side『とある少女の決意』
「え……ちょっと!?」
ハクラ・シンバルバの声にワタシは瞳を開いた。
その目に最初に見えたのは、ワタシが誤ってこの世界に呼び出した女性。
彼女の胸から鎖が飛び散る。
闇翼の黒竜を縛り付けていたミスズの命の鎖が。
ワタシの頭を膝に乗せていた彼女は、そのまま崩れ落ちた。
何が起きたのか理解が出来ない。
どうしたの? なにが、どうしたっていうの?
倒れたミスズは動かない。
「……ミスズ……お嬢様……?」
お嬢様なんて、これっぽっちも思ってなかったけど、他にどう呼べばいいのか分からなかった。
ワタシと交代のように倒れたミスズの肩に触れる。
肩を揺する。
反応は、ない。
そんな最中、咆哮がその場に響き渡る。
闇翼の王……『八竜帝王』ウィノワール。
あれが父さんの望んだ偉大なる黒竜……。
『八竜帝王』で最も強い力を持ち、ドラゴン族の頂に座するお方……!
生きてこの目で見られるなんて……。
「きれい……」
反対に銀の翼を広げた白竜。
金の瞳を持ち、銀の鱗は白く輝く。
二本の角は四つに分かたれ、最高位のドラゴンであるかのお方は五本の指を持つ。
……? そう、それは伝説のドラゴン。
『八竜帝王』……銀翼の王……ニーバーナ王……!?
ええ!? ど、どうしてここにいるの!?
「どうして! ウィル!」
ハクラがまた叫んだ。
呼ばれた竜王は色の違う瞳を閉じる。
闇の翼が未だかつてない程に大きく広げられると、途端に霧散した。
なにが起きているの?
父さんたちの計画はどうなったの?
兄さんは……?
「なんだ!? どうなっている!? 鎖が切られた!?」
『……余の力を持ってすれば、元よりこの娘の命を散らす事など造作もなき事。しかし、この娘は自らの手で鎖を千切る覚悟をした。故に、余はこの娘の想いに報いる』
……鎖? 千切る? 覚悟?
なに? なんの話をしているの?
ミスズは、どうなったの?
黒い闇の霧がワタシとミスズを覆っていく。
気配は間違いなくドラゴン!
それに、包まれる!?
「…………あ……あなたは……」
『ミスズ、気高き勇者の魂を持つ娘。其方に余の残りの生を与えよう』
黒い霧が凝縮していく。
なにが起きているのか分からない!
ただ、ものすごい力を感じる。
両手で顔を庇うように黒い光の凝縮を遮っていると、それは唐突に終わった。
ミスズの上には黒い卵。
え? ……これは、まさか、まさか?
「ウィ、ウィルが……た、卵に……」
「ば、バカなーーー!」
兄さんの叫び声なんて初めて聞いたかもしれない!
長い間ずっと準備してきて、ようやく召喚に成功したウィノワール様が……まさか、卵に転生した!?
「うっ……」
「!! ミスズ様!」
横に倒れていたミスズ様が呻く。
肩を揺すって、何度も何度も呼びかけた。
お願い、起きて!
――『たくさんの人が傷つき、誰も幸せになれない未来』
そんな未来は嫌!
お嬢様も、ユスフィーナ様も、あなたも優しい!
優しい人が傷付いて、死んじゃう未来なんて嫌!
「お願い! 眼を開けてぇ!」
「その卵を奪え! アナスタシア!」
「っ!」
ミスズの胸の上に浮かぶ黒い、人の頭ほどの卵。
これは、間違いなくドラゴンの卵!
そしてこの卵が現れる前にウィノワール様が霧散して……凝縮した。
だから、この卵は間違いなく……ウィノワール様の転生したドラゴンが入っている!
高位のドラゴンは力が弱まると卵に転生して、新たな肉体を生むという……。
そんな瞬間に立ち会えるなんて凄い事だけど、ウィノワール様はどうしてこのタイミングで転生したの?
ううん、それよりも……兄さんがこの卵を奪えって……。
手を伸ばす。
脈打つ卵。
偉大なる黒竜。
優しい人たち。
たくさんの人が傷つき、誰も幸せになれない未来。
本当に、ワタシはその道で……いいの?
「………………ナージャ」
ミスズと目が合う。
それは、ワタシの……名前。
たくさんの人が呼んでくれる、ワタシの名前。
「なに、また泣いてるのよ……。……明日、死ぬほど目、腫れちゃうわね……」
仕方ないなぁ、と下から伸びた手が頬を撫でる。
本当だ、もう、目許が痛い。
痛いけど……でも、それよりも……。
乱暴に袖で目許を拭う。
痛みよりも、失う事の方がワタシは――。
だから……!
「兄さん! もうワタシたちの負けです! ウィノワール様は転生してしまった! もう、偉大なる黒竜は手に入りません!」
両手を広げる。
兄さんたちのやろうとしてる事はきっと、ハーディバル様の言うようにたくさんの人が傷付き、誰も幸せになれない事だ。
自分たちだけがいい世界なんて、そんなのありえない。
ワタシたちはドラゴンじゃないんだ。
ドラゴンのように、自然を生み出す力なんてない!
それなのに、ドラゴンと同じように生きるなんて無理なのよ!
自分たちだけがいい世界なんてありえない。
そんな世界は成立しない!
「不良品が! 生意気に口答えするな!」
「!」
赤い炎を纏った斬撃が飛んでくる。
今のワタシは、魔法は使えないけど……、竜人の体は多少頑丈。
腕をクロスさせて防御の態勢をとるけれど、衝撃はいつまでも襲ってこない。
恐る恐る、眼を開ける。
はためくマント。
葡萄色の髪。
「! カノト様!」
「……カノト・カヴァーディル……!」
どうしてワタシを庇うの。
ワタシを庇っても、あなたになんの得もないのに。
「……ターバスト・クレパス……貴方を倒します」
「ほう? 随分大口を叩くな……!?」
「貴方はユフィを傷付けた。そしてエルファリーフ様の事も、彼女たちの大切な友人たちも。……僕が貴方を倒す理由です」
細身の剣。
あんな細い剣で、大剣使いの兄さんと戦うつもりなの!?
無理よ……いくら『剣聖』でも、兄さんは竜人族でも一、二を争う実力者なのよ……!?
「……ナージャさん、そのままミスズ様を頼みます。きっとすぐにハクラ様が駆けつけてくださるので」
「!」
ハクラ様?
そういえばさっき声がした。
辺りを見回すと、魔法陣の外で横たわるユスフィーナ様へ手をかざしている。
ドレスは真っ赤。
……っ! ……ユスフィーナ様……!
「余所見とはいい度胸だ!」
「………………」
振り下ろした兄の剣撃が地面を大きく抉り取る。
しかしその場にカノト様の姿はすでにない。
ワタシでも辛うじて視えた。
兄の体に一、二、三、と傷が増えていく。
傷が増えていくのは見えるのに、いつ攻撃されて出来たのか分からない。
は、速……!?
兄さんが構え直す間にも、更に五、六……。
剣を振る間に、八、九……。
だ、だめ、全然見えない……!
「くっ! 小蝿がっ!」
! 違う! 倍だわ!
兄の鱗すら切り裂く斬撃が、ワタシが見えていたものの倍以上、兄の体についている!
やっと姿が目視できたと思ったら、カノト様は剣を振りながら風魔法で兄の体を浮き上がらせた。
あれは、無数の風の刃で敵に切り傷を作る攻撃魔法!
「シルファング・カット!」
「っ――!」
竜人族の体は魔法耐性も高い。
特に兄は……。
そんな兄の体にあれほどの切り傷を……!
シルファング・カットは攻撃魔法の中でも上級でしょ!?
それを動き回りながら使うなんて……カノト様の魔法スキルレベル、どんだけ高いのよ!?
「生意気な……人間風情がァーー!」
兄の大剣の剣先に、カノト様が立つ。
あんな細い剣で……兄に勝てるのか。
そんな風に思ったワタシは本当にまだまだ勉強不足だわ……。
「……貴様の、その剣は……!」
「……『剣聖』の称号を頂いた時に、陛下に賜りました。ウインドドラゴンやエアドラゴンの鱗を、名匠ケファネルが鍛えた宝剣です」
学校で習った事ある。
エーデファー地方の『カタルシア』という町に住む伝説の鍛治師一族……ケファネル。
ドラゴンの鱗を武器や防具に加工する秘術を持つ、古の王族の一つ。
彼らの作る武器や防具はもれなく国宝になり、称号を与えられた者に特別に贈られるんだって!
……なんて綺麗なの……半透明なのに、うっすらと緑色。
そうか、兄さんの魔法耐性すら無関係に魔法でダメージを与えられたのは――!
「ハーファムブート」
凄まじい風圧!
あの兄さんの体が……全身に無数の斬撃を浴びて血が噴き出している……!
『剣聖』……こ、こんなに強いなんて……!
あの兄さんが一太刀も浴びせられずに……負けちゃうなんて……!
どさりと倒れた兄さん。
ワタシは、駆け寄る事なくその姿を見つめた。
……その資格がない。
ワタシは、兄さんと同じ志は持てなかった。
兄さん…………ごめんなさい。
ワタシは、アナスタシアは……ナージャ・タルルスとしてのワタシの方が好き。
たくさんの人に呼んでもらえるこの名前が好きなの。
ワタシを「ナージャ」と呼んでくれる、たくさんの人たちが傷つく未来をワタシは望まない。
そのために、兄さんや父さんとも……ワタシは……!








