第八話 告白後の食卓
そして翌朝、いつものように目が覚めた。
いつものようにというのはもちろん、双葉ちゃんのマウントボジション。
僕の望んでいた日常であり、昨日の嬉しい出来事もあったので、苦しくもない。
ってそんなわけないわ!
「ウヘェ、ゴホッ」
惰眠を貪っていた僕に鉄槌が下される。
本当は鉄槌という硬さではなく、無緊張時はおそらく、水風船のような柔らかさなのかもしれない。
しかし唐突に放たれたそれは、目覚めの僕には間違いなく鉄槌だ。一流アスリートの引き締まった筋肉を舐めてはいけない。
「ほら、良太! 早く起きろ!」
既に着替えを終えていた双葉ちゃんが、僕のお腹の上で、トランポリンのごとく飛び跳ねる。
朝から制服を着て、男の子の上をお尻でトランポリンするなんて、なんて練習熱心な女の子なんだ。
昨日の出来事もなんのその、この子は特に変わらないらしい。
そして僕のお腹はいい加減、ボクサー並みに腹筋が付きそうなものだけど、まあ、これで付いてたら過酷なトレーニングしている人に怒られるな。
でも苦じい。
「ゴホッ、ゴホッ。双葉ちゃ〜ん。たずげで〜」
加害者に助けを求める僕。
この際、朝起きられない僕が、総合的に加害者になるのではという問題はおいといて。
「やっと起きたか。ほんと私がいないと朝も起きられないんだから」
双葉ちゃんは立ち上がると、妖精のようにベッドから飛び降りた。
まるで羽でも生えているかのように、ふわりと降りる様にはまだ夢を見ているようだ。
まあ、鉄槌をくらっているだけあって、起きているのは明白なのだけど。
「おはよう、双葉ちゃん。あの、今日からもよろしく」
僕は照れながら口にした。
別に好きだと告白しても、現状を変えたいわけでもなく、いつもどおりに接してくれる双葉ちゃんに安心感を覚え、改めてそう挨拶したのだ。
そんな僕に双葉ちゃんは「何言ってんのよ、早く着替えてきなさい」と言い残し、僕の部屋を出て行った。
その頬には、微かに桃のような色を宿して。
制服に着替えた僕は、誰もいなくなった部屋達の最後を締めくくり一階に降りる。
そして食堂に入ると、双葉ちゃんの他にお母さんと真緒さんがいた。
双葉ちゃんは僕達の朝食を用意するため台所にいるのだが、お母さんと真緒さんはなぜが食卓テーブルに向かい合って座っている。
あれ? いつものなら仕事に行っているはずなのに、と僕が目に疑問を浮かべていると、お母さんが僕を呼んだ。
「良太! ちょっとこっち来て座りなさい」
お母さんは顔をニヤつかせ、僕に向かって手招きしている。
僕は小首を傾げながらお母さんの横に座った。真緒さんも同じ顔でニヤついている。
「良太、あんた双葉ちゃんと付き合う事になったんだって?」
「良君、やっと双葉に好きって言ってくれたのね」
昨日の夜のことだというのに、二人には既に筒抜けのようだ。
口調は違えど同じ顔で、僕に投げかけてきた。
実はお母さんと真緒さんは一卵性の双子なのだ。叔父さんがこの家に入ってきたことになるのだけど、養子ではないので名字は変えていない。
「なっ、なんで知っているの? っていうか知ってるってことは双葉ちゃんが話したんだね」
「なんで知っているなんて、今はどうでもいいのよ。付き合うって事実だけが大事なの。私達としては今か今かと待っていたんだから。いい加減待ちくたびれていたんだよ」
「そうよ。私にしたら大事な娘が誰かに取られちゃうんじゃないかって、ドキドキしていたんだもの。良君奥手だから、モタモタしている間に何があるかわからないからね」
取られちゃうって、僕は取ったことにはならないんだな。
でもまさかそれを言うために仕事をほっぽり出して来たのか。
よくおじいちゃん達に怒られなかったな。
それに待ちくたびれていただなんて、この家はよっぽど何も考えることがないらしい。
「朝からそんな話をしなくてもいいじゃない。お互い忙しいんだからさ」
「こら。人が折角お祝いしてあげようと、仕事の隙みて来てあげているのに、なんて言い草よ」
「そうよ。双葉と良君にお祝い言いたくて、わざわざ来ているのよ」
頼んでもいないのに、来てあげているなんて、横暴も甚だしい。
お祝いという言葉で、ただ仕事をサボりたかっただけじゃないのか。
そこへ双葉ちゃんが、僕達2人分の朝食をお盆の上に載せ、僕の前に座った。
「ママも美緒さんも、朝からそんなに盛り上がらないでよ。私達、ご飯食べて学校行かなくちゃならないんだからね」
「双葉ちゃん、さっきあんなにノリノリで話してくれたのに、つれないわ」
「そうよ双葉。私達はあなたと良君の幸せを願っているのよ。いや、親として子供を見守る責任があるの。だから少しでも情報を共有しなくちゃね」
お母さんと真緒さんは不服そうな顔で、食事を取る僕達を見ている。頬を膨らませるタイミングまで一緒だ。
僕達はそれを無視するかのように淡々と食べた。
「良太と双葉ちゃんが夫婦になって、こうやってご飯を食べるのも近いかもしれないわね」
「そうね。ここに孫なんて出来たらとてもいいわ。女の子だったら私達にそっくりな子が生まれちゃうんじゃないかしら」
「ゴホッ、ゴホッ」
できるだけ無視しながら食べようとしていたのに、変なことを言うもんだから、器官に入って咳き込んでしまった。
正面の双葉ちゃんの方を見てみると、真っ赤なトマトのようになっていた。朝食のミニトマトと同じような色だ。
そして双葉ちゃんは呟いた。
「それは、まだ先というか段階を踏んでというか……」
「ふっ、ふっ、ふふっ、双葉ちゃん?」
「冗談よ。今はね。ほら、お母さん達はさっさと仕事に戻って!」
双葉ちゃんはお母さん達に向かって、キッと睨みを利かす。
渋々立ち上がり、「仕方ないから戻りますか」「そうね」とお母さん達は言い残すと、食堂から出て行った。
「まったくママ達ったら困ったものね。人の恋路を見せ物みたいに」
フゥと溜息を吐く双葉ちゃん。どことなく満足げなのは、気のせいではないだろう。
「そもそも双葉ちゃんが言わなければ良かったんじゃ……」
「嬉しかったら人に言いたくなるものでしょ。今日のランニングだって、凄い調子良かったんだから。そんな事より早く食べちゃいなさい!」
軽くはぐらかされたけど、嬉しいと言う言葉に気分が良くなり、僕は言われたとおり急いで胃に突っ込んだ。
そして僕達は、いつものように学校の準備をして家を出た。
食堂でのお母さん達の乱入以外はいつもと同じ流れであり、駐輪場でも僕の自転車の用意を双葉ちゃんが待っていて、当たり前のように僕の後ろに座ったのだけれど、ここはいつもと違い僕は文句を言わなかった。
だって彼女を乗せて行くのは彼氏の役目だものね。
双葉ちゃんは後ろに横向きになって乗り僕の腰に手を回すと、「はっし〜ん」と掛け声をあげる。
不思議と僕の足にも、いつもと違う力が宿ったように漕ぎ足が軽い。「よし、行こう」と僕も賛同したのだった。
爽快にパン屋さんと挨拶を交わし、肉屋さんの前を通る。
今日、肉屋さんから顔を覗かせているのはおばさんではなく、おじさんだった。
トラ君のお父さんである。朝はおばさんが出番のはずなのにと不思議に感じていると、おじさんからは少し黒い靄が見えた。
双葉ちゃんは気にする様子もなく「おはようございます」と挨拶を交わしていた。
僕は少し気になるので、学校に着いたらトラ君に訊いてみようと思いながら、ペダルを漕いだ。
他の商店街のみんなとは、いつもと変わらず清清しい挨拶を交わしていった。
たぶんみんなから見たら、いつもと変わらないように見えるに違いないが、僕の気持ちは昨日の僕とは全然違う。
堤防の上で自転車を走らせていると、昨日と同じようにトラ君が後ろから来た。
さすがに堤防まで来ると、僕の足はいつもどおりパンパンで、息も切れ切れになっていた。
気持ちが変わったところで、体力や筋力まで変わるわけがないのだから当たり前だ。
靄が見えるという能力より、筋力アップの能力が欲しかったな。
「お~す。今日も相変わらずイチャイチャしてんのな~。つーか、双葉が無理やり乗っかってるだけか」
「はあ? 無理やり乗っかってるんじゃなくてイチャイチャしているのよ。昨日までの私達とは違って、もう良太とは恋人同士なんだから」
「なに? マジか? 急展開だな」
「そう、マジよ。あんたが竹内の話したせいで少しややこしくなったんたけど、晴れて良太は私のものなのよ。わかったらこれから余計なこと言うんじゃないわよ」
「うわぁっ、それ普通は男の方が自分のものって言う台詞じゃねえか? まあお前らだったらありかもな」
僕は例のごとく疲れ切っていて、その会話には参加はできないが、耳は聞こえている。
双葉ちゃんがそう宣言してくれたことが、僕に力を与えてくれた気がして、いつもより足に力が入る。
そして思い出したかのようにトラ君は続けた。
「そうだ、竹内には告られんかったんだな。俺の情報網では間近って話だったんだけどよ」
「あんたの情報網は古すぎるわ。そんなひどい過去の話を良太に吹き込まないでよね。そのせいで良太が誤解してたんだから。竹内からなんて先月告られたけど、丁重にお断りしたのよ」
「そうだったんか。それはワリィことしたな。別にお前らの仲をどうこうしようとしてたわけじゃねぇから、勘弁してくれや」
「まあ、結果的にハッピーな結末だったわけだから許してあげるけど、これからは気をつけなさい」
「わーったよ。でも竹内はいいけど新川はどうなったんだ? 俺から見ても満更でもない気がしたんだがな」
「あんたそれも余計なことよ。昨日、新川って子のことも解決したの」
「お、そうなんか。そりゃ勿体ねえな。新川も磨けばかなり光ると思うんだけどな」
「あんたわ〜。いい加減その口、閉じなさい。泣かすわよ」
「おー、こわ。そしたら新川は俺が貰ってやんよ〜」
「そうしなさい」
そしてトラ君は、先へと自転車を走らせた。
双葉ちゃんは僕の腰に回した腕を少しきつめて問いかける。
「良太は私がいればいいもんね」
僕は疲れを無視して即答した。
「もちろんだよ」
そして僕達も学校へと自転車を走らせた。