第十一話 トラ君の悩み【前編】
僕達が付き合いだしてから数日のうちに、付き合っていることが学校中に知れ渡った。
まあ、知れ渡ったといっても、「神楽と越善、付き合ってるんだって」「へー、そうなの」くらいの噂程度でしかない。
中には「今まで付き合ってなかったの?」っていう今更的な意見や、僕が懸念していた「どう考えても越善には、神楽は高嶺の花だろ」みたいな中傷的な苦情もあったのだが。
でもこれはあくまでも他人事として、思いのほか早く、風化していった。
双葉ちゃんとの関係については、特に進展することなく、日が流れた。
いつも一つ屋根の下で暮らす幼馴染なのだから、付き合ったっていうだけで何も変わろうはずがない。
僕としては寂しい限りではあるが、一向に少しの変化も見られなかった。
ちょっとくらい、ほんの少しでいいから変化して欲しいのにさ。
ましてや双葉ちゃんは部活に忙しい。
今は地区大会突破に向けて猛練習中なのだから、できるだけ邪魔しないように努めるというのも、彼氏の役目なのだ。
先刻、竹内君に言われた視野を狭めるということがどういうことなのかを、僕なりの解釈で考えながら、まず現在の状態がマイナスにならないように心掛けている。
僕と一緒にいることを負の要因にしないために、どうすべきか自問自答を繰り返しながら、答えが見えないまま毎日を過ごしていると、それを忘れさせてくれる出来事が起こった。
『今からうちに来てくれねえか? ちょっと相談したいことがあってよ。休みに悪いな』
それはトラ君からのスマホでのメッセージ。トラ君が相談したいなんて珍しいな。
いくら僕が彼女持ちになったからって、何もアドバイスできないよ。なんて鼻を膨らませてみるが、どう考えても、僕が相談する方だ。
きっと別のことだろうと思いながら、僕は返信した。
『わかった。これからお邪魔するね』
そして僕は、トラ君の家に赴くことにした。
今日は日曜日だが、さして僕には何もすることがないのだから。
つまらない男と思ってもらって構わないが、だからこそ迅速にトラ君の家へ行けるのだ。
双葉ちゃんは地区大会の追い込みということもあって、朝から晩まで部活だった。
寂しくもあり応援する気持ちもあり、少し複雑だけどこれだけはやむを得ない。
まあ、双葉ちゃんがいたとしても、一緒にトラ君の家に行ったことはない。トラ君がうちに遊びに来ることはよくあるが。
トラ君のうちはお肉屋さん。
うちと同じで、決して新しいといえない佇まい。
商店街の一角の、昔ながらという雰囲気がマジマジと出ている店だ。
老舗の代名詞みたいな店であり、商店街の外からも仕入れに来るほど、味がいいことでも有名。特製牛肉コロッケが超美味い。
そして二階にあるトラ君の部屋は、なんとも男らしい室内で、大きなバイクのポスターが所狭しと貼られている。床に置かれたヘルメットがピカピカに磨かれていて、やたらかっこいい。
トラ君はすごいバイク好きで、十六歳の誕生日を迎えたらすぐに、免許を取りに行ったほどなんだ。
アルバイトを一生懸命して、もう既に自分のバイクを持っている。トラ君の説明でそのバイクは、排気量四百CCでフルカウルのロードスポーツモデルってことだけど、僕はその辺りは詳しくない。
また、エレキギターも立て掛けられている。バンドのボーカルもやっていて、ライブハウスでは凄い人気だ。
あの様子を見たら、この街一番の人気者なんじゃないかと思えてくる。バンドは確か、ライブハウスのアルバイトだったはずだけど。
「わざわざ来てもらってわりーな。実は今日来てもらったのはな」
トラ君はそう切り出して、僕を座るように促した。そしてさっそく相談事を打ち明けてきた。
相談内容とは、トラ君のお母さんとおばあちゃんの話だった。
トラ君のお母さんは、おばあちゃんに女手一つで育ててもらったようだ。おじいちゃんはお母さんが子供の頃に、病気で亡くなってしまったらしい。
だから、一人娘のお母さんを育てるため、昼夜問わず一生懸命働いて、大学にまで行かせてくれたという。
そんなおばあちゃんにお母さんは凄く感謝していて、老後の面倒をみるはずだったのだけど、おばあちゃんは足腰が弱くまともに歩くことができなかったため、病院生活となってしまった。
そして最近、主治医の先生に、もう長くないだろうと告げられた。若い頃に無理をしてきたせいで、もう体がボロボロで状態がかなり悪いと。
それを訊いたお母さんは、自分には何もしてあげることができないと、途方に暮れて落ち込んでいた。
トラ君のお父さんもおばあちゃんが長くないことと、お母さんの落ち込みようでかなり意気消沈してるようだ。
そういえばこの前、お店に出ていたおじさんに靄が出ていたんだった。ずっと悩んでいたんだ。
それでトラ君は、僕を呼んだということなんだけど。
僕に何ができるというのか。
おばさんもおじさんも、もう既に悩んでいるんだから、靄が出ていることを確認しても仕方がないし、まだ会った事のないおばあちゃんになんて、何にもしてあげられることはないような気がする。
だけどトラ君は、僕に縋るような言い方で……
「それでよぉ、ばあちゃんが死ぬまでに、行きたいところがあるって言い出したんだ。なんでもそこは、死んだじいちゃんとの思い出の場所なんだと。
ところがよぉ、そこが具体的にどこかわからねぇんだ。夜、じいちゃんに車で連れてってもらっただかで、街の夜景が見れて、ベンチがあって、大きな木があったらしい。
そんなとこ、この街じゃ結構あるからな。それにその場所が未だにあるかもわからねえし。
でもよぉ。俺、ばあちゃん好きだし、母さんのことも見てられねぇんだよ。だから叶えてやりてぇんだ。
そこで良がこの前、不思議な力で新川のブローチ探し当てただろ。それを思い出したんだ。
なんとか力になってくれねぇか?」
そっか。この前、新川さんのブローチを探し当てたことが、トラ君の希望になったんだ。
そりゃ僕だって、トラ君達の願いを叶えてあげたいよ。
でも、新川さんの時は、なんで見えたのかわからなかった。探してあげたいって思っていたら、新川さんの瞳に映っていただけなんだ。
どういう条件で発現したのか、未だにわからない。
今となっては厄災としか捉えていなかったから、考えるのも避けていた。
でもきっと一度できたんだから、可能性はゼロじゃないよね。
力になりたい、力になりたいよ。
「トラ君、僕、今は確実にわかるとは言えないけど、やれるだけやってみる。まずおばさんに会わせてよ。僕もトラ君達の力になりたい」
「そうか、サンキュー良! わからなくてもいいんだ。無理を言っていることは重々承知しているから、駄目だったとしても責めはしねぇ。サンキューな」
僕は確信を持てない不安な心のまま、おばさんの仕事が終わるのを待った。
おばさんが仕事を終え店から戻って来ると、トラ君が簡単にこれまでのあらましを伝えた。
僕のことを、物を探す名探偵なんだと言い、新川さんのブローチを探し当てたことをかい摘んで説明して、騙されたと思って賭けてみようぜと説得していた。
おばさんは最初、半信半疑という感じで、「良ちゃん超能力者なの?」と冗談混じりに苦笑いしていた。
それはそうだ。実に突拍子も無い話だもの。
でもトラ君の熱い説得が功を奏し、「それじゃお願いしようかしら」と言わしめた。
やっぱりおばさん、靄が濃いなぁ。
ずっと悩んでいたんだよね。
探してあげたい。
するとおばさんの瞳に、何かが映っているのが見えた。これは新川さんの時と同じだ。これが見えるということは、みんなの願いを叶えてあげられる。
すぐさま、おばさんのそばに寄り、夢中で瞳を覗き込む。
おばさんの「ちょっと、良ちゃん? ど、どうしたの?」という声も、僕は気にならないほど集中してしまう。
トラ君の「良、わかるのか?」という問いかけにも、返事ができないほどに。
んー、街が見える。奥に黄昏た街の風景が見える。
そして、その街をおばあちゃんが車椅子に乗って見ていて、その横でおばあちゃんの顔を、嬉しそうに見つめるおばさんがいる。
街のおばあちゃん達の間には柵があって、その柵は比較的新しめで銀色の。
注意事項の看板があるな。小さくてよく見えない。もう少し近づけば…………
おばさんは「良ちゃん、私、ちょっと恥ずかしいよ」と言っているけど、僕の集中力の前では、その声音はかき消された。
『危険ですので柵を登ってはいけません。…………嵐山公園管理者』
あった! わかった! これだ! 嵐山公園。
「わかっ? うわー!!!」
気がつけば、今にもくっ付きそうな距離感で、おばさんの顔がそこにあった。
僕は慌てておばさんの顔から離れた。
おばさんといえども、この商店街じゃ一二を争う美人妻。
決して悪い気はしないのだけど、トラ君のお母さんだし。
おばさんは頬を赤らめている。
美熟女がそんな少女のような顔して頬を染めて、僕の何かが開いてしまいそうだ。
そのとき、後ろから強烈な視線を感じた。
忍者でもない僕が、殺気を感じるほどの強烈な視線。
恐る恐る感じる方を向いてみると、怒りで沸騰し頬のみならず、顔全体を真っ赤にしたおじさんが、わなわなとしながら立っていた。
「良太ぁああ、貴様ぁああ」
「ち、違うんだおじさん。ね、トラ君、なんか言ってよ」
僕がトラ君に助けを求めるも、トラ君はおじさんのことなど眼中にない様子。
「そんなこと、どうでもいいわ。なんかわかったんか?」
「いや、どうでもいいって、僕とっても身の危険を感じているんですけど……」
そう、顔を真っ赤にしたおじさんは、右手に牛刀を持っていて、今にも襲い掛かってきそうだった。
だってここ、お肉屋さんだもの。
牛刀を持っていても不思議じゃないじゃないね、と思っている場合じゃなくて。
牛刀は食用の肉を切るものであって、人間を切るものじゃないんだよ、と、おじさんに目で訴えかけても、無駄な抵抗である。
通じるわけがない。
おじさんが「良太、そこから動くなよ~」と近づいてくる。
あまりにも怖くて、トラ君の後ろに隠れていると、トラ君はやれやれという表情を見せながら、おじさんに言った。
「おやじ、別に良は母さんにキスしようとしてたわけじゃねぇんだから、怒ってんじゃねえよ。牛刀なんか握り締めやがって、バカかテメエは」
「虎雄ぉ。親に向かってバカとは何だ? このクソガキが。おめぇもヤキ入れんぞ」
「何コラ。入れれるもんなら入れてみやがれ。もう親父なんかに負けるか」
話が逸れてきた。僕にとっては良いのか悪いのか。
でも僕の命は助かりそうだ。
「お前ら、切り刻んでくれるわ」
やっぱり僕の命も助からなさそう。
するとおばさんが、このやり取りに割って入ってきた。救いの女神現る。
この家ではおばさんが、最大権力者であることは一目瞭然なのだから。
まさに神だ。
「お父さん、いい加減になさい。子供相手になに向きになってんの。いい歳して包丁まで持って、大人のすること? 向こうへ行ってて頂戴」
「だってお前、歳は関係ないだろうよ。この包丁だって仕事の合間にでだな。い、いや、自分の奥さんが今にもキ、キ、その何しようとしてたんだぞ。若いとか歳食ってるとかの話かよ」
「いいから黙って向こうへ行って、頭を冷やしなさい」
おじさんはそう一喝されると、うな垂れて店と方へとすごすご歩いていった。
哀愁が漂っていてなんだか可哀相だが、とりあえず僕の生命の危機は脱したといえる。
「怖い思いさせちゃってごめんね、良ちゃん」と、僕を気遣うおばさん。
出来た人だ。
「僕の方こそ、変な態度とっちゃってごめんなさい」と、僕は謝罪する。やむを得なかったとはいえ、今度は故意に瞳を覗き込んだのだから、謝罪は礼儀であり、当然の行為だ。
いくら年齢的に誤解を招く対象外だとしても、否ぬ誤解を招くわけにもいかないし。
するとおばさんは、「久しぶりに、少しドキドキしちゃったわ」と、僕の考えとは相反する反応で、僕を戸惑わせた。
一方、トラ君は、そんなやり取りもそっちのけ。
まるでこのやり取りには興味を示さず、本題は違うだろといった眼差しを向けてきて。
「良、そんなどうでもいいこと、いつまでも続けてんじゃねぇよ。俺が知りてぇのはわかったかどうかってことだ。どうなんだ?」
僕は横目で、おばさんの「どうでもいいってなによ」っていう不満顔を一瞥し、トラ君に親指を立てた。
「うん、わかったよトラ君」