第七話 勘違い【後編】
それからの僕達は、一言も言葉を交わさないまま自宅に帰った。
夕食中や、廊下ですれ違ったときなども、言葉を交わせずにいた。更には日課の夕食後に勉強を教えるときでさえ、勉強以外の言葉を交わすことなく。
何もないまま刻々と時間は過ぎ、僕は就寝前に明日の授業の予習をやろうと教材を出してはみたものの、手に着くはずがない。
このままじゃダメだ。
僕は双葉ちゃんが好きなんだ。
何もしないままで双葉ちゃんが誰かのものになってしまうなんて、いいはずがない。
せめて告白をしないと。
既に双葉ちゃんの心が誰かに行っていたとしても、砕けてもいいから当たらないと。
たとえ砕けたとしても双葉ちゃんを祝福するくらいは……
僕は決意した。
もう時間がない。
今しかない。
机の上には教材達が中途半端に散乱しているけど、そんなことはどうでもいい。
もうパジャマに着替えたのだけど知ったことか。
そして椅子から腰を上げた瞬間。
『コンコン』
僕のドアにノックが響いた。あまりに力のない音。
僕は近づきドアを開けた。
するとそこにはパジャマ姿の双葉ちゃんが立っていた。
部屋着ではなくパジャマ姿の双葉ちゃんは、久しぶりに見る。僕のパジャマ姿は、朝起こしに来るときにしょっ中見られているのだけれど。
「ど、どうしたの?」
「あの、ね、ちょっと入っていい?」
「うっ、うん」
拒む理由なんて微塵もないので、僕は双葉ちゃんを部屋に入れた。
僕の部屋には勉強机にある椅子以外、座るところはベッドだけ。だから二人でベッドに座った。
特に面白みのない部屋が、緊張感を引き立てる。こんなことならネタ振り用のポスターでも貼っておけば良かったかな。ポスターが貼ってあったところで、僕にこの空気を打開できるとは思えないのだけど。
少しの沈黙の後、双葉ちゃんが口を開いた。
例によって、僕から言い出すなんてできないのだから。
「良太。話があるんだけど」
双葉ちゃんの声を訊いた瞬間、僕の中でさっきの決意が湧き出してきた。
そうだ、僕が先に告白しないと。
この期に及んで僕からは無理だなんて言ってる場合じゃない。
ここで行かないと僕はクズだ。
大馬鹿ものだ。
「ご、ごめん、双葉ちゃん。その話の前に僕が先に話をしたい」
僕が口にした言葉が意外だったのか、双葉ちゃんの目が点になる。
「僕が話しをしていい?」
「あ、う、うん。いいよ」
許しも出たので、深呼吸を軽くして僕は切り出した。
「実は僕、双葉ちゃんのことが好きなんだ。従妹とかそういうのじゃなくて、女性として双葉ちゃんのことが好き。もうずっと前から、生まれた時からだよ。
今まで一緒にいてくれて幸せだった。僕としてはこれからも隣にいて欲しいんだけど……」
双葉ちゃんの瞳を覗き込むように告白した。
膝の上に置いた手は、意図せずぎゅっと握っていて、汗ビッショリになっていた。
よし、言った。
偉いぞ僕。
だけどしまった。
この後のことを考えていない。
双葉ちゃんの瞳は、点から疑問に満ちた感じに変化していった。
何かを話そうとしてここへ来たのに、幼馴染からいきなり告白されては仕方がないことだ。
だけど双葉ちゃんからは思わぬ言葉が発せられた。
「良太、あなた、新川って子が好きなんじゃなかったの?」
「え? なんで? 僕は新川さんのことなんて別に好きじゃないよ」
「だって、今日、親身になって相談に乗って、キスまでしようとしてたらしいじゃない」
「あ、あれは別にキスしようとしてたわけじゃないよ。それに僕が相談に乗るのなんていつもやってることじゃない」
「それはそうだけど、あんたのクラスのテニス部員の子、どう見たってキスしようとしてたとしか思えないって言ってたし」
ああ、それで双葉ちゃんは誤解してたのか。
今日発現した能力は僕にとって災いでしかないのかもしれない。
役に立ったと思いきや、僕をどん底に落とすなんて、なんと悍ましい能力なんだ。
「本当にキスしようとなんてしてないって。うまく説明できないんだけど、本当に好きなのは双葉ちゃんだけだから」
「そ、そう」
双葉ちゃんは少し逡巡しているご様子。
もしかして双葉ちゃんが告白されたわけじゃないのかも。
いや、きっとそうだ。そうであって欲しい。
「双葉ちゃんは、た、竹内君に告白されてないの?」
「なんで竹内が出てくるのよ。まあ、竹内には先月告られたんだけど、丁重にお断りしたわ。それってどういう勘違い?」
「今朝トラ君から訊いて、もしかしてって思ってたから。さっきも双葉ちゃんが誰かと付き合ったらどうするって言っていたし。でも断ったのなら本当に良かった」
僕はホッと吐息を漏らす。
内心まるで勝ち目のない戦いと思っていたから、なおさら安堵した。
「私がそう言ったのは、私のことが目に入らなくなれば、良太が楽になるのかなって思ったからだよ。でも、良太が勘違いしていたのはトラのせいか。トラの奴〜」
「いや、トラ君は噂話を訊いたってだけだから。僕が勝手に心配しただけ」
ここでトラ君が標的になるのは申し訳ない。実際に僕の思い込みであるのだし。
でも僕は告白した。双葉ちゃんの気持ちは?
「僕は双葉ちゃんのこと好きって言っちゃったんだけど、双葉ちゃんはどうなの?」
すると双葉ちゃんは、やれやれという文字を顔に書きながら、僕を諭してくる。
入ってきたときと違い、かなりダラっとした格好になった状態で。
「あのね、良太。私は言葉で好きとは言ってないけど、ずっと態度で示してきたわよ。わかって貰えてると思ってたのにショックだわ。かなり重度な鈍感野郎なのね。……いいわ。
私は良太のことが好きよ。竹内なんて目に入らないくらいにね。
あ〜あ、ドキドキして損しちゃった。本当に新川って子が好きなのかと思っちゃったんだからね」
「あの、今の告白にはドキドキしなかったの?」
「今の良太への告白に? 良太のこと好きだって言うことに、ドキドキなんてするわけないじゃない。当たり前のこと言ってどうしてドキドキするの? さっきの私への告白にドキドキしてたなら、あんたもまだまだね」
「その、ドキドキしないのなら、もっと言葉で言って欲しいな」
「あんた、そういうとこ女の子みたいね。いいわよ、たまに言ってあげる。でも今日は疲れたからもう寝るわ」
双葉ちゃんは立ち上がる。
そしてドアの方へ行くのかと思ったら、僕の机の方へ向かい、何やら僕の広げた課題たちをいじり始めた。
そして何かを手に取ると、僕の目元へ突きつけてくる。
「これ何?」
それは新川さんから貰った押し花の栞。
双葉ちゃん目ざとい。
別に僕には何もやましいところがないのだから、正直に答えよう。
ここで少しでも何かを隠すようなことがあれば、絶対にしっぺ返しを食らう。
こういう時の双葉ちゃんの目は節穴ではない。
でも、キスの話はちょっと、ねぇ。
「これは新川さんから相談のお礼に貰ったものだよ。別にただのお礼だから」
「へぇー」と言いながら、双葉ちゃんは栞を細部まで舐めるように品定めしていた。
栞は二枚貰っていて、台紙が赤と青の二種類なのだけど、更にはその二種類も交互に品定めする。
「じゃあ、こっちの赤いの私が貰うから」
「へ?」
「新川って子には、彼女に取られたって言って構わないからね。むしろ言いなさい。それから……」
そう言って双葉ちゃんは、栞を机の上にくっつけて並べた。
僕のペン立てから油性ペンを取ると、二枚の栞に跨るようにハートマークを書き始めた。自分の好きな絵を描くように、鼻歌交じりでペンを走らせている。
「できた!」
僕の貰った栞なのに、僕に承諾もなく勝手に書いていたのだけど、なぜか僕はその行為に対してとても気分が良かった。
寧ろ、これが嫉妬の表れであれば嬉しい限りだ。新川さんもお礼で貰ったものなのだから、許してくれるよね。
が、しかし。
「貰うって、双葉ちゃん栞なんて使わないでしょ」
「失礼ね。これから私も使うようになるのよ。明日からちゃんと教科書に栞を挟めるわ」
「いやいや、教科書に栞を使うって言っても、一枚じゃ足りないから。っていうか数ある教科の何に栞挟める気?」
「全てによ」
「す、全てにって。だから全然足りないんだって」
満足そうなしたり顔で断言されると、その愛嬌だけで許すことができてしまうのは惚れた弱みか。というかとても可愛い。
そうだ、せっかく一緒に持つのなら同じ使い方をした方が、面白いんじゃないかな。
「じゃあさ、毎日一限目の教科の教科書に二人で挟めようよ。きっと朝に教科書を開いた時その栞を見たら、双葉ちゃんも開いたかな? って思える。なんか同じ秘密を共有してるみたいだよね」
「それいい! そうしよう。そっかぁ、良太と秘密を共有かぁ。これで少しは勉強に身が入るかも」
僕の提案にとても嬉しそうだ。双葉ちゃんはたぶん、そんなことをしても勉強に身が入ることなどない。
失礼しちゃうが、避けようのない事実だ。
「さっそく明日から、良太が挟めておいてね」
やっぱり。いつも双葉ちゃんの翌日の準備は僕がやっているから、栞を挟める役どころも僕になるわけね。
仕方がないの意味合いには納得がいかないが、そこは甘んじることにしよう。
「さて、今度こそ寝ようかな」
ハーアと欠伸をする仕草を見せながら、双葉ちゃんは廊下に向かって歩き出した。
来たときとは真逆と言ってもいいほど、スキップまでしそうな足取りだ。
右手に持った栞がひらひら靡いていて、躍動感が伝わってくる。
また、しばらくパジャマ姿は見納めかなと、名残惜しく跡を追う視線の先の双葉ちゃんが、ドアノブに手をかけると、こう言い残した。
「そういえば、もう今日から幼馴染でもなく従妹でもなくて、恋人同士になるんだね。そっか、今度外に一緒に行く時からデートになるわけか。
それじゃ、明日からよろしくね! あ・な・た。なんてね。おやすみ〜」
「な! なっ、あなたって。双葉ちゃん?」
自分だけのペースで自分だけの言葉を残し、僕の部屋から出て行った。
思い起こすと靄もいつのまにか消えていた。
僕は一大決心で告白したのに、新川さんとのことを心配したかと思えば、緊張のカケラもなく告白し、思わせぶりな嫉妬を見せたかと思えば、好き同士だっていうことを茶化してきて、女心は全くわからない。
結果、お互いが告白して両思いとなったはずなのに、なぜかそこまでの喜びが込み上げてこない。
考えてみれば、双葉ちゃんは好きだっていうことが当たり前だと言っていたのだから、明日から何か変わるのだろうか。
いや、それは贅沢というものだ。竹内君と一緒になってしまったことを考えたら、変わらなくてもそれが幸せなんだ。
僕はそう思い直してベッドに転がった。