第九話 いいがかり【前編】
学校へ着くと、僕と双葉ちゃんは駐輪場で自転車から降りて、玄関へ。
自転車上での会話とは一変、ここも特に普段と変わらない状態で、二人は別れた。
「じゃ、また放課後ね」と双葉ちゃんは手を振り、クライスメイト達と合流している。
僕も手を軽く降り「うん」と返事をして、自分の教室へと足を運んだ。
双葉ちゃんが視界から消えると僕も日常へと舞い戻る。
太ももの緊張感も、思い出したかのように僕を刺激し、脳への刺激がほとばしってくるが。
そういえば、このままいけば体が壊れてしまうことが未解決だったなと考えつつ、悠長に、筋肉疲労は成長の証だと達観しておく。
僕も大人になったものだ。
自席に座り、授業の用意をしながら朝礼を待っていると、後ろから声がかかった。
後ろといえば、ご存知、こわもてイケメンのトラ君だ。
僕もそう言われて見たい。
「良、お前、本当に双葉と付き合い始めたの?」
「うん、昨日の夜に告白したんだ」
「まさかそんな急展開になるとはな。昨日の今日なんだし、今までがのろのろしてたからもうちょっと先かと思ってたんだが……。でも、うまくいったみたいだな」
「おかげさまで双葉ちゃんは、僕と同じ気持ちだったみたい。新川さんや竹内君のことで、お互い勘違いしていた節もあったんだけど、何とか解消したし」
「あー、それな。もう既に竹内から告られていたとは思わんかった。俺の情報もおせーな。悪い」
トラ君は眉を顰めた。
トラ君の美形な顔立ちは、その表情であっても絵になっているのが、人生平等じゃないなと感じる。
もっとも、みんなが同じ顔なら、個人を選ぶという選択もできないわけで。
そして竹内君じゃなく僕を選ぶという双葉ちゃんの奇跡も、世の中、顔だけじゃないのかなって思ったり。
だけど竹内君には、顔以外にも僕より優れていることが沢山あるということは、置いといて。
「僕の方こそごめん。竹内君のことトラ君に訊いたって言ったばかりに、双葉ちゃんがトラ君のことを勘違いして責めちゃったよね」
「別にそんなことは大した問題じゃねーさ。双葉は俺の一言一句が気に入らないみたいだから、今回もそれの延長だしな」
「気に入らないなんて、そんなことないよ。別に双葉ちゃんに悪気なんてないから。双葉ちゃんは根が優しいから、他人の言ったことを心底気に入らないなんてないと思う。それに双葉ちゃんはトラ君の言葉に本気で怒ったりしないよ」
「いきなり惚気かよ」
僕達は笑いあう。そしてホームルームが始まった。
昨日の反省点を生かし、今日はホームルームを乱さないように、しっかり前を向き先生の話を訊いた。当たり前のことなのだけど。
昨日の僕のホームルームが上の空という怠慢は、昨日だけのことと思って流しておくれ。
でも一応、クラス全体の中で靄がかかっている人がいないか確認してみる。
全員スッキリ悩み事がないみたいで、今日は新川さんも靄がかかっていない。
靄がない日はなんとなく、世界平和な感じがして心地良い。
周りの靄がないからって、世界中では困っている人は沢山いるのだろうから、世界が平和なわけじゃない。
わかっているけど、世界が平和になればいいな、世界中から悩み事や困り事がなくなればいいなって、願望も含んでね。
そんな平和の中で時は流れ、今日は一気に放課後まで時は進んだ。
今日は一日平和だったな。
そう思いながら、いつものように双葉ちゃんを僕は待っていた。
僕と違いみんな忙しいせいか、終礼と共に一斉に散っていくクラスメイトが、教室を孤独へと導いていく。
誰もいなくなったって、寂しくなんかないんだからね!
今の教室には僕一人しかいない。
待ち時間を利用して、今日の復習をすべく教材を広げた。
静まり返る室内に、昨日と同じ外での野球部の練習音が反響している。相変わらずこの音は孤独感が募り、まるで野球部と僕が闘っているような、そんな錯覚に見舞われてしまう。
すると後ろのドアが、『ガラッ』と力強い音を立て開かれた。
ん? 誰か忘れ物でも取りに来たのかな? 双葉ちゃんが来るには早すぎるし。
振り返ると、その人は僕のクラスメイトではなかった。
すらっと背が高く、一目でわかるくらい整った顔立ち。
君は…………
「竹内君?」
そう、頭脳明晰、スポーツ万能で非の打ち所のない生徒。
双葉ちゃんと同じクラスで、双葉ちゃんに告白したと言っていた竹内君がいた。
竹内君には濃い靄がかかっている。
顔も普段爽やかな美男子顔が、内のわだかまりがわかるほどに歪んでいた。
「君が越善君だね」
「そうだけど、ぼ、僕に何か用なの?」
普段であれば靄の方が気になるところなのに、鋭い目つきで僕のことを見ている竹内君に圧倒され、素直に悩み相談とはいかなさそうだ。
明らかに僕に対して文句を言いたげであり、それを解決すれば靄は晴れるのだろうけど、きっと僕の掌握できるものではない。
「君、神楽さんと付き合い始めたって、本当なのかい?」
何? 昨日の今日なのに、もう双葉ちゃんはみんなに言っちゃっているの? まあ、双葉ちゃんの性格なら仕様がないか。
きっと悪気はないのだし。
悪気がないどころか、何も考えてないだけのような気もする。
「うん、昨日告白してオーケーをもらったんだ。だから本当だよ」
すると竹内君は、あからさまに悲壮感を漂わせ、やれやれといった感じで言ってきた。
「君は神楽さんとは、ただの幼馴染じゃなかったのかい?」
「確かに幼馴染だったけど、僕はずっと双葉ちゃんのことが好きだった。ただ僕の勇気が足りなくて、今まで告白できないでいただけだよ」
竹内君は深く溜息をつき、僕のそばまで寄って来た。
僕は素直に事実を話して、それを確認しているはずなんだから、もう教室から出て行って欲しいのだけど。
この際、靄はどうでもいい。
「君、昨日、新川っ子にキスをしようとしてたみたいじゃないか。そんな二股野郎に神楽さんと付き合う資格なんてない」
またそれか。今更ながら、僕の軽率な行動に嫌気が刺してきた。
違うって言っても、証明のしようがないし。みんなに見られている場でやったのはマズかったんだなぁ。
とはいえ、あの場では仕方がなかったんだけれども。
「いや、新川さんのことは誤解なんだよ。あれは新川さんの探し物をしていた時に、たまたまなっちゃったことで」
「火のないところに煙は立たない。言い訳したってみんなからそう見えたことは、事実として残っているんだよ。
君はよく人助けと称して、他人の悩みに首を突っ込んているんだってね。その時も授業をボイコットしてまで、新川って子の大事なものを探しに行ったそうじゃないか。
そんなことがあってその日のうちに告白なんて、神楽さんが可哀想だ」
真剣な眼差しを僕に向けてくる。本当に双葉ちゃんのことが好きなんだなって思わせるような実直な目で。
だけど僕も、一方的に言われるのはごめんだ。
「僕は二股なんかしていない。双葉ちゃんも知ったうえでオーケーしてくれたんだから、いいじゃないか。竹内君に言われることではないよ」
僕のその言葉で、竹内君は逆上したように僕の胸ぐらを掴み、そして落ちあげた。僕より背の高い竹内君に持ち上げられ、足が宙に浮く。
正直、ビビった。でも断じてチビってはいない。
「僕はまだ諦めていないからな。君なんかよりずっと神楽さんと吊り合っているんだ。人の心配ばかりしている君なんかより、神楽さんだけを見ていると断言できる。
幼馴染だからって偉いわけじゃない。近くにいる存在で制限して、視野を狭めることを君は罪だと思わないのか?」
「そ、それは……」
言い返せなかった。
フラれてからもずっと双葉ちゃんを見ているなんて、ストーカーじゃないかと過ぎったけど、言葉にしたらタダでは済まないことが想像できるのでやめておく。
それに、確かに僕は困っている人を放ってはおけない。
例え双葉ちゃんと一緒に行動している時でも、見かければ気になって声をかけに行ってしまうだろう。
言われるとおりこのまま僕と付き合ったら、双葉ちゃんを枠にはめることになってしまうのかもしれない。
双葉ちゃんは美人で可憐で、僕なんかには勿体ない人だ。
テニスで大活躍して、世間にも注目されている逸材なんだ。
確かに双葉ちゃんの視野を狭めて、やれることがやれなくなるのは罪なことなのかもしれない。僕といることで双葉ちゃんの未来を閉ざしてしまうなんて、考えもしなかったよ。
でも……だけど……僕は……
「だけど、僕は双葉ちゃんが好きなんだ。きっと……きっと、双葉ちゃんにとっていい未来に導いてみせる」
「どうやって? もう君は変わりようがないじゃないか。特に平凡な君は、人がいいだけの奴なんだ。それを早く自覚しろ」
「そんな僕を双葉ちゃんは選んでくれた。だから僕もそれに応えてみせる」
竹内君は僕の胸ぐらを掴み持ち上げたまま、苦虫を噛み潰したような顔で僕を睨む。
双葉ちゃんが選んだということが、胸に突き刺さったのだろう。
早く終わりにして欲しい。
双葉ちゃんの未来を考える事案は追い追い考えるとして、それは別に竹内君には関係ないじゃないか。
「でも僕は諦めない。僕だって別に彼女に嫌われているわけではない。きっと君と付き合っていくうちに、自分の相応しい相手が君ではないことに気付くはずだ。
君も彼女と街を歩いている姿を思い浮かべて、吊り合っていないことを認識するといい」
悔しい。
辛い。
情けない。
僕は言い返せないほど竹内君より劣っている。
悔し涙が滲んでくる。
結局、僕を選んでくれたという事実に、縋り付いているだけだ。