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「と言いますと?」
アンは、その僕の気持ちを汲み取ってくれたように、優しいトーンでそう言った。
「僕は、その男性のクローンだ。その男性のコピーなんだ。この体は間違いなくそうだ。でも、もしかしたら、この僕の意識、もしくは魂も、その男性、彼のものなのかも知れない。1度『資料室』で見せてもらった記憶喪失を題材にした人間の小説のように、今の僕は記憶を失った彼のようなもので、彼が記憶を取り戻すと、今の僕は消えて無くなってしまうのかも知れない。そう今の僕は、彼の夢なんだ。そう考えると、時折とりとめもなく不安定な気持ちになる」
僕は、アンが僕のためにくれたピッチに合わせてそう答えた。
資料室。その名の通り、様々な資料が保管されている巨大な部屋だ。この建物の地下にあり、データなどの無形のもの、本などの有形のもの(主に先の戦火を免れたもの)が気が遠くなるほど膨大に収められていて、それらを使って、主にマザーが、僕にこの世界や人間のことを教えてくれた。僕が、このような9歳の少年に似つかわしくない思考回路や話し方になってしまった要因でもある。人間という存在の業の深さを、物心ついた時から教え込まれると、こうな風になってしまうのだろう。しかし、彼のことを思うと、よく分からなくなる。それにマザーも言っていた。
『正しい人間、善い人間は、一部に確かに存在した。そして、そういうものたちに限って、自らだけ生き永らえようとはしなかった』
「その気持ちは、私にもよく分かると思います。でも、一先ずは服を着ましょう。風邪を引いてしまいますよ」
アンは、一先ず僕にそう提案した。だが、先の僕の言葉への答えはきちんと持っているようだった。僕は、頷いてそれに応えた。アンは、それを確認するとクローゼットを開いた。そして、
「今日はどの服になさいますか?」
と、僕に尋ねた。僕は、視線を左端から右端へ、そのまま右端から左端へと戻し、
「これにする」
と、左端から2番目の服を指差した。それは人間時代の、東洋の島国の伝統衣装である「浴衣」と呼ばれるものだ。木綿の生地に藍色で染め抜かれ、白色の雲の柄を全体にちりばめている。昔に見た同国の伝統的絵画、浮世絵の作品(これも資料室にて)に描かれたものを見て作らせたものだ(帯は白く細い)。この他にも、クローゼットの中には様々な国の衣服が収められている。
「分かりました。では靴下も脱いで、下駄に履き替えましょうか」
「うん」
僕は、今度は声にして返事をした。そして、アンに浴衣を着付けてもらい、靴下を脱いで、掛けられていた浴衣の下にある黒い下駄を取り出して履いた。
「サイズが合わなくなってきましたかね」
着付け終えると、アンは、僕と浴衣の具合を確認しながらそう言った。
「少しね。でもまだ着れそうだよ。もう少しして本当に合わなくなったら、またもう1つ大きなサイズのものを作ってもらうよ」
「その方が良さそうですね」
と、アンは、応えた。僕は、この衣服を1番気に入っている。
「……そう夢でしたね」
アンは、一息間を開けてから続けた。