1章②
「はい、到着」
兒井獅電車に揺られること数分。駅前にあるビルの一つで停車する。
そこには少し古びているが、十階建ての巨大なビルがそびえ立っていた。
「中々デカいじゃないか。お前の会社、かなりの規模なんだな」
もっと小さいボロアパートを想像していたが、兒井獅はこんなに大きい会社の社長なのか。
「そ、そうでしょ……?」
人が褒めたというのに、何故か歯切れの悪い返答をする兒井獅。
どうしてか疑問だったが、ビルの案内板を見てすぐに答えが分かった。
「…………おい。場所間違えてるんじゃないだろうな」
ビルの一階から九階まで「株式会社ゲツヤ」という会社が使っているのだ。
おまけにハッピーエンドカンパニーなんていう会社はどこにも見当たらない。
「ここよ。名前は違うけど、ここが会社」
そう言って十階を指す兒井獅。そこには「兒井獅事務所」と張ってあった。
「……なんでハッピーエンドカンパニーじゃないんだ?」
このチビは自分の苗字で会社を立ち上げるほど、世間体なんて気にしないだろうに。
「…………私の家族が立ち上げた事務所だから、変えずにこのままにしてるだけ」
(……お母さん、お父さん)
また聞こえた……どうやら家族関連のことも地雷らしい。
「なあ、エレベーターはどこだ?」
少々強引だが話題を逸らす。事実、辺りを見回してもどこにも見当たらない。
「何言ってんの? そんなハイテクな装置、このビルにあるわけないじゃない」
そう言って階段を上り始める兒井獅。いやいや!
「まさか登るつもりか? この高さを⁉」
ビル十階まで登るのなんて、ちょっとした訓練だぞ⁉
「…………帰る。世話になったな」
俺にはわざわざ苦労してまで痛みを受けたがるような被虐趣味は無い。
これで何も成果がなければ、それこそ本当に骨折り損の草臥れ儲けだ。
「逃げるな! 今帰ったら大声出して人呼ぶから!」
……それはマズイ。そうなったら周囲の人の非難を負の声含めて浴びるだけじゃなく、最悪ロリコン容疑で臭い飯を食べる羽目になってしまう。
「脅迫するなんて卑怯だぞ」
「あんたが逃げようとするからでしょ。どうしても登れないっていうならまた担いで行こうか? 勿論、認識疎外は使わないけど」
…………チビな女の子に担がれて、階段を登っていく絵面を想像する。
そこに、その光景をゲツヤの社員に見られた場合、どんな反応をされるのかも付け加える。
「……分かった、自力で登る」
人に奇怪な目で見られ、心の中で罵倒されることに慣れてはいるが、そうなるくらいなら筋肉痛に悩まされるほうがマシだ。
どうしてこうなったのかと溜息を吐きながら、俺は渋々と階段を登り始める。
「はぁ……はぁ!」
「体力なさすぎ。まだ四階よ?」
そして、半分に満たないくらいで息が上がる。
登ると啖呵を切ったものの、普段運動をしていない俺が登るには、この階段は長すぎる。
……しょうがないだろ。人との接触を避ける一番の方法が、家に引き籠ることなんだから。
だがここまで来て引き返すわけにはいかないと、身体に活を入れながら必死に階段を攻略していく。そして遂に……
「さ、入りなさい」
俺はビルの頂に登頂することに成功したのだった。
「待ってくれっ……少しっ、休憩させてくれ……!」
……俺……ここまで体力……無かったのか。
「そんなの会社の中でいくらでも取ればいいでしょ。お茶くらいなら出すから」
床にへたり込む俺を引っ張り、会社へと入っていく兒井獅。さっきから思っていたが、何処からそんな怪力が出てくるんだ。
「ただいまー。陽子、お茶―!」
「あら幸ちゃん。おかえりなさい」
俺たちを迎えたのは、柔和な笑顔が似合うおっとりとした女性。
俺や兒井獅よりも一回りほど年上の、長い茶髪の彼女は、ゆったりとしたセーターを着てパソコンのキーボードを叩いていた。
「あら、幸ちゃん。その子は?」
「金ヅル。解呪してから大金を請求する予定の奴よ」
「いや、初耳なんだが⁉」
脅迫して連れてきてから金をむしり取るとか、こいつの会社悪質すぎるだろう。
「冗談よ……こいつは藍駆。強力な呪いに掛かったせいで身体能力にも顔にも心にも障害を負った哀れな奴よ」
「はじめまして、三孤藍駆と言います。分かってらっしゃるとは思いますが、このチビの言葉は全て虚言なので悪しからず」
兒井獅に一切反応せず、冷静に自己紹介する……お前の言動全てに対応してやると思うなよ。
「ご丁寧にありがとうございます。鈅谷陽子です。以後お見知り置きを」
「ちなみに陽子はお金が大好きレディーよ」
「ふふ♪」
手で金のジェスチャーをする鈅谷さん。兒井獅の話を否定しない辺り、どうやら本当にお金が好きらしい。
…………ん、鈅谷?
「失礼ですが、このビルにある株式会社ゲツヤと何か関係があるんですか?」
「当然でしょ? 株式会社ゲツヤの社長は陽子なんだから」
「……え、本当ですか⁉」
「はい。私、株式会社ゲツヤの社長兼、兒井獅事務所の会計兼、株主をやっているんです」
「兒井獅、お前この人に頭が上がらないだろう」
首根っこどころか、会社の生殺与奪権すら握られている。
「……先に警告しておく。陽子に逆らったり、怒らせちゃダメよ? …………今までの日常に帰れないから」
生気を感じさせない顔で忠告する兒井獅。
はは。こんな優しそうな人がそんなこと……
「そうそう…………さーきちゃん♪」
「はい! 何でしょうか!」
うお⁉ 兒井獅が冷や汗欠きながら直立になった⁉
「お客様にお出しするお菓子、知りませんか♪」
「……知りません!」
「そうですか、ごめんなさい。確証も無いのに疑ってしまって……犯人は用意しておいた監視カメラで確認しますね♪」
「ごめんなさい! 私がやりました!」
直立不動だったかと思えば、すぐさま土下座する兒井獅……どうして嘘をついたのやら。
「幸ちゃん。私は勝手にお菓子を食べたからと言って、怒るつもりはありません」
「……陽子!」
「なので、罰は嘘をついたことだけにしますね♪ …………一週間、間食抜きです」
「そ、そんな!」
「な に か ♪」
「なんでも……ないです」
確かに怖い。怖いが……兒井獅のやってることガキすぎないか?
「……随分と騒がしいな」
二人の愉快なコントを見ていると、奥の部屋から女性がやってくる。
「あ、昴。鍛錬お疲れ様」
「ああ。何もしてないと鈍っちまうからな」
力こぶを浮き上がらせる女性。固すぎず、柔らかすぎずの綺麗な力こぶだ。
「後で私にも稽古つけてね」
「お安い御用だ」
あの怯えようはどこへやら。朗らかに話している兒井獅と女性。
ん、まあ…………ツッコむのも野暮なんだろうが。
「……なんでパンツ一丁なんですかぁ!」
豊満な胸を隠すことなく、パンツとハンドタオルのみの格好をした女性にツッコミをいれる。
「お? 誰だ、こいつ?」
俺に見られていることに気付いても、全く恥ずかしがることない女性。
……俺を男として見てないことは分かるが、俺はこの人を女として見ちまうんだよ!
「三孤藍駆です! 早く服を着てください!」
「何だよー。チェリーだからってお姉さんの裸に興奮するなよ」
馬鹿にしながらも奥の部屋に戻っていく女性。服を着替えにいったのだろう。
「兒井獅……お前も何とか言えよ……」
「何度も注意してるけど、言うこと聞かないから諦めたわ」
「本人は裸族を否定しているんですけどねぇー」
いえ。立派な裸族だと思います……。
それからブラジャーを着けただけで出てきたので、また着替えさせたのは別の話。