3章①
…………俺がハッピーエンドカンパニーに入社して、およそ一週間が経過した。
残念ながら、俺の呪いについては全く進展がない。相も変わらず他人の負の声を聞かされる毎日を送るばかりか、連日のように同じ悪夢にうなされる始末だ。
……さて、そんな俺が今何をしているかというと……
「だーかーらー! そこには瘴気量の情報を入れないと、全体の構成が狂って効果が減少するって言ってるでしょ⁉」
「おま⁉ 昨日と話が違うじゃないか! 昨日は呪いにかかった時期だったぞ!」
「情報を入れる順番はその都度違うの! 術式の文字列を見ればわかるでしょ⁉」
「何度も言ってるが、そういう情報は先に言ってくれ!」
…………魔術師になるための勉強を強要されていた。
やると決意した手前、勉強することが嫌なわけではないのだが、こいつの授業は俺が教えられていないことを平然とやらせようとしてくるので、どれが正しいのか分からなくなる。
「陽子さん、このチビじゃ全く進みません! 講師を変わってください!」
陽子さんなら、兒井獅よりも分かりやすく教えてくれるはずだ。
「ごめんなさい。幸ちゃんに手を出さないようにと社長命令を受けているので……」
「陽子さん株主でしょ⁉ 会社の方針を変えてくださいよ!」
「あら、今の私はただの会計ですよ? それに……私の授業は特別です♪」
「…………兒井獅社長に教えを請おうと思います!」
いくら分かりやすくとも、自ら地獄を覗きたいとは思わない。
「お、やってるな」
「昴さん……助けてください」
いつものように下着しか着けていない昴さんに助けを請う……最近になって分かったが、昴さんは露出魔というだけで、この事務所では一番の常識人なのだ。
「悪いが私はそういう柄じゃない。それとも……こっちをやるか?」
奥の部屋を指さしながら不敵に笑う昴さん。
「ダメよ昴。先に解呪の基本を習わせないと。しごくのはその後にして」
「この後は戦闘訓練かよ……」
「当然でしょ? 最終的に貴方が何を専門にするかは自由だけど、どれも基礎くらいは出来てないと一人前にはなれないんだから」
……最近になって教えられたのだが、魔術師は呪いを解呪する以外にも「死守人」と「呪い観測」と呼ばれる代表的な仕事がある。
死守人は、呪いの瘴気につられ現れる「死神」を撤退まで追い込むのが仕事。
呪い観測は、周囲の呪いを感知したり、発生するスポットを探したりと、呪いの所在について調べることが仕事だそうだ。
そして兒井獅が「解呪」昴さんが「死守人」陽子さんが「呪い観測」をそれぞれ担っている。
…………で、俺は今その全てをやらされるというのだ。
「人には得意不得意があるだろ。昴さんは解呪出来ないだろうし」
複雑で様々なパターンが存在する術式を、昴さんが作れるようには思えない。
「馬鹿ね……ああは言ってるけど、昴の解呪は一流だから」
「え、本当ですか?」
「ん? まあ一応、大体の呪いの解呪はできるな」
まじか……人は見かけによらないものである。
「けど解呪についてなら、幸の方が優秀だよ……今はまだ実感できないかもしれないが、幸に教えてもらえるっていうのは、幸運なことなんだぞ?」
……あんな間抜けな顔でお菓子を頬張って、喉に詰まらせている奴が?
「ダウト」
「はは! ま、頑張れよ。それが終わったら私が稽古をつけてやるからよ」
俺の頭を乱暴に撫でながら、奥の部屋に戻っていく昴さん。
「藍駆! サボってないで授業の続きよ!」
「はいはい」
幸運だという実感は湧かないが、今は幸運な授業とやらをしっかり聞きますかね。
「理解できていない藍駆のために、術式と、呪いについてもう一度説明するからね」
……お前が話を飛ばすから分からないんだろうが。
「術式は、情報と魔力を組み合わせて最適かつ、最高の解呪法を作るためのものよ」
そう言い、魔法陣を出す兒井獅。
「そもそも呪いと一括りに言っても、種類も効力も何もかも違う。だから完全に解呪するにはその呪いに合わせた術式が必要となるの。ここまでは分かる?」
「ああ」
基礎中の基礎だと、毎日のように聞かされているからな。
「そしてその解呪するべき呪いの被害は、大きく分けて暴走した呪いの瘴気と、その瘴気で感染することの二つだってことは、当然知ってるわよね?」
「知らん」
「なんでよ! 常識でしょ⁉」
「常識なわけあるか! 俺がお前から聞いたのは、術式の基礎と組み替え方だけだ!」
その術式すらこう作れ、こう組み立てろと命令されるだけだってのに。
「…………仕方ない。詳しく説明するから」
嘆息し、俺を馬鹿にした様子で本を取り出す兒井獅……こいつ殴りたい。
「まず呪いの暴走からね。条件は不明だけど、呪いは暴走することがあって、周囲に瘴気をまき散らすの」
「……俺の呪いも暴走するかもしれないのか?」
「藍駆の呪いは私たちが管理しているんだから、万が一にも暴走なんてさせないわ」
……今まで暴走しなかったことや、暴走する前に兒井獅たちに会えたことはとても幸運だったのかもしれない。
「で、その暴走した呪いの瘴気に充てられて、呪い予備軍になることが感染よ」
「ん? なら魔術師全員、感染の危険性があるじゃないか」
呪いを解呪する立場の魔術師が呪いを患ったら、それこそ本末転倒だ。
「魔術師はワザと呪いを発症させているから問題なし。これも常識だから覚えときなさい」
「は?」
呪いを患う? ワザと?
「そもそも、呪いや死神が見えるのは呪いに感染した人間だけなんだから、ワザと弱い呪いに感染して、すぐに解呪するのよ。ワクチンとか予防接種みたいなものね」
「ちょっ、ちょっと待て。頭の整理させてくれ」
次々出てくる新情報に、頭がパンク寸前だ。
「幸ちゃん、いきなり全部話しても藍駆君は混乱してしまいますよ」
流石に見かねたのか、陽子さんが援護をくれる。
「今日は特に重要なことをもう一度に復習するだけで終わりにしましょう」
「……まあ、陽子がそう言うなら」
俺と陽子さんを交互に見ながら、仕切り直しをするかのように咳ばらいをする兒井獅。
「いい? ひとまず呪いは暴走する可能性があることと、魔術師は呪いに感染することはないことだけ覚えてなさい」
「あ、ああ」
分からないことだらけだが、こういった知識の積み重ねは地道に行うしかないだろう。
「今日の座学はこれで終わりにするけど、何か質問はある?」
兒井獅に質問があるか問われたので、前々から気になっていることを聞いてみる。
「複数の呪いに同時に掛かることはあるのか? もしくは複数の効果を持った呪いも存在するのかも気になる」
俺は人の負の感情が聞こえたり、周囲の人に異常なほどに嫌悪されたり、悪夢にうなされたりするが、これら全てが一つの呪いの効果なのだろうか。
「変な質問。どうしてそんなこと気にするの?」
「いや、俺は人の負の感情が聞こえる以外にも、悪夢にうなされたり、人に嫌われやすいから気になったんだよ」
「……? 私は藍駆のこと、嫌いじゃないけど?」
「っ⁉ ………いやお前の主観じゃなくてだな!」
不意打ちとはいえ兒井獅なんぞの言葉に動揺してしまったことに不覚を感じながらも、質問の答えを促す。
「はぁ、何を心配しているのか知らないけど、基本的に呪いの効果は一つだけよ。複数の呪いにかかることはごく稀にあるけれど、お目にかかることはまずないから」
「どうしてだ?」
「………呪いを感知して到着する頃には、死神との殺し合いに発展しているからよ」
あくまで平然と、だが隠しきれない憎しみを滲ませながらその名を告げる。
「死、神」
……濃い瘴気に反応してやって来る正体不明の異形で、並の人間どころか厳しい訓練をした魔術師ですら太刀打ちできないと聞いている。
「暴走した呪いが二つも存在するんだから、死神が現れて当然ではあるけど」
「……出会いたくないもんだな」
「いらない心配の前に、あんたにはやるべきことが山ほどあるから」
どさどさと分厚い本を積み上げていく兒井獅……まさか。
「おう、座学はもう終わったんだろ? 今からこれを全部やれなんて……言わないよな?」
「気が変わったの。けど安心して。今日は初期感染の解呪術式だけでいいから」
「…………この小鬼が!」
結局、出された本全部を徹夜でやらされることになった……。