side『腐肉の匂いの中で』
ユティアータ、東部。
レベル4の魔獣との戦闘があった地は、ハーディバル・フェルベールによって平地へと修復されている。
草木は元に戻す事こそ出来ないが、あれほど激しい戦闘があったとは一見分からない。
その地に王国騎士団、騎馬騎士隊副隊長アルフ・メイロンはタバコをふかしながら佇んでいた。
近くには195センチもある巨漢の騎士。
更にその隣に、カノト・カヴァーディルが歩み寄る。
「見ない方が良いよ〜。原型は保ってる方だが、結構腐ってるからねぇ」
「いえ、大丈夫です……。……この方が唯一姿を保っていたご遺体ですか」
見下ろした先には緑色の鱗が覆った人間……竜人が横たわっていた。
四肢が腐り落ちそうになった、顔も半分が溶けていて原型は分かりづらい。
なにより、ひどい悪臭だ。
これが肉の腐った匂い。
「……あれ……? この人……」
「? どうかした?」
「……この人……この間、戦った竜人の人だ……」
「戦った?」
「はい……」
一ヶ月ほど前だろうか、カノトが別な村へと移動していた時に突然襲ってきた竜人が居た。
そのうちの一人だ、間違いない。
顔は半分たけだが、ちゃんと覚えている。
風の属性の竜人……自分と同じ属性だから印象に残っていたのだ。
「なに? 荒事?」
「ええと、どう説明したら良いものか……」
突然襲ってこられた。
理由は分からない。
簡潔にそれだけ説明すると眉を寄せられた。
「もしかしたら、同業者で商売敵を減らしたかったのかもしれませんね……」
「あー、そうかもねぇ。竜人は結構荒っぽい事もするから〜。でも、感心しないわね」
母からの刺客かとも勘ぐったがそういう事情だったのかもしれない。
カノトが困ったように笑うと、アルフも白煙を吐き出す。
「で、ハーディバル隊長が来たのね」
「え?」
巨漢の騎士が頭を下げた方向を向くと、アルフ副隊長はそちらを向く事なく現れた人物を言い当てた。
昨夜カノトもレベル4と戦った時に会っている。
薄い紫色の髪と朝日に透けるような銀の瞳の美しい少年。
氷のように動きのない表情がまるで人形のように映った。
ごくりと思わず生唾を飲み込む。
彼が現れた瞬間、周囲を警戒していた騎士たちの緊張感がカノトにも感じられた。
「会議はなんて?」
「ジョナサン殿下、スヴェン隊長、カミーユ副団長が王都に居残り。僕がユティアータを担当。ラッセル隊長は警戒区域をバルニアン海域全体に広げたので配置換えだそうです。ランスロット団長は、通常業務をこなしつつ王都で待機。必要なら出るそうです。全地方領主にはすでに厳戒態勢を維持する通達が出ているです。頭の良い者ならほとぼりが冷めるのを待つでしょうね……」
「でしょうね。うちと本気で戦争するつもりなら、話は別かもだけど……。それで、ハーディバル隊長はこのご遺体に何か感じるものはおあり?」
「……………………」
アルフ副隊長の横に来たハーディバル隊長が竜人の遺体を見下ろす。
魔法のエキスパートたる魔法騎士隊の隊長は、この遺体になにを思うのだろう。
緊張の中見守ると、ふと、彼の瞳が優しくなった気がした。
「誇り高い戦士の魂。……ゆっくりと休まれると良い……」
「?」
「ああ、気にしないで。ハーディバル隊長は“視える”人なのよ」
「えっ」
みえる?
視えるというと、まさか……まさか?
狼狽えているカノトをよそに、他の騎士たちもハーディバルと同じように胸に手を当てて死者の魂へ敬意を払う。
慌ててカノトも胸に手を当て、目を閉じた。
一度は戦った相手。
ちゃんと送れるのなら送ろう。
「…………人間の魔力の気配を感じる。……邪悪な魔力に霞んで消えかけているが……やはり自然発生したものではないですね。……でも、なんだろう……この感じ…………すごく、ヤバイ感じ……」
「……珍しいわね、ハーディバル隊長がそんな抽象的な表現するの……。そのヤバイってどういうヤバイ?」
「危険というのとは少し違うけど、でも、やっぱり危険な感じ、です。……形容し難い……どう言ったら良いのか……。……この感じは…………『極炎竜ガージベル』に会った時と似てる……」
「『八竜帝王』!? ……いやいや、まさか……ご遺体が竜人だからって、ドラゴンが絡んでいると?」
「僕もそこまでは言わないです。……ただヤバさの感じがその時と似ている、という表現の話です」
「ああ、もう、何だ……。驚かせないでよ〜」
みなが胸をなで下ろす。
さすがに『八竜帝王』とは戦えない。
条約もあるし、『八竜帝王』が一体でも欠ければドラゴン族は怒り狂うだろう。
そうなればドラゴン族と人間の戦争だ。
流石に勝ち目はない。
しかし、ハーディバル隊長が『八竜帝王』と遭遇した時の感覚に似ていると例えた事は別な恐怖を植えつけて来る。
それ程の存在感。
それはもう、圧倒的な相手から受けるプレッシャー。
この遺体にそれ程の危険性が含まれていたとは。
「……ダメです、これ以上は……。邪悪な魔力の濃度が濃すぎて」
「ハーディバル隊長でも魔法の痕跡は見つけ出せない、か。レベル3の時もそうだったんだよねぇ?」
「あちらには強力な拘束魔法がかかっていたです。魔法で完全に動けなくして、町の側に埋めて自動で邪気を喰うように仕込まれていたと思われるです。レベル3に到達した時点で拘束魔法は破られる。そうなれば、あとはレベル3が自由に町を襲えるです」
「! ……な、なぜですか? それは完全にこの町を狙っていたとしか……」
「だから狙われてるの」
「…………………………」
昨夜確かにアルフ副隊長はそう言っていた。
だからカノトも口を噤む。
納得いかない。
なぜ、この町なのだろう。
いや、それをこれから本格的に調べるのだが……それにしても手がかりが少ない。
「けど手が込んでるわね。ユティアータが狙われた要因、ハーディバル隊長はなんだと思います〜?」
「1、領主が新米で隙が多かったから。2、大都市だったから。3、立地が良かったから。4、ユティアータに恨みがあったから。5、ユティアータに関係する人物に恨みがあったから。6、王都を襲う時の予習をしたかったから……」
「うーん……動機の線からいくのは厳しいかな〜……。困ったねぇ……」
ぼりぼりと頭を掻くアルフ副隊長。
目的が分からない。
こんな事をして得する人間がいるのだろうか?
「……7……、領主を辞めさせたい。または、殺したかった」
「………………っ」
騎士たちも、カノトも身体がこわばった。
しかしすぐにアルフ副隊長が「大掛かりすぎるでしょ〜」と緩やかに否定する。
その通りだ、辞めさせるのはともかく、殺すならもっと簡単な方法が色々あるはず。
確かに彼女のような地位の人間は死を望まれる事もあるだろう。
殺さずとも辞めさせるだけで甘い汁が吸える者もいる。
しかし、それにしてもこれはやりすぎだ。
「……では8、ユティアータに魔獣化させたい人間がいた」
「レベル4まで使って魔獣化させたい人間? それってどんな人よ? それに人一人魔獣化させたところでレベル1ならすぐに浄化出来るでしょ?」
「一人ではなく、集団で。新たに魔獣を生み、利用するのが目的」
「………………、……それは、まさかでしょ……?」
「9、邪竜を生み出す事が目的だった」
「…………………………」
そんな事をして、誰が得をするんだ。
何度目か分からない、誰にも届かない心の中の問い。
「……生み出して何がしたいの」
「僕が分かるわけはないし、もしかしたら邪気を発さないプラスの感情……例えば好奇心や崇拝の心で目論んだ可能性はあるです」
「……っ、勘弁してほしいわ、それ……。そんな宗教団体が勢力拡大なんてしたら根絶やすのはかなり難しいよ〜?」
「……ま、それも我々の仕事ですね……」
休暇が遠のく〜、と頭を抱えた副隊長。
風の竜人の遺体に目線を戻す。
四千年近く生まれていない邪竜への興味。
だが今日まで王族を始め騎士団、勇士や傭兵たちの努力で芽は摘まれてきた。
レベル3すら数十年に一度現れるか現れないか。
それが遂に、一歩手前のレベル4まで来た。
邪竜が現れたら、勝てるか?
王は邪竜を倒した伝説を持つ。
ハクラは現状戦力ならば勝てる可能性があるとも言っていた。
だが、邪竜が生まれるのには多くの人間が喰い殺される。
生まれた後もどれほど犠牲者が出るか……。
「カノト・カヴァーディル?」
「! は、はい」
ハーディバルに呼び掛けられたと思って返事をする。
だが彼はアルフ副隊長と話していた。
顔はこちらを見ているが、別に名前を呼ばれたわけではなかったようだ。
しかしこれ幸いとばかりにアルフ副隊長が手招きしてくるので、数歩近づく。
「カノト・カヴァーディルです」
そういえば昨夜は会話もほとんどしないままだった。
改めて名を名乗り、頭を下げる。
歳下のようだが地位は上だ。
御三家の一つ、フェルベール家の子息。
流石に名前は聞いた事があるし、昨夜のあの実力……敬意を払うには十分すぎる。
「ハーディバル・フェルベールです」
「昨晩は素晴らしいご活躍。私も命拾いいたしました。ありがとうございます」
「ご謙遜、ですね」
「とんでもない、本当ですよ」
本音だ。
正直一体だけならばもう少し持ち堪えられたかもしれないが、五体はどう考えても無理だ。
彼が来てくれて本当に助かったと思う。
もちろん、フレデリック殿下も。
あの戦闘能力には超えられない壁を感じた。
体内魔力容量の多い者との差がこれほどとは思わなかったが、彼の努力も含まれてはいるだろう。
それは純粋な賞賛に値する。
「……で、騎士団にはいつ頃……」
「そ、その件はまだ……!」
真顔で尋ねられてなんの話をしていたのかを察した。
アルフ副隊長の「え〜」という声に恨みの眼差しを向ける。
気が早いというか、まだ入るとは言っていない。
「貴方が入ってくるなら新しく魔法騎馬騎士隊を作る話が進むと思ったんですが……そうですか……」
「…………は……ははは……」
……あ、これは入団早々に何かとんでもない役職を押し付けられる。
ゾッとしたものを感じて乾いた笑いで誤魔化した。
「まあ、それはそれとして、今回の件……『三剣聖』の一人である貴方には正式に協力依頼をするです。よろしいです?」
「……! ……謹んでお受けします。この国の民として、邪竜誕生だけは阻止しなければならないと強く感じています」
「ありがとうございます。……姉にも依頼しようかと思ったですが、なんか四人目がいるっぽいんでやめたんですよね」
「え? 四人目……?」
「お腹の中です。……甥っ子か姪っ子かはこれから分かるです」
「え!? わ、お、おめでとうございます!?」
「僕に言われましても」
いやいや、おめでたい。
確かにそれなら、彼女にはお腹の子どもを優先していただかなくては。
「フェルベール家は安泰ですねぇ〜。それに比べてうちの団長は……はぁ、お見合いの日にレベル4とは、運がない……」
「本当です。スヴェン隊長はエルファリーフ嬢といい感じだったのに」
「あらそうなの? 羨ましいわ〜……うちの団長も早く結婚しないかしらね〜」
「本当、早く結婚しやがれです」
ね〜、と頷き合う二人にどう言っていいやら。
タバコを消したアルフ副隊長は、かく言う自分も別れた嫁さんと息子に会いたい……と肩を落とした。
半泣きで。
「エルファリーフ嬢といえば、今どちらでしょう?」
「……あ、彼女なら領主庁舎で領主様の手伝いをなさっているかと思いますが……」
「ふむ。なら都合はいいか……」
「と、言いますと?」
「二人にこれをお渡ししようと思って」
ハーディバルの取り出した小指の関節ほどの小さな魔石が取り付けられたネックレス。
デュアナの花のあしらわれた、可愛らしいデザインのネックレスにアルフ副隊長と共に目が点になるカノト。
「これは?」
「一度だけどんな攻撃も無効化する魔法が入っているです。姉にデザインにめちゃくちゃ文句を言われたので新調する羽目になったです……」
「それは、また……」
なんと言って良いやら……。
「なぜ彼女たちに?」
「死の気配が漂っているので、まあ、気休めです。ないよりマシでしょう的な」
「死の気配?」
「マジか……」
頭を抱えたアルフ副隊長とは真逆でカノトは眉を寄せる。
なんとも物騒な気配だが、聞いた事がない。
「……視えるんですよ……たまに……。白い靄のよのうなものが。そういう人間は半年以内に死ぬか、死ぬような危険な目に遭う。あんまり死ぬのでそう呼んでいるです」
「……ハ、ハーディバル隊長様はそのようなものまで分かるのですか?」
「なんでかは自分でも分からないです。霊感のせいですかね?」
「…………」
あ、やっぱり本当に視えるんだ……。
ではなく。
「彼女たちに、その死の気配が?」
「あれはなかなかやばい濃度です。……それと……あいつも」
「?」
「いや、あっちは手遅れレベルなのでなんとかなりそうなユスフィーナ様とエルファリーフ嬢に気休め程度でこれを持っててもらうくらいはしようかな、と。……あの白い霧を纏っていて、助けられた事なんてほとんどないんですけど、なにもしないよりはマシでしょう」
「……………………」
気落ちした声にどう声をかけていいのか分からない。
人の死を予感するものを視る力。
あまり気分のいいものではないだろう。
どんな攻撃だろうと無効化する魔法なんて、この国で何人が扱えるだろうか。
最上級の守りの力。
彼の心遣いが、危険度とともに現れている。
「……お二人も心強く思われると思います」
「今回の件が、ユティアータではなく、邪竜を生み出すでもなく……あの姉妹を狙ったものだったとしたら…………気が滅入るです」
「…………大掛かり過ぎます……」
「ですよね。……ですが、彼女らに危険が迫っているのは間違いない」
「……はい」
この小さな魔石に込められた彼の願いが叶う事を切に願う。
どうか、あの優しい姉妹を守って欲しい。
「僕も出来る限り、彼女たちの側で彼女たちを守ります」
民を想って流したあの涙は胸に突き刺さった。
なぜ強くなりたいのか。
なぜ強くなりたかったのか。
思い出せない心の虚無を、忘れさせるほどに。
今はただあの姉妹が二度とあんな涙を流さないよう、守りたい。
「……じゃあ一度戻りますか。……ご遺体は回収して、庁舎内に安置させてもらいましょ。肉片はあらかた回収終わってるから、王都の共同墓地に埋葬しますけど、いいですか?」
「僕に異論はありません。ご遺体の身元は?」
「調査中です。カノト氏が一ヶ月ほど前に会った事があるようなんですが……」
「あ、はい……五人の竜人に突然戦いを挑まれて……」
「五人?」
「え? あ、はい……?」
突然鋭く睨まれて、思わず喉が引きつった。
「今回のレベル4と同じ数ですか。しかも……その内の一人と面識があると」
「………………。まさか……あの時の竜人たちが……? でも、そんな……なんの確証もないですよ?」
「貴方は魔獣がどの程度の速度で成長するかご存じです?」
「え? ……ええと、それは……環境や個体差が大きいのでは……」
「はい。ですが、レベル4に成長するのに一ヶ月……ありえない! 今の時代レベル2に成長するのだってもっと時間がかかるんです。まして竜人は精神力が強く、魔獣にはなりにくい」
「……! 確かに……。竜人が魔獣化した例はかなり少ないですね……。竜人族そのものが少ないのもありますが……」
「……そ、そうなんですか……? じゃ、じゃあ……」
あの日、戦った五人の竜人が……昨日のレベル4だと?
背筋に薄ら寒いものを感じた。
彼らがどういう経緯で魔獣に“変えられたのか”は全く分からないが、ユティアータと同じように自分も何か得体の知れないものと関わっていたかもしれない?
ただ単に、あの五人があの後得体の知れない連中に拐かされて利用されたとも考えられるが……しかし……もしかしたら。
「僕があの時、ちゃんと介抱していれば……」
「カノト氏? どうしたの?」
「戦った時、気を失わせてそのまま放置してしまったんです。もしかしたらあの後、彼らは今回の件の首謀者たちに攫われてしまったのかも……。だとしたら僕のせいで彼らは……」
「あるいは、彼らが最初からその関係者だった可能性もあるです」
「……そ、そんな……」
「なんにしても、手掛かりにはなりそうです。……ご遺体の身元をフェレデニク地方の行方不明者と照合しましょう。恐らくケデル氏もクレパス氏もご遺体をすぐに返せと言ってくるでしょうから……その辺りの調整も同時に行うべきですね」
「竜人族の領域か……。我々が届けに行くと言うと文句言われそうですねぇ。嫌だわ〜」
「知ったこっちゃありませんです」
「あの、その時は僕も同行していいでしょうか? ……もしかしたら、僕が彼らと会った最後の人間かもしれません……。ご家族の方に、少しでもお話し出来る事があるかもしれませんから……」
「……そうですね……その可能性は高いです……。分かりました、配慮するです」
「ありがとうございます……」








