとも、日が違えば会えるかもしれない。

 それなのにヒナは会いに来たのに会えない、ただそれだけで泣く。

 悲しくて、悲しくて、涙を流す。

 これには鬼もほとほと困り果てる。

 これではまるで自分が泣かしたみたいではないか。泣くなと言った自分が、泣かしてしまうなんて本末転倒だ。

 だから仕方なく、しょうがないので鬼は姿を表した。雨なのに、濡れるのは好まないのに、小さな子の前に桜色の鬼は立った。


「泣くな」


 一言そう言えば、ヒナの顔はとたんに晴れた。傘を傾け、顔を上げる。


「桜のお兄ちゃん!」


 そうして喜び過ぎた身体はぐらりと大きく傾ぐ。勢いよく後ろのめりに倒れ込む。


「何してんだ」


 鬼は、倒れる前に大きな傘ごとヒナを抱き上げた。小さな身体は、鬼の腕の上にすっぽりとおさまる。

 けれど抱き上げれば、ヒナは居心地悪げに身じろぎした。いつもはおとなしく抱かれるのに、今日は眉根を下げ、心配げに鬼をみる。

 理由はすぐにわかった。


「ぬれるよ? お兄ちゃん」

「そうだな」

 

 ヒナは、雨でも濡れないように大きな傘の他に、黄色の合羽と赤い長靴をはいていた。どちらも舗装されていない道を歩いて来たおかげで、雨に濡れ、泥土がはね汚れている。

 それを抱き上げる鬼の服が水も泥も吸い込んでいく。

 それでも鬼は気にすることなく小さな身体を抱き上げたままだ。


「気にするな」


 濡れるのは不快だが、腕の中にいる小さく温かな者は不快ではない。

 だから良い。


「うん」


 鬼の言葉に安心し、素直にうなずいたヒナは、大きな傘をしっかりと支えた。

 近くで見てもヒナには不釣り合いの傘だ。重さで時折ぐらぐら揺れる。


「小さな傘はもってないのか?」


 そう訪ねれば、ヒナはふるふると首を横に振った。


「ううん、持ってるよ。カワイイきいろのくまさんのカサ」

「それじゃあ、なんでこの傘で来たんだ?」


 持っているならその傘でくればいい。わざわざ大きな傘を差し、よろよろとよろけながら来なくてもいいものを、と不思議に思えば、ヒナの口元からフフフッと楽しげな声がもれた。


「あのね、あのね、このカサ見て、見て!」

「ん?」


 上を見上げるヒナにつられるように顔を上げる。


「花がさくの!」

「ああ……」


 何のことかと思えば、確かに傘の布地に花が咲いていた。

 桜の模様だろうか、所々濃淡があるが布地一面に咲いている。


「あのね、このカサね、雨にぬれるとお花がさくんだって。ふしぎなカサなの」

「ほぉう」


 言われればたしかに、雨がよく当たっている部分は花の模様が濃く出ている。


「だから、おばあちゃんにかりて来たの」


 ヒナはとっておきの宝物を見せびらかすように得意げな表情を浮かべる。


「これなら雨がふっても、お兄ちゃんとお花見できるでしょ!」

「ああ、そうか……」


 なんてたわいない発想だろうか。誰かにでも言われたのだろう。雨が降れば花見は出来ないと。だからここへ来ても、いつものように花を見ながら語り合うことは出来ないと思ったのだ。そう思ったから、傘を借りて来たのである。重たい大人の傘を差しながら、足下が緩く歩きづらい道の中をやってきたのだ。

 自分と花見をしたいだけにーー。

 濡れて冷えるはずの身体が、ほわほわとした温もりに満たされる。


「桜が綺麗だな」


 傘の中から花見をする。

 長い時を生きて来たけれど、そんな花見は初めてだ。

 腕の中にいるヒナは、フフフッとまた小さく嬉しそうに笑う。


「雨が降ったから、キレイだね」

「ああ。初めてだよ、雨の中、こんな綺麗な桜をみたのは」


 傘の中で咲く花は、随分簡略化された可愛らしい絵柄で、晴れた日に見れば本物とはかなり見劣りするものだとわかるけれど、愛しいヒナが一生懸命雨の中やってきて見せに来てくれたのだと思えば、満開の桜の花に等しい輝きを放つ。鬼の心にも温かな思いが咲き誇る。

 雨など鬱陶しいと濡れることなど煩わしいと思って避けていたのに、腕の中の存在が自分の気持ちを変えていく。


「ヒナは凄いな……」


 思わずそう呟けば、きょとんとした眼が自分を見つめる。


「どうしたの?」


 臆することなく異質な緋色の瞳を覗き込む。

 この幼女はわかっていない。鬼の自分をどれだけ変化させたのか。愛おしくて、愛おしくてじんわりと眦が熱くなる。


「ありがとう、綺麗な桜を見せてくれて」


 そう告げれば、ヒナは可愛らしい瞳を大きく瞬かせた。


「お兄ちゃん、泣いてる?」

「いや、泣いてないよ」

「でも、お顔が濡れてる」

「雨が当たったのだろ」

「そっか」


 鬼は泣かない。非情な存在だから、涙も出ない。

 そのはずだ。

 だから、頬を伝った水は、おそらく重たい傘に覚束なく、傘が頭上から外れ顔にかかった雨だ。

 そうに違いない。


「お顔、ぬれて冷たくなった?」


 雨で少し濡れた手が、鬼の頬に触れる。小さくて柔らかくて暖かい手だ。


「んっ、そうか?」


 その手が気持ちよくて目を瞑れば、小さな手が無遠慮にべたべたと顔を撫でてくる。


「温かくなぁれ」

「温かいよ、もう十分に」


 小さな願いは、すでに叶っている。雨に濡れた肌は冷たくとも、その内にある心は、もう十分温もりで満たされている。


「さあ、もう帰ろう」


 花見の時は長くはない。

 なぜなら雨の日の夕暮れは夜と変わらない。厚い雲の向こう側で傾く日は、あっという間に夜を引き寄せる。

 

「うん」


 雨の花見は満足できたのか、素直に頷くヒナを境内の外まで送り届け、別れを告げる。


「お兄ちゃん、またね!」

「ああ」


 雨の中に揺れる桜の傘が消えるまで見送ると、鬼はひっそりと満足げに微笑み陰に沈んだ。


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