第十二話 トラ君の悩み【中編】
わかったよ、とは言うものの、どう伝えたら良いものか。
ダイレクトに「嵐山公園だよ」と出してしまうのは、あまりにも現実的ではないのだし。
幸い行ったことがある公園だったため、公演の情報はある程度思い出せそうだけど。
あの公園には、噴水があったはずだ。
大きな木といえば、確かハルニレの木だったかな。
あと、何といっても嵐山公園には、恋人の鐘がある。
恋人同士がその鐘を一緒に鳴らすと、永遠に一緒に居られると言い伝えられている鐘が。
これは有名な話だから、トラ君も知っていることだろう。
これをどう伝えたものか。この際、こんな光景がおばさんの瞳の中に映ってました、と言ったほうがいいのか。
それで本当に信じてもらえるんだろうか。
僕がそう逡巡していると、どうやら心の声が断片的に、漏れてしまったらしい。
「なんだよ、それ嵐山公園じゃねーか。そんなブツブツ言ってねーで、最初から嵐山公園て言えよ。もったいぶりやがって」
「そう、嵐山公園なんだよ。よくわかったね、トラ君。たぶん間違いないと思うんだ」と、なんとなく誤魔化してみる。もう既に誤魔化すことは、意味をなしていないような気がするけど。
「母さん、そこにばあちゃん連れて行ってみようぜ。良のことだから、ぜってぇ間違いねぇよ」
するとおばさんは、僕にニコリと微笑みをくれて、トラ君に言った。
「病院は明日、手続きして来るわ。なんとなく良ちゃんのこと、私も信じられる気がするからね」
「おばさん、ありがとう」
「あら、何言っているの。こっちこそありがとうね。良ちゃんがおばさんのために、そこまで考えてくれるなんて、なんだか年甲斐もなくトキめいちゃうわ」
そしてまたまた、頰を少し赤く染めるおばさん。
まだそうなるんかい。リアクションに困るわ。
「母さん、いい加減その話題やめろよな。良も困ってるだろ。良には今や、双葉という彼女がいるんだからよ」
トラ君は絶妙な切り返しだ。
そんなトラ君の返しにもめげず、更に追い討ちするおばさん。
「そうだったの? いつの間に…………それじゃ、三角関係ね」
「ちょっとおばさん!」
「けっ、やってろ」
僕たちがそんな会話をする中、「しょうこ〜」と後ろの方で涙ながらに、存在をアピールしているおじさんがいたのだった。
なんかごめんね、おじさん。
数日後、僕達は嵐山公園へ向かった。
おばさんが病院へ確認したところ、「なんとか外出許可が取れたから行きましょう」となり、僕は、おじさんが借りてきたレンタカーの車中にいる。
この大きく一風変わったレンタカーは、おばあちゃんを車椅子ごと乗せるために、おじさんが借りてきたのだ。
車椅子の人がどこかに行くのって大変なんだな。
この車には、おじさん、おばさん、トラ君のおばあちゃんと僕の四人が乗っている。
おばさんは、おばあちゃんと後ろに乗っているので、必然的に僕は助手席。
いつも助手席にはおばさんが乗っているようで、おじさんは「なんで隣が良太なんだよ」と、腑に落ちない表情を表に出した。
僕だっておじさんの横に乗りたいってわけじゃないのだから、それはお互い様というものだ。
今回の一部始終を双葉ちゃんに話したら、「私も行きたい」と駄々をこね始め、部活があるにもかかわらず「終わったら行くから、トラがバイクで迎えにきて」と強引に参加することに。
だからトラ君と二手に分かれて行く形になったのだけど、いまいち僕としてはしっくりこないんだ。
そりゃあ、僕はバイクも持っていないし、運転免許もないのだけど。
極め付けに、なぜかトラ君が女性用のヘルメットを持っていて、これが未だ誰も使ったことない新品。
真っ白のオープンフェイスに花柄がデコってあり、双葉ちゃんが「トラ、センスいいじゃん。可愛い〜」って言ってたものだから、僕の心は嫉妬の嵐。
双葉ちゃんも、男心わかってないじゃん。
でも、トラ君は善意で乗せてくれるのだから、いつまでも文句を言っていたら、それはワガママでしかない。
「良太、ところでなんで嵐山公園だってわかったんだ?」
おじさんから唐突な質問。
だけど、ちゃんと返答は用意してきている。
これまで日数もあったし、いちいち逡巡してもいられない。
そういえば僕なりに、なんで困っている人の瞳に未来が映るのか、を考察してみた。
今までの経過からみて、やっぱり何かを探している人の瞳に映るようだ。
更に僕が探してあげたいと強く願ったとき、発現するに違いない。
色々試してみたいところだけど、瞳を覗き込むなんてそうそうできるものではない。
今後、発言したら検証を積むとしよう。
それじゃ、トラ君にも見えたんじゃない? と思ってもみたんだけど、トラ君にはその兆候が見られなかった。
きっと靄が一定の濃度超えて、つまりそうとう強い悩みじゃないと見えないのではないか。
新川さんのときといい、おばさんのときといい、靄はかなり濃かったからね。
女性しか見えないという御都合主義的な設定も考えられないことはないが、今はまだサンプルが少なすぎてわからない。
そしておじさんに用意した返答は。
「僕も不思議に思ってお母さんに聞いたら、なんか死んだお父さんの先祖に占い師がいたんだって。その血筋が影響して、変な力が宿っているのかもしれない。だから僕にもなんとなくわかったのかもね」
作り話だけど、なんか作り話の感じがしないのは気のせいかな。
まあお父さんはこの街の人ではないし、血縁者もいないのだから確認しようがないのだけど。
「占い師ねぇ。俺はそういうの信じないタチなんだが、これが本当だったら、お前には感謝せないかんな。だからって祥子とキスはさせんけど」
「わかってるよ。いや、別にしたいと思ってないから」
やれやれ、これじゃ新川さんのときと同じだよ。とはいっても、よく見なくちゃわからないし、集中しないと何が写っているかわからないし、困ったものだ。
近寄らず瞳を覗ける手法は何かないものか。
すると僕とおじさんの間から、すうっとおばさんが顔を出してきた。
いきなりのことで、ビクッとなる僕。
さすが神、気配を消すのがうまい。
「えー、良ちゃん。私の願いが叶ったら、ご褒美に口づけをしてあげようと思ったのに、がっかりするようなこと言わないでよ」
「何ぃ? 何言ってんだ、祥子! 許さんぞ」
「はぁ? なんでお父さんに、許してもらわなくちゃいけないのよ」
「そりゃ、俺は旦那だぞ。当たり前じゃないか」
「ふ〜ん、旦那がそんなに偉いんだ。だからお偉い旦那様は、スナックのヒロミちゃんに会うために、毎月呑みに行ってもいい訳ね」
「な、なぜそれを……」
「こんな狭い街でわからないわけないでしょ」
あ〜、この夫婦漫才、いつまで続くんだ。っていやいや。
そんなに夢中になって漫才を繰り広げても。
ここは車中なのだし。
「おじさん、前! 前! 危ない!」
「うぉー、危ねえ」
対向車にはみ出し、危うく正面衝突だ。
そんなくだらないことで、四人まとめてあの世行きなんてシャレにならない。
正面衝突になれば、四人じゃ済まない可能性だってある。
ここには別に、夫婦漫才をしに来たんじゃなくて、おばあちゃんの目的の場所に来たんだってことを忘れてはいけない。
そして僕も双葉ちゃんと結婚する前に、死にたくはない。
結婚できるかどうかは別として。
おばさんは、自分に向いてたおじさんの頬を、掌で前方に押した。
「お父さん、ちゃんと前見て運転して」
「ああ、すまん」
おじさんの顔の向きを修正するために、身を乗り出してきたおばさん。
不意に胸の隙間から谷間が見えて、僕の視線を深淵へと誘う。
だけどそのまま見ているわけにもいかなくて。
「おばさんも、ちゃんと座ってシートベルトして」
「は〜い」
渋々おばさんは、後ろに座り直した。
後ろから「まったく馬鹿だねぇ、祥子達は」と笑い混じりに呟いた、おばあちゃんの声が、車内の空気を和ませていた。
嵐山公園に到着すると、辺りは賑わいが去った後のように、どこか寂しさが漂っていた。
陽が落ち始め、これから黄昏時を迎えるべく公園が準備を始めていて、それに急かされたように親子連れが荷物をまとめ帰っていく。
僕達が行動を開始したのは昼間だったが、レンタカーを借りに行き、病院での手続きが思いのほか時間を要したため、この時間になってしまったのは致し方ない。
それに、双葉ちゃんの部活終わりとちょうどいい時間になったので、これで良かったとも言える。
トラ君が「たぶん同じくらいに着くんじゃねーか」と予定を立てていたので、もしかしたら先に来ているかもしれないな、と見渡してみるが、まだ来ていないらしい。
おじさんとおばさんは、忙しそうにおばあちゃんを下ろす準備をしている。
迅速に丁寧に行っていて、おばあちゃんに対する優しさがにじみ出ていた。
なんだかんだ言って、二人の息ピッタリじゃないか。
僕なんか入り込む余地がないくらいに。
ただ、入り込もうという気持ちも、微塵もないのだけど。
僕には手伝うことがないと悟り、おばさんの目に映った光景の場所を探す。
あのとき見えたのは、確か銀色の柵の手前だったよね。
おばさんの瞳を確認することで、またおじさんに命を狙われるのも嫌だから、できるだけ記憶を探ろう。
あ、きっとあそこだ。看板も見える。
ここからは百メートルほど離れているから、少し歩かなくちゃいけないな。
僕はその場所を確認すると、更に周りを見渡す。
やっぱり噴水があった。
子供が入れるような噴水になっているが、まだ入る季節ではない。
少し離れたところにハルニレの木も見える。
樹齢何年なのかはわからないが、かなり大きいので、百年以上はそこに佇んでいる感じ。
しっかり進入禁止のロープが回されていて、大事にされているのが見て取れる。
そして恋人の鐘。
あの鐘を双葉ちゃんと一緒に鳴らせば、永遠に一緒にいられるのかなぁ。
でも、悪い噂も聞いたことがある。
表裏一体の別れの鐘。
ただ噂に流されて鳴らしてしまうと、運命の別れが訪れるという。
まあ、どちらも噂だよ。
そんな思いを巡らせていると、遠くから軽快な轟音を響かせて、何かが近づいて来る。
それは言わずもがな、トラ君のバイクだ。
山々に反響して音だけが近寄って来て、未だその姿は見えはしないが、ギヤチェンジをしながら登って来る様が、とてもかっこいい。
音だけなのに、とてもかっこいいのだ。
これの後ろに双葉ちゃんが乗っている姿を想像してまうと、なぜかとてもいたたまれなくなる。ただの無い物ねだりの嫉妬だな。
来た。
音もかっこいいけど乗っている姿はその比ではなく、ついつい目がはまって見入ってしまう。
いいなぁ。
素敵だなぁ。
僕も欲しい。
乗ってみたい。
でも僕にはトラ君ほどの情熱を持てるわけもなく、無理な方の現実がのし掛かってきて虚しいだけ。
人とは違う能力を持っているくせに、欲しい能力が手に入らないなんて、世の中うまくいかないものだ。
双葉ちゃんがトラ君の後ろで腰に手を回し、がっしりしがみ付いている。
あまりにも絵になるお似合いな情景に、僕の心がぎゅっと締め付けられてなんだか辛い。
おそらく普段僕の自転車に乗っている情景とは、雲泥の差だろう。
ヒーヒー言いながら、自転車を漕いでいる自分の姿なんて考えたくもない。
駐車場に停車すると、二人ともバイクから降りる。
トラ君の同乗者へのサポートも完璧で、普段とてもいがみ合っているような感じは全く見せず、双葉ちゃんを気遣う。
トラ君が先にヘルメットを取り、続けて双葉ちゃんがヘルメットを取った。
トラ君は映画のワンシーンみたいに爽やかな素顔を晒し、周りに女性がいたらきっと見とれてしまうに違いない。
そして、双葉ちゃんは…………
天使そのもの。
今日はポニーテールを下ろしていて、ヘルメットを被るために、首の後ろで纏めている確かシニヨンっていう髪型だ。
それがヘルメット取ると同時にファサッと解け、降りた髪が無邪気に空中を彷徨う。
「あっ、良太! お待たせ〜」
僕の気持ちとは裏腹に、天真爛漫な笑みをくれる双葉ちゃん。
「良、待ったか?」
僕の妬みとは無縁の様子で、爽やかに問いかけてくるトラ君。
もう、この人達には敵わないよ。
でも、双葉ちゃんは僕の彼女。もっとしっかりしなくちゃ。
いちいちこんなことで嫉妬を露わにしていたら、双葉ちゃんにとって有益な男になるなんて、絶対無理だ。
それに今日は、そのことがメインじゃないじゃないか。
「僕達もついさっき着いたばかりだよ。トラ君、双葉ちゃんを乗せて来てくれてありがとう」
僕は、彼氏は自分なのだと、少し見栄を張ってお礼を言った。
「おう、双葉に礼を言われてないのに良に言われるとは、さすが彼氏は違うな。たく、こいつ走り出してから、ここに着くまでハシャギまくりでうるせぇうるせぇ。こっちは集中して運転してんのによ」
「なにおう? あんたも訳のわからんバイク用語並べて、自己満してたじゃない。誰も訊いてないのに」
「うるせぇ。俺の後ろに乗るってことは、それなりの知識を持たんとなんねーんだよ」
「あんた、それじゃモテないわよ」
「十分モテてるっての」
せっかく見栄を張った僕の意に反して、夫婦漫才が始まっている。
いや、決して夫婦ではない。
断じてない。
その掛け合いは僕の役目だから。
それにもう漫才は聞き飽きたよ。
僕が苦笑いをしていると、後ろから準備ができたおばさん達がやって来た。
車椅子に乗ったおばあちゃんをおばさんが押し、その後をおじさんが付いて来ている。
おばあちゃんの瞳はキラキラと輝いていて、まるで時代を超えて来たみたいに若く見えた。
「着いたのね。双葉ちゃん、わざわざ来てくれてありがとう。それに練習お疲れ様」
おばさんは双葉ちゃんに微笑みとともにそう投げかけて、双葉ちゃんは「私こそお邪魔しちゃってごめんなさい」と恐縮顔。
「ほんとそうだわ」とトラ君が憎まれ口を叩き、双葉ちゃんに肘打ちを入れられ、漫才の落ちとなる。